狙われたのは誰なのか、よりも
アーロはプールサイドと施設内の廊下の仕切りとなる扉を閉めた。
それから彼は周囲をぐるりと見回した。
壁紙から絨毯まで、高貴な人専用に誂えられた空間は薄く金色に輝いているようであり、満身創痍の大きな丸い人体の哀れさを如実に際立たせていた。
仕立ての良い爽やかな青地のスーツはボロボロで、レースとフリルでフリフリのシルクシャツは所々が血で赤く染まっている。
そんな姿となったアーロに向かってこん棒を振り上げていた人物は、今は彼の足元で、自分の大きな体を持て余すようにして丸まり震えてもいる。
その震えは、怪我の痛みによるものか、アーロの報復への恐怖によるものか。
はあ。
これはアーロの溜息だ。
「おいたが過ぎますよ。カレヴァ王子。どうして俺に襲いかかったんですか?」
アーロが乱暴に暴漢から頭巾を奪うと、キラキラ輝く長めの金髪が零れ、整っていながらも肥満によって子供にしか見えない不機嫌な顔がボヨンと姿を見せた。
ペルタゴニアの現王の五番目の王子は、大きくて丸い青い目でアーロをぎろりと睨んだが、威厳を持ってアーロに言い返すどころか、子供っぽい外見通りに威厳など無く不貞腐れた様にしてアーロの問いに素直に答えた。
「お前が麗しき女性を襲っていたからだ。」
「俺が狙撃されなければ、俺はあなたのピラニアに襲われた不幸な人に覆い被さったりなどいたしませんよ?」
こん棒で自分に襲いかかって来たのだから、狙撃手も王子が用意したものだろうとアーロは考えていた。
それでも王子に対して怒りが全く湧かないのは、ピラニアプールに王子を落とすという仕返しもアーロは既にしていたし、先の王子の言葉通りに、狙撃が無ければヴェルヘルミーナを腕に抱けはしなかったからであろうと彼はわかっているからだ。
「ああ!それはきっと私を狙ったのだな!」
「あなたが用意した狙撃手でしょ?嘘はいい加減にしましょう。」
「どうして嘘だと決めつける?」
「あなたを殺っても意味が無いからです。」
カレヴァが第五王子であるならば、彼には四人の兄がいる。
その王子達が全員婚姻済みで、その上全員に息子が三人も四人もいることで、実はカレヴァの王位継承権など無いに等しい。
「二十八番目の王位継承権者を殺る意味がそもそもないでしょ。」
カレヴァ王子は、アーロに対して向けていた不機嫌な顔を、さらに不機嫌なものに変えた。
「お前は本当に不敬な奴だな。」
「不敬にもなりましょう。流れ弾がヴェルヘルミーナに当たったらどうするおつもりだったのですか?大体、ガラ・ルファプールにピラニアを放したりなんて、悪戯が過ぎます!誰かが大怪我したらどうするんですか?」
「それこそ私への嫌がらせだ!私はヴェルヘルミーナがゴートに来ると聞いたから、彼女が乗ってきたはずの汽車を駅で待っていたんだ。朝から今まで!従者が彼女がすでにホテルに入っていると教えてくれるまで!」
アーロは、ハア、と溜息を吐いた。
さらに目元に右手をやって、痛んで来た頭痛を消せるように指先で鼻の付けねを摘まんだ。
「あなたがヴェルヘルミーナに懸想していたとは。」
「懸想?そんな軽薄な言葉で彼女を汚すのは止めてくれ!彼女は夢の人だ。私が魚を研究したいと言えば、好きなだけ研究なされば良いと応援してくれたのだ。私の好きな魚の研究はきっと誰にも注目されないと言えば、あなたに注目される魚は幸せです、あなたに有名にしてもらえますから。なんて可愛い事を言ってくれたのだ。それで私はここ、国営古代式健康大浴場にて、日夜研究に勤しんでいるのである。」
「そういえば、あなたがこちらに赴任されたのは三年前からでしたね。」
「ああ!ここならば地熱を利用して熱帯のジャングルに住む淡水魚を育てる環境を作り出せる。私の愛しのヴェルヘルミーナは、私が作った愛の家で、今日も優雅に泳いでいるぞよ!」
「ええと、あなたが一番愛しているのは、ピラルクーのヴェルヘルミーナさん?」
王子は一番は紅楓子爵未亡人のヴェルヘルミーナと答えようとしたが、自分と友人のようにして会話をしてくれるアーロの目が、飢えた肉食獣が獲物を見つけた時の瞳の輝きしかしていないことに気が付いて口を閉じた。
カレヴァは愚鈍王子と名高いが、実の彼はセンシティブな人なのだ。
そして王子は何かを思い出したかのようにして、はっとした顔つきとなって、顔色をさあっと青ざめさせた。
「王子?」
「お、お前だったのか!これは罠か!私をピラニアプールに落したのは、実は殺すつもりであったという事か!」
「何を急に。ピラニアプールはあなたがご自分で作られたんでしょうが。」
「違う!私が国営古代式健康大浴場に戻った時、我がヴェルヘルミーナのご飯であり私の小遣い稼ぎとなるピラニアが、専用水槽から一匹残らず消えていたのだ!そこで従者に問い詰めれば、ガラ・ルファプールに放せと私の命を受けたという。それで私がガラ・ルファプールの様子を見に駆け付けたところで、お前がヴェルヘルミーナに襲い掛かっているという場面だった!」
「ちょっと待ってください!まさか、ハハリも同じようにしてあなたが殺したというのですか?あれはエロネン侯爵の仕業ではなく?」
「いや。私が思ったのは、それこそお前の仕業だったのか?という事だ。今回はお前が逆手にとって、私を暴漢に仕立てたのか、ということだ。」
「何を。」
そこでアーロはハッとした。
自分は狙撃も王子の仕業と思っていたが、それこそ第三者の仕業だと言うならば、自分は一体何をやっているのかと。
「しまった。まだ危険が残っているのにヴェルヘルミーナを置いてきぼりだ!」
「なんとこの馬鹿者が!ヴェルヘルミーナを救いに行かねば。」
王子はワタワタと立ち上がり、再びプールサイドへと向かう扉に手を掛けたが、アーロは不敬にも王子の襟首をつかんで後ろへ放り投げた。
「何をする!」
「あなたこそ狙撃者がいるかもしれない外に無防備に出ないでください。いいですか?あなたは自分の怪我の手当てを今すぐなさってください。」
言い捨てると、アーロは一気に扉を開けて外に躍り出た。
ヨアキムを放ってるので狙撃者などいないに等しいが、狙撃者が王子の手の者でなければ、まだプールサイドは危険人物が潜んでいておかしくは無いのだ。
「俺はなんてことを!」
しかし、数秒後、彼は自分の本当の失態を知ることになった。
ヴェルヘルミーナを座らせたベンチには彼女の姿など無く、代わりにヨアキムが偉そうに足を組んで座っていたのである。
「ヴェルヘルミーナをどうした!」
「普通に帰した。今夜は一緒にディナーしましょうってお約束もしといたよ。」
「ありがとう。」
「素直だな。俺はお前に言う事があるから、ヴェルちゃんを帰しただけなんだけどね。」
アーロはヨアキムの隣に座ろうと一歩前に出たが、ヨアキムが組んでいた右足を解いてアーロの行く手を遮るようにして伸ばした。
「なんだ?」
「俺がしたいのは説教だ。お前は立ってろ。」
アーロがヨアキムを睨み返すと、ヨアキムは自分のローブの裾を股が見えるぐらいにまで引き上げた。
「何をお前、……あ。」
裾を捲ってもヨアキムの腿は肌色では無かった。
ブルーグレーという渋い色でも光沢があることで軽薄この上ない生地に、ピンクシルバーのヒョウ柄が入っているという、本気で悪趣味な膝丈のパンツが捲られた裾から出てきたのである。
アーロは何も履いていない自分が急に不安定となり、ローブが捲れないようにと無意識に尻側の布地を押さえた。
「そう。百聞は一見にしかず。ガラ・ルファしない?ルールその一。ローブの下には派手なぱ~んつを履こう!てめえ、何をフルチンでプラプラしてやがる。王直属近衛兵団の面汚しめ!」
「うるせえよ!教えとけよ!スタッフから手渡されたのは、このローブ一枚とタオルだけだったんだよ!」
「当たり前だ。ぱ~んつは、てめえで用意するもんだ。出来るかぎり無駄に派手なものを選ぶのがお約束だ。自分がそんなぱ~んつを履いているのだから、相手はどんなぱ~んつを履いているのかと、妄想を膨らませて際どく想像し、知るために行動してしまう、というお遊びに繋がる環境整備の品なんだよ。」
「ええ?」
「俺はヴェルちゃんのぱ~んつが知りたかったが、お前の小汚い見慣れた尻なんか見たいとは期待していなかった。」
「あ!」
アーロは自分が何をしてしまったのか、今ようやく気が付いた。
恋する人の前で、お尻をまる出しにしていた、のだ。
「あああ!」
叫んだところで後の祭り。