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青い空の下での魚との戯れ

 私は言葉を間違ってしまったのかしら?


 アーロの足を私が褒めた途端に、彼は顔を伏せてしまった。

 アーロの足は、腿には筋肉の筋が見え、ふくらはぎだって細いけれど堅そうという、見慣れた女性のものとは全く違うものだった。


 競馬の馬たちのように美しいと、私は純粋に思っただけなのだけど。


「アーロ?馬と比べてしまったからご気分を悪くされたのかしら?あの、私は馬がとても美しい生き物だと思っていますの。だから褒め言葉になると思っておりましたが、あの、お気を悪くされたのならば申し訳ありません」


「ハハハ。謝られる必要などありません。俺も同じですよ。馬の姿形は最高だと思います。だから、ええ、あんまりにも最高な褒め言葉を頂けたので、俺は感動して泣きそうだっただけです。すいません。あなたに気を使わせてしまって」


「いいえ!ご気分を害されていらっしゃらなかったなら良かったわ。でも、私がおかしなことを言ってしまったら教えてくださいませね。こうして男の人と語り合うのは私は久しぶりで、そのせいか頭が全く動いていないようですもの!」


 私は空を見上げた。

 こうして?

 こんな晴天の太陽のもとで、私は男の人と語り合ったことはあって?

 ガブリエルとは夜のパーティの一瞬だけだった。

 紅楓子爵、寝たきりのアレクシスとは、室内だけの語らいだった。


「……ごめんなさい」


「気になさらないでください。俺も女性とこうして語り合うのは久しぶりです。俺こそ失礼ばかりかもしれません」


「いいえ。私のごめんなさいは違います。明るいお空の下で男の人と語り合うのは久しぶりどころか初めてでした。嘘を吐いてごめんなさいだわ!」


 ぷっくすくす。


 柔らかい笑い声が左隣で弾け、私は空から左隣に視線を動かした。

 私の隣で私に左側を見せないようにして前を見ていた男性が、ほんの少し私に顔を向けて楽しそうに笑っていた。

 左頬は確かにケロイドで引き攣っていたが、それ以外は彼の顔には傷はない。

 そして、怪我があろうと彼の笑顔は気易くて快いものだった。

 ところが、笑っていたはずの彼はぴしっと凍った。


 どうしたの?


 あらまあ、私の左手が彼の右肩をそっと撫でていたじゃないの。

 私達は一緒にびくっとなり、私は彼からぱっと手を剥がして、それから同時に体も視線もプールに向けた。


「ご、ごめんなさい」


「い、いえ」


 数秒後、私達は同時に吹き出していた。

 ええ、おかしいわ!

 世慣れしている男女が、寄宿舎を出たての少年少女みたいにして、お互いにもじもじしているのよ?


「ヴェルヘルミーナ」


 私は涙をこぼしていたようだ。


「楽しくても涙は出るのね。しめっぽくってごめんなさい」


「ここはプールサイドですよ?水が増えて困る場所ではありません。それに、幸せだとどこもかしこもゆるくなるものです。人間は年を取ると丸くなってしまうって言うじゃないですか。俺も最近腰回りに贅肉がね」


「あら、まあ!嘘ばっかり!」


 だが私は自分とアーロが丸くなった姿を思い浮かべていた。

 白髪になった二人は少しふくよかで、でもこうして笑い合っている。

 笑い声を立てながら指先で自分の涙を拭った。


 そうしないと本格的に私は泣き出してしまいそうだった、から。


 勝手に妄想して、妄想が叶わないって夢だって泣くなんて。

 なんて馬鹿な女だろう。

 なんて惨めな女だろう。


「ああ!楽しいわ!本当に素敵なのね。ガラ・ルファするのは」


「まだ俺達のどちらもガラ・ルファされていませんけれど?」


 アーロの言葉に私はプールの中を見下ろしたが、彼のその言葉通りに私達の足の周りに魚の一匹も見つける事は出来なかった。

 プールの隅っこに黒っぽい塊が見えると言うのに。


「まあ!確かにそうですわね。あの子達に私達は美味しくないと思われているのかしら?さあ、怠け者のお魚さん!美味しいお足がございますわよ!」


 私は足をばたつかせた。

 バシャバシャと足が水面を叩き、私が立てた飛沫が私とアーロに降りかかった。


「わあ冷たい!魚が脅えてしまいますよ!」


「いいえ!怒って襲い掛かりに来ますわよ!」


 私の右足は再び大きくざぶんと水の中に沈み、同時に私の足首にとげが刺さるような痛みが走った。


「きゃああ!」


 私は痛みに驚いたそのまま足を大きく振り上げていて、そのせいでバランスを崩してアーロに寄りかかった。


「大丈夫?」


「え、ええ」


 大丈夫じゃないかもしれない。

 私の背中はアーロの胸板にくっつけられていて、薄い布地のせいかアーロの胸板の感触を背中一面に感じていた。


 温かい!

 小さな頃にお父様に抱きしめられた時のような安心感!


「一体どうしたのかな?」


「お、お魚に齧られましたのよ」


 大きな体に後ろから抱き締められている感覚で、私は幼い頃に戻ってしまったようだった。

 幼い子供みたいにアーロに答えていて、ついでに、ここが痛くされたの、と父親に見せるようにして右足を持ち上げていたのだ。


 あら?右足首にポツンと血が一滴滲んでいる?


「なんとおお!」

「きゃあ!」


 アーロは雄叫びみたいなさけびごえをあげると、彼の腕の中から私をぽいっと放り出した。

 って、え?ぐるんと体を回転させられたわ!

 でもって、なんとなんと、いつのまにやら私の右足が掴まれて、プールのタイルに両膝をついて座っている男の胸元に持ち上げられているじゃないの。


 何この体勢?

 私はアーロに右足を持ち上げられているので、仰向け状態で身を起こせないという情けない格好だ。


「あ、あの?」


 あなたはどうなさってしまったの?


「噛み痕がある!何という事だ!」


 私の右足首を掴んで、私を不安定な体制にしている男が、神への侮辱に怒り声をあげるようにして、大きく吼えた。

 そして、アーロは私の足を両手で掴み私を無慈悲な状態にしながら、ぎっという風にプールに向かって凄い睨みを向けたのだ。


「死刑にしてやる!」


「ま、ままって、アーロ。お魚さんはお仕事をしただけですわ!」


 ガラ・ルファさん達は肌の悪い所を食べてくれるのだもの。

 小さな傷を作る時だってあるわ、でしょう?


「君の可愛い足首に歯型を付けられたんだぞ!キスは許すが齧るのは許さん!いや、君の肌にキスだって畏れ多いと言うのに、傷を付けやがったんだぞ!」


 ああ、もう!

 心配して下さるのは嬉しいけれど、もう!一体どうなさったの!


「アーロ!ええと。私に元々あった傷なのよ。だって、齧るったって、お魚さんには歯がありませんでしょう?」


 アーロは急にハッとした顔になり、彼はさらに水の中を見通そうという風に腰をかがめた。

 その瞬間、水の中で水しぶきが上がった。

 魚が跳ねた?

 そんな風に思った時には、なぜか私はアーロに抱きしめられてプールのタイルに完全に横たわっていた。

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