花の命は短くて
「牢獄で無いことに感謝するべき?」
トゥーラ・マキは皮肉そうな声を出した。彼女は粗末な部屋の粗末なベッドに腰かけており、暗い部屋を照らす明かりとりの小さな窓を見上げる。部屋には明かりもなく、小さな窓から月の輝きが室内を微かに照らしているだけなのだ。
彼女は室内を見回して、大きく舌打ちをした。
囚われた彼女が押し込まれたのは、ゴートの町から南西方向に馬車で一時間かかるトゥオネラ山の麓にある女子修道院の反省室と呼ばれる一室である。
「ここは牢獄以下じゃない」
彼女の父が収監された債務者用の監獄は、窓に逃亡防止用の鉄格子は嵌ってはいたが、いま彼女がいる部屋よりも大きな窓であった。また、室内は彼女の父が自宅から持ち込んだ贅沢品で装飾されていたのである。
トゥーラの父は詐欺師でもあった。
しかし騙した証拠が無ければ単に金を返せない債務者としか追及できないため、彼は債務者監獄に入れられた。そして、彼を刑務所に押し込んだ桃花伯爵家に、彼女は引きとられたのである。娘への思慕で勝手に逃げはしないと考えて。
彼女は薄暗い部屋で、つんと貴族風に顎をあげ、しかし下品に鼻を鳴らした。
それから、全てあの女がいけないのだと、彼女は奥歯を噛みしめた。
彼女が憎むのは、桃花伯爵夫人。
「あの女は何もわかっていなかった。私はあいつの娘よりも美しいのよ?使えるの。私こそ伯爵家の娘として相応しいのよ?それを、あの女はわかっていなかった。いいえ、わかっていたから私を召使いに堕としたのね。そう、嫉妬よ。私はあいつよりもあいつの娘よりも美しいのだから」
そこで彼女は、ざまあみろと、呟いて嗤った。
彼女は彼女が憎む女の娘に幸せなど与えないと決めている。
幸せも思い出も全て奪ってやろうと思っている。
「ご学友との思い出のカトラリー?おばあさまの思い出のルビー?奪ってやった時のあの顔!それに、白鷺伯爵とご対面した時のあの顔!!」
大金持ちの白鷺伯爵との婚姻は、貴族への執着が強いトゥーラの為に用意された相手であり、桃花伯爵がトゥーラの父親によって受けた損害分を白鷺伯爵より受ける約束の上のものである。
自分の婚姻の事を知っていたトゥーラは、ヴェルヘルミーナの叔父を誑かして愛人となることで、ヴェルヘルミーナにこそ白鷺伯爵を押しつけてしまったのだ。
トゥーラは口元を歪めて笑い声を上げようとしたが、白鷺伯爵がヴェルヘルミーナの為だけに風呂に入り、遺言書までも書き換えた事を瞬時に思い出した。
彼女は笑う代わりに手近にあった枕を掴み、室内の壁に投げつけた。
簡素な布を木に巻きつけただけのものだったからか、室内に乾いた甲高い音を立ててさらにトゥーラの気持をささくれさせた。
枕を投げた右腕にするどい痛みが襲い、ヨアキムに脱臼させられたことを彼女に思い出させたからでもあろう。
彼女は座っているベッドから立ち上がると、転がっている木製の枕を思いっきり蹴とばした。ヴェルヘルミーナの下品なピンクの頭、あるいは、安っぽい金色の頭をしたヨアキムの頭だと考えながら。
すると、その想像は自分の血で真っ赤に染まった金髪のイメージに置き換わり、彼女の中でその時の高揚感を思い出させた。
「あの女を汚して傷つけると約束したのに、結婚を考えているなんて馬鹿を言うからよ、ハハリ。いいえ、結婚した後に財産を総取りして私に捧げるつもりだったかもしれないわ。私は先走ってしまったかしら?」
「それは無いな。あれは本当に腐った男だったが、ヴェルヘルミーナに関しては真っ当な男になろうとしてた。私に何度も懺悔と相談をしに来ていたんだよ」
突然の低い男の静かな声に、トゥーラはハッとして声の方へと振り返った。
男は大きな影となって室内の中におり、ドアの開閉に気が付かなかったのは修道院が完全に消灯していて廊下もどこも真っ暗だったからだと気が付いた。
「女子寮の消灯後にいらっしゃるだなんて、神父の資格をはく奪されますよ?」
「それは無いでしょう。私は正しい事を行いに来たのです」
「懺悔?私が?私が懺悔なんかしたら大変よ?黒鷲侯爵のイスト・エロネンを殺したのが奥様だったなんて、私が騒いだらことでしょう?不倫を咎められて、でしたかしら?いいえ、ガブリエルを殺したと思って夫を殺してしまったのよね。バカな女だわ!!」
「そうですね。奥方様は罪を後悔して今も苦しんでおられます。罪を背負って苦しまれる人は神の加護にあると言えます。あなたの脅迫を受けることから、そろそろ許されるべきではないでしょうか」
ヤーコブは腕を伸ばし、一瞬でトゥーラを捕まえた。
月明りだけの暗闇の中、ポキリ、と何かが折れる軽い音が響いた。
「哀れな薄汚れたヤギよ。ここは聖なる羊の住まう牧場です。あなたの存在はここにはいらない。純粋なるヴェルヘルミーナを追い詰めたあの男、あの男の首を折った時、私は神のご意思をはっきりと受け取ったのです。この世界を救えと」
「ヤーコブ様、伝令の花火が二つ上がりました。追手が向かっているようです」
「わかりました。急ぎましょう。私達が世界を守り救うことを神が望まれていらっしゃるのですから」