あなたの月を眺め見て
アーロの登場の直ぐ後に、ホテルメイドも登場した。
彼女はファンニの言付けを受けていたのか来客用のお茶セットの乗ったカートを押しており、私はアーロの部下の奥様達と彼女を自分の部屋へと送り出した。
ドアは閉まり、ホテルの廊下には私とアーロだけとなった。
「では、いいかな?」
「ええ」
アーロに答える私の声は硬かった。
彼の真実という名の、彼が三年も恋焦がれている方の名前を聞く事になるのだもの。彼に愛して欲しい私が喜べるはずがない。
アーロは私に左腕を差し出した。
私は彼の腕に右手を掛ける。
ウールの生地ごしで、彼の腕の筋肉がひくっと動いたのを感じた。
私は彼をもっと知りたい感じたいと、さらに自分の腕を深く絡めた。
「はふ」
腕をアーロに絡ませ過ぎたせいで、アーロの肘が私の胸を掠ったのである。
私はその感触を受け、一瞬だけ体が熱く燃えていた。
それで私はアーロから腕を外してしまっていた。
「失礼を」
「い、いいえ。私がいけないの。つ、強く縋りついてしまいましたわね」
「あなたに縋りつかれるのは俺には幸せしかありませんよ。三年ずっと想い続けた人に腕を絡めてもらった。それだけで、天国なのです」
私の足は止まっていた。
ホテルの廊下に張り付いてしまったようである。
だって、アーロは何を言ったの?
なんて言ったの?
「申し訳ありません。せめて、中庭など、見晴らしがよい所で告白するべきなのに、俺はもう自分を抑えられません。あなたを愛しているとあなたに告白するのがこんな場所で申し訳ありません」
私の口はどうなってしまったのだろう。
アーロに何か言わなければいけないのに、私の口は全く開かないのだ。
そのせいで出したい言葉の代りに涙がポロポロと零れ落ちる。
アーロは私に振り返った。
そして、私を誤解した。
「明日帰られるあなたに、自分の気持だけでも告白しようと思いました。単なる自己満足です。あなたには未来がある。あなたと過ごせた数日は俺の人生で最高の瞬間でした」
アーロは軽く私に頭を下げて、それから、彼は踵を返した。
勝手に誤解して勝手に私から去っていくなんて。
私から去って行こうとするアーロの後姿は、恋に破れて落ち込んだ男のものではなかった。
私が彼の記憶に良い姿で残したいと思ったのと同じ様に、きっと彼も私にその姿を見せつけているのだわ。
他の男性には一度たりとも感じなかった、とても素敵な後ろ姿を。
真っ直ぐな姿勢の良い背中は美しく、その体を運ぶ長い足、長く素晴らしい足の付け根には、きゅっとしまった綺麗なお尻。
私が見惚れて触れたいと願ったおしり。
だからあなたは私に後ろ姿を見せつけているの?
「いいえ!あなたはお尻だけではない!」
アーロの足はピタリと止まり、壊れた人形のようにして私に首を回した。
眉根を寄せたその顔は、私は指でその眉間の皺を伸ばしてあげたくなる可愛らしいと感じるものだった。
「そうよ。あなたはどこまでも好ましい男性なのよ。傷があってもとっても素敵な顔立ちの人なのよ。とっても頼りがいがあって怖い時もあるのに、それなのに可愛らしい振る舞いをして、誰よりも優しくて、だから、私はあなたを求めてしまうのだわ」
「ヴェル?」
「私はあなたに触れたくて堪らない。あなたに抱きしめられたくて堪らない。でもあなたの心が私に無いからと我慢していたの」
「ヴェル?」
「私は子供が欲しいわ。でも、あなたの子供じゃ無いと嫌なの。あなたと一緒に子供を育てられなきゃ嫌なのよ。私はあなたを愛しているから」
アーロの顔は光り輝いた。
憧れの物を手に入れた勇者のような笑顔になった。
なんて素敵な笑顔だ、そう思った瞬間、私は目の前が真っ暗になった。
大きくて素晴らしい体の腕の中に納まっていたからだ。
「愛しています。俺はあなたを一生離しません。あなたが嫌がっても、俺はもうあなたを離しませんよ。きっと俺は死んでもあなたにしがみ付き、あなたから俺を引き剥がすことなどできないでしょう」
「ええ、ええ!一生私の傍にいてくださいな。ずっとずっと私が老婆になっても私の傍にいてくださいな」
アーロの腕は私の背中に腰にと回されて、私を彼の体の中に入れてしまう勢いで私を抱きしめている。
私の右腕も彼の背中に、そして左の腕は彼の腰にと回されて、彼を逃がしはしない蔦となってる。
私は彼を見上げる。
彼は私を見下ろす。
私達は同時に瞼を閉じて、互いの唇を相手の唇へと重ねた。
アーロは私達の唇が重なると、唇で私の唇をなぞった。
彼の唇で擦られた感覚に私は爪先がきゅっと丸まり、自然の出来事のように喘ぎ声が漏れた。
「ふあっ」
「すいません!」
アーロは私を手放そうと腕から力を緩める。
私は必死になって彼にしがみ付く。
「謝らないで!それから、もっとしっかり抱いてくださいな」
「ヴェル?」
「あなたのせいで足に力が入らないの。フワフワした雲の上にいるようなのよ」
ここは天国で夢の中かもしれない。
私の言葉で笑い出したアーロの声は、天上のラッパのように心地よく小気味よく、アーロの胸の中は言葉に尽くせないほどに幸福しかもたらさないのだもの。
「愛しているわ。このまま教会かガラ・ルファに連れて行って」
「教会はわかるが、ガラ・ルファは?」
「どちらもすぐに結婚式を上げてくれるわ」
私の額にアーロの唇が触れた。
そして、彼は私を手放すと、私の目の前に跪いた。
彼は片手を自分の胸に、もう片手を私へと差し出した。
「あなたを愛しています。結婚してください。願わくは、神に誓える教会で」
私はアーロの手に自分の手を重ねた。
「喜んでお受けしますわ。最愛のあなた」
私は再びアーロに抱きしめられていた。
今度は子供みたいに、いいえ、お姫様が騎士に抱き上げられるようにして抱きしめられている。
私は彼にしがみ付く。
一分一秒でも早く私と結婚したい彼の為に、私こそ協力しなければ。
だってだって、私こそすぐにでも結婚したいのだもの!!




