アーロ・シーララという男
ゴートとは、ペルタゴニアの首都パルメから南西方向に百五十キロほど離れた位置にある、首都の次に観光地として有名な町である。
否、観光客の目指すものが、持病に効くという温泉であるのだから、保養地として有名なのかもしれない。
そこで貴族や紳士階級、または、豪商という金のある人間が集う街として栄えた事で、金のない若者までもこの地に引き寄せられて、とにかくペルタゴニア第二の社交場として毎日が大盛況なのである。
さて、ゴートの古代に作られた大浴場は国が管理、つまり収益が王族の懐に入るというものであるが取りあえず国営で、国営古代式健康大浴場などという正式名称を持っている。
ただし、そんな名称をおしゃれを貴ぶ貴族が呼ぶだろうか。
よって、正式名称など誰も呼ばずに、フィッシュセラピーもあるからと魚の名前で建物を指し示すようになった。
ガラ・ルファしない?
そんな感じである。
そして、そのガラ・ルファに日参するために、観光客はガラ・ルファを取り囲むようにして建つ三つのホテルか周囲に大量にある民宿やコテージを一か月単位で借りるのが主だ。
そんなゴートの観光客として首都から親友によって引き摺られてきた男は、体を癒すための浴場も利用できず、ホテルの一室に閉じ込められている数日に対して溜息を吐いた。
不死身と言われてもこそばゆいだけである
先見の明があると褒められた方が嬉しいと言うのに、と、アーロ・シーララは自分について書かれた煽情雑誌をティーテーブルに放り投げた。
「この雑誌に乗せられて俺を訪ねてくるご婦人がこんなにもいるとは!」
アーロの向かいに座っていたアーロと同世代の青年、金髪に青い目の美丈夫は、アーロが憤慨している数分前の出来事を思い出して吹き出した。
女性はアーロの慰めになりたいとこの部屋を突撃し、アーロの現在の姿を見るや悲鳴を上げて逃げ出して行ったのである。
それは、アーロの大怪我は事実であるが、怪我の内容が全く違う、という点にあるだろう。
しかし、煽情小説ばりに書かれた雑誌の記事の内容が、ほとんどどころか実際に起きた出来事と結果から外れているものなのは、古今東西当たり前の出来事だ。
「俺に怒るなよ。」
「お前の解決の仕方が最悪だったからだろ。この状況はさ。」
「ハハハ。引退したってお前だってまだ関係者だ。関係者以外口外禁止の出来事だったんだ。諦めろ。それにさ、王様をお守りして!なんて、近衛兵士の宿願っぽくて恰好良いではないか。」
「ふざけるな。その嘘話で勝手に俺を尊敬して、俺の大怪我を癒してやりたいって突撃してきて、本当の俺の状態を見て、悲鳴を上げて逃げ帰るんだ!自分の顔を見て悲鳴をあげられる俺の気持になってみろ!」
アーロはいらいらとしながら右手で顔に落ちて来た前髪を上に上げた。
アーロを揶揄っていた青年、ヨアキム・ペテリウスは、アーロのその行為によって目の当たりにしたものに対して胸が痛んだ。
「すまない。揶揄い過ぎた。だが許して欲しい。君はまだ狙われているんだ。敵の残党を全て狩るまで君は復帰不能な状態と広めておきたい。」
「わかっている。わかっているよ。だが、ああ、自分の不細工さは知っていたが、女性に悲鳴を上げて嫌がられるほどとは思っていなかったよ。ああ。畜生。あの爆弾にしっかり吹き飛ばされて死んでいれば良かった。」
「アーロ。」
ヨアキムはアーロを宥めるために彼の肩に手を乗せた、そして落ち込み過ぎる親友の事を思って溜息を吐いた。
アーロは数年前から恋煩いだ。
しかし、恋敵となる男はアーロの部下で、死んでしまった現在においても美貌の彼を失った事をまだ女性達は嘆いているのだ。
ただでさえ自分の外見に自信のないアーロには、さらに負ってしまった怪我の痕は心痛極まり以外の何物ではないであろう。
ヨアキムはそう考えた。
「男は顔ばっかりじゃないって。」
「金髪碧眼でポストガブリエルと呼ばれているお前にだけは言われたくないよ。」
「卑屈だな。そこだよ。お前がモテないのは!近衛連隊長に成り上がっても、ぜんぜん、モテなかったのはお前のそのウツウツジメジメうざい所じゃないか?」
「おお、そうだな。新近衛連隊長さんよ。俺のお守りはいいから、さっさと王城に戻ってモテてこいや。」
「てめえ、死にたいのか?」
ヨアキムが睨むと、アーロはにやっと笑い返した。
琥珀色の瞳は透明であるが琥珀色一色ではない。
陽の光を浴びた葉っぱが閉じ込められているような緑色が見えるのである。
ヨアキムはアーロの瞳は他で見た事は無い美しいものだと思っているし、その瞳で不敵に笑う顔は部下を魅了する格好良さだってあると知っている。
だが彼はアーロにそのことを伝えなかった。
アーロが自分を最低男と名高いガブリエルと並べたからだ。
このまま喧嘩になって一発殴っていやりたい。
ヨアキムはそう思い、その瞬間に親友も同じ考えなのだと気が付いた。
アーロは思う様にならなくなった自分に苛立ち、未来を嘆いて死にたいという感情で落ち込んでいたのだ、と。
「死にたいよ。情けねぇ。惚れた女しかいらないって思いつめたせいで、せっかく近衛連隊長にまでなっていたのに、お堅い堅物で終わっちまった。遊んでいりゃあ、そん時の女の一人でも同情して嫁になってくれたかもしれねえのになあ。」
「アーロ。悪かった。本気で泣き言言わんでくれ。可哀想で涙が出てくるじゃないか!」
「お前も大概だよな。」
アーロとヨアキムは目線を交わし合い、同時に互いのおふざけを鼻で笑い飛ばすと、真面目な顔つきを同時にした。
「お前をここに連れて来たのは。」
「わかっている。救国救世騎士団の情報交換があるんだろ?」
「え?」
「ヨアキム。俺は引退して書類やらなんやらの引継ぎはしてきたけどね、脳みその中はキレイに片づけられなかった。犯罪者の連中の顔を忘れたくとも忘れられない。てか、お前こそそれを見越して俺をここに連れて来たんだろ?使い物にならなくなった俺が腐った所に、奴らが俺に接触してくるかもって、そういう狙いだろ?」
ヨアキムは目の前の親友が女性にモテない理由が分かった、と思った。
きっと女性と出歩いても、テロや犯罪者に目を光らせて、脳みそは女性が望む言葉を考えるどころか、いざの時の避難経路を考えていたのだろう、と。
そこでヨアキムは真っ直ぐにアーロを見返した。
「その通りだ。俺はお前を爆撃のデコイにしたんだよ。」
アーロは怒るどころか幸せそうな笑顔をヨアキムに返して来た。
ありがとう、とまで言った。
「俺は兵士として死ねるなら本望だ。」
「いや。死なないように頑張って頂戴。俺も結婚したいんだ。結婚するには先立つものがいるだろう?お前が生き残ったら俺の手に金が入るんだよ。」
「え?」
アーロがヨアキムの言葉に呆けたその瞬間、アーロの滞在する部屋のドアをノックする音が響いた。