神の天啓、なの?
ながながとお待たせしておりました。
ようやくの更新です。
野犬に襲われて、翌日にはカルヴァ王子の研究室でピラルクーを鑑賞し、そこでアーロをさらに知りたい思いを新たにした。その帰り道、となります。
そして、知りたいと打ちたいのに、尻としか変換しなくなったのはこの物語のせいですね。
ファンニは足が速かった。
いいえ、ぷりぷり怒っているから周りが見えないのね。
私は自分こそ侍女になった気持ちになって、ずんずん歩いて行くファンニからはぐれないようにと必死に足を動かしていた。
地味な服にしゃんと背筋を伸ばしたファンニの後ろ姿は、家庭教師、あるいは、寄宿舎で外出の引率役の先生の後ろ姿を彷彿とさせ、私に幼い頃を思い出させた。
両親は優しかったが、決まった時にしか触れ合えない相手では無くて?
私が子供が欲しいと願ったのは、あの公園で出会った少女と彼女の母親達との関係こそ欲しかったのでは無くて?
小さな子供を抱き締めて自分で育てる。
「そうよ!」
私が突然大声を上げたからか、数歩前に出ていたファンニの足が止まった。
それどころか、彼女はしまったという顔を作るや,慌てたようにして私の下に駆け戻ってきたのである。ほんの数歩の距離であったが。
「も、申し訳ありません。あの、私は侍女のお仕事は初めてで、その」
「そうなのよ。初めてなのよ。私ったら存じませんのよ」
「奥様?」
「ねえ、ファンニ。子供は乳母や召使いが育てるものでしょう?私は子供が生まれたら自分で一から育ててみたいの。それって無謀な事かしら?」
「いえ。子供を自分で育てる方が当たり前のことですから」
「まああ!そうですの?では、ファンニは子供の育て方をご存じね」
「え、そうですね。私は近所の子供のお守りをした事もありますから、たぶん」
「まあ!経験者でございますか!なんて嬉しい事でしょう!では、おっぱいも赤ちゃんにあげた事がおありになるの?どうしたらおっぱいがでるのかしら?」
「奥様?おっぱいは子供を生んで初めて出てくるものでございますよ」
「そうですの?では、どうして皆さん乳母という方を雇うのかしら?」
「ええと」
ファンニは物凄く困った顔つきになり、うーんと唸り声を上げると、かなり真剣な面持ちで考え初めてしまった。
どうしましょう。
私の質問が私が母親になるにはふさわしくないってファンニに思わせてしまいましたかしら。でも、私は親子の触れ合いって、決まった時間に親子が対面して話し合うぐらいしかわかりませんもの。だから、どうしましょうって不安ばかりですのよ。
私がファンニを見守っていると、彼女は何かを思いついたのか、きらきらした表情の顔をがばっと上げた。
「ファンニ?」
「あ、そうだ。貴族様が乳母を雇うのは赤ん坊の父親を失った人への援助ですわ。そうです。貴族の奥様は忙しくておっぱいを上げられませんでしょう?その間に赤ちゃんがお腹を空かせてしまうじゃないですか。それで、乳母さんがおっぱいを上げて貴族の赤ちゃんを助けるんです。乳母さんはお給金を貰えて自分の赤ちゃんも安心して育てられますし、みんな幸せです」
「まあ、それでは貴族の母は母親失格ではないのね?決まった時間に挨拶だけの母の子育てしか知らない私は母親失格ではありませんのね!」
私は嬉しい気持ちのままファンニの手を握った。
私に天啓を与えた彼女を私に遣わせて下さったなんて、これこそ神様の思し召しだと、神様に感謝しながら。
ええと、神様がこうして恵みを下さったのはヤーコブ神父のお祈りのお陰だから、またヤーコブ神父にお礼も言わなきゃと思いながら。
「あああ、本当にあなたに出会えて良かったわ。トゥーラは私の話し相手として幼少時から私と一緒に育ちましたから、私と同じぐらいに子育てとは無縁でしたでしょう」
あら、ファンニの表情が呆然としたものと変わり、そのすぐ後に口元を強張らせてしまったわ。そして彼女の目は私ではなく、私達が向かっていたホテルの方角を見つめていた。
私はファンニの視線をなぞるようにして、自分の視線を動かして振り向いた。
ファンニの見ていたもの。
私の視線の先には、私のドレスを着て私の宝石を飾ったトゥーラがいて、明るい茶色の髪色をした若き紳士の腕に自分の腕を掛けて仲睦まじそうに歩いているという姿だった。
「なんてこと。奥様の持ち物を勝手に!その上、昼間っから男の人とお出掛けなんて!奥様の評判が悪くなったらどうしてくれるのよ!」
私はファンニからパッと手を離し、その両手を自分の胸に当てていた。
神様に感謝するようにして。
こんな素晴らしい方にめぐり合わせて下さり、神様ありがとうですわ!
私の頭の中では、幸せに向かっての小劇場が始まっていた。
アーロと同じ焦げ茶色の髪色と綺麗な緑色の目をした赤ちゃんを抱く私の横にアーロがいて、そのわきに笑顔のファンニとヨアキムというカップルが、これもまた金髪の可愛い子供を抱いている。
「ああ、素敵」
「奥様。素敵じゃありません。私が諫めて来ますから!」
「ま、まま待って!」
踵を返したファンニの腕を必死で掴んで引き止めた。
だって、ほら、私の幸せな未来の為には、トゥーラには結婚して引退して貰った方がいいでしょう!
「あら、奥様はちゃんとあの侍女さんの事は分かっていらっしゃったんですね」
私は自分の本心をちゃんと口から出してしまっていたらしい。
神様に懺悔しなきゃ。
「ホッとしました。奥様の振りをして奥様の名前で悪い事ばかりされていると評判のあの方の事、奥様はちゃんと対処を考えていらっしゃったんですね」
「え?」
私は茫然としてファンニを見返すしかなかった。
彼女は男性がするようにして舌打ちをすると、私の腕を掴んで引っ張って歩かせ始めた。行き先は、トゥーラと彼女の相手が歩いて行く前方となる所の街路樹の後ろだ。
ファンニは私を街路樹の影に隠すと、子供にするみたいに私に指示をした。
「奥様、私が良いと言うまでぜったいぜったいに黙ったまま隠れていてください。あの女の正体を見せてあげますから!」
私は、はい、とファンニに答えた。そして、華奢な背中ながら背筋をピンと張った勇ましいファンニの後姿を見送るしかなくなった。