私というヴェルヘルミーナという女
私には両親がいない。
寄宿舎に入れられた十二の年に、両親が馬車の事故で亡くなったのである。
父が亡くなれば父の弟である叔父が家の後を継ぐが、叔父は父と同じ顔をしていても父の脳みそを持ってはいなかった。
私が十五になって寄宿舎を出る年になる頃には、豊かだった家の財政は破綻し、私は売られるようにして白鷺伯爵家に嫁がされることになった。
白鷺伯爵は七十六歳の高齢で、跡継ぎがいない人だった。
彼の甥が跡継ぎとして彼の介護?のために同居をしていたが、彼は甥ではなく自分の子供に後を継がせたいという野望があったのである。
伯爵様との顔合わせのその日、私は半狂乱となって泣いて叫んでいた。
老人に嫁がされる自分の身の上が悲しくて、ではない。
伯爵がとっても臭くて泣いたのだ。
命を縮めるからと風呂に入らなくなって十年以上の彼は、同じ部屋に入っただけで目頭が刺激されて涙が吹き出すほどの臭さだったのである。
「一生に一度なのよ!初めての人が垢だらけはいやああああ!」
でもね、何度思い返しても、私が当時十五歳で良かった、しか感想がないわ。
だって、今の私だったら淑女の慎みかなんかで、相手がどんなに臭くたって笑顔を崩さないわよ?
私が泣いて叫んだからこそ、お風呂嫌いの伯爵が結婚式の朝にお風呂に入って垢を落として下さったのよ?
私は再会した伯爵が小ぎれいになっていて、それが私の為にお風呂に入ってくれたからだと知って、伯爵の優しさに感激していたわ。
これからの未来が輝いて見えたぐらいに。
だから、あなたのような誠実で優しい方が夫で嬉しいって、彼の手を握って彼に伝えましたの。
そうしたら、彼はとってもいい笑顔を私に見せてくれたわ。
神父さんの前で私を妻にすると高らかに宣言をしてくれて、私達は微笑み合いながら結婚のサインをし合って、そして、そのまま彼は倒れてお亡くなりになってしまったの。
それが発端。
伯爵の喪が明けるや、十六歳の私はやはり叔父と、今度は伯爵の甥によって、売られるようにして豪商の男との結婚を仕組まれたのよ。
でもね、お会いしてみたら、豪商の彼は立派な人だったの。
商売上手な人なのだから、博識で尊敬できる人なのは当たり前よね。
だから私は、彼が自分をどう思うかと聞いて来たので、そう答えたの。
彼はとっても笑顔になって、私を幸せにすると約束してくれた。
なのに彼は、結婚式の前夜に階段から落ちて亡くなってしまいました。
ですが約束は守ってくださり、私が今後叔父や白鷺伯爵に良いようにされないようにと、いくばくかの財産と後見人となる弁護士を残してくださったのよ。
その二年後、幸せだった私の上に悪運が再び降りかかりました。
金の無い貴族の若造に私のお金目当てで言い寄られ、断った所、二人きりという状況を作られたがために婚約せざるを得なくなりましたのよ。
私は教会に走り、亡くなった伯爵様の霊と、優しかった富豪の彼の霊に、必死にお祈りしましたわ!
あの恥知らずに罰を与えてくださいませ!と。
まあ、それが理由なのかわかりませんが、あの恥知らずは幽霊に脅えるようになって、お酒の飲み過ぎで急性アルコール中毒になってお亡くなりになりました。
私はその報を聞くや飛び上って喜んで、やっぱり教会に走り、教会に沢山寄付をして、白鷺伯爵と富豪の彼の霊を讃えてくれるミサをお願いしたわ。
さて、そんな風な私が今や紅楓子爵未亡人なのは何故でしょう?
それは、私のこの行動を知った紅楓子爵が、私と結婚したいと望まれたから。
まだ十七歳でしかない彼は、胸の病をお持ちで、ご自分が亡くなられた後に自分を想ってくれる人が欲しかったとおっしゃっていた。
彼の一つ違いの弟は健康であり、弟は彼の病がうつらないようにと別の館に母親と住んでいるという状況であったのだ。
私はこんな自分で良ければと彼と結婚し、彼は一年経たずにこの世を去った。
弟のような彼が亡くなってしまった時は、私は本当に悲しかった。
沢山泣いて、喪が明けても彼の為に何度もミサをして貰ったり。
そうしたら、彼のお母様が私を元気づけるためにと、私を王城のパーティに連れ出してくださったのよ。
社交デビューもした事が無い私には、そこは初めての絢爛豪華な世界でした。
目玉が零れ落ちるぐらいにグルグルと周囲を見回して、すると、私の目の前に白い制服を着込んだ金色に輝く天使が舞いおりましたのよ。
彼は外見通りのお名前で、ガブリエル・ハハリ。
私の初めてのダンスの相手がガブリエルであり、私はその夜から彼の名前を呟き、彼を夢想しないで終わらない日は無くなったの。
「愛しているよ。」
それは何度か目に出会った日に彼が囁いてくれた言葉。
愛しているからと温室の隅で横たえられた。
「わた、わたしは!」
「知っているからこそ君を愛したい。そして私は生き残るだろう。そうしたら晴れ晴れと君と手を繋いで結婚の誓いを教会であげるんだ。」
私も愛されていた。
嬉しくて嬉しくて、なのに、私は彼を拒んだ。
だって私、一度も経験が無いのだもの。
怖かったから、今度、と彼に囁いた。
それでよかった。
温室の扉を乱暴に開ける音がして、私達がもしも続けていたら大変なことになっていたと直ぐに解ったからである。
「ハハリ!持ち場にすぐに戻れ!」
ガブリエルと同じ世代らしき男性の声はよく通るいい声であったが、その後の私の記憶には憎らしい声としてしか再生されていない。
持ち場に戻ったガブリエルは、その数時間後に亡くなった。
金髪に青い目の天使のような外見の彼は、王城の夏の宴での火災により、避難誘導をしている最中に建物の倒壊に巻き込まれて命を失ったのである。
私は夫や婚約者を死に至らしめる運命を持っているのだろう。
ガブリエルの死でそれがよくわかった。
そこで自分を戒めるべく自宅に籠る生活を続けていたのだが、神様は本当に意地悪でいらっしゃる。
諦めていた私に、本当は一度だって幸せな結婚も子供を持つことも諦めてはいなかっただろうと、三日前に突きつけてくるのだもの。
「お嬢様?どうなさいますか?アーロ様は治療のためにゴートにいらっしゃるようですよ?ゴートと言えば素晴らしき温泉街。私も一度くらいは行ってみたいと思っていた所ですの。」
私は自分を映す鏡に映るソファに座る狸、私の幼い頃からの侍女を軽く睨むと、女主人らしき声を侍女が望む内容であげた。
「ゴートへの旅行の手配を!」