神様にお伺いに向かったら
昨夜はアーロとのディナーは叶わなかった。
責任感のある彼は、あの惨劇の後始末をした上に、なんと、自分に襲いかかってきた哀れな犬を飼う事にしてしまったそうなのだ。
ご自分で汚れた犬の体を洗い、犬にできたギザギザの傷を縫いと、そんな聖人君子な行いをした彼にもたらされたものが、ホテルからの退去命令だった、という顛末は哀れ過ぎる。
「なんて献身的な方でしょう。そんな方が不幸ばかりなのは許せません!」
私はホテルの受付にゴートの地図と案内を受けると、ゴートの教会へと足を運んでいた。
私に付き添うのはトゥーラではない。
彼女は昨夜のディナーはかなり不機嫌であり、今朝から頭痛が酷いと言って寝室から出てこないのだ。
そこで私はホテルのスタッフを借りる事にした。
新人の下働きの子で、昨夜はかなりお世話になった子で、私が昨夜のうちにホテルに申し出て私付きのメイドにしてもらった子だ。
ファンニは私の風呂の支度に現れた。
アッシュブラウンの髪をきっちりと結い下働きの制服姿であったが、瞳が菫色の彼女は下働きをするような人に見えなかった。
年齢が私ぐらいの彼女の顔立ちが整っているからではなく、彼女の立ち居振る舞いに下働きをする人達には無い優雅さがあるのだ。
そんなファンニは私のディナー用のドレスを一目見て、使用人にはあるまじき眉をしかめるという表情を作ったのである。
私が彼女に興味を持つのは当たり前だ。
そこで彼女をもう少し知りたいからと、うんざりしていた新品のドレスについて軽口を叩いてみたのだ。
「ひどいでしょう?付き合いでドレスなんて買うものじゃないわね。」
「付き合いでも選びようがあったでしょうに。」
まあ!ちゃんと受け答えしてくれたわ!
それも少し辛辣!
私は嬉しくなってさらに言葉を続けていた。
「お針子にお金と作品を盗まれて逃亡されたマダムクリオを助けるためにって、顧客の私達で倉庫品だったドレスを購入したのよ。でも、いくらマダムクリオでも、倉庫品は倉庫品ね。」
「お針子からデザインを盗むだけのマダムクリオですもの。」
「まあ!マダムクリオをご存じなの?」
ファンニはきゅっと唇を噛んで、首を横に振った。
その返しは、知っている、と私に答えたも同じに思えた。
でも彼女はそこでこのお話はお終いという振る舞いをした。
ホテルスタッフらしいお仕着せの笑顔を作ると、お風呂の用意をいたしますと私に言い、きびきびと動き出したのだ。
「残念だわ。お針子さんと繋がりがあるなら、約束の時間まで二時間しか無いけれど、このドレスが少しは見れるようにして貰える誰かを紹介して貰えると思ったのに。」
ファンニは、ぴた、と動きを止めた。
それから私を振り返った。
私達は目が合った。
「あなたにドレスをお願いできるかしら?お風呂に湯さえ張ってあれば、私は自分で全部できます。」
ファンニはこくりと頷いた。
そして、昨夜のドレスは、最低からそれなりになったのだ。
だから私はホテルに我儘を言い、彼女を自分のお付きにして貰ったのである。
本物の侍女には今回此処でなんとしても結婚をして貰って、私はこの献身的で才能ある女性を侍女に抱えたいと望んでいるのだ。
トゥーラには言えないが。
「奥様。教会に何の御用なんでございますか?」
「教会はお祈りする場所でしょう。私は不幸を沢山呼びますから、何かあれば教会に行って神様にお願いをする事にしていますのよ。」
「まあ!どんな不幸がありましたの?まだおかしなドレスがございましたら、私が手直しいたしますよ?」
「ありがとう、ファンニ。あなたのような素晴らしい人に出会えたのだから、次は悪運が来るかもしれないわ。それに、可哀想な犬を抱えたシーララ様が、私のせいでこれ以上不幸な目に合わないようにお願いしなければ。」
「まあ!私を神様にお願いしなければいけないぐらいの幸運にして頂いていたとは!あなたこそ女神さまか天使のような方ですわ!」
私は自分の斜め後ろを歩くファンニに微笑んだ。
彼女は私のお付きをする為に、ホテルのお仕着せで無い自分の外出着を着てくれていた。
濃い灰色のドレスは地味でよくある形のものだが、彼女のスタイルをよく見せるために計算されたようにして締めるところは締めて、膨らませるところは膨らませているというものである。
彼女は私がじっと見つめていることで居心地が悪い顔付に変わり、私は慌てながら自分の行為の謝罪を口にした。
「ごめんあそばせ。あなたの着ているドレスのデザインが、あなたの為に作られているような素晴らしいものだから見惚れてしまいましたのよ。」
「ま、あ、ありがとうございます。見よう見まねで作りました。」
「あら、じゃあ、今度私にドレスを作って下さる?いいえ、今日は教会の後は生地屋に寄りましょう。いいかしら?」
「あの、でも、まずはデザインを起こして、あ、でも、私はホテルの仕事が、あの、あなた様の滞在中はあなた様のために動けますが。ああ、それよりも、ドレスを一から作るための道具がございません!」
「あ、そうね。デザインが必要ね。お道具も。ではここに滞在中は、どんな時のドレスを作っていただこうかイメージを膨らませるだけにいたしましょう。今日は生地屋はやめて王子の研究室に参りましょうか。きっと楽しいわよ。」
「あの、ですから、私はあなた様が首都に帰られたら。」
「一緒に帰りますからご心配なく。あなたの作るドレスが素晴らしいものであるならば、私があなたにお店を持たせます。そうでなくてもあなたのような気が付く方、私の家に連れて帰りたいのよ。嫌かしら?」
ファンニはカチンと固まると、ありがとうございます、と答え、その後すぐに、ご辞退させてくださいと泣き出した。
「まあまあ!どうなさったの?私とはお嫌だったかしら?」
「いえ、あの!」
「そいつがマダムクリオの逃げたお針子だからだよ。」
私は低い声に振り向いた。
そこにはウンザリした顔つきのヨアキムが立っていた。
ファンニは彼の姿を見るや、きゃあと悲鳴を上げて逃げ出そうと踵を返した。
私は逃がしてなるものかとファンニの腕を掴むと、自分に抱き寄せた。
「奥様!」
「あなたは私の大事な人になりました。ですからご心配なく。何を言われても、言いがかりですと笑顔で答えなさい。しつこいようならば、自分の雇い主である紅楓子爵夫人を通しなさいと言いなさい。」
「奥様!」
ファンニは紫色の綺麗な瞳に涙を浮かべ、私の体にしがみ付いた。
私は彼女を抱き寄せると、アーロの親友を睨みながら見返した。
「私は教会に参りますの。では、ごきげんよう。」
「では俺がお守りいたしましょう。」
「不要ですわ。」
「いえ。お供させてください。俺に一切の助けも求めずに逃げた恋人と、俺はお話したいとこの町までやってきたのですから。親友をダシにしてまでね。」
「あら。」
私は自分が腕に抱く女性を見下ろすと、彼女こそ拳にした左手を口元に当てて、目の前の美丈夫が言った言葉が信じられないという顔をしている。
「付き合ってらっしゃったの?」
「いいえ。何度かお誘いは、あの。」
私達は取りあえずヨアキムを見返した。
ヨアキムは不貞腐れた様な顔をして、左手で自分の頭を乱暴に掻きむしった。
「ちくしょう!アーロ並みに鈍感な奴め!こういう時は嘘でも恋人ですと答えろ!でないと守れるものも守れないだろ!」
「でもあなたの望む恋人なんて私はなれません!家が破産しても、それで、お針子に身を落とそうと、私は自堕落な生き方などできません!」
私は結局自分と似たような境遇の人に惹かれるようである。
ファンニの体を抱き締めると、教会に来ましょう、と彼女に声をかけた。
とりあえず動き出さなくては。