クリスマスイヴに小学生とお出かけする事案
クリスマスまでの数日間はぐずついた天気であった。空が晴れ渡ることはなく、雪が降ったりやんだりを繰り返した。十二月でこんなに雪が続くのは珍しいかもしれない。
しかし、そういう状況でも上手い具合にホワイトクリスマスにはならないものだ。来たるべき十二月二十四日を迎えた今日、天気予報では雪は降らずに一日中曇りだと告げられた。雪が降ったら振ったで面倒なこともあるから、別に構わないのだが。
俺と朱莉は昼ご飯を食べてから家を出た。
朱莉はいつも来ている赤いコートに、黒い肩掛けバッグという出で立ちだ。
千沙が朱莉にどんなサプライズプレゼントを用意したのか俺は全く知らないし、訊かなかった。でも普段と変わらぬ様子で俺たちを見送った千沙を信じることにした。
最寄駅までの道のりを朱莉と並んで歩く。道路の上にはまだ白い雪が残っていて、靴で音を鳴らしたり塊を蹴飛ばしたりした。
「いやー、朱莉とのデート楽しみだなぁ」
そう言って隣にいる朱莉を見下ろすと、彼女は体をびくっと震わせ、犯罪者を見るような目付きで俺を見上げた。それから無言で、赤いコートのポケットから防犯ホイッスルを取り出した。
「いや、調子に乗って悪かったから、それはマジでやめろ。貞治兄ちゃん一瞬で豚箱行きだから」
「いきなり変なこと言わないで」
朱莉はぷいっと顔を背ける。
「だから悪かったって。でも、楽しみなのは本当のことだからな」
ご機嫌を取ろうと試みるが、朱莉は黙って膨れている。
そんな彼女をなだめつつ、駅に向かって歩き続けた。
地下鉄で天神駅まで行く。クリスマスに天神というのもベタで芸がないが、これでいい。何事も奇をてらって失敗するよりは、王道を歩むべきだと俺は考える。
改札を抜けたところで朱莉に声をかけた。
「じゃあ、さっそく地下街で時計を買うか」
「地下街に売ってるの?」
「ここの地下街を侮るなよ。時計屋くらいあるよ」
「へぇ。天神は来たことあるけど、地下街の方は行ったことなかった」
「まだまだ福岡レベルが足りてないな。きっとビックリするぞ」
俺も朱莉も関東から引っ越して来て福岡には数年しか住んでいないが、朱莉よりは詳しい自信がある。
俺の予言通り、地下街に入ったところにある広場で朱莉は驚きの声を上げた。
「イルミネーション!」
ここの地下街は、床は石畳、天井には西洋美術風の模様が掘ってあるというレトロな雰囲気で、いつ来てもオシャレな場所ではあるが、クリスマスには更に煌びやかなイルミネーションが加わる。地下だから冬でもそれほど寒くないし、雨だろうと強風だろうと天候の影響を受けない。
「ここなら昼間でもイルミネーションが楽しめていいだろ」
「うん!」
朱莉が目を輝かせた。頭上には、蒼い星空や黄金色のシャンデリアを思わせる光の演出。当然地下街の中はクリスマスを満喫しに来た人々で賑わっているので、朱莉が迷子にならないように目を光らせていなければならない。
案内板で時計屋の場所の確認し、朱莉と歩き出す。
地下街には様々なジャンルの店があった。アパレルショップ、呉服屋、靴屋、アクセサリーショップ、雑貨屋、眼鏡屋、本屋、ドラッグストア、旅行代理店、コンビニ、宝くじ、カフェ、レストラン――。
そんな店の数々を横目にしばらく歩き続けると、広大な空間の片隅に目的の店を見つけることができた。
「着いたぞ」
「うん」
そこは腕時計専門の店で、こじんまりとはしているが木製の内装で落ち着いた印象の店であった。メンズ、レディース、アナログにデジタル、子供用からスポーツ用まで一通りのラインナップが揃っている。
薄々感付いてはいたが、朱莉はキッズ向けの時計には目もくれず、レディースの棚にある時計を吟味し始めた。時間かかるのだろうか、高いやつ選ばないだろうかと心配しながら待つ。
数分後、朱莉はショーケースの中にある時計のうちの一つを指差した。
「私、これがいい」
朱莉が選んだ時計は文字盤が小さく、バンドの部分が薄茶色の革製のものであった。シンプルなデザインで、遠目にはブレスレットに見えるかもしれない。女のファッションには詳しくないが、小学生をターゲットにしてはいないということは確実だ。お値段は八千円である。
「本当にこれでいいのか? あっちのクマさんウォッチの方がお似合いじゃないのかお客様」
そう言ってからかうと、朱莉はコートのポケットに手を忍ばせた。
「事あるごとに防犯ホイッスルをチラつかせるのはやめろ。俺が捕まったらお前も帰れなくなるぞ」
「帰りの電車代くらいあるもん」
ちなみにクマさんウォッチという時計は存在しない。
「わかったよ。じゃあ買うからな」
店員を呼び、ショーケースにある時計と同じものを出してもらう。
折角だから外箱にクリスマス用のラッピングもしてもらった。
代金を支払い、俺たちは店を出た。
「はい、クリスマスプレゼント」
時計の入った箱を朱莉に手渡す。
「ありがとう、貞治君」
朱莉は無邪気に微笑んだ。朱莉が面と向かって笑顔を見せてくれたのは初めてかもしれない。娘を溺愛し、家族のために必死に働く全国のお父さんの気持ちが少しだけ分かったような気がした。
「ねぇ、もう開けていい?」
「コラコラ、家に帰ってからにしなさい」
独身なのにお父さんのような言い回しをしてしまう。朱莉は「はあい」と言って箱を肩掛けバッグに仕舞った。
「貞治君、他のお店も行こうよ。私、カフェに行きたい」
朱莉は俺のコートの袖を引っ張って歩き出した。
「おい、慌てんなって」
地下街を数分ほど歩き、小さなカフェに入った。
店内はほぼ満員だったが、運良く一組分の席が空いていた。
木製の椅子に座り、俺はブレンドコーヒー、朱莉はチョコレートラテを注文。飲み物の好みは年相応でちょっと安心した。
クリスマスなだけあって、自分たち以外の客はカップルばかりだ。
俺はふと思ったことを口にしてみた。
「俺たちって周りからはどんな関係に見えてるんだろうな」
「うーん。親子とか?」
「いや、その気持ちは嬉しいんだけどさ。せめて年の離れた兄妹とかだろ。俺そんなに老けてないだろ。その点に関してはマジで傷つくぞ」
「でも、見た目はママと同じくらいの年に見えるけど」
「それは千沙の見た目が若すぎるんだよ。あいつはノリも若いしな」
と、反論しながら突然違和感を覚えた。今の話の中におかしなところがあったような気がした。
「ってあれ……?」
「どうしたの?」
「朱莉、今普通にママって言ったな」
「え? それがどうかしたの?」
「あ、いや。俺があの家に住み始めてから初めて聞いた気がしたから……」
「ああ」
朱莉は俺の考えを察したような顔をした。
「私がママって呼ばないことか……」
やはり意識して呼ばないようにしていたのか。いきなり核心に迫るチャンスが到来した。
「何か理由でもあるのか?」
「貞治君は気にしないで。大した話じゃないから」
そう言われると無理には聞き出せない。相手は妙にませているが、まだ小学生だ。だから、代わりに別のことを訊いてみることにした。
「できたらでいいから聞かせてほしいんだけど……ママとパパが別れたこと、朱莉はどう思った?」
「うーん……」
朱莉は少し俯いた。
直球すぎたかと思ったが、朱莉はすぐに口を開いた。
「嫌だったけど、もうしょうがないと思ってる……でも……」
俺は急かさずに次の言葉を待った。
そういえば、浩司さんが不倫していたことも朱莉は聞かされているのだろうか。それは千沙に確認していなかった。
「別れちゃったの、ちょうど夏休みだったんだ。パパとママとやりたいこといっぱいあったのに、何もできなかった。プールとか遊園地とか行きたかった。夏休みは遊びに連れて行ってくれるって約束してたのに……」
「……約束か。確かに約束は大事だよな」
だが夏の初めに不倫が発覚し、そのあとはずっと離婚の話をしていた。夏休みどころではなかっただろう。
「ごめんな、辛いこと思い出させて」
「ううん、いいよ」
とりあえず千沙のことを恨んでいるということはなさそうだ。俺としてはそれだけが分かれば充分だ。
「そうだ。学校のことも聞かせてくれよ。学校は楽しいか?」
「学校? えーと」
チョコレートラテをストローで少し飲む。
「最初は方言とかちょっと分からなかったんだけど――」
朱莉は学校や友達のことを色々と話してくれた。好きな科目や面白いクラスメイトの話。学校生活の方は概ね順調らしく、俺は胸を撫で下ろした。離婚後、千沙は旧姓に戻ったが、朱莉は如月姓のままらしい。
俺が火事に遭って千沙の家に泊まろうとしたとき、どうして朱莉が俺にしばらくいてほしいと言い出したのかということも気になっていたが、クリスマスイヴのカフェで面と向かって訊くのも妙な感じだなと思い、その話はやめた。
代わりに俺は会社や仕事の話をした。というよりほとんど悪口や愚痴だったが、朱莉は楽しそうに聞いてくれた。俺たちは一杯ずつの飲み物で一時間以上カフェで過ごした。
カフェを出た頃にはもう夕方になっていた。冬だから陽も落ちているだろう。
「帰る前に、外のイルミネーションも見ていくか」
「うん!」
階段を上って外に出ると、空はやっぱり暗くなっていた。
地上でも店の看板や照明が至るところで街を照らしている。
サンタやトナカイの格好をした販売員が店先でクリスマスケーキを売っている。
俺たちは人混みの間を縫いながら、駅の近くにある公園まで歩いた。
「凄い……」
その場所へ着いた俺たちは声を揃えて言った。
公園内の木々や生垣の全てにイルミネーションが施され、巨大なクリスマスツリーはもちろんのこと、特設のアーチや、半円状にミニクリスマスツリーが並べられたスペースまであった。
「綺麗……」
公園内を歩いている間、朱莉はうっとりしながら辺りを見回していた。
ああ、確かにとてつもなく綺麗だ。これが普通のデートだったら大成功と言えただろう。だが正直、今回に限っては失敗したと思った。調子に乗って俺が朱莉ポイントを稼ぎすぎたせいで、千沙のサプライズに対するハードルがめちゃくちゃ上がってしまった。こんなイルミネーションを見たあとじゃ、ちょっとやそっとじゃ感動なんてしねえぞ。
どうしようかと頭を悩ませていると、ポケットの中のスマホがいきなり鳴った。ジャストタイミングなことに千沙からの電話だった。
「もしもし」
「貞治、そっちはどう?」
「あー、プレゼントは買ったし、今はイルミネーション見てるよ」
朱莉に聞こえないように口元を手で抑える。
「でもわりぃ。イルミネーションが凄すぎて、お前のサプライズ、ハードル上がったかも」
「はは、別にいいよ。朱莉が楽しんでるなら」
「それで、今から帰ればいいのか?」
「いや。うちじゃなくて、今からあの雪だるまのところに来て」
雪だるま?
一瞬眉をひそめたが、俺たちが公園で作った雪だるまのことだと理解した。
「あの雪だるま、まだあったのか」
「うん。来れば分かるから」
「あいよ。何をしてくれるのか、俺も楽しみにしてるよ」
「うん。じゃあ、またあとで」
「ああ、またあとで」
通話を切ると、クリスマスツリーの前に立っている朱莉がこちらを見た。振り返る彼女の姿はポートレートのように画になっている。やはり、いくつになってもクリスマスツリーを見ると胸が高鳴るものだ。
「ママから電話?」
「ああ」
俺は朱莉の前に立ち、一対の黒い瞳をまっすぐに見た。
「雪だるまの前で待ち合わせだ」