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クリスマ・スマイル  作者: 燈羽美空
1/5

キートス・アプア

 

 12月23日。


 おれはフラれた。

 彼女には新しい男がいた。


 おれは——邪魔だったんだ。彼女が新しい男との〝最初のクリスマスイヴ〟を過ごすためには、邪魔な存在だった。


 5年間付き合った彼女が、いつからその男と浮気していたのか。その男が誰なのか。皆目見当かいもくけんとうもつかない。


 ここまで精神が突き落とされてしまうと、浮気の細かい内容はむしろどうでもよくなってしまう。


 雪のもる公園で大の字を作って仰向あおむけで寝ているおれの心情は悲しみに満ちている——なんて、やわなもんじゃない。


 絶望だ。それ以外に当てはまる言葉はない。


「彼女にフラれたくらいで絶望? なに言ってんの?」


 そう思う人もいるだろう。あぁ、その通りだ。また彼女を作ればいいさ。もっと可愛かわいくて、浮気なんて絶対にしない彼女を作ればいいさ。たしかにそうだ。そう思うよ。


 でも——

 明日、12月24日は、おれが人生で初めて。

 27年、生きてきた中で初めて。

 プロポーズをするはずの日だった。


 *


 背中から水がみてきた。

 雪の上で2時間も寝たことはない。


 この体温が徐々《じょじょ》に奪われていく感覚すら、いまのおれには心地良ここちよく感じる。


 心が打ちひしがれたとき。心が冷たくなって、自分の全てが全否定されたような——言葉のナイフで真っ赤なハート型の心臓を、ズタズタに切りかれたようなとき。


 傷だらけになったその心臓を無理矢理えぐり取られ、『じゃあね』の一言と共にゴミの山に放り投げられたような、そんな感覚になったとき。


 普段なら絶対にしないような自虐的じぎゃくてきなことをして、なんとか『自分は生きている』と確認したくなる。そんな、いまと似たような時間が過去に2度はあった。


 1度目は高校受験で望んだ高校に入学ができなかったとき。そのときはボールペンの先端せんたんで手を刺し続けるという手法でなんとか乗り切った。


 血こそ出なかったが、左手に〝一時的なホクロ〟が無数に出現した。ちょうどいま——おれの視界を占領せんりょうする夜空の星くらいの、無数のホクロが左手のこうに誕生した。


 もう1度目は、就職活動しゅうしょくかつどうで20社からの内定をもらえなかったとき。そのときは我流がりゅうのトライアスロンを始める——という謎の方法で肉体をいじめ抜き、なんとかして生きている実感を得ることができた。


 パジャマ姿でランニングをして、そのまま川に飛びこんで泳ぎ、川の水の冷たさにやられて陸に上がってから、粗大ゴミに捨てられていたボロボロの自転車にまたがって、街をけた。


 途中、すれ違った誰かがおれの姿を見て恐怖を抱いたようで、「ボロボロの自転車に跨ったビショビショの変人がいる」——と警察に通報をしたらしい。


 サビだらけの自転車で颯爽さっそうと街中を走り抜ける無様なおれの後ろに、同じく自転車にまたがったおまわりさんが猛スピードで張り付いてきた。


「そこの人! 止まりなさい!」と大声を上げられたが、おれは気にせず走り続けた。しかし、おまわりさんの声にビビったのは、おれではなくボロボロの自転車のほうだった。


 まず後輪のタイヤがパンク。

 続いてハンドルの片方が折れる。

 さらに前輪のタイヤがホイールごと外れた。


 そして、おれは地面とキスをした。


 気付いたら——病院のベッドにいた。


 顔は擦り傷だらけ、右腕は全治一ヶぜんちいっかげつの骨折。ひざは打撲。アスファルトに擦り付けられた頭の右側——その毛根は約二週間やくにしゅうかんの間、沈黙を貫いた。


 自転車から投げ出されて、頭から着地したのがいけなかった——アスファルトの地面に右側の頭皮を文字通り、もっていかれたのだ。治療のためということもあり、おれはしばらくの間スキンヘッド生活を余儀なくされた。



 今回は、まだいいほうだ。


 クリスマスイヴのイヴに彼女にフラれて、予定していたプロポーズが実行される前から失敗に終わり、おれはいま——雪の積もる公園の真ん中で大の字を作って寝ているだけなのだから。


 これ以上の災難さいなんがあるとするなら、おれの真上から隕石いんせきが落ちてくるか、突然UFOが来て拉致らちされるか。


 もっと現実的なところでいえば、お巡りさんが寝ているおれのそばに来て「こんなところで寝ていたら風邪ひくよ? お兄さん酔ってんの? 大丈夫?」——と、懐中電灯の光を唇が紫色になったおれの顔面に当てながら、職務質問しょくむしつもんをすることくらいだろう。二度目の自虐罪で警察の世話になるってわけだ。


 しばらくこのままでいい。

 こうして雪に体温を奪われればいい。

 目をつむって。

 凍えて。

 寒さを通り越して。

 眠たくなって。

 息をするのも——

 めんどくさくなる。

 眠るように。

 沈むように。

 雪に全身が溶けるように。



 おれなんか、死んでしまえばいい。



 ——ん?

 なんだあれ?

 空からなにか降ってくる。

 赤い物体。

 肌色も見える。


 サンタ?


 いや、サンタにしては露出が多い。

 女性のコスプレイヤーがこの時期によくやる、サンタ娘?

 段々と。

 近づいてくる。

 真上から。

 一直線に。

 おれに向かって。

 急速で。

 落下してくる。

 赤と肌色の物体がなにか言ってる。


『あわわわわ! ちょ、ちょ! そこの人! どいて!』


 ちょっと待て。

 なんだこの状況。

 一旦このを一時停止する。

 整理させてくれ。


 まず、ここは公園。

 夜の公園だ。

 おれは寝ている。

 雪の上で。

 大の字に。

 仰向けにだ。


 そしておれの真上に女が落下してきた。

 サンタのコスプレ女。

 ミニスカートの前側を手でおさえている。

 空中で女の子座りをしているような姿勢。

 女の両膝りょうひざがほぼ真下を向いている。

 つまり、この女が地面に着地したとき。

 その白くてなめらかな素足は地面に激突する。


 まず女の両膝が地面に触れるはずだ。かなりの高さから落ちてきたのだろう、膝の皿が割れて、砕けて、骨折は避けられないはず。この薄っぺらい積雪せきせつがクッションになったとしても、間違いなく怪我はする。それも大怪我だ。しかしそれは、この女が地面に落ちた場合の話だ。いま、あのサンタ娘は——


 おれに向かって落ちている……!?


 つまり……、何十メートルかもわからない高さから落下してきた美女の両膝を、おれはこの身体で受け止めようとしているのか? なるほど。笑える。すごいな。ほんとに。死んだ、死んだな。


 まず肋骨ろっこつが折れて、その先の内臓が潰れ、背骨もくだけるだろうから、おれは死亡確定だ。病院に搬送されるだろうが、せいぜい救急車の中で息を引き取ったなら、長持ちしたほうだろう。


 おれの人生——どうしようもないこの人生は、ほんのすこしでも誰かの役に立っていたのだろうか。プロポーズをしようと思っていた彼女に罵倒ばとうされ、ののしられ、心に傷を負ったまま、空から降ってきた見ず知らずのサンタ娘の美脚に潰されて、この人生を終える。なんて最期だ。



 サンタクロースなんてものが本当にいるのなら。


 願い事は、そう。


 友達あいつ


 家族みんな


 いまも心から愛している彼女《あの子》。


 みんなの笑顔を。


 もう一度。


 見たい。


 *


「もしもーし……」


 ん?


「お兄さん、生きてる?」


 あれ?


「ごめんね……まだ、ソリ乗るの下手でさ……」


 おれ、生きてる?


「わたし、新米のサンタなんだけど……。あっちでの研修を終えて、今日、初めてこっちに来て……」


 サンタ娘?

 なんかしゃべってる……。


「トナカイと喧嘩けんかしちゃって……。明日、イヴでしょ? それで現場の下見に来たんだけど。わたし、手綱たづなの使い方が乱暴だったらしくて……。そんなに叩くな! アホか! やってられっか! って相棒のトナカイ、キレちゃってさぁ……」


 なに、言ってんだ?

 ネタか?


 いや、それにしては真面目まじめに話している。しかし——こう、寝ているおれの頭のそばで普通に立たれると目のやり場に困る。おれが右を向けばミニスカートの中が見える……っ! 見えてしまう! 気づいていないのか? 天然なのか? おれを心配そうに覗き込む顔がやたら可愛い。瞳が水色。金髪のツインテールだし。どうなってんだ。


「で、ソリの浮力ふりょくが不安定になって、かたむいて……わたし落ちちゃって——そこに、お兄さんがいたんだけど……てか、なんでこんなところで寝てたの?」


 ん?

 あ、あぁ。

 答えなきゃならんのか。


「いや、その……。雪の上で寝ていたい気分でして……」


 ほんと、

 なんなんだこの状況。

 おれは夢を見ているのか?

 それか死に間際の幻覚だろうか。


「そうなの? まぁ、なんでもいいけど……」


 なんでもいいなら訊くなよ!


「それでさ……ちょっと言いにくいんだけど……」


 なんでしょうか。



「お兄さんのこと、わたし、膝で思いっきり潰しちゃって、殺しちゃったんだよね、ははは……。ほら、サンタになるにはさ、身体とか骨とか、下界の人たちとは比べものにならないくらい丈夫じゃないとだし……。サンタになるための最終試験に、ソリによる大気圏の往復タイムアタックとかあるしさ……」


 なにを言っているの? このコスプレ少女は。なに? 大気圏の往復タイムアタックって。モビルスーツのパイロットだってそんな試験ないだろうに。


「し、死んだ? お、おれが?」


 ひとまずの事実確認をしてみる。


「うん、死んだんだけど……生きてる……というか……」


 急にモジモジし始めたぞ。おれを殺しちゃったことより言いにくいことなんてないだろうに。


「死んだけど生きてる? どうゆうこと?」

「えと、お兄さんの命を一時還元いちじかんげんしたの。それにはね、執行猶予しっこうゆうよみたいなものがあって……お兄さんが死ぬ直前に強く願ったことを、わたし、クリスマスの朝までに叶えてあげないと、お兄さんの命、戻らないの……」


 ——は? なにを言っているの?


「今日、23日の夜でしょ? 今夜から明日——つまり24日が終わるまでには、お兄さんの願いを叶えないと……。お兄さん、クリスマスの朝に死ぬことになる……」


 ——は?

 ——え?


「はぁっ?」


 そりゃもう、飛び起きるよね。

 雪の上で寝てる場合じゃないよね。

 信じ難いけどなんか信じなきゃいけない空気がものすごい密度で漂っているよ。ただごとではないとサンタ娘の目や仕草が必死に訴えてくるよ。


「おい、ウソじゃないだろうな! ほんとうに死ぬのか!? え!?」


 柄にもなく、おれは食い気味に迫ってしまった。


「わっ……」ルミは驚いた顔で両手のひらをこちらに見せた。「体、大丈夫そうでなによりです。ははは……」

「はははじゃねぇよ! 体は大丈夫でも、心はすでにご臨終だよ! これって実際……、し、死んだようなもんだろうに! 執行猶予!? 笑っちゃうぜ! だれかウソだと言ってくれ! ただでさえ心配性のおれの精神が、みるみる崩壊していくぜ!」


 なにか超常現象的ちょうじょうげんしょうてきなことが、おれの身に起きているんだろうか


 あれ? でもこれって信憑性しんぴょうせいあるの? サンタ娘の様子からして、直感ではどうにか信じられる。が、理屈で説明できるのかというと、相当微妙な線ではないだろうか。


「ちょ、ちょっとまって、あんたがその……、本当にサンタで、おれがあんたの急降下両膝ドロップで絶命して……。まぁひとまずよみがったけども。このままだとクリスマスの朝に死ぬっていう、確固かっこたる証拠しょうこみたいなもんは、あるの?」


 上体だけを起こしていたおれは、立ち上がりながら問い詰めた。サンタ娘は顔をくもらせた。


「お兄さん、いま、寝てたところ見てみて」

「え? 寝てたところ?」

「う、うん。そのまま振り返って、視線を地面に……。はい、どうぞぉ……」


 関西のピン芸人みたいなノリだなぁ、と思いながら振り返る。

 視線を地面に。





 あー。





「ね? その……。肋骨が折れて、内臓が破裂して、背骨が砕けて、口から血を吐いて、どっかの骨が背中から飛び出たから。雪の上、真っ赤でしょ?」


 可愛い顔してエグい説明すんな……っ!


「ですね、真っ赤です、はい。赤ペンキでしょうか。イチゴのソースだったら嬉しいです。かき氷みたいですね」

「お兄さんの血だよ? 大丈夫?」


 すごく真面目な顔をぶつけてくる。

 冗談が通じなかった。


「はい、よく、わかります」


 しかし——だ。おれがこのサンタのコスプレ美女によって負わされたケガが、例えば脳震盪のうしんとうくらいの軽微けいびなものだったとして。


 おれが気を失っている間にこの娘が寝ているおれの下に、それこそ赤いペンキのようななにかを染み込ませて、おれが起きるまで待っていた……、という可能性もある。


「信じられないって顔、してるね」


 意外にするどいな、この


「……そんな顔してた?」

「してた、じゃない、してる」

「いや、だって、おれ、現に生きてるし……」

「クリスマスに死ぬんだよ?」

「そう言われましてもね……」

「じゃ、お兄さん、スマホ出して」

「え?」

「ほら、そこに放り投げてあるビジネスバッグから、スマホ、出して」


 おれは数歩、雪の上を歩き、公園に来たときに適当に放り投げたかばんに近づいた。


 この鞄は、いまや別れたばかりの元彼女が就職祝いに買ってくれたものだ。角はげて傷だらけ。


 持ち手の部分がよく外れたので、何回修理に出したかわからない。元彼女がバイトで貯めたお金で買ってくれた、決して高いとはいえない鞄を、おれは5年間ずっと大事に使っていた。


 雪で濡れた鞄を持ち上げる。

 雪の水分とは別の水分が鞄を濡らした。

 一滴、二滴——。


「お兄さん? 泣いてる? 大丈夫?」


 やっぱりおれ、死んでもよかった。

 クリスマスの朝にこのまま——。


「あ、あぁ……。大丈夫。多分」


 ひとつ、深呼吸をする。鞄のポケットからスマホを取り出し、サンタ娘の近くに戻った。


「それ、写真撮る感じで目線まで持ち上げて画面を見て」


 言われるままに、スマホを目線の高さまで持ち上げる。


「いっくよー!」


 サンタ娘が、スマホを指差した。

 そして、わりと大声でなにかを唱えた。


「キートス・アプア!」


 内心このチチンプイプイとか言いそうだな、と思っていた心の中の自分を無反動砲で爆撃ばくげきしてほうむり去ってやった。


「なにも起きな——え?」


 どうしたことか。スマホの画面におれが絶命した瞬間の映像が映し出された。


 もちろん、おれは画面を手で持っていただけで、操作もなにもした覚えはない。


 勝手に画面がスリープから復帰して、ロックを解除するでもなく、映像を流しだした。


 引きの映像で雪の上で仰向けに寝ているおれと、おれに落下するサンタ娘の様子がしっかりと映し出されている。


 この公園におれ以外の人間はいなかった。誰かがカメラを持って公園に来ていたのなら絶対に気付くはずだ。


 それにいま、この場を見渡みわたせば、おれとサンタ娘以外むすめいがいの人物——つまり、おれのスマホを勝手に使って現場を撮影したカメラマンの足跡が雪の上に残っているはずだ。しかしそれもない。


 この映像は、この娘の〝魔法のようなもの〟で映し出されたものであると認識にんしきしなければいけないのか。 


 しかしこの映像、下手なスプラッター映画よりもエグい。R16はかたい。残酷ざんこくな映像だ。主人公はおれだろうか。それとも、おれという精神が崩壊ほうかいした悪役をやっつけるサンタ娘だろうか。


「ちょっと、巻き戻すね」


 突然、サンタ娘がおれに体を寄せてスマホを指で触り出した。肩と肩が触れる。ベリー系の香水を付け入るのか? ツン……と甘酸っぱい香りが金髪のツインテールからただようと、おれの心臓は思わず早鐘を打った。やはりおれは——生きているらしい。この残酷な映像とは、裏腹に。


「えと、あ、ここ。このとき、お兄さん、最後のお願いしてるんだよね」

「最後のお願い?」

「うん。仰向けに寝てるとき。わたしの両膝がお兄さんを殺しちゃう、ほんの数秒前かな。確かに言ってる」


 サンタ娘はスマホに当てた二本の指をハサミのように広げ、一時停止で静止画になった映像をズーム。おれの口元が画面いっぱいに映った。娘が音量のボタンを何度か押して、音量をあげる——そして再生を始める。



 〈みんなの笑顔を——もう一度——見たい〉



 画面いっぱいに映るおれのくちびるから、確かにそう願う、かすかな声が発せられた。その直後、おれの口からは血が噴出ふんしゅつし、映像は真っ赤に染まった。口からイチゴのソースを出せるなんて、おれすごいよね。そう言おうと一瞬だけ思ったが、やめた。


「ね? お願い、したでしょ? わたしはこれを叶えなければならないの」

「みんなの笑顔を? どうやって?」

「あなたのいう〝みんな〟ってつまり、友達、家族……。あとは……」


 元、彼女だ。


「あなたを今日フった元彼女、でしょ?」

「……そんなことまでわかるのかよ」

「うーん」サンタ娘は片手の人差し指を自分の頬に当てて、「人間のようで、人間ではいないからね、サンタって」


 やはりこの娘——超常現象の一部らしい。


「まぁとにかく! こうゆう〝サンタ業務中における不慮ふりょの事故〟で一般市民を死亡させてしまった場合は、その人の願いを叶えないといけないの! なにか物が欲しいとか……。あと……、《《カラダ》》のこと……、とか? ならすぐ叶えてあげられるんだけど……」


 娘の頬が赤くなった。いまからでも最後の願いを訂正できないだろうか。そう思った心の中の自分を、心の中にいる、ちょんまげサムライ姿のもうひとりの自分が一刀の元に斬り伏せてくれた。それも至極豪快に。真っ二つにだ。


「友達、家族、元彼女。その三人? の笑顔を明日までに作るわよ! じゃないと、クリスマスの朝にあなたは死んで、わたしはサンタ免許を剥奪はくだつされるわ!」


 気合が入ったようだ。

 ひとりだけ。


「免許を剥奪? サンタの教習所でもあるのか?」

「まぁ、学校っていうか、訓練施設っていうか……」

「へぇ……。なんだか、そっちはそっちで大変なんだな、サンタの世界も」

「そうなのよ……、まったくだわ……」


 サンタ娘は小さくため息をついた。肌色の明るい顔だが、ふと目の下にクマが現れた気がした。その表情はサンタ界で生きる大変さをにじませているように思えた。


「事故を起こしたら、それ相応の償いをする。死なせてしまったら、その人の願いを叶えて完全に蘇生させる! それがルールなの! サンタ界の法律なの! それができなきゃサンタの資格はない……」


 そして彼女はさらにため息をついて、肩を大きく落とした。


「わたしはいま首の皮一枚で繋がっているの……! やっどのおぼいでザンダになっだのにぃ!」

「おい……、落ち着けって」おれは宥めるつもりで、「事故でだれかを死なせたら、そいつを一旦起こして、願いを叶えないと、完全に蘇生できない……。そんなルール決めたのだれなんだ? サンタの王様?」

「じらないわよおぉぉ!」


 ついに号泣した。

 顔のいそがしい女である。


 だが、それほどに必死なのだとわかるし、それほどに緊急事態なのだと知るには十分な顔面だと思った。ここはまず、サンタ娘のいうとおりにするべきだろう。クリスマスの朝にほんとうに死んでしまってからでは、なにもかも手遅れなのだから。


「わ、わかった……。なら、いまからいこう。まずは友達の笑顔……。だとすると、あいつのところかな……」


 おれが真っ先に思い浮かんだのは、最近、彼女が出来たのだが、それがどうも普通の彼女ではなくて困っている友人の顔だった。


「それじゃ決まり!」


 すでにケロッと元気になってやがる。さっきの心配を返してくれ。


「お、おう」


 ひとまずおれは、心のこもらないガッツポーズをしてみせた。


「まずは……、お邪魔しまーす!」


 それは突然の魔法だった。サンタ娘はおれの目の前に回り込み、人差し指をおれのひたいに当てた。彼女の全身は発光し、人間の形をしているだけの光になったかと思った刹那、その光は収縮しゅうしゅくし、おれの頭の中に吸い込まれて消えた。


『じゃ、そのお友達のとこ、レッツゴー!』


 頭の中から声がする。サンタ娘は光となり、おれの頭の中に入り込んだ、という認識で合っているのだろうか。ものすごく甲高い声が、かなりの声量で、頭の内側に響いた。頭の中でフライパンとオタマが大げんかしているみたいだ、こめかみが痛い。


「わ、うるさっ! おい! なんなんだ!」


 人間ひとりが光のかたまりになり、自分の頭の中に入り込んだなどと、すぐには信じられるものではない。おれは辺りを見渡す。やたら露出の多いサンタのコスプレイヤーを探した。しかし、いない。ほんとうに頭の中に入ったみたいだ。


『もー! こうゆうのは〝よくある〟でしょ! いちいちうろたえない! はい、もう時間はないよ! すぐにお友達のところ行かないと!』

「だ、わ、わかった、わかったから、もうすこし声量を下げてくれ……!」

『あ、はいはいおっけー!』


 サンタ娘はちょうどいいくらいまで声量を下げてくれた。ささやくような声に変わると、むしろ声音こわねに優しく撫でられるような心地よさが、おれの脳に充満した。こういうのを……、たしかASMRといったか。


『ね、あなた、名前は?』

「サンタなら、わかるんじゃないのか?」

『うん、わかる』

「なら、訊くなよ……。お前は?」

『ルミ』

「ルミ? 日本人なのか?」

『ぶー! フィンランド語で〝雪〟って意味よ!』

「あぁ……。さっきの呪文みたいなのも、フィンランド語だろ?」

『おーよく気づいたね! 勉強してたの?』

「あっちのほう、ホームステイしてたことあるんだ。キートスアプア——ありがとう助けて。なんか、呪文にしても幼稚すぎないか?」

『それは触れないで。サンタだから。子供向けだから。察しろ』

「お、おう……」


 そうして、おれは頭の中にサンタ娘——ルミを抱えることになった。この短時間に非現実的な出来事と次々に直面したのだ。おれが〝クリスマスに死ぬ〟という、なんともうたが甲斐がいのあるファンタジックな情報は、確かな、絶対に起こりゆる事象であると、まずはそう思うしかないのだろう。


 なにより、こんなに必死になって〝おれの最後の願い〟を叶えようとするルミが嘘をついているなどと……。気が優しいことくらいしか取りのないおれには、到底、思えなかった。

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