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短編・童話集

バクのはなし――夢を食べる動物――

 夢を食べる動物を知っていますか?

 バクという想像上の動物で、鼻がながくて足は短い。丸い体をしていて、爪はまあまあ、鋭いようです。

 現実にもバクという名の動物がいますが、あれとはちょっと違うようですね。

 だけどまあ、似たようなものだと思っても、構わないでしょう。

 大事なのは、どのような姿をしているか、しっかりと頭の中にイメージすることですから。


 いま、想像上の動物だといいましたが、私はある友人から、バクの話を聞きました。

 それがどうも本当らしく聞こえる話だったので、ひとつ、友人に内緒で紹介させてもらいましょう。

 それは、こんな話です。




 友人は、絵本作家をしていて、その日も夜おそくまで絵を描いていました。

 そのとき描いていたのがどういう絵本だか私は知りませんが、彼女はいつも虹のようにさまざまな色を使った綺麗な絵を描くのです。

 そのときもきっと、そんな絵を描いていたのでしょう。


 真夜中になっても眠くはならず、絵に没頭していました。

 それでも少し疲れを感じて、絵筆を持っていた手を止め、軽くのびをしました。

 声が聞こえたのはそのときだったそうです。


「いったいいつ、きみは寝るんだい」


 友人は、はっとしました。

 何しろ彼女は一人暮らしです。そうして真夜中のことです。

 幽霊かしら。

 少し怖がりの彼女は、おそるおそる、声のした方へ目を向けました。

 そして、きゃっ、と叫んだそうです。

 ……もしかしたらこんなにかわいい叫びじゃないかもしれませんね。

 ぎゃあああ、とか、そんなのだったかもしれません。


 目を移した先には、彼女のベッドがありました。

 その上に、見慣れない動物が、短い足を折りたたんで、座っていたのです。

 あわてて絵筆を机のうえに置き、友人はイスから立ち上がって部屋の入り口に後ずさりをしました。

 見慣れない動物は目を細めて、めんどうそうな様子でその姿を見ていました。


「そんなに驚かなくてもいいじゃないか」


 友人はなおさら驚きました。


「しゃ、しゃべった」


「さっきもしゃべったよ。だからそんなにあわてるなよ。こっちまで落ちつかない」


「動物がしゃべった。動物なのに」


「いいから、深呼吸をしてごらんよ」


 友人はごくんと喉をならしました。

 それから、この動物がいうのももっともだと思い、落ち着くために深呼吸をしました。

 動物は、満足そうに目を細めました。


「よし、それでいい。それで、きみは」


「あんた、なにもの?」


 動物が話すのをさえぎって、友人はいいました。

 やれやれ、という風に動物は首を振り、諦めたような声で答えました。


「バクだよ、バク」


「バク? なにそれ」


「知らないのかい? 動物園にいるのを見たことがないんだ?」


「見覚えない。だいたい、動物園にいる動物はしゃべらない」


「そうとも。それにぼくは動物園にいない。だけど同じ名前の動物はいる」


「どっかから脱走してきたの?」


「そうじゃない。さっきのは、ちょっとした冗談さ」


 友人はだんだんイライラとしてきました。

 こっちは必死で、真剣なのに。

 何やらこの、バクとかいうやつは余裕ぶっているし、わけのわからないことをいう。

 動物園にいないのに、見たことあるわけないじゃない。

 動物のくせに、自分のことを『ぼく』とかいうし。


「ぼくはバク。動物園にいるのとは、似てるけどちょっと違う。それで、ぼくは夢を食べる動物だ」


 そういわれて、友人はピンときました。


「ああ、なんだか聞いたことある」 


「そうだろう。それできみは、いったいいつ眠るのさ」


 バクは壁にかかっていた時計に目をやりました。

 友人もつい、同じ方向を見ました。

 午前二時を過ぎたところでした。


「そんなの、わたしの勝手でしょう。もうすこし、仕事をしなくちゃいけないし」


「そいつはよくないなあ。夜にちゃんと寝ないと、健康にさしつかえる。それにきみは、まだ若い女の子だろう。肌とか、荒れるんじゃないかい」


「うるさいな。親みたいなこといわないで」


「本当のことを言ってるだけさ。それに、ぼくも困る。だって、ぼくはきみの夢を食べに来たんだから」




「それは、わたしが困る」


 少しの間のあと、友人はそう答えました。


「なぜ?」


「だって、仕事ができなくなるもの」


 どうしてなのか、少し説明が必要かもしれませんね。

 ふつうの絵本作家がどういう風に仕事をするのか、私はよく知りませんが、この友人は作業をはじめるときは、だいたい、夢がきっかけになるのです。


 この友人はふだんから、楽しい夢をよく見るそうで、見た夢はぜんぶ、起きてすぐにノートにメモしておくのです。

 そうしないと、あっというまに忘れてしまいますから。

 書き終えたメモを、あとで読み返して夢の中身を思い出し、その中でも物語になるような、ちゃんとつじつまの合う夢を文章と絵に変えていくのです。

 友人は、いつもそうしているそうです。


 そのときも、友人はバクにそう説明しました。

 話しているうち、バクに対する怖さがなくなって、友人はいつのまにか自分のイスに戻っていました。

 一通り説明を聞いたあと、バクはちょっと、ばつの悪そうな顔をしました。


「そいつはすまないことをした。おととい、はじめて、ぼくはきみのところに来てみたんだよ」


「なにそれ。わたしはあんたのこと、見てない」


「寝ていたんだもの、当然だろう」


「どうやって部屋の中に入ってきたのよ。そういえば、いまもそう」


「そのへんは、ぼくら、普通の動物とは違うからさ。ああ、きみと話していると口をはさまれてばかりでいっこうに話が進まない」


「じゃあそのときわたしの夢を食べたのね? ああ、だからおととい……」


 友人は机の上のノートを手にとりました。

 彼女は毎日、夢を見ます。

 それなのに、おとといのページは真っ白でした。


「変だと思っていたのよ。物心ついてからこっち、ずっと夢を見てたのに」


「そうそう、そういうことを言いたかった。だから、最初に謝ったじゃないか」


「許さない。あんたのせいだったのね」


「そう言われてもなあ。食べてしまったものはしょうがない。機嫌を直してよ。何度でも謝るからさ」


「だめ。最悪。話し合う余地なし。さっさと出て行ってよ。そうしないと、警察を呼ぶわ」


 友人はじっと、バクの目をにらみました。

 さすがにバクも、怒った友人の顔に困り果てた様子でした。


「別にぼくらには警察なんて関係ないんだけどさ。わかったよ。本当にすまなかった。きみの言うとおりにする」


「当然よ。勝手に入ってくることからして、おかしいんだから」


「次に来るときはノックをしてからにしよう。一応、言いたいことはいっておくよ。きみの夢はすごくおいしかった。だから、もう一度食べられたらなと思ったんだ。それじゃ、今日はさよなら。おやすみ」


 そういい残すと、バクはふっと姿を消しました。

 あっさりと消えてしまったバクを見た友人は、目をぱちぱちとしたあと、おそるおそるベッドの上に手を伸ばしてみました。

 けれど、そこにはやはり、もう何もいないようでした。

 首をひねったあと、友人はバクの最後の言葉を思い出し、一人でつぶやきました。


「次、とかいってたな、あいつ。もう来なくていいのに」


 だけど、ああしてさっといなくなられても、どこか気になるものです。

 バクと一緒に、怒りもどこかに消えてしまい、仕事をする気分にも戻れそうにありませんでした。

 絵筆をしまい、電気を消し、バクのいうとおり、そろそろ眠ることにしました。




 最後の言葉どおり、バクはまた、友人の前に姿を現しました。

 はじめて顔をあわせてから、三日後のことでした。

 その日も友人は絵を描いていました。

 だけど、ここ数日、あんまり仕事がはかどりません。理由はよくわかりませんでしたが、たまに、そうなってしまうことがあるのです。


 芸術家、とその友人を呼んでいいのかどうかわかりませんが、何かを創り出す人には、そういった調子の波があるらしいのです。不思議なことですね。

 そうそう、不思議なことといえば、もしかするとあの妙な動物と出会ったことも影響していたのかもしれません。

 夢はちゃんと見ているので、友人の知らない間に来ている、ということはなさそうでしたが。


 キャンパスの上の絵筆もさほど滑らないうち、やがて夜が深まってきました。


 突然、ノックの音が聞こえてきました。それが変なノックなのです。

 何しろ友人は一人暮らしでしたから、ノックの音は玄関の扉から聞こえてくるはずでした。その上、彼女の住んでいるアパートにはインターホンがありましたから、ノックなんてする必要はないのです。

 しかしノックの音は確かにしていて、それは、彼女の部屋のすぐ外から鳴らされたもののようでした。おまけに、こんこん、という普通の音じゃないのです。

 ばんばん、というか、ぽんぽん、というか、どこか間の抜けた音でした。

 どうやら、人間の手で鳴らされたものではないようなのです。


 友人は、さてはあいつだな、と思いました。

 それで、前のように怖がらず、ためらいなく部屋のドアを開けました。

 そこにいたのは、やはりバクでした。


「こんばんは」


 足元にいたバクは、首を軽く下げながらいいました。

 友人は、不機嫌そうな顔をしてみせました。でも、本当はちょっと嬉しかったのよ、とあとで私に教えてくれましたが。


「何の用?」


「ちょっと、通りかかったものだから」


 友人はその文句が気に入りました。

 またこりもせず、いつまでも起きてないで早く眠れだの、夢を食べさせろだの言い出したら、追い出しはしないまでも、困らせるぐらいのことはしてやろうと思っていたのですが。


「まあいいわ。せっかくよったのなら、入っていきなさいよ」


「そいつはすまない。じゃあ、少し邪魔をさせてもらうよ」


 バクはとことことあるくと、またしても、彼女のベッドの上にぴょんと飛んで腰を下ろしました。

 友人はじっとバクの姿を見ていました。

 バクもじっと友人の姿を見ていました。

 バクは、すぐには何も言いませんでした。


「仕事をしなくてもいいのかい」


 やがてバクが口を開きました。


「え」


「こんな時間までやっているんだ。忙しかったんだろう」


「だって、あんたが来たから……」


「だから、さっきも言ったけど、ぼくはちょっと寄っただけさ。お構いなく」


 それっきり、つんとした顔で黙ってしまいます。

 なんだか調子が狂うな。

 友人はそう考えながらも、バクのいったとおり、絵を描きはじめました。


 はじめのうちは、少し、落ち着いた気分で筆を進めることができました。

 ふつう、絵を描くときは誰かにそばにいて欲しくないものですが、バクはあくまで動物なので、そんなに気にはなりませんでした。


 だけども、やがて彼女の手は止まってしまいました。

 筆を置き、体をそらせて少し離れたところから絵を見ました。

 どうにも気にいりません。

 いつもなら、何も考えなくたって、あるべき場所に線はあるし、そこにはふさわしい色が塗られているはずなのですが。


 ため息をつくと、友人は振り返り、バクに話しかけました。

 そのときのもやもやとした気持ちを、言葉にしたかったのです。


「だめね。どうにも……あんまりうまくない」


 バクは静かに答えました。


「どこがだい? ぼくにはあんまり人間の絵はわからない。だけど、素敵な絵に思えるけど」


「人間の絵は、ってことは、バクにも絵があるの?」


「いいや。それは、そうだな、言葉のあやさ」


「じゃ、絵なんてわかりっこないわね。まあ、わたしにもよくわからないけど。でも、この絵はよくない。描いてるわたしがいうんだから、間違いない」


「そんなものかな」


 バクはまた、ちらりと友人の絵に目を向けました。

 友人は再び絵筆をとり、またすぐに机の上に置き、首をふりました。

 なんだか満たされず、みじめな気持ちでした。

 また、少しの時間のあとにバクがいいました。


「少し気分転換に話をしようか」


「……なに? どんな話?」


「きみはこんなときでも夢を見るのかい。つまりさ、こういう、きみの大事な仕事がうまくいかない夜にだって」


「もちろん見るわ。夢は毎日見るもの。いい気分の夢を見たときなんて最高ね。たいてい、そういう夢を見たあとの仕事はうまくいく。いま作ってる絵本に関係ないものだとしてもね」


 ふむ、とバクは鼻を鳴らしてから言葉を続けました。


「実はきみに提案があるんだ。このあいだ、ぼくはきみの夢を勝手に食べた。まだ、すまないと思っている。夢がきみにとってそんなに大事なものだと思わなかったから」


「ほんと、ひどい話ね。夢を見られない朝なんて、つまらないことこの上ない。誰でもそう思うんじゃない?」


「いいや、そうでもないみたいだ。ぼくの知っている、ほかの人間の話ではね。あんまり気にしない。それどころか、嫌な夢を見ていた人にはかえって喜ばれる」


「そういう夢って美味しいの?」


「夢の味と、その夢が人間にとってどういう意味を持つか、その二つはあんまり関係がないんだ。まあそれはいい。何よりも、ぼくが悪かったと思うのは、きみに無断で夢を食べたことだ」


 そうかな、と友人が考えている間にバクはさらに言いました。


「だからこうしよう。きみの夢はすごく、とてもすごく、素晴らしい味がする。ぼくはまた食べてみたい。だけどきみは、食べていいとはいわないだろう。だから、こうするのはどうかな」


「どうするの?」


「ぼくが、代わりの夢を用意しよう。きみの見たい夢を。きみがまた仕事に取り掛かれる、気分のよくなる夢を、さ」




 友人はバクの目を見つめました。

 丸く、黒目が大きいその目は、蛍光灯の光を反射して輝いていました。


「そんなことできるの?」


「できる。できるから言っているのさ」


「どうやって?」


「ぼくのお腹には、たくさんの夢をつめこんでおける。そうそう毎日、味のいい夢と出会えるとは限らないからね。ラクダのコブみたいに、何も食べられなかった日にはそれを味わうのさ」


「……それで?」


「きみの望む夢を、ぼくのお腹の夢を材料にして作り上げよう。それをきみに見せる」


 うんうん、と友人はうなずいてみせ、バクの話を理解し、それから嫌な顔をしました。


「え、なんだかばっちくない?」


 はじめて、バクは意外そうな顔をしました。

 表情は、人間のそれとは違いましたが、目を見開いて口を開けた姿は、他に考えられませんでした。

 そして出て来たバクの声は、それまでの落ち着きあるものとは違い、なんだかあわてていました。


「そんな。きたないだなんて。そんなわけあるもんか。だってきみ、夢なんだよ、夢」


「そうはいってもさ、いったんあんたの腹の中に入ったものなんでしょ? それは、……うーん、どうなんだろう」


 友人は想像をふくらませていました。

 まず、バクがもしゃもしゃと夢を食べている姿。寝ている誰かのそばに行き、頭の方へ近づいて、その人の心の中に映し出されている夢、ふわふわとしたその何かを、小さな口を一生懸命動かして次々に飲み込んでいく。

 そうして、お腹の中にいれた夢を、バクはどうにかして、混ぜ合わせて、巧みに細工をこらして、友人にとって気持ちのいい夢へと作り変える。


 そういえば、バクのお腹の中ってどうなっているの? 想像もつかない。


 最後にバクは、寝ている友人のそばに来て、その夢を(それは友人の想像の中ではすでに、ジュースみたいな液体になっていました)、口から友人の頭の中、心へと注ぎ込んでいく……。


「だめだ。気持ち悪い」


「き、気持ち悪いって。そんなの、なんだい、夢の作り方のこと、よく知らないくせに……」


 バクはすねたような声を出しました。

 たぶんバクは、自分にできる、一番すごいことを友人に告げたつもりだったのでしょう。それなのに、気持ち悪い、なんて言われてしまったのです。

 友人のいうことももっともですが、バクも少し、かわいそうですね。


 それでも、バクは一度ぶんぶんと首を振ると、なんとか気をとりなおしました。


「まあ、いいさ。きみがそういうのなら、無理にとはいわないよ。ぼくにとっては残念だけど、仕方がない」


 そういって、残念そうにため息をつきました。

 そんな姿を見ていた友人は、なんだか、バクがかわいそうに思えてきました。


「ねえ」


「なんだい」


「あんたさ、さっき、ちょっと寄ってみただけっていってたけど、はじめからその、夢の交換をするつもりだったんでしょう」


「違うよ。ちょっと、寄ってみただけさ」


 言ってから、バクは視線を落とし、今度はゆっくりと首を振りました。


「やっぱり、素直になろう。そう、きみの言うとおり。通りかかったのも、本当のことなんだけどさ」


「ふーん……」


 友人は、机にほおづえをついて、しばらくバクをながめました。

 どうしよう。

 こいつ、いちおう、ちゃんと準備はしてきたんだな。勝手に食べたって、夢の食い逃げをしたって、わたしには文句のつけようもないのにな。

 ちゃんとノックをして入ってきたし、約束はちゃんと守ってくれるみたいだし。

 どうしよう。まあ、いいか。


 友人の最後のつぶやきは、バクには聞こえていたようでした。

 バクは顔をあげ、友人に聞き返しました。


「え?」


「いいよ。しょうがない、一回ぐらい試したっていいような気がしてきたのよ」


「本当に? ああ、……」


 うれしそうな声をあげたあと、バクは、しみじみといいました。


「うれしい。ありがとう」


「ま、こうしていたって絵もはかどらないし。自分の夢じゃない、人の夢を見るのも悪くないかもね」


 友人はなんだか照れくさかったので、何気ない口調でそう言いながら、絵筆を手でもてあそびました。




 友人は夢を見ていました。

 夢を見ていながら、これは夢だとわかっていました。


 どこともわからない場所に友人は浮かんでいました。

 空を飛んでいる、というわけではなく、水に浮いている、というでもなく、たいして特別な感覚はないのに、足元には地面も何もありはしないのです。

 無重力状態ってこういう感じなんだろうか、と友人は思ったそうです。


 ただしあたりは宇宙ではありませんでした。

 白い霧のようなものが、友人の周りには薄く立ち込めており、それが遠くに行くにつれてだんだんと濃くなり、最後には真っ白になって何も見えなくなっています。

 あの先には何があるんだろう、そう考えたものの、手を揺らそうが足をばたばたさせようが、友人は動くことができません。


 そこへ、光の筋が突然、飛び込んできました。

 前方左奥から、友人の右のわき腹あたりをめがけて、流れ星のように滑って通っていきました。

 青い色に輝いていました。

 おや、と思う間もなく、二度、三度、同じような光が流れ、みんなそれぞれ違った色をしていることに友人は気がつきました。


 光がその白い空間を満たすのはあっというまでした。

 まるで流星群の中にいるようでした。きらびやかな光がいくつも、遠く向こうからやってきて、同じラインを通るものは一つもなく、同じ色をしているものも一つもなく、細い線の残像をひいて友人の目を楽しませていくのです。


「きれい」


 他に表現しようもないその一言をつぶやいたとき、どこからか返事が聞こえてきました。


「そうだろう」


「あら、いたの。いつの間に」


 隣に、いつのまにかバクがいました。


「はじめからいたよ。ただ、見えてなかっただけで」


「夢の中にも入ってこれるのね、あんた。どういう体の構造になってるか、想像もつかないわ」


「まあ、ぼくらは特別な動物だからね。それに、いまは夢の中に入っているわけじゃないんだ。できないこともないんだけどね。実は、ぼくはバクそのものじゃない。本物のバクはもう、きみの夢を食べて行ってしまった」


「……どういうこと? あんた、にせものってこと?」


「そういうのともちょっと違う。ぼくはバクの分身みたいなもの。つまり、ぼくがいる、っていう夢をきみに見せているんだ」


 光がいくつも、友人とバクの間を通っていきます。

 また、光の来る方向へ友人は目を戻しました。


「この夢に物語はない。ぼくにはきみのような、物語の才能はないようだから、あえて作らなかった」


「じゃあこの夢はなに? 適当に作ったわけ?」


「いいや。これは、きみの絵を見た、ぼくの感想」


「へえ……」


 光は徐々に量を増していきます。

 色彩がいくつも世界の中にあふれていきます。

 白いもやの中に描かれていくその光の線は、少し形は違っても、きっと、友人の絵のような鮮やかなものだったのでしょう。


「また、そのうち来るよ。きみの夢が食べたくなったらね。もちろん、先に相談はする。ぼくはそれまで夢を作る腕をみがいておこう。ノックが聞こえたら、開けておくれ」


「ええ」


 友人はうなずき、世界の中を埋め尽くす光を見つめ続けました。




 ふと気がつくと、すでに朝で、バクの姿はありませんでした。

 バクからみせられた夢の記憶ははっきりと残っていましたが、それ以外の夢は一切見ませんでした。

 いつもは、二つか三つはみるものでしたが。


 友人はベッドから起き上がり、夢のノートを開きましたが、首をひねり、記録するのはやめておきました。

 いま見たのは自分の夢ではなく、バクが作った夢でしたから。


 代わりに、絵筆をとりました。

 起きたばかりで朝ごはんも食べていませんでしたが、絵が描きたくてたまらない気持ちになっていたのです。

 あの光たちの色が、友人の意欲を呼び起こしたようだったのです。

 その日、友人はひたすらに絵を描きました。

 途中、何度か休憩しましたが、普段よりもずっといい絵がかけている、そんな気がしました。


 仕事が完成した頃には、もう、前日と同じように、夜になっていました。遅い時間でした。

 仕事の後片付けを終え、シャワーを浴びると、友人は紅茶を飲みながら机に座り、バクがやってくるのを待ちました。

 しかし、その夜はとうとう、ぽんぽん、というなさけないノックの音は聞こえてこなかったのです。




 さて、このお話もそろそろ終わりのようです。

 友人はそんな風にバクに出会い、夢をあげる代わりに別な夢を見せてもらい、絵を描く力を呼び起こしました。

 私は、この友人がなんだかちょっとずるい気もします。

 だけど、彼女はもともと上手に絵を描けるのですから、バクから力を貸してもらったところで、せいぜい気分転換ぐらいのものなのでしょうけれど。


 友人は、その後もバクに会っているそうです。

 ただ、それほど多くはやってこないらしく、バクがいうには、「美味しいものばかり食べ続けても、やがて飽きてしまうからね」ということだそうです。

 ちなみに、友人が聞いたところによると、バクは、気がつかないかもしれないけれど、どんな人のところにも現れているそうです。

 もしかしたら、夢を見なかった朝は、バクがあなたのところにもやってきた、ということかもしれませんね。

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