【ユレイシア貴族連合王国】敗走(1)
――某日、とある山中にて
「くそっ!みんな散り散り……もうダメだ……」
「うぅ……おっとぉ、おっかぁ……」
恐らくは何らかの戦の撤退戦。それも失敗した敗残兵達の中にその『彼』はいた。
「今は泣き言を言うても仕方がねえ。そりょり何人残っとるか?」
その中でも別格――圧倒的存在感を放つリーダー格の男が一人。
「ここに残ってるのはもう八人だけだ……」
「それだけおりゃ十分じゃ。とにかく山を……」
男の名は『ヘイキチ』、後に当代一の英傑と呼ばれる男だ。
「いたぞ!こっちだ!」
「しまった!」
「ちくしょう!もう矢はねぇぞ!」
「構いなんな!こっちや!早う逃げろ!」
もっともこの時点ではただの一兵卒程度の地位であったと言われる。そして絶体絶命の危機的状況でもあった。
「そっちに行ったぞ!囲え!」
次々とやってくる追手を撒き、蹴散らし、幾日も山中を逃げ惑い、ただひたすらに故郷へ向けての遁走。
すでに本陣は落ち、戦の趨勢は決定し、戻るべき本隊は存在しない。取るに足らない少数の敗残兵、彼らを評するならまさにそれだ。
それでも敵軍がそんな『取るに足らない敗残兵達』を執拗に追い回したのには理由がある。『ヘイキチ』だ。
「……六尺六寸※1ほどの身にそれを超える大マサカリ※2を携えた大男……お前が『熊倒し平吉』か」
「懐かしい名前じゃ、里ではそう呼ばれとったこともあったな」
――『熊倒し』それがヘイキチの二つ名だった。彼の自伝によれば、幼少期に村の仲間と共に山中に野草を取りに行っていた時、つい熱が入ってしまい普段のルートとは違う山道に迷い行ってしまったことがあった。そして、不幸にもそこは凶暴な大熊の縄張りであったという。
縄張りを荒らされた熊は当然のように激怒、一行に襲いかかった。
普通であれば逃げるなり、叫ぶなりするところであろうが、一人の男が熊に正面から立ち向かった。
当時最年少であったヘイキチである。ヘイキチこの時、なんと十歳、だが身体は一行の誰よりも大きかったと言う。
しかし、相手は熊。如何にヘイキチが同年代を超えて突出していたとはいえ、素手ではどうすることもできない。一行は皆、ヘイキチが自ら囮を買って出たのだと思った。
だが、一行の予想はいい意味で裏切られた。
熊と組み合ったヘイキチはなんと素手で突進してきた熊を押し返したのだ。
それだけでなく、暴れ狂う熊に殴る蹴るの応酬、腕をその爪で引っかかれても、噛みつかれようとも全く止まらず、怯まず、ついに観念した熊はスゴスゴと森の奥へ逃げ帰ったという。
結果、その一連の様子を見た村人から『熊倒し』とあだ名されることになった。
本人の自伝であるため、この話がどこまで本当であるかは疑問の余地が残るが、後年の彼の活躍から見るに、あながち嘘ともいい切れないのが恐ろしいところである。
もっとも詳細については後述するが、ヘイキチの自伝に事実を疑う箇所が多いのもまた確かな事ではある。
※1 ヘイキチの故郷での長さの単位。約200サンチほどだったと思われる。なお当時の成人男性の平均身長は約160サンチ
※2 戦斧のような武器だったと思われる。伝説によればヘイキチが操ったそれは、長さ4.5ミーター程もある大戦斧だったという
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