【ユレイシア貴族連合王国】邂逅(5)
「――夜か」
蛆虫に自分の腐肉を食わせたその夜、ヘイキチはフッと目を覚ました。
窓の外から聞こえてくるのは、虫の鳴き声と草花が風に吹かれる音。その音色はヘイキチに故郷の風景を思い起こさせたという。
「ふぅ……」
家の中を見回すと、サトルが机の上でろうそくで小さな明かりを灯し、静かに読み物をしていた。※1
「どうしたんだい?こんな時間に」
ヘイキチが起きたことに気づいたサトルが、読み物を止め尋ねる。
「蛆虫達はよく働いてくれたよ。君の背中の腐肉は綺麗に取り除かれた。今はとりあえず様子見だ。傷が悪化したなら再度の――」
「サトル殿」
「ん?」
「もう、次眠ったら目を覚ませるかわからんけぇ、今ここで全部言うとく。ずーと考えとった。どねーしてあんたにこの大恩を返すべきかと……」
「まだ恩になっちゃいないさ。君を助けられていないんだから」
その実に謙虚なサトルの返答に、ヘイキチは首を振る。
「死ぬるなぁ仕方ねえ。元々死は覚悟してのことじゃった。誰にも見届けられず、一人山で朽ち果て、土になる筈じゃった。なのに今、こうして人らしい治療を受けて、人らしい食事をもらい、そしてその時が来ても見届けてくれる人がおる。全部あんたのおかげだ。死に行くつもりだった男に、これ以上の大恩はねぇ」
「ヘイキチ殿……」
「……じゃけぇもしワシが死んだら、その時はワシをあんたの畑に埋めて肥やしにしてくれ」
「……はい?」
「今のワシが出来る恩返し言うたら、これ以外思いつかん」
困惑するサトルにヘイキチは穏やかな口調で話を続ける。
「それにな、ここはワシのいた国じゃねえ。叶うならワシだって故郷の土で眠りたいと思う。だがそりゃもう叶いそうにねえ。ならばせめて、ワシは同郷の者がおるこの場所で眠りたい」
「……そうか」
その言葉にサトルはゆっくり頷くと、台所から一本の酒瓶を持ってきた。
そして酒を少量杯に入れると、ヘイキチの横に置く。
「末期の水……というわけではないがな。飲んでおきたまえ。親友の商人が置いていったとっておきの一品だ。せっかく別の国にまで来たのに、地元の旨い酒の一杯も飲めずに去った、では勿体ないからね」
「はは……そりゃその通りだ。かたじけねえ。ありがたく飲ませてもらう」
そして杯を手に取るとゆっくりと味わうように酒を飲み干した。
「ああ……確かにええ酒じゃ。これだけでこの国に来て良かった思う」
「ふふ、そうか。なら良かったよ」
「あぁ、酒が入ったけぇまた眠うなってきた。すまんが、また寝させてもらう」
「ああ、おやすみ」
ヘイキチはまた眠りについた。
そしてその夜、ヘイキチは不思議な夢を見た。
以下がその自伝の記述である。
見知らぬ草原の中で自分は一人佇んでいた。
時間は夜のようで、空には無数の星が輝いている。
することもないのでしばらく星を眺めていると、その中の一つが突然強烈な輝きを放ち始め、
やがてその光が滝のようになって自分の目の前に降り注いできた。
凄まじい光は周囲を昼間に変えてしまった。よく見るとその光の中には一人の人影らしきものが見える。
そしてその人影は自分向かって語りかけてきた。
――やぁ、僕の愛しい愛しい子。会えて嬉しいよ。
「……何だおめぇは?」
――僕かい?僕は『%E7%A9%BA』
(……全く聞き取れん)
――無理に聞き取ろうとしないでいい。君たちの脳では僕たちの本名など、情報量が多すぎて雑音にしか聞こえないことだろう。まぁそもそも知る価値もないどうでもいい情報さ。
「??」
――ああ、気にしないで。とにかくこっちも色々ギリギリ……いや、完全にアウトなんだけど……とにかく危ないことをしているのでね。時間がない。率直に話そう。
「何?」
――おめでとう。僕……いやここでは君と言うべきか、君は判定に勝ったぞ。
「……は?」
――勝ったんだ。だからもう何も心配いらない。
「なんじゃ、何を言よーる?」
――これで今度こそヘイキチの本領が発揮できる。だからこれは、僕から君に捧げる個人的な祝辞なんだ。あるいは感謝かも知れない。
「さっきから訳が分からんぞ!?」
――ヘイキチ、健闘を祈る。もう手は出せないけれど、僕はちゃんと見ているからね。
「おい、待て!なんじゃ!おめぇ一体何なんじゃ!?」
意味の分からないことを一方的に言い終えると、あれほど明るかった光は一瞬で消え去った。
そして夜の草原は崩れ、自分は再び闇の中に落ちていった。
以上である。
それは夢であるのに妙に生々しく、記憶に残って頭から離れない夢であったという。
よほど不思議な経験だったのか、ヘイキチは自伝にて上記のように非常に細かく、その夢について記述をしている。※2
だがこの数日後、夢の人物の言葉通りそれまで死線を彷徨っていたヘイキチの体調が一気に快方に向かったのは事実である。
その後の経過も至って順調で、傷が塞がった翌日にはサトルの畑仕事の手伝いができるまでになっていたという。サトルの治療は見事に報われることになった。
――もっとも、あれだけ死ぬ準備をしておいて回復してしまったのだから、その時のヘイキチとサトルの気まずさは、ある意味で察するに余りある。この辺りのやり取りを想像してみると面白いかも知れないが――少なくとも筆者には想像するだけで筆舌に尽くし難い。
なお、このヘイキチの奇跡の回復については歴史的に重要な出来事として語られる事が多いが、医学的に見た場合でも非常に重要な意味を持っていた。
それは、サトルの行った治療にある。細菌というものの存在さえ知られていない当時に、サトルは明らかにそれを警戒した治療を行っていたからだ。
滅菌した蒸留水での傷口の洗浄、アルコールを使用した傷口の消毒、そして蛆虫を利用した壊死組織の除去、言わずもがなこれらは現代ですら通じる治療法である。
現在でこそ、これらの処置はその効果を証明されているが、当時は証明どころか殆ど知られてすらいない。一部では「傷口は水で洗った方が病気に罹りづらい」「傷口には蛆が湧いたほうが治りが早くなる」といったことが経験則的に知られていたが、ここまでその知識を応用しきって治療にあたった例は類を見ない。
このサトルの治療は、その後ユレイシア大陸の医者たちに多大な影響を与え、我が国の医学を百年以上押し進めたと言われる。
だが、どのようにしてアスカイ・サトルが現代からみてもほぼ的確と言えるこの治療法を確立するに至ったかについては、その過程がごっそりと抜け落ちてしまっている。医療の分野に関わらず、今後も多方面で発揮されるアスカイ・サトルの知識の出どころについては、未だ深い謎に包まれている。※3
※1 当時の紙の貴重さ、高価さを考えるならば、本ではなく木簡のようなものであったと思われる
※2 後世の創作説あり。これに限らず、後世の人間が舞台受けを狙って、予言じみた逸話を話に追加するのはよくあることである
※3 そもそもアスカイ・サトルの過去については研究が進んだ現在ですら、ヘイキチ以上に不明な点が多い。少なくともヘイキチがこの国に渡来する三年前には既にこの国に渡来していたようだ。だが、それ以前の過去については、かつて教師のようなことをやっていたという事以外、今以て殆ど不明である
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