審美眼
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春の暖かな日差しが窓から差し込む、正午過ぎの教室。生徒の多くは食事を取りながら他愛のない会話に興じている。僕――岸直倫もその例に漏れず、先程から続いている友人の取り留めのない話に真面目に耳を傾けている。
「――で、あまりにも暇だから帰りに『ゼッキョウ』のDVD借りてきて夜通しひとりで観てたんだけど、なんつーか色々もったいない作品だったな」
僕の前に座る人懐っこい笑みを湛えた男、博隆が話題に挙げたのは、一昔前に流行ったホラー映画のタイトルである。
映画の公開中に流れていたコマーシャルが怖すぎたせいで多くの苦情が寄せられ、良くも悪く話題になった作品だ。母や妹がそのコマーシャルを見るたびに目を覆っていたのを思い出す。
「最初は雰囲気あって良かったんだけど、中盤あたりからただのビックリ系っていうか、大きな音でビビらせに来てて、せっかくの雰囲気作りが台無しだった」
博隆は薄い眉毛を歪めて、さもがっかりという表情をつくる。
細い目と相まって軽薄そうな見た目をしているが、率直で誠実で、人を惹き付ける魅力がある。
小麦色の肌に引き締まった筋肉を持つ博隆は体育会系の部に所属している。
美男子ではなく、話術に長けているわけでもない博隆だが、誰にでも分け隔てなく接し、すぐ仲良くなってしまう気さくな男だった。
「あー、ビックリとかグロでゴリ押しされるホラーはずるいよね」
「えー?『ゼッキョウ』良かったよ?私、映画館で絶叫してタイトル回収したもん」
博隆の後ろから不服そうな声が挙がる。
女子にしては短めの髪にくりっとした目、端正な顔立ちとまでもは言えなくとも、愛嬌がある風貌の女の子がこちらに向かってきていた。博隆の女友達、文香だ。博隆と同じく、さっぱりとした性格で性別関係なく好かれている。
博隆と話しているのはよく見かけるが、博隆いわくただの友人ということである。先程からこちらの様子を見て話に入りたそうにしているのは直倫の視界に入っていた。自分の興味のある話題が出て、いてもたってもいられなくなったのだろう。
博隆と仲が良いのだが、僕とはあまり話すことは無い。博隆の交友関係が広いため、顔と名前程度しか知らないクラスメイトが会話に混ざることは度々あった。そうした場合、僕は会話に深く関わろうとはせず、適当に相槌を打つことに腐心していた。
「人前でよくそんなことするなぁ。男がやってたらひんしゅくを買いそうだ」
突然に話に割り込んできた第三者に、博隆は特に面食らうこともなく応える。
「叫ぶとすっきりするじゃん。むしろ私は叫ぶためにホラー観ると言っても過言じゃないよ」
話しながら文香が空いている席にトスンと腰掛ける。本来の椅子の持ち主は、今年は一度も登校していないので、こうして共用の席として扱われている。
「ふーん、そういう考え方もあるんだな」
何故か自慢げに語る文香に、博隆は特に水を差したりすることはない。このような度量の大きさも博隆が人から好かれやすい要因だと思う。
気づけば、昼休憩の時間はほとんど終わっていた。
「やべ、次のコマ移動教室じゃん。早く飯食わねーと」
博隆は左手にずっと持っていたパンの残りを口の中に強引に詰め込む。僕も弁当の残りを急いで掻き込み始めたのだった。
午後、最後の授業のチャイムが鳴ると同時に
直倫はいそいそと帰りの支度を始める。
博隆と違い僕は部活に所属していないので、一日の授業を終えるとバスに乗って真っ直ぐ家に帰る。
特にこれと言った趣味のない為、家に戻って何かに没頭するということもない。気まぐれで有名な小説を読んでみたり、授業の復習に時間を使ったりという程度であった。その分成績は中の上をキープしていたので現状に不満はなかったたが、没頭できる趣味があればどんなに楽しいだろうとは思う。
「直倫、ちょっといいか?」
帰り支度を終え、椅子から立ち上がった瞬間、博隆に声をかけられる。
「ん?」
「ちょっと頼まれてくれ。このプリント、石崎さんの家まで持って行って欲しいんだ」
「石崎って……ああ」
聞き慣れない名前に少し考え込むが、すぐにその名前に思い当たる。文香が昼休み座っていた席、休学中の女子生徒の名字が確か石崎だったか。
「いつもは俺が持って行ってるんだけど、今日は新入部員の歓迎会があってさ、遅くなりそうなんだ。場所はプリント入れてる封筒に書いてるからさ。」
(なるほどね。確かにこの時期暇そうにしてるのは僕くらいか。)
部活に所属していない僕ならば間違いなく放課後フリーである。自分に白羽の矢が立った理由はそれだろう。
「わかった」
特に断る理由もないので、二つ返事でそれを了承する。
「おう、頼んだぜ。ポストに入れといてくれるだけでいいからさ」
特に連れ立って帰る友人もいないため、ひとりで校門を抜け、帰路へ着く。実際、友人と言えるような親しい間柄は博隆くらいしか思い当たらない。それだって、社交性の塊とも言える博隆が、なぜパッとしない自分と取り立てて仲良くしているかはわからなかった。
僕の通う高校は小高い丘の上に建っている。そのため下校途中は街全体を見下ろしながら帰ることになる。景色は悪くないが、登校時やたらに長い坂を登り切る労力には見合っていないと思えてしまう。
(まぁ、僕が運動不足なだけなんたけどね……)
数分かけて長い下り坂を歩き切ると、先程見下ろしていた街の中をひとり進んでいく。
商店街には様々な店が立ち並んでいるが、人通りは少ない。たまに利用する本屋はこの商店街にある。利用客の少なさ故、欲しい本が売り切れというような事はまずないが、そもそもの品揃えが悪いのが難点である。
商店街を抜け、バス停の方角へと進んでいく。ここから先は更に人の姿が見えなくなる。最寄りのバス停はこの先、寂れた神社の前にあった。バスは一時間に一本しか通っていないので、タイミングが悪いと待ちぼうけを食らうことになる。他の生徒にもバスで通学している者はいるが、この時間帯だと一人見かけるかどうかで、後はお年寄りが何人か利用している程度である。
舗装された道を除くと、そこは手付かずの自然であり、自分の背丈ほどまで伸びた草が道路脇に立ち並んでいる。人の気配は一切なく、虫の音が聞こえるのみである。教室の喧騒との落差が、世界に一人だけ取り残されたような錯覚を呼び起こす。
バス停に着き、ベンチに座ってバスの到着を待つ。
交通量が少ないため、バスが遅れることはあまりない。
数分待つと、時刻表通りの時間にバスがやってきた。
車内を見渡すが、起きているのか寝ているのかわからない老婆がひとり、ぼんやりと座っているだけだった。
適当に目に付いた窓側の席に腰掛けると、カバンから受け取った封筒を取り出す。
石崎の住所は、意外にも自宅の近くだった。
これならば、プリントを届けた後バスを待たずとも歩いて家まで帰れそうだ。
自宅から最寄りのバス停から、ひとつ離れた停留所で降りると、
スマホから地図アプリを起動し、先程の住所を入力する。
アプリの案内に従い、目的地を目指す。
5分ほど歩いたところで石崎と書かれた表札がかかった一軒家を見つける。家自体は綺麗な外観だが、庭の手入れはあまり行き届いていないのか、花壇の花は枯れ、雑草が伸び切っていた。
玄関のドアまで歩き、傍にある郵便受けに封筒を差し込むと、くるりと踵を返す。
家の人間と鉢合わせて会話になるようなことがあれば面倒だったため、急いで敷地内から抜け出そうとしたその時だった。
上からガシャン!とガラスの割れるような音が聞こえた。
「なんだ?」
家主が皿でも割ったのだろうか。
(様子を見に行くか?中で人が倒れてたりしてたら嫌だしな……)
インターホンを鳴らしてみる。反応はない。
僕はドアノブに手をかける。どうやら鍵はかかっていないようだ。ガチャリと音を立てドアが開く。
「すみませーん!大きな音が聞こえたんですが、大丈夫ですか?」
返事はない。いよいよ心配になってくる。
さっき物音が聞こえたのは上から、つまり2階からだ。
「お邪魔しますよー!」
誰も聞いていないか可能性が高いが、一応の挨拶をすませ
玄関から見えた階段を一段ずつゆっくり登っていく。
階段を登り切った先の部屋の扉をノックして開けてみる。
誰もいない。どうやら物置部屋のようだ。
「こっちか?」
反対側に向き直り、目に入ったドアを同じようにノックしたあとゆっくりと開けていく。
(誰かいるな。何してるんだ?)
ひとりの少女が自分に背を向けて立っていた。
年齢は自分と同じくらいであろうか。夜の闇のようにどこまでも黒く艶のある髪、装飾のない黒いワンピースからは、細く白い手足が伸びている。そして、その足元には砕け散った鏡。
「誰だ」
こちらに気づいた少女がくるりとこちらに向き直る。
「その制服……うちの生徒か。何の用かは知らんが、無許可で私室まで上がり込むとはな。非常識では済まないぞ。」
僕は少女の顔に釘付けになる。
少女の白く透き通った肌は右顔に至る直前、破り取られたかのように途切れていた。
そこから続いていたのは溶けたようにだらんと垂れ下がった皮膚。筋肉に薄い皮膚が張り付き、血管から漏れ出した体液によって赤黒く反射している。溶けた皮膚は頭まで続いている。当然そこにあの艶やかな黒髪は存在せず、ボコボコとした頭皮があるだけだった。右目部分の窪んだ眼窩からは白く濁った目玉が覗いている。
(なんて――)
「綺麗……」
僕の頭に湧いた言葉は、無意識のうちに口から飛び出していた。
ここから先何も考えてないので頑張って書きます。都合合わなくなってきたらバンバン内容書き換えたいと思います。