惚れ薬
「さすがは魔法で作った道具。本当に水が湧き出てくる……」
マイアチャナの水瓶こと『井戸の女神の水瓶』が完成し、世界樹の麓へと持ち込む。
かつては池か湖があったと思われるくぼ地を見つけたので、そこへ水が流れ込むよう『井戸の女神の水瓶』を倒してみたのだが、滾々と湧き出ていた水は水瓶を倒した途端に止まってしまった。
どうやら『瓶』というだけあって、倒しては使えないようだ。
ならば、とくぼ地の底へと『井戸の女神の水瓶』を運び、再び水瓶の不思議な力を起動する。
起動方法は、水瓶の中央にあるマイアチャナの模様が持つ真珠だ。
井戸の女神マイアチャナの加護を願って真珠に触れ、そこへ魔力を送り込むと魔力が尽きるまで水が出てくるという仕組みだった。
神話の『マイアチャナの手桶』を道具として完成させた人物は、優秀な魔道具師だったのだろう。
扱いがとても簡単で、私でも扱える。
どのぐらい魔力を込めれば次の訪問まで持つだろうか、と考えても答えは出なかったので、壊れない程度の魔力を注ぐ。
その日は他にもいくつかあるくぼ地へと、他に作った『井戸の女神の水瓶』を設置して終わった。
そしてまた植物栄養剤がマジックバッグいっぱいに用意でき、次に世界樹を訪問した時には辺りの様子は一変していた。
明らかに水の溜まった池周辺だけではあったのだが、柔らかな下草が生え、地面が黒々と柔らかい。
まだ一部だけの変化だったが、疑いようのない大地の復活だ。
「……あ、でも池の底にあったら水瓶が回収できない」
水瓶が回収できなければ、他のくぼ地へ『井戸の女神の水瓶』を使いまわすことも、魔力を追加することもできない。
さて困った、とすっかり大きな池となったくぼ地の周辺で水底を見つめていると、私の視線がむくのを待っていたかのようなタイミングで、ボコリと大きな音を立てて水底から水瓶が浮かび上がってきた。
水瓶はぷかぷかと池に浮かんでいたかと思うと、風もないのにくるりと向きを変える。
そして、そのまま私の立つ方へと流れてきた。
「え? あれ?」
こんなすごい偶然なんてあるのだろうか、と呆然と瞬いていると、肩からコットンが水瓶へと飛び移る。
丸太運びの要領でくるくると器用に水瓶を回すコットンを見守っていると、その横に魚の鰭のような髪飾りをつけた小人の姿が見えた。
「……小人?」
声をかけると、驚いたのか小人は水瓶から水の中へと飛び込んでしまう。
ポチャン、と小さくも確かな音が聞こえたので、小人を見たのは見間違いではない。
その証拠のように、水瓶の陰から小さな頭がこちらの様子を窺っていた。
「えっと……水瓶を届けてくれたんだよね?」
ありがとう、と声をかけると、少しして再び小人は水瓶の上に姿を見せる。
これが小人たちとの最初の出会いだ。
コットンが通訳してくれたのだが、小人たちは世界樹の麓が復興され始めているらしいと知って、遠くの森から駆けつけてくれたらしい。
アシュヴィトは世界樹を人間から隠したと言っていたので、小人のような人間以外からは丸見えの場所にあったようだ。
水と下草が生える程度の変化ではあったが、植物の復活の兆しに小人たちも世界樹周辺での活動がしやすくなった、と復興の手伝いに来てくれたらしい。
魚の鰭をつけた小人と話しをしていると、その姿に安心したのか、他にも小人が姿を見せ始めた。
小人たちは、小さな生き物を供として連れて来たらしい。
命のない大地だったのだが、土の中にはミミズのような益虫が戻って来ているのだと教えてくれた。
普段私の目には見えないのだが、私以外にも誰かがこの場所を生き返らせようと行動を開始してくれている、という事実が単純に嬉しい。
そしてこの喜びを、壁にしか見えないアシュヴィトの足に触れながら報告をする。
グレタが石化した時に知ったのだが、石化をした生き物は、完全に心臓が止まってしまうまでは肌がほのかに温かい。
アシュヴィトの足も実際に触れてみれば石の冷たさはなく、ほのかなぬくもりを感じることができた。
「――今日は花が咲いているのを見つけました。白くて小さな花びらがいっぱいあって……ちょっと野菊に似た花です」
もっといっぱい咲くようになったら摘んできますね、と続けてアシュヴィトの足から手を離す。
近頃はこうやって、作業の終わりに石化したアシュヴィトへと話しかけるようにしていた。
いくら石化していようとも、三千年もここで一人で立ち続けているというのは、退屈に違いないと思ったからだ。
アシュヴィトが淋しいかもしれない、と話すと、小人たちも交代でアシュヴィトに話しかけるようになっていた。
石化しているアシュヴィトの気持ちは判らないが、少なくともここしばらくは退屈を感じていないはずだ。
もしかしたら、少し騒がしく思っているかもしれない。
アシュヴィトの少し迷惑そうな顔を想像したら、なんとなく楽しくなってきた。
巨大すぎて弟の方のアシュヴィトがどんな顔をしているのかは判らないのだが、兄弟と言うぐらいなのだから、アシュヴィトと似ているのだろう。
非の打ち所のない兄のアシュヴィトの美貌を浮かべ、その顔を困らせたものに変えていると、噂をすれば影とは少し違うが、そのアシュヴィトに声をかけられた。
「大分復興したね」
「アシュ様……」
まさか、たった今まであなたの困った顔を想像して楽しんでいました、などとは言えず、曖昧に微笑む。
笑って誤魔化しているつもりなのだが、同じように微笑むアシュヴィトの顔を見る限り、私の考えていたことぐらいお見通しなのかもしれない。
周辺へと目を向けてしきりに感心しているアシュヴィトに、まだまだです、と答えた。
「少し土の色が濃くなってきましたけど、池の周辺に下草が生え始めたぐらいですよ。それだって、単純に水があるから草が生えただけかもしれませんし」
「このみちゃんはそう言うけどさ、三千年も何もなかった場所だから、これは大きな変化だよ」
サボらず真面目にコツコツと復興作業を続けてくれるから、予想よりも早く復興しそうだ、とアシュヴィトは苦笑いを浮かべる。
小人を始め、小さな生き物が戻り始めているので、これからは私一人で作業を続けていた時よりも復興のスピードが上がるはずだ、と。
「……そのわりにはアシュ様が困り顔をしているような?」
復興が進むのは悪いことなのだろうか。
そんなはずはないのだが、アシュヴィトの浮かない顔を見ていると、そんな埒のない考えが浮かぶ。
世界樹を回復させ、弟のアシュヴィトを助けてほしい、と言ったのはアシュヴィトのはずなのだが、復興の兆しを見せ始めた周囲の様子に、困惑を隠せていない。
「うーん? 僕としては、世界樹の回復は喜ばしいことだし、弟も僕の予想よりも早く解放できそうで嬉しい。それは確かなんだけど……」
今の速度で復興が進めば、少し困ったことになりそうだ、と言ってアシュヴィトは笑う。
苦笑いではなく、今度ははっきりとした喜色を浮かべて。
「……まあ、それはそれで面白そうだから、いいかな? って」
「困りごとが起こるって予想できているんなら、先に教えてください」
「このみちゃんが気にすることじゃないよ」
困るのは弟の方、という言葉を聞いて、思わずはるか上空にある弟のアシュヴィトの顔を見上げる。
なんとなく顎の輪郭が見える気はするのだが、表情どころか顔つきの判別もつかない。
「そういえば、先日『石化解除薬』を作ったんですけど……」
これでアシュヴィトの石化を解除できるだろうか。
そう気になっていたことを聞いてみると、アシュヴィトはゆるく首を振った。
「方向性としては正しいけど、コカトリスの解毒薬じゃ弟には効かないかな」
「やっぱりですか。瓶がコカトリス仕様だから、どうかな? とは思っていたんですよ」
コカトリスの羽根を材料に作った『石化解除薬』では、アシュヴィトの石化は解けないらしい。
なんとなくそんな予感はしていたので、アシュヴィトからの否定もそれほどショックではなかった。
コカトリスの石化は毒によるものだったが、アシュヴィトの石化は神であるアシュヴィト本人の意思によるものだ。
解毒するようには解除できないとしても、なんら不思議はない。
「となると、神様に効くような石化解除薬なんて……まだどこかの神話でも調べてみますか?」
材料を厳選することでいくらかは効果を高めることができるかもしれないが、神に効く薬ともなれば限度がある。
薬効を高める『慈雨の奇跡』で効果を底上げしたとしても、神を癒すには足りないだろう。
「いや、方向性は間違っていないって言ったよ。方法はあってるんだ。ただ、コカトリス程度の魔力じゃ僕等には効果がないってだけで」
「ええっと……?」
「コカトリスの毒が『コカトリスの羽根』を使った『石化解除薬』で解毒できるのは、石化させているのも、その毒を消すのも、同じコカトリスだからなんだ」
コカトリスの魔力を、同じコカトリスが相殺できると考えるのは、それほど不思議はない。
コカトリスの個体差で魔力の強さも違ってくるが、ここは他の薬効成分が材料となった『コカトリスの羽根』の魔力を補強する。
コカトリスの毒を、コカトリスの羽根を使った『石化解除薬』で解毒することは可能だ。
「これがドラゴンから受けた石化の呪いだったりした場合には、コカトリスの羽根で作った『石化解除薬』では石化を解除できない。でも逆はできるんだ。石化をかけたドラゴンを素材にした『石化解除薬』でなら、コカトリスの石化の毒も解除できる」
「コカトリスよりもドラゴンの方が強いから、より強力な『石化解除薬』が作れる、ってお話ですか?」
「うん、そう」
「あれ? でも、それだと……」
神であるアシュヴィトは自ら石化したのだ。
神の力で石化したアシュヴィトを、人間の私がどうにかすることなどできるのだろうか。
神に影響を与える素材など、同じ神からしか得ることはできない、ということではないだろうか。
そう気が付いてアシュヴィトを見ると、アシュヴィトはこともなげに「その時は僕が素材を提供するよ」と言った。
自分は同じ神なので、素材になることが可能だ、と。
「……あれ? 待ってください。それだと、そもそもアシュ様にはヴィー様を助けることが可能なのでは?」
わざわざ私が頭を捻り、【異世界図書館】を開いて石化を解除する方法など探さなくとも、アシュヴィトには最初から弟を助けることができたのではないだろうか。
そう気が付かなくても良いことに気が付いてしまい、眉間に皺を寄せる。
理屈の上では私が手を貸す必要など何もないように思えるのだが、アシュヴィトは私を救い手として必要としていた。
この矛盾が繋がってくれない。
「このみちゃんが気づいたように、僕には弟の石化を解くことができる。……っていうか、弟にだって石化を解くことはできるんだよ」
そもそもとして、神が行ったことだ。
自分の身を石に変えるような真似ができるのだから、当然その逆もできる。
すべては神であるアシュヴィトの意思で行っていることなのだから。
神が「うっかり自分で石になっちゃったけど、元に戻れません。誰か助けて」だ等とは言えないだろう。
「……わたし、本当になんのために呼ばれたんですか……?」
当たり前すぎる事実にようやく気が付き、ドッと肩から力が抜ける。
どうりで、弟や世界樹の命がかかっているというのに、兄のアシュヴィトは「復興はゆとりプランで」だなどとのん気なことを言えるわけだ。
アシュヴィトには最初から焦る必要などどこにもなかったのだから。
「前にも話したと思うけど、僕は世界樹が倒れるのはネクベデーヴァに住む人間のせいだと思っているから、どうでもいいんだ。でも弟はそうは思っていないみたいだからね」
弟のアシュヴィトは人間に対して怒ってはいるが、それでもネクベデーヴァという世界そのものを滅ぼしたいとは思っていないようで、世界樹を支えることを選んだ。
三千年支えてもその考えは変わらないようで、今でも自分の意思で石化を解くことなく世界樹を支えている。
そして、そんな弟の石化をアシュヴィトが解いたとしても、弟は再び石化して世界樹を支えることを選ぶだろう、とアシュヴィトは言う。
アシュヴィトが弟の石化を解くことには、なんの意味もないのだ、と。
「世界樹を支える必要がなくなれば、弟も石化を解くと思うんだけど……」
「はい、わかりました。世界樹が倒れかけているのはネクベデーヴァの人間のせいだから、アシュ様が世界樹を癒す気はないんですね」
「うん、その通り! 折衷案として、ネクベデーヴァとは関係のないこのみちゃんが世界樹を癒すのは、僕がネクベデーヴァの世界樹を癒したことにはならないからいいかな? って」
私をネクベデーヴァへ連れて来たのはアシュヴィトになるのだが、そこは目的が弟のため、ということでアシュヴィトの中では問題にならないらしい。
ネクベデーヴァの世界樹のための私ではなく、弟のための私ということだ。
「……アシュ様って、やっぱり変なところで天邪鬼ですよね」
「そうは言っても、ここは譲れない一線だよ。弟のためなら少しぐらい動いてもいいけど、ネクベデーヴァの人間のためには指一本動かしたくない」
それがネクベデーヴァの人間がしでかしたことへの、アシュヴィトなりの神罰なのだろう。
その神罰を弟のアシュヴィトが一人で受けているようなものなので、ネクベデーヴァの人間にとっては痛くも痒くもないところがなんとも言えない。
世界樹についてが多くの人間の中から忘れ去られている今のネクベデーヴァでは、罰が罰として機能していないのだ。
「『コカトリスの羽根』の変わりになるものは、そのうちメイにでも持たせて送るよ」
「そのうち、ですか?」
「今のこのみちゃんに持たせるのは危険だからね。このみちゃんの体は魔力的には頑丈に作ってあるけど、それでもまだ神の体の一部を素材として扱うにはレベルが足りないかな?」
神の一部を素材として扱うには、まだ私の魔力が足りないらしい。
人間としておかしいレベルに魔力があるとは思っていたのだが、それでも神と比べればまだまだ人間よりだったようだ。
というよりも、最初から弟のアシュヴィトを救うために私は用意されている。
私の体は神を素材として扱えるよう、高いポテンシャルを秘めて作られたのだろう。
いずれにせよ、アシュヴィトの石化を解ける石化解除薬が出来たとしても、すぐにこれを使うことはできないようだ。
弟のアシュヴィトは長く心臓を止めていたため、石化を解いても心臓が動かない可能性があるらしい。
「……心臓が止まってるって、それ完全に死んでいませんか?」
「人間なら死んでるかもしれないけど、弟は僕と同じように神だからね。心臓が止まったぐらいじゃ死なないよ」
なんだったら心臓を取り出しても動ける、というのはまた日本のゲームか漫画のネタだろう。
神にとっては、心臓などただの飾りらしい。
ただし、飾りと言っても今纏っている肉の体はやはり血を体の隅々まで行き渡らせる必要があるので、心臓が動かなければ困ったことになるようだ。
肉の体は、やはり腐る。
神であるアシュヴィトたちは体を捨てるか取り替えるか、作り直すかとできるそうなのだが、だからといって今使っている肉の体を放置もできなかった。
「心臓を動かす方法は僕の方でも探してみるから、このみちゃんは自分のレベル上げと、僕に負けない素材を探しておいてくれないかな?」
アシュヴィトを素材とした場合、神であるアシュヴィトと存在のつり合う素材でしか、調合は成功し難い。
高級なお肉を用意したとしても、肉の焼き方を知らない一般の主婦が焼いたステーキでは、高級肉が十分にポテンシャルを発揮できないのと同じだ。
アシュヴィトの持つ魔力――むしろ神力――が強すぎて、私程度の魔力では調合を行うことが困難だったし、合わせられることになる材料が纏まるはずもない。
みんなアシュヴィトの神力に負けてしまうのだ。
「……まだまだ先は長そうですね」
アシュヴィトの神力に負けない素材探しと、私のレベル上げと。
地道に調合を続けているので、私のレベルはいつか要求水準に達するかもしれないが、アシュヴィトとつり合う素材探しとなれば、ルズベリーの街周辺では限度があるだろう。
植物栄養剤の素材を集めようと、行動範囲を広げるのはやはり必要なことだったのだ。
「十年ぐらいかかっても全然平気だよ。三千年立ちっぱなしだからね。もう十年ぐらい、誤差の範囲だよ」
「神様にとって十年は誤差かもしれませんけど、人間の十年は大きいです」
特に今は私の年齢が十五歳に引き下げられたので、十年という期間は大きい。
十五歳はこれから花咲く年齢かもしれないが、二十五歳と言えばそろそろ『オバサン』と罵倒を受け始める年齢だ。
五十五歳と四十五歳なら扱われ方に大差はないかもしれないが、今度は体の節々に違和感が現れる年齢である。
人間の十年は、神の十年とは重みが違う。
……本当に、先は長そうだな。
リナとグレタへ護衛依頼を出し、転移の方法については口止めをしてルズベリーの街以外へも顔を出す。
ルズベリーの街以外へと出かけるようになって判ったのだが、ルズベリーの街は本当に治安の良い街だ。
ルズベリーの街では私一人で路地を歩いても不審者に後を付けられることも、二、三でつるんだ男に声をかけられることもないのだが、他の街は違った。
リナとグレタと歩いていても後を付けられるし、女の子だけだから不味いのかと護衛にオレクを入れても不審者に後を付けられたことがある。
どうやら年齢的に『カモ』と見なされるようだ。
加えるのなら、噂の魔法薬を売りに来た魔法薬師ということで、お金を持っているとも思われていた。
……まあ、街の城門を出てから襲ってきた人を撃退したら、二度と姿を見せなくなったけどね。
街の外なら遠慮はいらないか、と魔法の練習を兼ねて襲撃者を撃退したところ、やはりやりすぎたらしい。
襲撃者は城門を守る兵士へと突き出してやったが、その時の兵士の感想が「お嬢ちゃんが護衛を連れているのは、最大限の手加減だな」だった。
どうやら、護衛であるリナやグレタに撃退される方が、襲撃者的に痛い目を見なくて良い、という意味らしい。
少々どころではなく失礼な話だ。
少しのいざこざはあったものの、少しずつ他の街へも馴染み始める。
各街の冒険者ギルドへと採取依頼を出したおかげで、植物栄養剤の材料となるネルオー草も順調に集められた。
私の活動範囲が広がったことで他の素材も集まり、集まった素材で調合を行い、それを冒険者ギルドへと売ってお金にする。
できたお金でまた採取依頼を出し、ネルオー草を集める。
近頃は交易の真似事をして、需要と供給を意識して売る薬の量や種類を調整し始めた。
おかげで採取依頼の報酬に困ることはない。
「こんなにネルオー草ばっか集めて、なんに使うんだ?」
「顧客の事情に首を突っ込むのって、ギルドのマナー的にどうなんですか?」
採取依頼の成果としてネルオー草を冒険者ギルドの窓口で受け取り、マジックバッグへとネルオー草を詰めていると、ギルドの男性職員にこんなことを聞かれた。
やはり、これだけ大量にネルオー草の採取を依頼として出していると、何に使うのかというのは気になるのだろう。
この質問を受けるのは、ほぼ通過儀礼のようなものだ。
どこの街でも聞かれる。
「知ってのとおり、わたしは魔力の扱いが苦手なんですよ。失敗が多いから、材料もいっぱい必要になってくるんです」
以前城門の外で襲撃を受け、やりすぎた反撃をしたという話は冒険者ギルドへも知られていた。
大技は得意だが、小技は苦手。
下手に手を出したら火傷ではすまない反撃を食らわせてくる魔法使い、というのが私の認識らしい。
ルズベリーの街では護衛が必要な魔法薬師と思われているが、ここでの私の扱いは『触るな危険』である。
失礼な話だとは思うのだが、これのおかげで妙な粉をかけられることはなくなったので、よしとしておいた。
引き続きネルオー草の採取依頼を出して冒険者ギルドをあとにする。
なにか美味しいものでも食べて帰ろうかとリナたちと相談していると、背後から少年特有の甲高い声で呼び止められた。
「おまえが近頃評判の魔法薬を売りに来るという冒険者だな!? 僕が呼んでいるのに、何故来ないっ!?」
「ええっと……?」
びしっと私を指差して凄んでいるのは、栗色の癖毛が可愛らしいと思えなくもないぽっちゃりとした男の子だ。
着ている物の仕立てが良いので、お坊ちゃまなのだろう。
背後に控えた老紳士が、なんとも申し訳なさそうな顔をしていた。
「……どなたですか? この街に私を呼ぶような友人も知人もまだいないはずですが」
「おまえ、冒険者のくせにそんなことも知らないのか! 僕がおまえに指名依頼を出してやったんだ! すぐに屋敷まで飛んで来いっ!」
「……あ、はい。わかりました。知人でも友人でもない、どこかのお子様ですね」
「どこかのお子様ではない! 僕はペッチーチェク家の嫡子ヴィーテク・ペッチーチェクだぞ!」
「ごめんなさい。わたしは最近この街へ顔を出すようになったので、ペッチーチェク家というお家がどんなお家なのかも存じておりません」
説明をお願いします、とヴィーテクと名乗る少年の頭越しに背後の老紳士へと視線を向ける。
初対面の貴族と思われる少年に、いきなりの罵倒を受ける覚えなど私にはない。
老紳士は少年の家に仕える執事であると名乗ると、少年の言葉を要約してくれた。
どうやら、近頃街で評判になっている魔法薬の存在を知り、魔法薬を街へ売りに来る私を館へと呼びつけようとして冒険者ギルドへと指名依頼を出して断られたそうだ。
冒険者ギルドとしては、受けられない依頼を断っただけなのだが、ヴィーテクは私が依頼を断ったと受け取ったらしい。
ここで一つ、誤解が生まれている。
「……まず、ヴィーテク君の指名依頼とやらは、わたしのところへは来ていませんね」
「なにぃ!? ギルドめ! 僕の依頼を断るだなんて、どういうつもりだ!」
ギルドの理念に反する、とヴィーテクは憤慨しているが、これもやはり誤解だ。
冒険者ギルドには『困っている民を助ける』という理念が盛り込まれており、冒険者として登録したものはこれを了承したこととなる。
そのため、よほどのことがない限りは、冒険者ギルドへと出された依頼を断ることはできない。
それが指名された物ともなれば、なおさらだ。
こんな前提があるからこそ、ヴィーテクは初対面の私に対して罵倒を行ったのだろう。
指名したのに依頼を断った、冒険者ギルドの理念に反する、と。
「誤解しているみたいなので訂正させていただきますけど、ギルドは理念に反した行動はしていません。指名依頼が受理されるのは、冒険者に対してだけです」
「されなかったではないか!」
「……わたしは冒険者ではありませんから、冒険者ギルドにわたし宛の指名依頼を出したところで、依頼として受理されるはずがありません」
ルズベリーの街以外では『魔法使い』と認識されている私だったが、実体は違う。
魔法薬師と認識され、魔法薬を時々街へ売りに来るのが私だ。
たまに護衛を雇って自分の足で採取に出かけたりもするが、私自身は冒険者ギルドに登録した『冒険者』ではない。
冒険者ギルドの理念で私を縛ることなど不可能なのだ。
「……では、本当に冒険者ではないのだな?」
「はい。ちょっと便利な薬を売っている……薬売りでしょうか?」
なにか薬がご入り用ですか、とようやく落ち着いたらしいヴィーテクと改めて向き合う。
色々誤解はあったようだが、魔法薬を売っている私に用があるということは、薬がほしいのだろう。
物によっては、ヴィーテクの希望に添うかもしれない。
「…………い」
「はい? 聞こえませんでした。もう一度お願いします」
「……が、……い」
「すみません。もう一度」
最初の勢いが消えたヴィーテクの声は、非常に小さくて聞き取りにくかった。
わざとやっているわけではないのだが、何度も同じことを聞き返されたヴィーテクはからかわれていると思ったようだ。
ムッと眉を寄せたかと思うと、声を拾い取ろうと耳を寄せていた私に向かって大声を出した。
「惚れ薬が欲しい、と言っているんだっ!!」
咄嗟に耳を塞いだため鼓膜は破れなかったようだが、頭がくらくらとする。
ヴィーテクの行動に慌てて彼を押さえつけた老紳士の口からは『触るな危険』『百倍返しの魔女』という単語が出ていたので、この街での私の評判を知っているのだろう。
子どものしたことですのでどうか寛大な心で仕返しは同程度に留めてほしい、と老紳士はヴィーテクの頭を手で押さえつけて平身低頭私へ謝罪する。
……私って、そこまで恐れられてたの……?
さすがに老紳士のこの反応はショックだ。
まさか、ここまで自分が恐れられているとは思わなかった。
「とりあえず、惚れ薬が欲しい、というのは?」
謝り続ける老紳士を落ち着かせ、ヴィーテクに話の続きを促す。
いつまでも道の真ん中で貴族と思われる少年の頭を押さえつける老紳士と、その二人に謝罪されている私という図は、あまりよろしくない。
ただでさえこの街では妙に恐れられているようなので、これ以上街の住民から遠巻きにはされたくなかった。
「惚れ薬が欲しいというのだから、目的など決まっているだろう!」
おまえば馬鹿か? と胸を張るヴィーテクの頭を老紳士が再び押さえつける。
そこまでされなくても子どものすることだし、とそれほど怒りはしないのだが、老紳士の中での私の評価が気になった。
「好きな女の子は、努力して自分で振り向かせましょう」
薬に頼ったら駄目ですよ、と続けると、ヴィーテクは唇を尖らせる。
努力はすでにしたあとだ、と。
「努力の結果、嫌われた。なんなんだ、あの馬鹿女は! 僕がせっかく一緒に遊んでやる、と言っているのに!」
「嫌われていると自覚があるのなら、潔く諦めましょう。そちらの方がその女の子のためになります」
「そのための惚れ薬だろう。いいから、僕に惚れ薬を売れ」
知っているぞ、と続けるヴィーテクは嫌な笑みを浮かべた。
なにぶん子どもの作った表情なので滑稽で可愛らしくはあるのだが、映画で悪役が浮かべるようないやらしい笑みだ。
「おまえ、なにか草を大量に集めているらしいな」
「ネルオー草のことですか? それなら確かに……採取依頼を出して集めていますね」
それがどうかしましたか、と続きを促すと、ヴィーテクが女の子に嫌われたという理由がすぐに理解できた。
これは女の子でなくともヴィーテクと付き合いたいとは思わないだろう。
「僕に惚れ薬をくれなかったら、おまえの採取依頼の三倍の報酬で同じ依頼を出してやるっ! そしたら僕の依頼に冒険者が群がって、おまえの欲しがってる草なんて集まらないだろう!」
目当てのネルオー草が集まらなくて困ればいい、と自信満々な表情で宣言するヴィーテクに、背後の老紳士から表情というものが消えた。
冷や汗すらもう出てこないのか、真っ青な顔をしている。
そろそろ酸欠を心配した方がいいかもしれない。
「……もしかしなくても、同じことを気になる女の子にして嫌われませんでしたか?」
「ち、違うぞっ! あいつにそんなことしてない! 一緒に遊ぼう、って言ったら、お手伝いがあるから遊べないって言ったんだ! だから……」
だから、女の子が手伝っている家の商品を全部買い取ったらしい。
売るものがなくなったのだから、手伝いをする必要などないだろう、と。
ところが、女の子の手伝いはなくらなかった。
店の商品を貴族の子どもが買占め、本来それらを必要とするはずの人間の手に渡らなくなってしまった。
そのため、商品を新たに取り寄せ、店に並べる必要がでてきたのだ。
店としてはなくなった商品を補充するという当然の流れだったが、ヴィーテクはこれを逆恨みした。
女の子の父親が、自分と女の子を遊ばせたくないために意地悪をして仕事を増やしたのだ、と。
……そして今度は商品を卸す商人に圧力をかけて、女の子の店に商品が並ばないようにした、と。
可愛らしいのは『女の子と一緒に遊びたかった』『お手伝いを無くしてあげようとした』というヴィーテクの少年らしい単純な主張だけだった。
蓋を開けてみる、もしくは第三者の視点からしてみれば、ただの貴族からの理不尽な嫌がらせでしかない。
店の商品をすべて買い占めたかと思えば、今度は新たな商品が店に届かないよう方々へと圧力をかけたのだから。
「……薬を使って惚れさせたいぐらい好きな女の子なんですよね? 困らせてどうするんですか」
「今さら言うなっ! もう完全に怒ってて、話しもしてくれない」
「それはそうですよ。そこまで徹底的に店を潰そうと嫌がらせをしたら、その家の子どもならヴィーテク君とは口も利きたくないと思いますよ」
「うっ……」
誰も指摘してくれなかったのか、自分でも薄々気が付いていたのか、私の指摘にヴィーテクの黒い瞳がうるりと揺らぐ。
あ、まずい、と思った時にはあとの祭だ。
ヴィーテクは往来の真ん中だというのに、大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。
……泣く子どもには勝てなかったよ!
私の指摘に、ヴィーテクはようやく自分が女の子に対して行った暴挙を理解したらしい。
わんわんと泣き叫ぶヴィーテクを、老紳士が馬車へ押し込んだまでは良かったのだが、ヴィーテクはしっかり私のスカートを掴んでいた。
自分の要求を聞くまでは逃してなるものか、と。
……あのしつこさが女の子に嫌われるんだと思うんだけど。
なにはともあれ、泣く子どもには勝てなかった。
何か女の子と仲直りできる策はないかと、調べる約束をしてしまったのだ。
「ねー、このみってさ。本当に惚れ薬とか、作れるの?」
「作ったことはないけど……作り方の載っている本は知ってるかな。グレタは惚れ薬に興味があるの?」
転移の仕掛けをつかって家へ戻ると、門の前でグレタが惚れ薬について聞いてきた。
ヴィーテクの要求どおり、惚れ薬を作るつもりか、と。
「や、私は興味ないんだけどさ……ほら、リナには必要かなぁ? って」
「もう、私のせいにして! グレタが欲しいだけじゃない!」
わざわざ話を蒸し返してきたので、グレタは惚れ薬に興味があるのか、と聞き返したら矛先がリナへと向けられた。
そのリナは、即座にグレタへと矛先を変えている。
さすがは幼馴染と言うべきか、お互いの恋愛事情が筒抜けのようだ。
……さて、一応調べるぐらいはしようかな?
どうやら想い人がいるらしい二人と別れ、【異世界図書館】を開く。
惚れ薬を用意してやるのは違う気がするので、必要なのはヴィーテクが素直に謝ることができる薬だろうか。
それで女の子がヴィーテクを許すという保障はないが、誠心誠意謝っても許されなければ、さすがのヴィーテクも自覚するだろう。
これでさらに逆恨みをしようものなら、惚れ薬を作ってその辺の野良犬でも惚れさせて女の子への興味を逸らしてやればいい。
貴族の家の嫡子とは聞いたが、末っ子で甘やかされていると老紳士は言っていたので、異性に興味がなくなっても困らないだろう。
そもそもが、惚れ薬を欲しがったのはヴィーテクだ。
自分が薬を飲まされる側になる覚悟はあるだろう。
「素直に謝れる薬より、まず大嫌いで顔も見たくない相手の謝罪を聞いてもいいか、って気になる薬が必要なんじゃあ?」
気を休めるリラックス効果のある香でもないだろうか、と【異世界図書館】を調べていると、探していたわけではないが『惚れ薬』の項目を見つけてしまった。
なんとなしに読んでしまったのだが、他意はない。
「なんというか……意外に? 種類があるね」
【異世界図書館】はあらゆる世界の本が読める、というアシュヴィトがくれた加護だ。
そのため『惚れ薬』と一言でいっても、何種類もの『惚れ薬』の処方箋が存在した。
ひと目で恋に落ちる代わりに一瞬で覚めるもの、逆に効果が一生消えないもの、略奪婚を想定として一ヶ月間効果が続くもの、惚れ薬というよりは催淫剤、と実に様々だ。
……時間制限付きって言うんなら、惚れ薬もいいかもね?
対象を妊娠させることを目的として効果が一ヶ月続くものは論外だったが、一瞬で惚れてしまうがそれだけの効果という薬は使える気がする。
この薬は、最初のきっかけを薬が作ってくれるだけで、恋して惚れさせた相手が自分を好きでいつづけてくれるかどうかは、結局自分次第だ。
ある意味で、減点方式のスタートラインに立てるだけ、とも言えるだろう。
……っていうか、すごいな。惚れ薬だけで、一体何種類あるんだろう?
一瞬好きになるだけならば使えそうだ、とつい興味を持って『惚れ薬』の項目を読み込む。
効果時間で処方箋を探してみると、一瞬、五分、十分、三十分、一時間、半日、一日、一週間、と本当に数が多い。
それだけ『惚れ薬』というものには浪漫が込められていたのだろう。
……私のレベルも上げとかないと、だしね?
魔が差した、としか言いようがない。
丁度材料が揃っていたのだから、仕方がない。
処方箋によると、それほど手間もかからないらしいことも私の背中を押した。
「――そんなわけで、好奇心には勝てませんでした」
惚れ薬を作っちゃったけど、どうしよう? と後日別の街へ出した採取依頼の回収のため、護衛として待ち合わせていたリナとグレタの目の前へと作ってしまった『惚れ薬』を提示する。
二人揃って好奇心で目を輝かせたので、私と共犯になってくれるだろう。
「さすがに『惚れ薬』は、ギルドへ『効果を確認してください』なんて依頼は出せない気がするんです」
「これは……さすがに、ねぇ?」
傷薬や解毒薬の試薬であれば依頼として出せるが、さすがに『惚れ薬』はどうなのだろう。
効果がなければ問題にならないが、想定した時間で効果が切れなかった場合には目も当てられない惨状になる。
これは申し訳なさ過ぎて、人体実験はできそうにない。
「一応、効果時間は一瞬だけのはずなんだけど……」
「効果が想定どおりに切れてくれないと、実験に付き合ってくれた人が困りそうだね……」
どうしたものか、とリナと首を捻っている横で、グレタがポンと手を叩く。
『惚れ薬』を飲ませるのに丁度いい人物がいる、と。
「イサークの奴に飲ませて試そうよ!」
「や、知人で実験するってどうなの? グレタ的にはいいの?」
「いいって、いいて。イサークってば、いつもリナに暴言ばっか言うんだもん」
たまにはメロメロに臭い台詞でも吐かせて、あとでからかってやろう、というのがグレタの企みだ。
どうやらグレタの中で標的の片割れにされているらしいリナとしてはどうなのだろう、と視線を向けると、リナはそっと目を逸らした。
目を逸らしてはいるのだが、拒絶の言葉は出てこないので、少しは興味があるのだろう。
……や、でも、知人に一服盛るってどうなんだろう?
「……というわけで、実験台になってください」
だまし討ちは気が引けるので、イサークへは「新しく作った薬を試してほしい」と正直に話した。
普段ならここでどんな効能のある薬なのか、と説明を求められるのだが、グレタとリナの迫力に飲まれたのか、イサークからは何もない。
ただ、二人の剣幕に「何かある」とは思ったようだ。
危険がないことだけは確認されたので、効果は一瞬で消えるはずである、とまで説明した。
「……で、結局なんの薬だったんだ?」
リナとグレタの熱い視線を受けながらも『惚れ薬』を飲み干したイサークは、普段とまるで様子が変わらない。
イサークが喉を鳴らして『惚れ薬』を飲み込んだタイミングでグレタがリナをイサークの目の前へと突き出したのだが、本当になんの変化もなかった。
普段とまるで変わらないイサークだ。
「えー? 何の変化もなし? このみの薬でも失敗することってあるんだね」
「そう……だね……。失敗……失敗かぁ……」
「効果時間が短すぎて判らなかったとか?」
がっかり、と急速に興味を失っていくグレタと、こちらも何故かがっかりと肩を落としているリナが対照的だった。
グレタの反応はわかるのだが、リナの反応はわからない。
『惚れ薬』に興味を持っていたように見えたのだが、普段からキツイ物言いのイサークから仮に惚れられたとして、彼女は嬉しかったのだろうか。
「効果時間は一瞬だけ、の『惚れ薬』のはずだったんだけど……失敗だったみたいです」
『惚れ薬』から興味を失い、次の仕事を求めて冒険者ギルドの窓口へと向かう二人を見送る。
どういった薬であったかを知ったイサークはというと、少しは怒るかと思っていたのだが、なんとも言えない苦笑いを浮かべた。
「それは、試す相手が悪かったな。おまえの失敗は、俺に『惚れ薬』を飲ませて、リナを見せたことだ」
「……あれ? それって」
イサークに『惚れ薬』を飲ませ、一瞬だけリナに惚れさせようとした。
それ自体が失敗だったらしい。
この場合の『失敗』は、『惚れ薬の効果が確認できない』ということだ。
「……普段のあれそれが、とても好きな女の子に対するものだとは思えないのですが」
「俺の口が悪い、って自覚はある」
自覚はあるが、イサークは元からリナに惚れていたらしい。
すでに惚れているリナに対し、今さら『惚れ薬』を飲んで『惚れ直した』ところでイサークの態度が変わるわけがなかった。
最初から惚れている状態でコレなのだから。
「……おまえさ、『惚れ薬』なんてモンが作れるんなら、素直になれる薬とかはないのか?」
「ちょうど作ろうと思っていた薬ですけど……」
それこそ自分で努力してリナを口説いてくれ、と言ってみる。
イサークは口は少し悪いかもしれないが、妹に優しい良い兄だ。
リナのことも大切にしてくれるだろう、と考えて気が付いた。
イサークの口の悪さは、内容を思い返してみればすべて相手を思っての発言である。
グレタは「イサークはリナに暴言ばかり」と言っていたが、裏を返せば「常にリナを気にかけている」ということだったのだろう。
……あれ? でもリナって、イサークに『惚れ薬』を使うことには協力的だったような?
気が付いてしまえば、続きは考えるのが馬鹿らしくなってきた。
イサークとリナはお互いに思い合っており、イサークがもう少し言葉を柔らかくできれば話はすぐにでも纏まるだろう。
私が特別に何かをしかける必要はない。
『惚れ薬』など、リナには最初から必要がなかったのだ。
『惚れ薬』はやはり邪道だ、ということで、当初の予定通り『素直になれる薬』を作成する。
『白烏の妙薬』というのが正式名称なのだが、ここは判りやすく『素直になれる薬』で良い。
本来の用途は自白剤らしいのだが、副作用や中毒性はないという記載に惹かれた。
処方箋の説明文を柔らかく装飾するのなら「心のうちを素直に吐露できる、リラックス効果の高い薬」だ。
「――帰ってっ!」
さあ、薬が完成したぞ、とヴィーテクの屋敷を訪ね、そのまま彼を拉致して問題の女の子の家を訪ねる。
私の行動が少々アグレッシブなのは、今回の試薬は私自身で行ったからだ。
どう考えても被害者でしかない女の子に対し、ストーカー予備軍であるヴィーテクに手を貸す、ということへの罪悪感から、『素直になる薬』を飲んだ。
今の私の行動は、『やりたくない仕事は早く終わらせるに限る』だった。
「アンタの顔なんて見たくないっ! 帰ってっ! 早く帰ってよっ!」
女の子からの拒絶は激しい。
丁度店番をしていた女の子は、最初私の顔を見て商品がないのだとすまなそうに頭を下げ、すぐに私が襟首を掴んで連れて来たヴィーテクの気が付いた。
あとは、先の台詞に繋がる。
ヴィーテクの顔を見るやいなや、女の子は店番という仮面を脱ぎ捨てて憤怒の形相でヴィーテクを睨みつけていた。
「こんな彼でも、一応はこれまでの意地悪の数々を反省しているようなので、一度話だけでも聞いてあげてください」
「話なんて聞きたくないっ!」
「ですよねー」
一応のフォローを入れてみるのだが、ヴィーテクの首根を捕まえた私を女の子はヴィーテクの仲間だと判断したようだ。
私に対しても言葉がきつくなり始めていて、私としては少し不本意である。
気持ち的には一方的な被害者である女の子の側に立っているつもりなので、ヴィーテクを擁護してやる必要性も感じていないのだ。
「おまえ! どっちの味方だっ!?」
「え? どちらかと言えば、当然被害者の女の子の味方ですよ?」
何故加害者の味方だと思っているのか、と加害者であるヴィーテクを見下ろす。
少しでもヴィーテクに同情し、味方であるつもりであるのなら、もう少し彼の扱いは丁寧であっただろう。
今の私は試薬した『素直になれる薬』の効果で、普段は飲み込む本音が全開だった。
「都合よく忘れているようだけど、わたしは往来で女の子と仲直りをしたい、とわんわん泣き喚いたどこかのお坊ちゃまのわがままにつき合わされているだけです」
採取依頼を妨害してやる、という脅迫も受けていましたね、と続けると、女の子の視線から私への敵意が消える。
どうやら自分たちの家と同じようにヴィーテクから嫌がらせを受け、無理矢理協力させられている、と理解してくれたようだ。
「依頼の『惚れ薬』とは違いますが、『素直になれる薬』を作ってきましたので、これで誠心誠意謝って、それでも許してもらえなかったら綺麗さっぱり諦めましょう」
それが女の子のためにヴィーテクができる唯一のことである、と止めを刺す。
女の子へは、どうしてもヴィーテクを許せなければ私がなんとかするので、とにかく最後に謝罪だけでも聞いてあげてほしい、とお願いした。
ヴィーテクはこのあと、女の子に謝罪が受け入れられなかった場合には野良犬か無機物相手に惚れ薬を飲んでもらうことにする。
わがままでこれだけ他者を振り回しているのだから、そのぐらいの覚悟はあるだろう。
『百倍返しの魔女』だなどと揶揄されているらしい私を頼ったのだから。
ヴィーテクは対処できると宣言したからか、女の子はヴィーテクの謝罪だけは聞いてくれる気になったようだ。
『素直になれる薬』を飲んでのヴィーテクの謝罪は、聞けば聞くほどひどい内容だった。
ヴィーテクが女の子とその家族に対して行ったことは、店への嫌がらせだけではなかったのだ。
これだけされれば、いくら『子どもがしたこと』とはいえ、女の子の側もその『子ども』であるため、関係の修復は不可能だと思われる。
……自覚がないって怖いね。
貴族としての自覚、人を動かせる立場にある人間としての自覚、それら様々なものが足りず、ヴィーテクは今回の騒動を引き起こしたのだ。
必要なのは『惚れ薬』や『素直になれる薬』といった便利な薬ではなく、自覚だ。
自分が軽い気持ちで命じたことが、誰かにとってどういう結果を招くか。
それを自覚し、貴族としての自分を戒めることからヴィーテクは学ばなければならないだろう。
……まあ、今回振られても、野良犬相手に惚れ薬は許してあげよう。
ヴィーテクの初恋はすでに修復不可能なところまで来ている気がするが。
女の子への真摯な謝罪を横で聞いている分には、この謝罪が本気で、今回の失敗を次へ行かせるのならば、良い貴族になれるかもしれない。
そんな期待も込めて、『惚れ薬』の刑は許してあげようと思った。