救出の算段
オレクは冒険者ギルドへ、きちんと「過剰な護衛は要らない」と伝えてくれたようだ。
念のため、転移する前にコットンへ街道脇に誰かいるかと確認するようになったのだが、今のところは誰かが待ち伏せていたことはない。
冒険者ギルドとの関係は、いたって良好なものと言えるだろう。
時折ルズベリーの街へと出かけて薬を売り、目に付いた材料や機材を買い揃える。
それらで新たな薬を作ったり、効能を上げたりとして、またルズベリーの街へと売りに行く。
最初は歳の近いオレクたちぐらいとしか交流を持てなかったのだが、街の外へと護衛を雇って自分の足で採取に出かけるようになると、必然的に他の冒険者とも話をするようになった。
素材のある場所によっては私自身は外へ出ず、依頼を出して集めて来てもらったりもしている。
不定期に街へ顔を出しているだけではあったが、大分ルズベリーの街に馴染んできたのではないだろうか。
「……そろそろ異世界での生活にも慣れてきた気がする」
友人も知人も増えたし、作れる薬の種類も増えた。
メイの料理のレパートリーは相変わらずアニメや漫画に出てくるメニューだったが、アレンジするということを覚えてきたようで、アニメでの姿そのままで食卓に上ることは減っている。
スライスした堅い黒パンに焼き溶かしたチーズが載ったパンは確かに美味しかったが、味付けがこれだけではさすがに物足りなすぎた。
アレンジとして胡椒が加えられるようになっただけでも、大きな進歩である。
まったりと過ごしたこの半年を思い返し、仲良くなったグレタとリナの顔を思いだしたところで、地球にいる原本の私について思いだしてしまった。
さすがに半年も離れているとまったく同じ自分だとは思えず、魂の双子だとか、趣味の共通した友人のような気持ちになっている。
それは原本の方も同じだったようで、彼女は私に容赦というか遠慮がない。
趣味も性癖も、何もかもが一致する私を、都合の良い外付けHDDとでも考えることにしたようで、先日アシュヴィトを通して私を呼び出したかと思うと、薄い本の原稿を手伝わされた。
肉体年齢は未成年なので、と黒い海苔が乱舞する原稿の手伝いをやんわり断ったのだが、精神年齢は二十歳すぎだ、と小中学生の言い訳のような宣言の下に右から左へと聞き流されてしまう。
まあ、原本のこのみとしては、一日が四十八時間にはならなかったが、もう一人の自分がいて会社で働いている時間に原稿をしてくれないかな、という妄想が叶ったようなものなので仕方がないのかもしれない。
アシュヴィトを通じて好みの薄い本を送って来てくれたり、たまに家族が恋しくて里帰りした時などは私の買い物へと付き合ってくれたりもしているので、お互い様という面もあった。
……そしてメイは漫画飯の他にトーン張りと背景処理を覚えました。
アシュヴィトにいたっては、デジタルでの原稿処理は完璧に覚えたらしい。
その技術をどこで披露するつもりなのか、と考えが逸れたところで思考を切り替える。
「そろそろアシュ様からの依頼に取り掛かりたいと思うんだけど……何から手を付けたらいいと思う?」
有効な答えがあるとは思えないのだが、なんとなく肩の上のコットンへと話かける。
話しかけられたコットンは可愛らしく首を傾げると、アシュヴィトに相談するべきだ、と答えた。
「……メールで答えてくれるかな?」
「ちがう。このみ、そろそろ、じぶんからあいにいく。いける」
「会いに行くって……アシュ様に? メールで聞いた方が早いと思うけど、会いに行くの? どうやって?」
「そのためのぼく」
任せて、とコットンは誇らしげに胸を逸らしたあと、携帯端末を出すようにと言い始める。
この便利な携帯端末には、神様に会いに行く機能まで付いているのだろうか、と手にした携帯端末を見下ろしていたのだが、コットンからは普通に【異世界図書館】でレシピを調べ始めるようにと言われてしまった。
どうやら【異世界図書館】で道具を作り、それを使ってアシュヴィトに会いに行くようだ。
「けんさくして。しんわのアシュさま。にんげんのおとこが、アシュさまにあったしんわ」
「えっと……神話、アシュヴィト、人間の男、でいいかな? あ、出てきた。これ?」
コットンが神話と言ったように、内容としてはいたってシンプルな物語が検索結果に表示される。
人間の男がアシュヴィトの娘に恋をして、結婚の許しを得ようと神の国を目指す物語だ。
そこで男は様々な冒険をし、その最中にとある占星術師と出会う。
占星術師の言うことには、大神アシュヴィトはレヲルフ・ヌスという花を好み、その花の咲く場所へと神の国からの階段を下ろし、時折地上へやって来るのだ、と。
占星術師の助言を受けた男は、早速レヲルフ・ヌスを集め、花を使って香を作った。
かくして香炉からくゆるレヲルフ・ヌスの香りに誘われたアシュヴィトが男の前に現れたのだが、そこからまた空を駆け、海を渡り、山を飛び越える男の冒険が始まるのだが、今は関係がないので横へ置いておく。
また時間ができた時にでも続きを読もう。
というよりも、アシュヴィトに娘がいたらしいという神話にびっくりだ。
とはいえ、あくまで神話上の話なので、本当に娘がいるのかはアシュヴィトに聞いてみなければ判らなかった。
「つまり、レヲルフ・ヌスって花を使った香を作ればいいのね?」
方向性が判れば、あとは早い。
改めて【異世界図書館】で『レヲルフ・ヌス』『香』と検索し、出てきたレシピ『太陽の香炉』を開く。
香炉のレシピというよりは、『太陽の香炉』の使い方といった方が正しい気がした。
レシピは簡単だ。
『レヲルフ・ヌスの香』と『夢渡りの香炉』を組み合わせるだけである。
ただ、『レヲルフ・ヌスの香』と『夢渡りの香炉』を作るのは少し大変そうだ。
「なになに? 『夢渡りの香炉』は『虫除けの香炉』から材料を少し変えてできるアレンジレシピ? 香炉に練りこむ虫除けの薬草の代わりに夜の精霊が好む花を……」
レシピを元に、必要になる材料をリストとして書き出していく。
『虫除けの香炉』は以前材料が揃っていたので、試しに作ったことがある。
まだ材料はいくつか残っていたはずなので、足りない材料さえ揃えることができればすぐに作れるはずだ。
「レヲルフ・ヌスは、と……あれ? レヲルフ・ヌスって、向日葵のことなの?
香炉に続いて『レヲルフ・ヌスの香』の調べると、当然のように検索画面の一番上に表示されるのはレヲルフ・ヌスという花の名前だ。
聞いたことのない名前だったのでさらに調べたところ、植物図鑑というアイコンが表示され、誘導されるままに開いたページに載っていたのが向日葵の写真だった。
コットンに確認をしてみたが、レヲルフ・ヌスは向日葵で間違いない。
「……向日葵からお香って、作れるの? そんなに香りが強かった記憶はないんだけど」
日本人であれば、誰でもすぐに思い浮かべることができるだろう。
向日葵というのは、小学生が一度はお世話になる馴染みのある植物だ。
私も小学生の頃に育てたことがあるのだが、特に香りが強かったという記憶はない。
「まあ、調合って言っても魔力を使うみたいだし、きっと細かく考えたら負けなんだろう」
よし、細かく考えるのはやめるぞ、と向日葵ことレヲルフ・ヌスの生態を紙に写しとる。
自分の手を使った普通の調合作業とは違い、魔力補助具のアイコンをクリックするだけで行われる調合だ。
魔力で花の香りを強めるのだとか、成分が変わるといった不思議現象が起こっているという可能性もないわけではない。
この『調合』という作業に疑問を挟むことは、本当に今さらである。
足りない材料は冒険者ギルドへと採取依頼を出し、自分でも行けそうな採取先へは護衛を雇って出かける。
向日葵の季節は夏なので、香については夏まで待つ必要があるかと思ったら、リナが『妖精の花畑』という場所を教えてくれた。
なんでも妖精の住む森の奥に、一年中様々な季節の花が咲いている場所があるのだそうだ。
そうこうしている間に材料が次々と集まり、早速『レヲルフ・ヌスの香』と『夢渡りの香炉』の調合に挑戦する。
アイコンをクリックするだけの調合作業は、あっけないほど簡単に終わった。
連日のようにチマチマと傷薬などを調合していたのが良かったのだろう。
地味だが順調に調合レベルが上がっていたため、調合では引っ掛かる要素がなかったのだ。
これが戦闘系のレベルになると、少し怪しい。
初日にアシュヴィト監督の下ドラゴンの脱皮を手伝って以来、レベル上げらしいレベル上げはしていないので、半年前から私のレベルは変わっていないのだ。
……まあ、コットンによると、そんなに焦ることもないみたいなんだけど。
アシュヴィトは私が判りやすいように、やる気を出すように、と私の能力をステータス化してくれたが、コットンもまた同じようなことができた。
コットンは私が知りたいといえば、対象者のレベルや能力をステータスとして私に見せてくれるのだ。
これによると、街の中から出ない住民や子どものレベルは一律で『0』である。
街や村の住民なのだから、戦う必要がないので0なのだとか。
これが害獣の退治をする大人の男性になると、街や村の住民でもレベルが『1』となる。
少しでも戦う力がある、という程度の力らしい。
害獣と戦う中でも頭一つ抜けた強さを持つ者がレベル『2』で、城門の門番が実はここだった。
他にも、冒険者ギルドもレベル2から見習いとして登録できる実力と判断されるようだ。
私がよく話す幼馴染四人組は、グレタがレベル3と見習いに近く、オレクとイサークは共にレベル6、意外なことに大人しいリナのレベルが8と一番高く、イサークはリナを追い越すことを目標にしているらしい。
レベル一桁といえば弱く思えるのだが、一般人が0で、0と1の間には大きな隔たりがあると思えば、オレクたちは決して弱くない。
ついでに言えば、ルズベリーの冒険者ギルドで一番強い人がレベル13で、私が自分で採取に出かけると言うと護衛にお勧めされるのはこの人だ。
貴重な魔法薬を売りに来る私に万が一のことがあっては困る、と一番腕の立つ人を紹介してくれているのだが、数字だけを見るのならドラゴンの脱皮を手伝っただけでレベル15になった私の方が強い。
ならば剣を振って戦えるかと問われれば、怖くてそんなことは出来ないのが情けないところだったが。
ステータス表示に落とし込む側のコットンの言うことには、レベル30で達人クラス、50で伝説の人物か何からしい。
人間という種の限界がこのあたりなのだとか。
好奇心からアシュヴィトをレベルに当てはめた場合を聞いてみたところ、レベル99999とのことだった。
軽くコットンの測れる限界を超えている。
桁が違うなんてものではないので、このあたりはさすが神様といったところだろう。
「……さて、無事『太陽の香炉』は出来たわけだけど?」
神話のように神の国へと続く階段が現れるのだろうか。
だとしたら外で使うのが望ましいだろう。
とはいえ、本当に外で香を焚けば、せっかくの香りが拡散されてしまう予感しかしない。
さてどうしたものか、と首を傾げると、肩の上でコットンが不思議そうに私とは逆方向へと首を傾げた。
コットンからすれば、私が悩んでいることが不思議らしい。
「『たいようのこうろ』、へやのなかでつかう。このみのへや。このみねる。ねてるときにこうろたく。ゆめのなかからとびらひらく」
「ああ、そうか。『レヲルフ・ヌスの香』を使っているから『太陽の香炉』だけど、元は『夢渡りの香炉』だもんね。寝る時に使うのか」
『夢渡りの香炉』は、レシピに記載された説明によると、他者の夢へ渡り、その夢を覗くことができる香炉とのことだった。
初めて作った時に一度試してみたが、誰かの夢に忍び込むなんて不思議現象は起きず、ただ入眠が速やかだっただけだ。
いっそ睡眠導入効果のある香炉として売り出した方がいいかもしれない。
香炉の使い方として納得がいき、『太陽の香炉』を持って自室へと移動する。
アシュヴィトに会いに行くということで、少し悩んだが寝間着には着替えずにベッドへ入ることにした。
早速自分の作った物の効果を確認しよう、と香炉を焚くと、睡魔はすぐにやって来る。
レヲルフ・ヌスの香りが鼻腔をくすぐり、頭のどこかで夏の日差しを思いだしたかと思うと、意識が一瞬で切り替わった。
「ぱんぱっか、ぱーん♪」
至近距離から聞こえてきた若干間抜けなファンファーレに、驚いて目を開く。
確かに自室のベッドで眠ったはずなのだが、気が付けばアシュヴィトに初めて招かれた時の真っ白な空間に立っていた。
「おめでとう、このみちゃん。ついに自分の力だけで神界に来られるようになったね」
「え? あれ? はい。こんにちは、アシュ様」
「うん、こんにちは」
気分的に一度眠っているので、返事が我ながらやや寝ぼけているのがわかる。
それに対するアシュヴィトは、すっかりお祝いモードでテンションがやや高い。
これまでもホームシックになった時などにメールで連絡をとり、地球へ里帰りする時に中間地点として神界へは連れて来てもらっていたのだが、私が自分から来るというのは今回が初めてだ。
それがアシュヴィト的にはおめでたいことだったらしい。
「レヲルフ・ヌスの香は作成が難しいはずなんだけどね。普通は一度じゃ成功しないんだけど……このみちゃんは毎日コツコツと調合してたから。レベルが30でやっと成功率が50%ってところだったんだけど、熟練度で殴った感じだね」
「えっと……解りやすくお願いします」
近頃のアシュヴィトは、ますますゲームに傾倒しているようだ。
時々出てくる言葉が私でも判らないような乱れ方をしている。
今のアシュヴィトの台詞を解りやすく直すと、毎日コツコツとした調合を続けた結果、この半年で私の調合レベルは30を超えた。
そのおかげで、道具が揃っていても成功率が五分と言われる『レヲルフ・ヌスの香』を、調合に対する熟練度の高さで完成させたらしい。
成功したのはやはり運が良かったとしか言いようがないのだが、成功を引き寄せるための要素がしっかりあったようだ。
「……つまり、地道なレベル上げと極めたがりの成果?」
「そんなところだね。ビバ、パーティキャラ全員のレベルをカンストまで育てる日本人の性」
「褒められている、と受け取っていいんですよね?」
「褒めてる、褒めてる。僕の予想よりはるかに早くこのみちゃんは神界にやって来れるようになってくれた」
自分のペースでゆっくりやって良い、と言ったアシュヴィトは、私が神界へ自力で来られるようになるまでに三年はかかるだろう、と考えていたようだ。
オレクやグレタといった同年代の友人たちを得たことでルズベリーの街へ馴染むのが早くなり、知人が増える過程で行動範囲も広がった。
それによって集まる素材や材料の数も増え、材料を得た私が次々に新しい調合に挑戦し、成功率を上げ、効能を上げ、と調合を繰り返した結果、アシュヴィトの予想より早くレベルが上がっていたようだ。
コットンは私の様子を確認し、時期がきたら『太陽の香炉』の調合に挑戦するよう促す役目もおっていたのだとか。
言われてみれば、コットンは私とアシュヴィトの連絡役だと最初に聞いている。
可愛いだけの相棒ではない。
「ネクベデーヴァにも、だいぶ慣れてきたようだね」
「アシュ様の気遣いと、ルズベリーの街の友人たちのおかげです」
コットンとメイへも感謝を忘れてはいけない、と追加すると、アシュヴィトは本当に慣れたようだと微笑む。
私がここまでネクベデーヴァに慣れることができたのも、アシュヴィトの助言のおかげだ。
外へ出るようにと言ったアシュヴィトの言葉がなければ、それこそのんびりと家に篭って三年は調合をしていたことだろう。
その場合、調合レベルは今より高かったかもしれないが、外へ採取に出かけないぶんだけ作れるものは格段に少なかったはずだ。
「それで、ですね。そろそろアシュ様の依頼に取り掛かりたいと考え始めているんですけど……」
まずは何をどうすればいいのだろうか、とアシュヴィトに聞いてみる。
アシュヴィトの弟のアシュヴィトは、倒れそうになっている世界樹を石化した自分の体を使って支えている、と聞いていた。
その弟を助けてほしいと言うのだから、石化を解除する魔法薬でも作ればいいのだろうか。
「そもそも、弟の方のアシュヴィト様はどちらにいらっしゃるんですか?」
「それはもちろん、世界樹のあるところだよ」
世界樹と聞いて、検索できるかと【異世界図書館】を開く。
検索ワードとして『世界樹』と入力したところ、さすがは【異世界図書館】というのか、様々な異世界の『世界樹』が検索結果として表示された。
どうやら『世界樹』が世界を支えている異世界は、ネクベデーヴァ以外にも多いらしい。
「……あれ? 『ネクベデーヴァ』の名前を入れても、世界樹が検索に出てこない?」
様々な異世界の『世界樹』が表示されたことから、すぐに自分の失敗を悟る。
今度こそ、と『ネクベデーヴァ』の名を追加して検索し直したのだが、ネクベデーヴァで語られる一般的な神話や伝承が表示されるだけで、位置までは表示されなかった。
「それについては神が隠した。世界樹へは簡単に人間が近づけないようにしてあるんだ」
まず世界樹を切り倒そうとしたのが人間だからね、と言われると納得するしかない。
この世界の人間が世界樹を切り倒そうとしたからこそ、アシュヴィトの弟は石化し、私という存在が用意されたのだ。
異世界込みで世界中の図書館の本を読みたい放題という【異世界図書館】は便利だが、逆に考えれば本のある場所に行き、本を読める立場にある人間ならば誰でも同じ内容を知ることができるということだ。
世界樹の場所について記載された本など、実際に世界樹を傷つけられたアシュヴィトが放っておくはずがない。
「世界樹の場所については、ごめんね。このみちゃんのことは信頼しているけど、このみちゃんが自由に通れる道を開けば、他の人間も通れるようになっちゃうから」
その代わりにこれを、と言ってアシュヴィトは小さな袋を差し出した。
中身を確認してみると、黒い種がいくつか入っている。
「これは……何の種ですか?」
「ツホギン・ネエウクという花の種だよ」
「ツホギン……?」
ツホギン・ネエウク、とアシュヴィトが繰り返してくれた言葉を【異世界図書館】で検索する。
世界樹とは違いすぐ検索に現れたのだが、検索結果が少しおかしい。
日本語に翻訳されているのはいつも通りなのだが、普段とは表示される書体が違うのだ。
ホラー漫画でよく使われている、いかにも不気味な書体で中身が表示されていた。
「……これは何の意図があって書体が変わってしまったんでしょうか?」
「ホラー漫画でも使われるけど、作中の伝承なんかにも使われるでしょ? このおどろおどろしい書体」
「ということは、これは伝承ですか」
そしてどんどん日本のオタク文化に染まっていますね、というツッコミは飲み込む。
解りやすくて良くはあるのだが、仮にも神様がこのノリでいいのだろうか、とは少しだけ思ってしまった。
「今から大体三千年ほど前の本だね。ツホギン・ネエウクの花は、三千年前に弟が全部枯らしたから、地上にはもう残っていないよ」
「枯らしたって……どうしてですか?」
「人間が世界樹を傷つけたからだよ。レヲルフ・ヌスの代わりにツホギン・ネエウクを調合すると、『月下の香』ができる。あとは『月下の香』と『夢渡りの香炉』を調合すれば……」
「……もしかして、ヴィー様に会いにいける香炉ができる、とかですか?」
「世界樹を傷つけた人間に愛想の尽きた弟が、二度と人間になんて会いたくないって、香の材料になるツホギン・ネエウクを地上から消してしまったんだ」
明言はされなかったが、やはり弟のアシュヴィトに会いにいける香炉ができるのだろう。
袋の中の種は、家の温室で育てるようにと注意された。
……地上のどこでも育たないように呪いをかけるとか、ヴィー様用意周到すぎっ!
人間の手にツホギン・ネエウクの花が渡ることを嫌った弟のアシュヴィトは、地上に呪いをかけたらしい。
地上のどこでも、どんなに環境を整えようとも、ツホギン・ネエウクが育たないように、と。
私が住む家は、神域と呼ばれる場所にある。
そのため、まず滅多なことでは人間は足を踏み入れることができないし、そもそも家も温室もアシュヴィトが用意した特別な場所なので、弟のアシュヴィトの呪いも効果を発揮しないそうだ。
……とりあえず、薬草が毎日育つ理由はわかりました。
アシュヴィトによってゲームのように整えられた環境に、何か特別な温室だとは思っていたのだが、毎日すくすくと育つ薬草はやはり温室という場所が影響していたらしい。
ということは、自生している同じ薬草を見つけても、温室で採取できるようなペースでは取れないのだろう。
「このみちゃんが世界樹のところへ行くためには、弟の夢を渡って行くといい。この方法なら、他の人間に追跡されることもないしね」
仮に調合に成功した『月下の香』を盗まれたとしても、弟のアシュヴィトの呪いが発動するだろう、とアシュヴィトは続ける。
どうやら弟の方のアシュヴィトは花だけではなく、香として加工されたツホギン・ネエウクも存在を許さないようだ。
神域にある私の家でしか使えないのなら、確かに悪意を持った人間が世界樹のある場所へと夢を渡って侵入することは不可能だろう。
「ヴィー様に会えたら、どうやって助けたらいいですか?」
「このみちゃんには弟を助けてってお願いしてあるけど……弟の石化を解いて世界樹から離れてしまうと、世界樹が倒れる」
そうなってしまうと、世界樹に天井を支えられた地上は終わるしかない。
空が落ちてくるのだから、仕方がないだろう。
「だからまずは弟が離れても世界樹が立っていられるように、世界樹を回復させる必要があると思うんだ」
「世界樹を回復……というと、やっぱり木ですから、植物栄養剤のような薬でしょうか?」
「なんでもやってみるしかないかな。なんといっても、世界の支柱たる世界樹を切り倒そうだなんて真似をした存在は初めてだから、救済措置なんて用意しておく必要がなかったんだよ」
普通は生物が死に絶えて世界が終焉を迎えたあと、世界樹もひっそりと枯れていくらしい。
今回のように世界樹を傷つけようという発想が地上に生まれ、実行に移すような存在など考える必要もなかったのだ。
自分で自分の首を絞める馬鹿は、普通いない。
そして、その普通からはずれた一部の馬鹿が、今回の事件を引き起こしてしまった。
「……アシュ様は、よく世界樹を切り倒そうだなんてした人間を助けようと思いましたね」
私なら勝手に滅びろと放置しそうだ、とつい本音を洩らすと、アシュヴィトは苦笑いを浮かべて更にとんでもない本音を洩らす。
実のところ、自分も滅んでも良いと放置に傾いていた世界である、と。
「僕は自分で自分の首を絞めるような世界なら、救済の必要はないと思ってる。だけど、どうも弟の方は違うみたいだからね」
弟のアシュヴィトが世界樹を支えようと、自らを石化してまで世界を守ったため、アシュヴィトは放置ではなく故意に面倒な条件をつけ、条件に当てはまる存在をのんびりと探していたそうだ。
かかった時間はおよそ三千年。
その間にネクベデーヴァでは、二度ほど文明が崩壊しているそうだ。
一度目の崩壊は、世界樹を傷つけた人間に怒った弟のアシュヴィトが引き起こしている。
この時に地上からツホギン・ネエウクの花が消えた。
二度目の崩壊は、今から約千年前らしい。
弟のアシュヴィトはすでに世界樹を支えて石化していたので、この崩壊には関わっていない。
アシュヴィトの方も、積極的には助けないと決めていたため、逆に積極的に滅ぼすという行動も取らなかったようだ。
つまり、二度目の崩壊は人類の自業自得である。
そして二度目の崩壊を生き延びた僅かな人類がまた文明を築き、少し前までは強者が剣一本で王になれるような乱世だったらしい。
各地で続々と民を纏める王が立つようになって建国ラッシュが続き、今は少し落ち着き始めて王侯貴族が出現し始めている時期になる。
貴族が民の剣、民の盾として戦の前線に立つのは今ぐらいで、もう百年もすれば貴族の血が腐敗し、民を前線へと送り、自身は安全な砦から一歩も出ずに戦争を行うだろう、というのがアシュヴィトの予想だ。
「僕は本当ならこの世界はもう滅びても良いと思っている。だから単純だけどとんでもなく面倒な条件で救い手を設定して、探した」
そして、その面倒な条件で見つけた存在が私らしい。
弟のアシュヴィトを助けられそうな存在は他にもいたが、私を選んだと以前に聞いていた。
「どうしてわたしだったんですか?」
「このみちゃんは……まず『榊』って名前がいいよね。『神』に『木』が寄り添ってるし」
「それでいくと、全国にいる榊さんの誰でも良かったことになりますけど……」
「だから『まず』なんだよ。他にも条件はあったけど、自分で設定しておきながらホント、数え上げるのも面倒なぐらい条件があるんだ。これを考えた三千年前の僕は、相当人間に対して怒ってたんだね」
まず条件に合う存在など見つけさせるつもりがない、という執念を感じる。
ただ、それでも条件なんてものを設定してまで私を見つけたのは、弟のアシュヴィトのためだろう。
人間に怒り、自身へと繋がる花を地上から根絶やしにし、一度は文明を崩壊させた弟のアシュヴィトだったが、今でも世界樹を支えてくれている。
彼は人間に怒りこそしたが、本当に人間という種に絶望しているのなら、世界樹を支える必要などなかった。
世界樹が倒れれば世界そのものが終わる。
アシュヴィトはなんでもないことのように語っているので、神であるアシュヴィトたちにはこの世界がどうなろうとも関係がないのだろう。
本当に、このネクベデーヴァという世界が今日まで存続してきたのは、弟のアシュヴィトのおかげだ。
「世界樹が自分で立っていられるぐらいに回復したら、弟の石化を解いても大丈夫かな」
「ということは、必要なのは植物用栄養剤的なお薬と、石化を解除する魔法薬ですね」
「うん、そんな感じだね。このみちゃんには迷惑をかけるけど……」
なんだったら今から投げ出してもいいよ、と言われて瞬く。
茶目っ気たっぷりにウインクをしているので冗談だとは思うのだが、本音を聞いたあとではたとえ冗談でも洒落にならない。
「一度引き受けてしまいましたし、もう少し頑張ってみます」
「……そうだった。『一度引き受けたことは困難でも諦めないお人好しな性格』ってのも、三千年前の僕が設定した条件の一つだった」
それじゃ仕方がない、とアシュヴィトは肩を竦める。
面倒なことを頼んでしまったが、これからもよろしく、と。
「アシュ様には良い暮らしをさせてもらっていますから、ヴィー様を助けられるよう頑張ります」
「良い暮らしといっても……それほどのことでもないよ。このみちゃんは必要以上には要求してくれないし、本当に地球での暮らしとほとんど変わらないよね」
金銀財宝でも、流行の服でも、要求してくれればなんでも用意できるのに、とアシュヴィトは少し残念そうだ。
ただ、アシュヴィトは私のオタク趣味も承知で声をかけてきたので、知っているはずである。
金銀財宝よりも目先の小金、流行の服よりも気になるコミックスの続きやグッズだ。
そして小金とはいえない金額だが、調合である程度のお金は稼げ、ゲームやアニメに関しては元々アシュヴィトが不自由なく環境を整えてくれている。
本当に、これ以上は望むものがない。
目が覚めると、香炉を使う際にベッドへ入ったためか、ベッドの中にいた。
アシュヴィトと話をしている間はあの白い空間にいたのだが、戻ってくる時は行きと同じ場所に現れるようだ。
というよりも、コットンは夢の中で扉が開くようなことを言っていたので、もしかしたら心だけが神界へと移動しているのかもしれない。
「……あ、ちゃんと持って帰れてる」
いつのまに握ったのか、手の中にはアシュヴィトから渡された小さな袋があった。
念のために中身を確認すると、黒いツホギン・ネエウクの種が入っている。
「まずはこれを育てることから、かな?」
必要なものは、植物栄養剤と石化解除薬。
それから世界樹を回復させるためには弟の方のアシュヴィトの夢を渡り、世界樹の元へと辿りつく必要がある。
そのためには『月下の香』が必要で、まずはツホギン・ネエウクの花を育てる必要があった。
身支度を整えると、食堂へは寄らずに温室を目指す。
善は急げ、とばかりに移動しながら【異世界図書館】を開いてツホギン・ネエウクの育て方を調べた。
……ツホギン・ネエウクって、どっかで見たことあるような……?
育て方を調べている途中で、ツホギン・ネエウクの絵を見つける。
パッと名前は出てこないのだが、テレビか何かで見たことのある花だ。
たしか、夜にしか咲かない花だとかで、珍しい開花の瞬間が撮影できた、とニュースか何かで映像を流していたのを見たのだと思う。
……まあ、向日葵がレヲルフ・ヌスとかいう名前で存在してたりするし、ツホギン・ネエウクが地球にあっても不思議はない、かな?
試しにコットンに聞いてみたところ、ツホギン・ネエウクとは地球で言うところの『月下美人』だと教えてくれる。
性質以外にも形が特徴的な月下美人は、アニメや漫画にもモチーフとしてよく出てくるそうだ。
……コットンは本当によく覚えてるね。
言葉の学習目的でアニメを見ていたおかげか、コットンは地球についてもそれなりに知っている。
漫画やアニメの誇張表現でやや偏って覚えているところもある気はするのだが、雑学的な知識では私以上だ。
どういう頭の作りをしているのか、一度見たものは忘れないという素敵な能力をコットンは持っていた。
さすがは神様が用意した相棒である。
……なにげにコットンもチートだよね。