ルズベリーの街
柔らかい日差しに誘われて目を覚ます。
窓が開けられているのか、微かな風がポプリの香りを運んできた。
「……あれ? 目覚ましは?」
目覚ましをセットしてあったはずなのだが、電子音を聞いた記憶がない。
自然に目が覚めるにまかせた目覚めなど何年ぶりだろうか、と実に清々しい気分だ。
その代わり、会社には完全に遅刻だろう。
なんと言い訳したものか、と考えながらベッドサイドに置いた携帯端末へと手を伸ばす。
今がいったい何時なのか確認がしたかったのだが、手に触れた感触は機械の冷たい感触ではない。
なにか、恐ろしくモフモフとした極上の毛並みがそこにあった。
「ひゃわっ!?」
モフっと柔らかいものに触れた手が、小さな力でがっちりと掴まれる。
続いて指先に何か濡れたものが触れ、慌てて横へと伸ばしていた手を引っ込めた。
その手に絡み付いていたのは、真っ白な毛並みの仔猫だ。
ただし、猫と考えるには尻尾が少々長すぎる。
「……そうだった。コットンがいたんだった」
コットンと昨日名付けたばかりの仔猫(?)が、私の手にしがみ付いて指先を舐めていた。
この仕草を見れば、さすがに何を求められているのかは判る。
コットンはお腹が空いているのだろう。
「本当に異世界だ……」
寝ぼけたコットンをひと撫でして腕から外しつつ、ベッドの上で室内を見渡す。
これまでと変わらない生活を保障するとは言われているが、部屋の内装などはやはり違う。
昨日はろくに部屋を見ないままベッドに入ったが、あらためて見る部屋は、なんというか少女趣味が入っていて可愛らしい。
さすがにピンクのひらひらでふりふりは遠慮したいが、カーテンやベッドカバーにワンポイントとしてフリルが使われているぐらいは許容範囲だ。
というよりも、むしろ好みだった。
「アシュ様には私の好みを把握されているような……?」
気のせいではないだろう。
私のオタク趣味まで把握していたのだ。
私についてはある程度調べているはずである。
「朝ごはん、何にしようかな?」
いずれコットンは人間の言葉を話すようになるらしい。
そのため、言葉を早く覚えるように沢山話しかけた方が良い、とアシュヴィトには言われていた。
当分は独り言の多い淋しい人に見えるかもしれないが、内心を意識して声に出す。
枕元に残したコットンは、耳をピクピクと動かしているので、そろそろ目が覚めるのかもしれない。
肌触りの良いガーゼ生地の寝間着からライムグリーンのワンピースに着替え終わると、目を覚ましたらしいコットンが「きゅん」っと鳴いた。
呼ばれた気がしたので振り返ると、行儀良くお座りしていたので手を差し出す。
そうすると、コットンは軽やかな動きで腕を上って私の肩へと移動した。
……極上のモフモフっ!
コットンのふわふわの毛並みが首筋に触れ、最高に気持ちがいい。
猫のように尻尾を触ったら嫌がるかな、と思いつつもふわふわの尻尾を撫でると、するりと私の首に尻尾が巻きつく。
これでは本当に襟巻きのようだ。
冬は重宝するかもしれないモフモフである。
「あ、おはようございます」
「……ます」
アシュヴィトからは特に必要ないと説明されていたのだが、そこに人影があるのだから、と妖精に朝の挨拶をする。
気にかける必要はないが、挨拶をすれば返してくれるらしい。
少し意外だ。
妖精というぐらいだから、人間に姿を見られないよう行動するのかと、なんとなく思っていた。
……つまり、二人暮らしと一匹って思えばいいのかな?
そんなことを考えながら台所を目指すと、メイド妖精は台所ではなく食堂のドアを開く。
あれ? と思いながら食堂へ入ると、お洒落なランチョンマットの上に不似合いな男らしい朝食が載っていた。
厚切りの食パンと、何故か半分になった目玉焼きとこれまた半分に切られた林檎だ。
「……僭越ながら、朝食を用意させていただきました。昨夜はご希望を伺っておりませんでしたので、アシュヴィト様より戴きましたこのみ様の資料の中にございました『アニメ飯』という朝食を作ってみました」
「はい。了解しました。某有名アニメ映画に出てきた朝食ですね」
何故目玉焼きと林檎が半分なのか。
その答えは簡単だ。
あの映画の中で、空から落ちてきた女の子のために少年が作っていた朝食がそうだったからだ。
……アシュ様の仕込みがこんなところにまで……っ!
ファンタジーな妖精という存在なのに、アシュヴィトが私の資料を渡したということで妙に俗っぽい。
これでミニスカートや装飾過多なエプロンであれば、完璧なオタク向けのメイドだろう。
「それで、貴女は……えっと、なんて呼べば?」
「……私はただのメイドです。このみ様の好きにお呼びください」
そういえば名前を聞いていなかった、と聞いてみたところ、妖精には個人を指す名前はないようだ。
呼びにくければ好きに名前を付けていいそうなので、『メイ』と呼ぶことにした。
メイドのメイだ。
「メイは他にどんな料理ができるの?」
まさかアニメ飯が全てではないだろう、と軽い気持ちで聞いてみたのだが、メイは真顔で「まんが飯とゲーム飯はマスターしております」と答える。
アシュヴィトの教育は完璧だ。
「……普通の料理は?」
「……普通、とは?」
まんが飯以外に普通の料理はできるのか、と聞いてみたところ、疑問に疑問で返されてしまった。
どうやらというか、ほぼ間違いなく、アシュヴィトの渡した資料は偏りすぎているようだ。
……普通の料理は自分で作るか、教えるしかない、と。
私だって以前から積極的に料理をしていた人間ではないが、レシピを見ればそれなりに作ることができる。
アシュヴィトの持たせてくれた【異世界図書館】には料理のレシピも載っていたので、なんとかなるだろう。
ネット通販もできる、とアシュヴィトは言っていたので、ドライイーストやカレー粉といった食材も地球から取り寄せることができるはずだ。
夕食は二人で挑戦しようと約束をして、メイの作ってくれた朝食を戴く。
作ってもらったものを食べるだけのいいご身分なのだが、パンと目玉焼きと林檎だけというのは少々味気ない。
映画の描写そのままに作ってくれたようで、パンにはバターもなにも付いていなかったし、目玉焼きには戦争の種になる醤油やソースはおろか、塩コショウもかけられてはいなかった。
……たしかあのパンには『作ってみた』系のアレンジレシピがいっぱいあったと思うんだけど?
試しに携帯端末で検索してみると、沢山のアレンジレシピが表示された。
中にはマヨネーズで土手を作ってパンに直接卵を落として焼くものや、ハムエッグに彩りよくパセリを散らした写真まで出てくる。
……いっぱいあるなぁ。やっぱりみんな食べてみたいよね、あのパン。
と、ここまでレシピの検索をしていて思いだした。
昨日は夕方までドラゴンの脱皮の手伝いをする、という地味な重労働をしていたため、床についてすぐに眠ってしまったのだ。
アシュヴィトから家電類は問題なく使えるはずだと説明を受けてはいたが、家電が使えたとしてもそもそも録画予約をしていなければ、せっかくのアニメを見られる環境も意味はなかった。
「昨日のアニメ……っ! 録画、忘れた……っ!」
「昨夜の深夜アニメでしたら、私が録画しておきました。このみ様が視聴されていた番組は、アシュ様の資料にございましたので」
「アシュ様ありがとうっ! メイ、大好きっ!」
すぐに見るかと誘われたので、昼に見ると言って断る。
さっきからおとなしいコットンはお腹を空かせていると思うのだ。
自分の朝食を食べ終わったら、急いでコットンの食事の用意をしなければならない。
「はい、コットン。お待たせ~」
昨日の復習にアプリの説明を再読しながら『光華のミルク』を調合する。
すでに一度やっている作業なので、それほど悩むこともない。
手のひらにコットンを載せて小さな哺乳瓶を傾けると、どこに入るのかと疑問になるような勢いで中のミルクが減っていく。
そんなにお腹が空いていたのなら、七日間はミルクを一日に一回と聞いているのだが、何か考えた方が良さそうだ。
せっかく温室に来たのだから、と昨日に引き続き薬草を採取して『傷薬』を調合する。
いくつか作っていて気が付いたのだが、完成した時にキラキラと輝く物と、そうでない物があった。
「この違いはなんだろうね?」
「きゅーん?」
答えがあるはずもないのだが、肩のコットンに話しかける。
沢山話しかけろと言われているので、私が動物に話しかける痛い人というわけではない。
「キラキラの正体は判らないけど、こっちは判るよ。明らかに失敗作だ、って」
『調合』をすると材料は一度強く輝き、光が収まる頃には形を変えている。
どうも魔力で行われる調合らしいので細かい変化の過程はわからないのだが、失敗作は光が消える瞬間に黒い煙をだして灰か元の状態のまま手元に戻ってきた。
これを失敗と言わずして、何を失敗というのか、というほどの判りやすい失敗だ。
「……あ、レベルアップした」
そろそろ魔力がなくなりそうなので切り上げようと考えていたのだが、タイミング良くレベルがあがる例の音が脳内で鳴り響いた。
これもどういう仕組みなのかは判らなかったが、レベルが上がると体力や魔力が回復するようだ。
携帯端末に表示されているステータスの数値が全快していた。
「傷薬は売れるって聞いてるけど……他の薬もあった方がいいよね?」
何か温室にある材料で作れる薬はないだろうか、と【異世界図書館】で薬の処方箋を調べる。
水を使って『蒸留水』、水と薬草を使って『栄養剤』、傷薬を使って『秘薬』といった具合に、新しい処方箋やアレンジレシピを見つけることができた。
「こう……レベルが上がると魔力が増えてできることが広がるって、本当にゲームみたいだなぁ」
早速『蒸留水』と『栄養剤』を作ってみると、この二つは難なく成功した。
『秘薬』については調合した傷薬を材料としているためか、少し難易度が高いようで、昨日と今日作った傷薬をすべて使って調合してみたのだが、成功したのは一つだけだ。
おかげでレベルはまた上がったが、材料が無くなってしまったので、今日はこれ以上なにも調合できそうにない。
「……売り物がなくなっちゃったね、コットン」
少し調子に乗りすぎただろうか、と肩に乗ったコットンに話かける。
コットンは私の反省する顔を見て、慰めるように体を摺り寄せてきた。
コットンの授乳期が終わるまでの七日間は、ここでの暮らしに慣れることだけを考えた。
朝はメイの作った朝食を食べて、温室で新しく生えた薬草を摘んで『調合』をする。
傷薬を材料にして出来る『秘薬』については、もう少しレベルが上がるまで手を出さないことにした。
成功率が低すぎるのと、道具があれば成功率が上がるという話を思いだしたのだ。
午前はこんな感じに調合をして過ごし、午後は【異世界図書館】でネクベデーヴァのことを学ぶ。
本人は何も言っていなかったのだが、【異世界図書館】によるとアシュヴィトはネクベデーヴァの最古の神だったらしい。
アシュヴィト兄弟がこの世界を作り、その過程で太陽や月といった星々の神が生まれ、さらに細かく大地の神や海の神が生まれたことになっているようだ。
一般的にはアシュヴィトは引退して休眠中の神であり、太陽神が最高神とされている。
星々の神は太陽には一歩譲るが同格、大地や海の神はその下だ。
宗教は多神教が多く、最高神を頂点にして大地や海の神を崇めているようだ。
星々の神は地上に住む人間からはなじみが薄いようで、個々を信仰する宗教は一般的ではない。
「さて、傷薬はそろそろ売りに出せそうな数が揃ったところで……どこへ売りに行こうかな?」
「どこでも、いける。このみのすきなところ、いく」
ミルクを卒業したコットンは、早速人間の言葉を話し始めた。
少し舌ったらずで、片言気味なのが可愛らしい。
判らない言葉は咄嗟に「きゅん」や「きゅう」と鳴き声になるのだが、本人はこれが恥ずかしいようだ。
私とメイから言葉を学ぼうと、コットンの方から話しかけてくることが多い。
……そしてアニメはコットンが言葉を学ぶのに多いに役立ってくれました。
私やメイが構えない時間を、コットンはなんと自分でテレビをつけて過ごしていた。
小さな前足を器用に操ってリモコンを操作する姿がたまらなく可愛らしい。
選局が子供向けアニメ専門チャンネルなあたりが、英才教育すぎる気もした。
……私の家、あのチャンネルは契約していなかったはずなんだけど……?
アシュヴィトはこれまでと変わらない暮らしを保障すると言ってくれたが、以前の暮らし以上の待遇だ。
契約していなかったはずのCATVは見られるし、ネットの配信サービスも網羅されていた。
……そして、私は知らなかったのに、メイとコットンは把握していた、っていうのが不思議といえば不思議。
アニメ飯やまんが飯を作ることから想像はしていたが、メイはアニメ自体を気に入っているようだ。
メイが家事をしていない時間にアニメを見ていると、いつのまにか壁際に立ってテレビを見ている。
一度隣で一緒に見ようと誘ってみたのだが、仕事がありますので、と逃げられてしまった。
以来、アニメを見ている時のメイに声はかけていない。
視聴スタイルにはそれぞれ個人のこだわりがあると思うのだ。
メイは堂々と見るのはまだ気恥ずかしい、というタイプなのかもしれない。
もしくは、一人で見たいタイプなのだろう。
色々な性格の人間がいるのだから、私も自分の好みを押し付けない方が良い。
「とりあえず、大きめの街にしようか、小さな町にしようか……?」
携帯端末で【異世界図書館】を開いて地図を見てみるのだが、あまり意味はない。
アシュヴィトが家のある場所は特別な森と言っていたように、地図に表示されている現在地の周囲は森だけだ。
見事になにもない。
だからこそ、最初から門扉に転移の仕掛けが施してあるのだ。
「近くの街と町を調べて……と」
携帯端末で検索をすると、いくつかの街と町の名前が表示される。
地図でそれらの名前を検索すると、森周辺に赤い点がいくつも現れた。
「……どこがいいか判らないね」
「このみのすきなところ、いく」
「好き嫌い以前に、選ぶための情報が無いというか……」
【異世界図書館】で調べれば、街の規模や産業といった情報は出てくる。
しかし、新しい場所に行くというのに、あまり文字だけの情報で雁字搦めになりたくはないし、資料に目を通すだけでも日が暮れてしまうだろう。
「……よし、とりあえず街に行こう。街なら色々な人が集まるはずだから、多少わたしが変な行動をとっても目立たないだろうし。あとは……治安のいいところ?」
ご飯が美味しい、新鮮な野菜を売っている等、思いつく限りの条件をあげていくと、少しずつ地図上の赤い点が減っていく。
最終的には五つになった赤い点に、今度は街の名前を表示させた。
「……このルズベリーって街にしよう。名前がなんだか可愛いし」
ネクベデーヴァに来て最初の外出先だ。
このぐらい気軽に決めてもいいだろう。
「ルズベリーの街近くの街道。人目につかないけど、安全な場所に。帰りは同じ場所から転移で」
「わかった」
転移の条件を告げると、肩の上のコットンが返事をする。
おや? と思って視線をコットンに向けると、コットンは軽く目を閉じ、次の瞬間には足元に魔方陣らしき光の線が現れた。
……アシュ様はコットンを自分との連絡役って言ってたけど、つまりは案内人ってことね。
話してみると色々と助言もくれるので、相談役という気もする。
とにかく、ただの愛玩動物でないことは確かだ。
門扉の仕掛けを動かす方法など私には判らないのだが、コットンは誰に教えられなくとも知っていた。
「ついた」
「ここが街道?」
「せいかくには、かいどうのはずれ。めのまえ、やぶこえる。そうすると、かいどう」
転移を他者に見られないように、と人目を避けようと言った注文通りの場所だ。
目の前には木々と低木があり、低木のむこうが少し明るい。
コットンの指示通りに藪を抜けると、石畳で整備された大きな街道に出た。
私が少しぐらい突飛な行動をしても目立たないように、と大きめの街を指定したせいもあるが、激しくはないが人通りがある。
「コットンみたいな子はなかなかいないみたいだから、街ではしゃべらないでね」
『わかった』
鳴き声に重なって、コットンの声が耳ではなく頭に直接聞こえる。
説明は受けていなかったはずだが、コットンはテレパシーが使えたらしい。
人目に付かない街道に出たい、ということで、目当てのルズベリーの街までは少し歩く。
街の前に突然転移して現れれば、どう考えても怪しい人間でしかない、と考えてのことだったが、城壁の前に現れるのを避けたのは正解だったようだ。
ルズベリーの街をぐるりと囲む城壁の前では、門番らしき兵士が街へ入る人間を調べていた。
「お嬢ちゃんは一人かい? 親はどうした?」
「えっと……一人と一匹です」
三十分ぐらい城門の前で順番待ちをすると、いよいよ私の番が来た。
顔は厳ついが人の良さそうな雰囲気の門番にホッとして、髪に隠れながら肩に乗ったままのコットンを紹介する。
この顔が怖い門番は、雰囲気どおり善人だったようだ。
異様に長い尻尾さえ見えなければ仔猫に見えるコットンに、目じりを僅かに下げた。
「街へ行けば薬が売れるとお師匠様に聞いて、薬を売りに来ました」
怪しい者じゃありませんよ、とアピールするために適当な設定を話して聞かせる。
まさか神様を助けるために異世界から来ました、今はこちらの世界に慣れるために少しずつ外へと出ることにしたところです、と正直に話しても信じてもらえるはずがないので、仕方がない。
私は森に住む偏屈な薬師の弟子で、ようやく師匠から売れるレベルの薬が作れるようになった、と太鼓判を貰ったので早速街へ薬を売りに来たのだ、と女の子が一人で街へ来てもそれほど不自然ではなさそうな設定を作る。
帰る家があるので、怪しい者ではありませんよ。
街へ入る目的は、行商です、と。
「……つまり、初めてのお使いってやつか。どっかでお嬢ちゃんのお師匠さんが見てんじゃないか?」
「え?」
おどけた仕草で門番が私の背後を覗き込むので、つられて後ろを振り返る。
師匠自体が私の創作なので振り返ったところで背後にいるはずはないのだが、つられた私に門番は私の言っていることを嘘ではないと判断したようだ。
今の私の外見が、大人と子どもの中間にあたるということも、判断に影響を与えているかもしれない。
「薬を売りに来たってことは、税がかかるが払えるか? ただの旅人にゃ税はかからないが、商売をするとなると話は別だぞ」
「大丈夫です。お師匠様にお金を渡されてきました」
私に調合方法を教えてくれたといえば、師匠役はアシュヴィトになるだろう。
少しのお金も彼から渡されているので、師匠うんぬんは嘘だが、お金を渡されているということは嘘ではない。
「ところで、傷薬ってどこへ行けば買ってもらえますか?」
「薬と言えば薬屋だが、薬屋の棚に並ばせるにゃ、ギルドに加入する必要があるからな。効き目も怪しい、街での信用もないお嬢ちゃんの作った薬ってんなら、冒険者ギルドに行った方がいい」
冒険者の収入は安定せず、効き目が怪しくても安い薬に手を出すしかない状況らしい。
私がこの街に薬を売りに来るのは初めてなため、最初のうちは安く買い叩かれても我慢するしかないそうだ。
私の薬に効き目があると知られれば需要に合わせて値段もあがるし、顧客も付くだろう、とまだ薬を売りにも行っていないというのに門番のおじさんは慰めモードだ。
……アシュ様からは、それなりの収入になるって聞いたんだけど?
やはり信用も何もない新参者の作った薬など、そう簡単には売れないらしい。
一日限定の行商許可証を受け取ると、銅貨三枚で傷薬を一つ買ってくれた。
初めてのお客さんってやつだな、と言って恥ずかしそうに鼻の頭を掻いていたので、この門番のおじさんは本当に人がいい。
銅貨三枚という価格が適正かどうかは判らなかったが、私が払ったばかりの税と同額だ。
これでまったく薬が売れなくても損はない、落ち込まないように、という門番の優しさだろう。
……治安のいい街、って指定してルズベリーの街に来たけど、門番からしていい人すぎた。
門番に礼を言って城門を抜ける。
一歩踏み入れたルズベリーの街並みは、いかにもといった外国の街並みだ。
建築には詳しくないので判らないが、日本とはまったく違う。
石造りの一階に、二階三階は漆喰の塗られた白い壁をしている家が多い。
白壁にはところどころに黒い柱の色がそのまま現れており、柱自体も家のデザインとして見せているのか幾何学模様にも見えた。
出窓には花が飾られていて、本当に日本家屋とはまるで違う。
……写真で見たことあるけど、あの一階より少しだけ大きい二階って、地震の時とか大丈夫なのかな?
そんな心配がチラリと過ぎったが、街全体が似たような形の家をしているのだ。
問題があれば違う形をしているだろう。
日本は地震の多い国だったが、外国にはほとんど地震のない国もあると聞いたことがある。
そういった国では耐震などまったく考えずに家を建てると聞いて、他人ごとながら心配になったのを覚えていた。
……あと、判った。門番のおじさんが妙に優しかったのは、私が子どもに見えてたからだ。
街に入って人が増えたから判ったのだが、アシュヴィトが十五、六歳として年齢を下げた私は、背が低すぎてこの街では十二、三歳の子どもに見える。
日本人と外国人の差とでも言うのか、日本の平均的な身長では子どもの背丈にしか見えないのだ。
……道行く人みんなが親切なわけだ。子どもが一人で歩いているようにしか見えないんだもん。
丸くて薄いパンに野菜や肉を挟んでいる屋台を見つけ、初めてのネクベデーヴァ料理、と一つ購入する。
ネクベデーヴァに来てからは主にメイが食事を作ってくれていたが、基本的には私になじみのある日本食やまんが飯だ。
ネクベデーヴァに住む人間が作った、ネクベデーヴァの食べ物としてはこれが初めてになる。
……お味はちょっと濃い目。パンは薄いから柔らかいけど、ほとんど味がしない? いっそ野菜とお肉を一緒に食べるための受け皿的扱いなような……でも不思議と美味しい。
屋台の人から冒険者ギルドの場所を聞きながら買ったばかりのパンを齧っていると、肩の上のコットンにねだられたのでパンと野菜をちぎってやる。
味付けされた肉は食べさせても良いのか判らなかったので、あげない。
ミルクを卒業したコットンは本当に食事の必要が無いようで、私の食事中に時々デザートをおねだりしてくる程度だ。
パンを食べ終わる頃には屋台の客が増えてきたので、屋台の人に道を教えてくれた礼を言って離れる。
再び街を観察しながら歩いていると、子どもたちが遊びまわっている路地に出た。
「……うん、道を間違えた」
『このみ、ほうこうおんち?』
「違うよ、この街の道が入り組んでるんだよ」
屋台の人に聞いたとおりに道を数えて曲がったつもりだったが、どうやら違う道へと入ってしまったらしい。
もう少し進めば実は冒険者ギルドがある、ということもあるかもしれないので、来た道を戻ってもう一度道を聞くか、このまま進むかは悩むところだ。
「それにしても、本当に治安がいいんだね。子どもたちだけで遊んでる」
ついでに言えば、路地に私のような女の子が入り込んでも、怪しい男に後をつけられるということもないらしい。
「異世界モノで路地へはいれば、街の不良やゴロツキに囲まれて俺ツエェ無双するのがお約束だと思ってたんだけど……」
『このみ、むそう、したい?』
「平和が一番です」
無双なんてとんでもない、とコットンと話していると、目の前で女の子が盛大に転んだ。
友だちなのだろう他の子どもたちが集まって輪ができると、女の子はわんわんと泣き始める。
大きな泣き声に、女の子たちは心配し、男の子たちは困り顔をして輪から離れ始めた。
「結構な擦り傷だなぁ。血が出てる……痛そう。あ、そうだ」
傷薬なら売るほどに持っていたじゃないか、と思い至り、泣いている女の子を囲む輪へと近づいていく。
子どもたちは知らない大人――子どもたち的には同じ子どもに見えるのかもしれない――の登場に驚いていたが、すぐに警戒を解いて一人の女の子が状況を説明し始めた。
女の子は転んで擦り剥いたから泣いているのだ、と。
これも売れるだろうか? と一応持って来ていた『蒸留水』でまず傷口を洗い流す。
今は『傷口は洗わない』というのが新常識らしいのだが、だからといって小さな砂粒が傷に残っていたら大変だと思うので、新常識は無視しておく。
次に綺麗になった傷口についた水をハンカチで拭き、売り物の『傷薬』の蓋を開いた。
……処方箋どおりに作ってはいるけど、効果は試したことがなかったからね。
今日までとくに怪我をすることがなかったので、傷薬の効果を試したことはない。
傷薬として売りに出す予定なのだから、売る前にその効果を知ることができるという絶好の機会だろう。
どのぐらい塗ったらいいのか判らず、とりあえず傷口に薄く軟膏を広げる。
最後におまじないとして「痛いの痛いの飛んでいけー」と唱えたら、泣いていた女の子がきょとんっと瞬いた。
とりあえず、泣き止ませることには成功したようだ。
「……いたくない。いたいの、飛んでっちゃった!」
そんな馬鹿な、とは思うのだが、女の子が泣きやんだので良しとする。
世のお母様方とて、本当に痛いのが飛んでいくと思ってこのおまじないを唱えているわけではないと思う。
「よく効く傷薬だな。今のは魔法の呪文か何かか?」
「え?」
お礼を言って友だちと走り去っていく女の子を見送っていると、背後から突然話しかけられた。
驚いて振り返ると、赤毛で背の高い、いかにも一昔前の冒険者といった雰囲気の青年が私の顔を覗きこんでいる。
あまりにもびっくりしたので数歩下がって距離を取ると、青年には驚かせたか、と謝罪された。
「俺はオレク。きみが貴重な薬を使ってくれた女の子の兄貴の友だち」
「わたしはこのみと言います」
名前を名乗られたので、こちらも名乗っておく。
個人情報をばら撒くなんて、と思う私も頭の片隅にはいるが、ここは治安の良い街で、さっきから親切な人にばかり出会っている。
なんとなく、警戒して偽名を名乗る方が失礼だと思ったのだ。
「……あれ? 貴重な薬、ですか?」
「ちゃんと効力のある薬は貴重だろう。碌な効果のないまがい物ならゴロゴロしてるけど。塗った途端に子どもが泣き止むとか、すごい効果だな」
「それは……あれかもしれませんよ? 『治療してもらえた』って安心感で泣き止んだとか」
「それもあるとは思うけど……それだけじゃ、まだ走ることなんて無理だろ」
「……そういえば、走ってましたね、あの子」
他の子どもと一緒に去っていったので気が付かなかったのだが、膝を出血するほどに擦り剥いて、手当てをされたからと言ってすぐに走ることなど出来ないだろう。
擦り傷以外にも、膝を地面へ強く打ち付けた、という打撲の痛みも残っているはずだ。
「本当に効果があったんですね、この薬」
「だからそんな貴重な物を他所の子どもに使っちまって良かったのか、って聞いてるんだけど?」
「大丈夫ですよ、薬なら売るほどありますから」
むしろ薬を売りに来たのだ、と言ったら、今度は売り物に手をつけたのか、と心配されてしまった。
売り物が駄目になってしまった、と。
「開けた薬はわたしが自分で使う用にしますから、大丈夫ですよ」
「いや、大事な商品だろう。俺が買うよ。きみ……このみだって、傷薬を売りに行けって持たせた奴に知られたら怒られるだろ」
「あ……そういう意味で心配してくれたんですね」
どうやらオレクは私が誰かの使いで薬を売りに来たと思ったらしい。
私が薬を作った人間で、どう扱うかは私の判断次第だ、ということを知らなかったからこその心配だ。
なので、心配はいらない、と門番へと話した設定をオレクへも聞かせる。
薬師の元で修行し、ようやく売り物にできるレベルの物が作れるようになったということで、早速売りに来たのだ。
この薬は私が作ったものなので、私が怒られる心配はいらない、と。
「怒られないってのは解った。けど、それはそれで問題だろ。初めて売りに来た物を、無駄にしちまうなんて……」
「門番さんがひとつ買ってくれたから、記念すべき『初めて売れたもの』はもうありますよ」
だから大丈夫です、と念を押したら、ようやくオレクは納得してくれた。
薬を売るほど持っていたことと、効果が確かめられるかも、という下心があってしたことだ。
これでオレクから商品代金を貰ってしまっては、なんだか押し売りをしたような気がしてしまう。
「あ、そうだ。オレクさん、冒険者ギルドの場所を知りませんか? 門番のおじさんから、薬を売りに行くなら冒険者ギルドがいい、って聞いたんですけど……」
「冒険者ギルドなら大通りに出て、小道を三つ越えた角を曲がればすぐ見えてくるけど……」
「ああ、やっぱり曲がる道を数え間違えたんですね」
これだけで私が迷子になっているとオレクは判ったようだ。
道案内をかってでてくれたので、今度は遠慮なくお世話になることにした。
「えっと、これは?」
早速連れて来てもらった冒険者ギルドで傷薬の買い取りを依頼したところ、鷲鼻のお爺さんが出てきて対応してくれた。
鷲鼻のお爺さんは片眼鏡をつけて傷薬を一つひとつ手に取ると、そのうちの六つを避ける。
分けられなかった物との違いは私にも判った。
調合した際に、キラキラと光っていた物だ。
「この六つだけ効能が高いようじゃ。少し値が上がる」
「……見ただけで判るんですか?」
「そのための片眼鏡じゃからな」
片眼鏡は品質を鑑定してくれる道具だったらしい。
家に帰ったら、冒険者ギルドと買い取りについて【異世界図書館】をもう少し読み込んでおいた方が良さそうだ。
頭の中で予定を立てながら、鑑定作業を見守る。
最終的な鑑定結果は、効能が普通の物は一つ銅貨二十五枚、効能の高い物は銀貨一枚という買い取り価格になった。
全部で二十五個の傷薬を持ち込んだので、銀貨六枚と銅貨四百七十五枚の売り上げだ。
……アシュ様、それなりの収入なんてものじゃなかったです……っ!
銅貨には大中小と種類があるのだが、所謂銅貨と呼ばれているものが小銅貨だ。
ここから扱いやすいように大銅貨=銅貨百枚分の価値、中銅貨=銅貨五十枚の価値と、纏められるようになっている。
銅貨四百七十五枚と言っても、私が受けとるのは大銅貨四枚、中銅貨一枚、小銅貨二十五枚だ。
そして、銅貨の下に粒銅という貨幣が存在する。
粒銅は二十五個で銅貨一枚の価値になるのだが、先ほど食べた屋台のパンがこの粒銅五個という値段だった。
アシュヴィトは「それなりの収入になる」と言っていたが、それなりなんてものではない。
銅貨だけでもアルバイト一ヶ月分ぐらいの収入になっていた。
「こんな薬、どうやって作った?」
「たまたま出来ました」
「たまたま……?」
作り方は他と同じである。
同じように作っていて、いくつかがたまたま効力が上がっていたらしい。
私にとっては、これだけのことだ。
特別に違うことをしてはいない。
「そう言う意味で聞いたのではないのじゃが……、まあ、魔法薬の処方箋なんぞ金に等しい価値があるからな。そう簡単には洩らせんか」
「魔法薬、ですか? あれ?」
「……知らずに作っておったのか?」
「お師匠様に言われた通りに傷薬を作っただけのつもりだったので……」
そういえば、調合する時に魔力を使っていたな、と思いだす。
調合時に使う魔力の影響で、すぐに効果の出る傷薬ができた、ということだろう。
ここは地球とは異なる世界だ。
地球の傷薬の常識では考えない方がいい。
「常にこの品質で作れれば、買い取り価格はもっと高くなるぞ」
「そこは私の修行次第、ということで……?」
狙って作れたわけではないので、数を作るしかないだろう。
とはいえ、普通の出来でも一つ銅貨二十五枚で買ってもらえるのだ。
必死になって品質を向上させる術を探す必要はない。
代金を受け取って財布に入れると、ここまで連れて来てくれたオレクが妙な顔をしていた。
あさっての方を向いて「魔法薬……」「銅貨二十五枚を……子どもに……」「銅貨二十五枚をふいにして気にしないなんて……」とぶつぶつ言っている。
どうも先ほどの路地でのことを気にしているようだ。
……原価、温室でとれた薬草だから、気にしなくていいと思うんだけど?
薬を塗った女の子が、友人の妹だと言っていた。
知人へと塗られた薬だからこそ、オレクは値段が気になっているのだろう。
「オレクさん、オレクさん」
冒険者ギルドまで道案内をしてもらったので、とお礼を言って別れたかったのだが、オレクはまだ思考の海に沈んでいた。
何度呼びかけても反応がないので、人差し指でわき腹を撫でてみる。
これは効果があったようだ。
「にょわっ!?」と妙な悲鳴をあげて、オレクが身をよじって逃げた。
「ここまで案内していただき、ありがとうございました」
「あ、ああ。えっと……このみは、このあとどうするんだ?」
「このあとですか? そうですね……もう少し街を見てから帰ります」
「じゃあ、その……道案内を雇ってみないか? 報酬は、さっきの開けちまった傷薬で」
「開けてありますよ?」
開封済みの傷薬でいいのだろうか、と首を傾げていると、鷲鼻のお爺さんが横から会話に飛び込んで来た。
魔法薬など滅多に手に入るものではないので、開封済みでも買い取れるぞ、と。
これに対してオレクが横から交渉に入ってくるな、と猛抗議を始める。
この抗議に、鷲鼻のお爺さんはギルドを介さずに依頼を取ろうなど、重大な規約違反だ、とオレクを諌めはじめた。
ついでに言えば、道案内ぐらいで魔法薬を得ようなどと、暴利にもほどがある、とも怒っている。
……ええっと?
言い争いを始めた二人の言葉を拾いとると、想像より高く売れすぎた気がしていた傷薬は、これでも安い値段だったらしい。
門番から聞いたように、私の信用がないための安価だ。
これは仕方がない。
そして、オレクが傷薬を欲しがっているのは、誰かのためのようだ。
私としては高く売れすぎたことだし、開封済みの傷薬ぐらいオレクに譲ってもいいのだが、売り物として十分価値のあるものを、道案内程度の仕事で得ようなど私を騙しているようなものだ、と鷲鼻のお爺さんは怒ってくれていた。
「じゃあ、間を取って試供品ってことにしましょう。私は効果をお客様に実感していただける宣伝費ってことで、オレクさんは使いたい人があるうちにギルドは来れば試せる。これでどうですか?」
少なくとも私に損はないはずだ、と鷲鼻のお爺さんを宥める。
私のためにオレクを諌めてくれているというのは判るのだが、怒りすぎは体に毒だ。
「リナが来るまでカウンターの下に隠しておけよ、爺さん」
「ふんっ。そんな贔屓はせんぞ。わしは公明正大を正義の女神に誓っておるからな」
用が済んだらさっさと行けと、鷲鼻のお爺さんはオレクを追い払っているのだが、私が騙されているのではないか、と怒ってくれた老人だ。
ああは言っても、リナという女性が使えるように気を回してはくれるだろう。
「……なんだかごちゃごちゃしちゃったけど、このみが良ければ街を案内するよ」
「傷薬はもうありませんよ?」
「タダでいいよ。なんだかんだで、リナが使えるように爺さんが気を回してくれるだろうし」
リナというのは、オレクの幼馴染の少女だったようだ。
オレクのことを私はてっきり年上のお兄さんかと思っていたのだが、これは身長からくる誤解だった。
年齢は十六歳ということで、今の私とほぼ同じである。
リナは一つ上の十七歳で、子どもの頃に不注意で顔に大怪我を負ってしまったらしい。
その時の傷跡が今も残っているのだが、魔法薬なら傷跡を消せないだろうか、とオレクは思ったようだ。
オレクが案内してくれるというので、市が立つ広場や、商店通りへ連れて行ってもらった。
途中に陶器で出来た食器や金物が並ぶ雑貨屋を見つけたので入ってみると、傷薬を調合する際に毎回「乳鉢がありません」と注意書きが表示される乳鉢を売っているのを見つけたので購入しておく。
アシュヴィト経由のネット通販で地球から取り寄せることもできるが、せっかくならこちらの世界で作られた道具を使いたい。
……食べ物はすごく安いけど、道具とかは高いね。工場生産とかじゃないからかな?
日本なら下手したら百円均一で買えるかもしれない乳鉢が、ここでは銅貨五枚だ。
これを先ほど食べたパンに換算すると、とても高価な気がする。
……食材もちょっと色々買ってみようかな。
とりあえず自分が持てるだけ、と初めて見る果物や野菜を買い込む。
一つひとつお店の人に食べ方を聞いていたら、どこのお嬢様だ、と呆れられてしまった。
どうやら子どもでも調理法を知っている、極一般的な食材だったらしい。
オレクお勧めの屋台で蜜を絡めたパンを二つ買おうとしたら、肩のコットンが僕のも、と主張した。
どうもコットンは甘党な気がする。
お店の人が紙袋に包んでくれたので、メイの分と合わせてお持ち帰りだ。
「今日はお世話になりました」
「いや、こっちこそ、色々世話になったな」
またルズベリーの街へ来ることがあったら声をかけてくれ、と別れを済ませようとしたら、城門で親切にしてくれた門番に声をかけられた。
無事に冒険者ギルドに行けたようだな、と。
「もうすぐ夕方になるが、今から街を出るのか?」
「行商許可証は一日限定ですし、売り物も全て売れましたから」
傷薬がいくらで売れたかは、あえて触れないようにした。
門番は親切のつもりで銅貨三枚で買ってくれたのだ。
冒険者ギルドでは銅貨二十五枚で売れた、とは言い難い。
「森に住んでる偏屈な薬師の弟子って言ってたな。オレク、おまえちょっと送っていってやれ」
「え? 俺?」
不意にオレクへと話が振られ、オレクが瞬く。
それはそうだろう。
突然街の外まで今日会ったばかりの人間を送っていけ、と言われたところで、オレクにそれをしてやる義理はない。
「大丈夫ですよ。三十分も歩けば家につきますから」
「……そんな近場に建物なんてあったか?」
門番としては、徒歩三十分は近場に含まれるらしい。
城門から出て街道を徒歩三十分も歩けば、転移してきた森につく。
私にとっては「三十分も歩けば」家に帰れるだが、門番からしてみれば「三十分歩いたところで森の入り口にしか辿り付けない」なのだろう。
森に住んでいる、と最初に語った設定と少し矛盾する。
「森の中にあるから、道や建物が見え難いのだと思います」
見え難いかもしれないが、徒歩三十分圏内に家があります、と主張して門番からの申し出を辞退する。
オレクには街の案内をしてもらったし、これ以上私につき合わせるのは申し訳ない気がした。
……治安のいい街、って条件で絞ったけど、親切な人も多いね、ルズベリーの街。
冒険者ギルドの鷲鼻のお爺さんもそうだが、みんな私に親切だった。
子どもに見える外見のせいか、チートの【愛し子】のおかげかは判らなかったが、親切すぎて申し訳ないぐらいに親切だ。
結局、森の入り口までオレクが送るということになり、道すがらの他愛ない話として門番との関係を聞く。
門番はオレクの近所に住んでいるそうで、小さな頃から知っているために今でも頭が上がらないのだとか。
「……あ、このあたりで大丈夫です」
「え? このあたりって……まだ森の入り口にもついてないけど……?」
むしろここは街道である、と指摘するオレクの言葉は正しい。
私が森に住んでいる、ということが嘘なのだから、オレクの知っている森まで行く必要は最初からないのだ。
……親切な人ばかりだったから、教えても大丈夫な気はするけど。
あの家は特別な場所にあるらしいので、ほいほいと人は招かない方がいいだろう。
となると、オレクとはここでお別れするのが一番いい。
「わたしのお師匠様はとっても偏屈なんですよ。人が訪ねて来ないように、入り口は判り難く隠してありますし、知らない人が近づいてきたら家に近づけないように惑わすんです」
だからここで大丈夫です、とお礼を言ってオレクの返事も待たずに街道脇の藪へと飛び込む。
驚いたオレクの声が聞こえたが、申し訳ないが聞き流した。
「コットン、帰ろう」
『わかった』
コットンに合図を送ると、すぐに足元が光始める。
行きに場所を指定しておいたからか、家に帰るため場所の指定がそもそも必要ないのか、帰りはあっという間だ。
ふわりと転移の魔方陣が光ったかと思うと、次の瞬間にはネクベデーヴァでの我が家が待っていた。
全13話で終わります(文字数については触れていない)。