花金ごはん
「おかえり、なさい?」
まぁ、そういう反応になるだろう。
こちらを見て疑問系で問いかけてくる彼は、首を捻る。おとなしくこの家で待っていたであうか。昨日きせかえた服と何ら変わらないその服装をまじまじと見てしまう。本当に上から下までツンツルてんだな。
昨日より体が回復したのだろう。顔色がいい。あのボーッとした表情でもない。少しぐらいはマシになったようだ。
扉を開いてくれた彼からドアを取り中に入る。玄関先でこちらを見つめ続ける彼に首をかしげた。そっと背伸びをしておでこに手をやるが、昨日ほどの熱はない。よし、お犬様は思った以上に回復していると見える。手を離して持っていたものを玄関先に置いた。沢山のものが音を立てる。
「ごはんは? 食べた?」
両手に持っていた荷物が無駄にならなかった。これほどの食材を買うのはいつぶりであろうか。こちらの顔を伺うことしかしない彼は、小首を傾げていたものの、軽く頷いた。家の中に入るも、出るときと変わらない様相に、彼がほぼ寝ていたことを感じさせる。机の上にあったはずの野菜スープやおかゆは全てなくなっており、食器は綺麗に洗ってまである。
自分に着いてきた彼は、こちらをじっと見つめたままだ。
「体調崩してるんだから、おいておけばよかったのに。大丈夫?」
苦笑いをする自分を不思議そうに見つめてくる彼はまた、頷いた。
「そんなに見ても何もでないわ。あなた、お風呂入ってないでしょう? ごはんの準備するから入ってきなさい」
「……いいの?」
「えぇ。そんな臭い状態でずっと居られるよりマシだわ」
確実に数日間お風呂に入っていない臭いがする。昨日は仕方がないのである程度体は拭いたけれど、限界がある。彼から臭う異臭に、鼻がつんとなる。
この週末は、彼の服でも買いに行こう。それまでは、背丈の足らない服で我慢してもらうしかない。彼の背丈でそれなりに肉付きがよろしいから、それなりに格好よく仕上がるのではないか。そんな事を思って、上から下までまじまじと見つめる。
その視線に気づいたのだろうか、こちらの様子を伺い続ける彼が動こうとしない。キッチンの前に立つ自分をじっと見つめてくる。
「どうしたの?」
「……風呂の場所がわかんない」
あぁ、そうかと納得する。意識を失い起きたら人の家だったんだから、何処が何処かとかわかってないのか。
替えのない服を、再度着て貰う必要がある。その主旨を伝えて、お風呂へ向かう。相変わらず、何も言わない彼はおとなしく後ろをついてくるし、何も言わずにこちらの言うとおりにしてくれる。立場が逆であれば疑うけれど、こちらから何かをすることはない。逆に言えば、大人しく一日家にいるようなわんこだ。悪さはしないと思われる。
お風呂へ案内した後に、買ってきた食材を並べ今夜のごはんを考える。彼の栄養のことも考えたけれど、自分のおつまみのことも忘れちゃいない。昨日は晩酌できなかったし、今日は思う存分飲ませていただこう。冷蔵庫に入っているお酒を確認して、料理に取りかかった。
人のために食事を作るのも久しぶりである。
このところ自分のためにしか作らなかったそれらは、凝ったものなどなく自分が食べたいものだけを、少しずつ作っていた。それだけで、晩酌の肴にはなっていたし、事足りていたから不自由なかった。
彼の口に合えばいいな。昨日の野菜スープは誰にでも作れる上に、味付けは簡単なものであったから、それとはまた違う。料理の腕に自信はないけれど、今のところ変な物を作ったことはない。
徐々に出来上がる料理たちから匂う美味しそうな香りがリビングを支配する。自分の好きな味付けを自分で好きなように作っているのだ。間違いなく自分にとっては美味しいものである。
奥より物音がして、出てくる気配がする。そちらを振り替えれば、先程と同じ服は着ているのだけど、頭が全く渇いていない。首からタオルをかけているが、それでは風邪をひいてしまうであろう。思わず顔をしかめてしまい、相手を見上げれば、小首を傾げて歩みを止めた。
「頭、乾かさなきゃ。風邪ひいちゃうわ」
「……大丈夫」
「大丈夫なわけないわ。そこに座って?」
大丈夫とかどの口が言うのか。昨日はあれほどの熱を出して寝込んでいたと言うのに。体が濡れて風邪を拗らせたのは誰だ。目の前の彼は、顔色一つ変えずに椅子へと座る。洗面台から持ってきたドライヤーでもって、彼の頭を乾かし始める。こんなこと、いつぶりであろう。
大分と前ではあるけれど、同じ毛量ほどのあの子もよく風邪をひくくせに髪を乾かそうとしなかったっけ。少し懐かしくなって、笑みがこぼれた。
短い髪の毛はすぐに乾いてくれた。彼が座る席の前に、ごはんを揃えていく。今日は自分の食べたかったものをメインとした。トマトとベーコンのリゾットに、豆乳ベースの野菜スープ、そして軽くした味をつけたチキンソテー。今日飲むものはワイン、といったところか。
並べたごはんが美味しそうに湯気を立てる。わんこくんには悪いけれど、今日のご飯は完全に自分好みである。
椅子に座って、運ばれてくるものを物珍しそうに眺めてくる彼は、目の前のごはんをみて、こちらを見て何度も瞬きをさせている。
「……ご飯、珍しいの?」
「いや、食べて、いいの?」
「そうじゃなきゃ、出さないわ。その細さじゃぁ、ご飯あまり食べてないんでしょ?」
そういう自分に対して、彼は大きく何度も頷いた。そして、目の前のご飯に尻尾をふっている。本当にでかいわんこだ。
自分用には開けたワインをコップへとそそぐ。
彼には普通のお茶をだしたけれど、飲む相手としてコップを用意した方がよかったかな。そんな自分には目もくれず、目の前のご飯をただひたすらに舐めるように見つめている。そんなにお腹がすいたのか。
目の前のわんこにクスリと笑ってから、手を合わせ目を閉じて一言。
「いただきます」
その様子を見た彼が、同じようにする。
「いただきます」
そう言った途端に、お皿をもってリゾットを口の中へ放り込んだ。大きな口をして沢山のものを詰め込む彼は、さながらハムスターのようである。ここまで美味しそうに、そしてどんどん食べてくれるのは空腹が故なのだろう。ワイン片手に目の前の彼を肴にして飲んだ。今日はいつもよりも、ごはんが美味しく感じるのは、誰かと一緒にいるからなのだろう。
人に作って貰った物を、他の人と一緒に食べるご飯も美味しいけれど、こうやって、自分の作った物を他人と食べるのもまた美味しいものである。
微笑ましい彼の姿をクスクス笑いながら食べていると、ようやくその視線に気付いた彼が、こちらをまじまじと見つめてくる。
「なんか、ついてる?」
「いいえ、違うの。気にしないで」
見られていては食べられないか。目元を笑わせたまま、自分もご飯を口にする。リゾットからのほどよいトマトの酸味とチーズのコクが口一杯に広がる。今日食べたかったものはこれだ。うん、自分好みの味である。
誰かに教えて貰ったわけではないけれど、レシピを見よう見まねで作ってみたらこんなものだった、程度の腕である。自分はそれだけで充分のように感じている。
手のこっただし汁の取り方や日本料理などは作れない。
いやはや、ワインが本当に美味しいな。ワイングラスに注がれた赤ワインも、高いものではない。安くて美味しいワインを自分で吟味した結果置いている赤ワインだ。ワインに特に詳しいわけでもない。
そうやってお酒をのみ恍惚とした笑みを浮かべる自分を、じっと見つめてくる彼。先程まで、夢中になって食べていたものが完全に無くなりかけている。ひたすら頬張っていた彼のご飯は、明らかにこちらよりも減りが早かった。お皿にあったはずのリゾットは綺麗になくなっている。野菜スープも同様に、そしてチキンソテーは大分と前に消えていた。
「……もしかして、おかわり?」
そういう自分に、彼は申し訳なさそうに頷いた。
控えめにうなずく彼は、今更ながら罪悪感でもわいたのか。なんだか昨日とは違う、子供っぽさを見せてくる彼にまたクスクスと笑ってしまう。
確かに、リゾットを冷凍してお弁当用にしようと思ってたぐらいだ、余りはある。そしてスープもいつも作りすぎてしまうのだから、当然残っている。まさか、作ったものが全て食べて貰えるとは思っていなかったため、今から冷蔵庫に入る準備をしていたぐらいである。
年頃の男の子とはこんなにも食べるものなのか。
「いいわ。待っていてね」
食べてもらえるのであれば、作った甲斐があるというものだ。
スープとリゾットを温めなおすために火をつける。明日はもう少し作る量を考えた方がよいだろうか。そんなことを考えるだけでワクワクしてくる。久しぶりに楽しみを覚えた自分もどこかイキイキとしているようだった。
再び出されたご飯をまた必死に食らいつく彼を見てまたお酒をあおいだ。
久し振りによい花金を迎えられた。