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魔ガンのアイドル  作者: 雪雷音
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2話 ~誰何~

 夢を見ていた。


 まだ小さい子どもだった頃の。


 夢の中の自分は、実家のリビングの入り口に立って、過去の自分を見ている。


 幼い魅来は、リビングに置かれた五十八インチの大きな画面を、かぶりつくように見つめていた。


 テレビに映っているのは、女の子向けのアイドルアニメ。


 色鮮やかなドレスをまとった可愛い女の子達が、胸躍るリズムに合わせてステップを刻む。時に明るく、時にちょっぴり切ないメロディーに乗せて届く歌声は、まるで天使のようで……魅来はテレビの前で何度も一緒になって踊り、歌を口ずさんだ。放送日である土曜の朝十時が、毎週楽しみで仕方がなかった。


 ライブシーンが始まる。


 夢の中の小さな魅来も、見よう見まねで踊り出した。栗毛色の髪がステップに合わせてフワフワと舞う。少し舌足らずな歌声も聞こえ始めた。


 ――はは、全然ヘタクソ……歌もダンスもボロボロ。


 自分のことだというのに、思わず笑いが込み上げて来た。これでよく本気でアイドルを目指そうなんて思えたなぁ……と、今更ながらに、自分の現在の境遇が奇跡に思えてくる。

 

 ――ううん、違う。私が本当にアイドルになるために頑張れたのは……

 

 ゆっくりと視線を左へ向ける。

 

 そこには幼い我が子を温かく見守る両親の姿。二人は魅来が歌い終わると、必ず魅来の拙い歌とダンスを褒めてくれた。


 そして、現在いまも変わらぬ声援をくれている。


 そんな『夢』の始まりの夢。


 そうして魅来の意識が、ぼんやりと昔の自分を眺めていると、夢の中の場面が変わった。


 景色は相変わらずの実家のリビング。


 だが、幼い未来は母の膝の上で絵本を読んでもらっている。


 ――あぁ、そういえば……この頃にはもう一つ『夢』があったっけ……

 

 ふと蘇った記憶に、現在の魅来が懐かしむような声を零す。


 その絵本は魅来の大のお気に入り。母に何度も読んでもらった物語だ。


 お話の内容は、ファンタジックな冒険活劇。悪い魔物に囚われたお姫様を助け出す、勇者の物語。よくあるおとぎ話。


 魅来はそんなカッコ良い勇者に憧れた……わけではない。


 そんなヒーローに救われるお姫様になりたかったのだ。

 

 思えばこの頃の魅来は、特撮物のヒロインや、アニメのお姫様にも心奪われていた気がする。我ながら、かなりメルヘンな世界の住人だったらしい。


 まぁそんなメルヘンチックな夢は、小学三、四年生頃には忘れてしまっていた。


 というより、わかってしまったのだ。

 

 自分はお姫様なんてガラじゃない、と。

 

 お姫様と言えば、清楚でお淑やか。見目麗しく、か弱い乙女。

 

 気が強くてお転婆。気に入らなければ男子にさえ平気でケンカを売るような自分とは正反対だ。


 まぁだからこそ、厳しい芸能界でアイドル声優としてやっていられるのかもしれないが。


 母の膝の上に座る魅来が、キャッキャと声を上げながら、絵本のページをめくる。


 そんな光景に、現在の魅来は静かに背を向けた。


 ――私はもう、アイドルを目指すって決めたから……

 

 過去の声が遠ざかっていく。


 夢の中の景色が滲み、魅来の意識もゆっくりと薄れていった。





 魅来がベッドの上で目を覚ましたとき、辺りはまだ真っ暗だった。


 カーテンの隙間からわずかに入ってくる月明かりを頼りに周囲を見回す。見慣れたアニメのポスターや、通販で買った白いチェスト。どうやらここは自分の部屋らしい。

 

 寝起きの重い体を引きずり、手探りでベッド脇のサイドテーブルを物色する。いつもならそこに置いてあるはずのスマホがない。目覚ましは全てスマホ任せだ。この部屋で時刻を知るための手段はない。

 

 仕方ないなぁ、と未だに覚醒しない体を起こし、ベッドを降りた。

 

 フラフラとおぼつかない足取りで寝室を出る。


 リビングの明かりは着けっぱなしになっていた。LED式蛍光灯が発する光を遮るように右手をかざし、魅来は目を細めて立ち尽くす。インテリアや壁紙のほとんどを白で統一しているため、部屋全体が眩しく輝いているようだ。


 数秒後、部屋の明るさにも慣れた魅来は、壁に掛けられたアナログ時計に目をやる。時計の短針は、もうすぐ十二の文字を指すところだった。


 リビングの中央、ガラス製のセンターテーブルには、近所のコンビニの袋が。そのすぐ隣には魅来のハンドバッグが無造作に置かれている。留め金の外れたバッグの口から、魅来の最新機種のスマホがはみ出ていた。どうやらバッグに入れたまま寝てしまったらしい。


 スマホの画面を付ける。日付や時刻と共に、画面上の文字がメールの着信を告げる。


 指紋認証を済ませ、メールを確認する。


 メールはマネージャーのまり恵からだった。内容は明日のスケジュールの再確認と、しっかり休息を取るようにとのこと。着信時刻は二十時三分。さすがに今から返信したら、まだ寝てなかったのか、と怒られてしまうだろう。


 コンビニの袋の中には、お弁当とペットボトルのお茶とプリン。マンガ雑誌は、テーブルと二人掛けソファーの間に落ちていた。


(そっか……私、仕事から帰って、そのままご飯も食べずに寝ちゃったのか)


 仕事後に、コンビニで買い物をしたのはぼんやりと覚えている。だが、それ以上のことは思い出せない。自分で思っていたよりも疲れが溜まっていたのかもしれない。


 少しすると、スマホ画面が暗転した。真っ黒な画面に自分の顔が映る。


(うわっひどい顔……髪もボッサボサだし、メイクも落としてないわ)


 思わずドン引きした。こんな顔をファンが見たら、間違いなく幻滅するだろう。


(せめてシャワーだけでも浴びないと……)


 スマホを二人掛けソファーに放り投げ、魅来は浴室へ向かう。


 道中で脱ぎ捨てた衣服が、まるで迷子予防の道しるべのように、リビングの床に点々と散らばっていく。いつもならば、それらは全て脱衣所にある洗濯機の横のかごの中に放り込むのだが、今はそんな手間さえも惜しかった。一秒でも早くシャワーを済ませて、再び眠ってしまいたい。


 下着だけを履いた状態で、脱衣所に辿り着いた魅来。ノロノロとした動きで、残った邪魔物を捨て去り、浴室の扉へと歩を進める。


「あ~、今は入らない方がいいと思うけど?」


 ……誰かの声が聞こえた気がした。どうやらまだ寝ぼけているらしい。シャワーを浴びれば、目も覚めるだろう。


「一応、止めたからね? あとはボク、し~らないっと」


 呆れを含んだその声は、バスルームの戸を開けるガラッという音にかき消されて、魅来の耳にはほとんど届かなかった。


 浴室の中は、どこかひんやりとしていた。真っ白な樹脂素材の床には、ところどころに水が溜まっている。まるでついさっきまで誰かがシャワーを使っていたかのようだ。踏み入れた足の裏側が、急激に体温を失っていく。


 そして目の前には――


「なんだ、目が覚めたのか」


 昼にサイン会に来ていた、あの黒髪の少年がいた。


 少年は魅来が入ってきたというのに、特に慌てた様子もない。肩越しにこちらを振り返り、相変わらずの冷たい漆黒の瞳を魅来へと向けている。


「丁度いい。今上がるところだ」


 言葉の通り、少年はついさっきシャワーを止めたところだったようだ。右手はシャワーのレバーハンドルを押さえている。


「お前も入るならさっさと入れ。その後で話がある」

「……え、あ、はい」


 少年は、そのまま魅来の横を何事もなかったかのように通り過ぎると、後ろ手で浴室の扉をピシャリと閉めた。


「………………」


 残された魅来は、とりあえずシャワーのレバーを引き上げる。


 冷え切った水が勢いよく噴き出した。温度調節のハンドルが最低まで捻られている。


「冷た……」


 ポツリとそんなことを呟きながらも、魅来は円状に放射される冷水を頭からかぶる。肩下まで伸びた栗色の髪が、水分をたっぷりと含んで首筋にまとわりついた。冷たい水が、眠気と疲れと予想外の再会の衝撃に停止していた思考を、徐々に覚醒させていく。


 …………


 ………………


 ……………………


「って、何よ今のはああああああああああああああああああああ!」


 魅来の絶叫が、真っ白に輝くバスルームの壁に反射した。


 がんっ! と叩きつけるようにシャワーレバーを下げると、魅来は振り返りざまに勢いよく駆け出した。


 そのまま浴室のドアを乱暴に押し開け、体や髪から水が滴り落ちるのも構わずに脱衣所を出――る前にピタリと立ち止まる。クルリと踵を返すと、洗濯機ラックの上でキレイに積み重なったバスタオルの一枚を乱雑に掴み取った。それを素早く広げて体に巻き付ける。


 本当ならば、こんな格好で人前に出ていきたくはない。しかし、現状これ以外に手はない。めんどくさがって着替えを用意しなかったことを、魅来は死ぬほど後悔した。

 

 武器になるようなものがあれば、とも思ったが、残念ながら脱衣所にも風呂の中にも役に立ちそうなものはなかった。


 ドアノブに右手をかけ、ゆっくりと息を吐く。リビングから微かに物音がするが、あの男が何をしているかはわからなかった。


(ええい、女は度胸!)


 意を決してドアを引き開け、リビングに躍り出た魅来。


 そこには――







 ぶおおおおぉぉぉぉ……





 魅来の覚悟を鼻で笑うような、気の抜ける音が響いていた。


 そしてテレビの正面、二人掛けの白いソファーには黒ずくめの少年の姿が。両足をソファーの上に投げ出し、ほとんど寝そべるような状態で横向きに座っている。


 その右手には赤と黄色というファンキーなカラーの紋様が描かれた銃。それを自身の漆黒の髪へ向けている。どうやら銃から風が出ているようだ。


「あ、出てきた」


 そして少年のお腹の上には、うつ伏せになり、白く伸びた――といっても、長さは十センチに満たない――両足をパタパタさせるポニーテールの小さな妖精がいた。


 あまりにのんびりとした空気に、再び思考が停止する魅来。


 そんな魅来に、黒ずくめの少年はその黒髪を左手でバサバサしながら――


「風呂くらいゆっくり入れ」


 ――そんなことを宣った。


 魅来の頭の奥で、プチンと何かが切れる音が聞こえた。


「な、な、な……」

「ん?」

「何をやってんのよあんたはああああああああああああああああああ!」


 再び、魅来の怒りの咆哮が、深夜零時のリビングに響き渡った。この部屋の防音がしっかりしてなければ、間違いなくご近所さんからクレームが入っていただろう。


 膝の上の小さな妖精は、両手で耳を塞いでいた。


 そして魅来の大絶叫を正面から浴びた、もう一人の不法侵入者はというと、


「……騒がしい奴だな。近所迷惑だろう」


 まるで非常識な若者を叱る大人のようなことを言って、魅来に冷めた視線を向けてきた。


 こんな格好じゃなければ、間違いなく殴ってた。


「知らない男が勝手に家の中にいて落ち着けるわけないでしょうが!」

「昼に会った」

「一回会っただけじゃない! しかもすっごい妖しい感じで!」

「一回会っただけの人間にずいぶん失礼だな」

「あんたにだけは言われたくないわよぉ!」


 だんっ! と魅来が右足でフローリングの床を踏み鳴らす。ダンスや歌の確認ができる部屋を選んでいるので、この程度の振動では下の住人には聞こえない。


 それは叫んでも暴れても助けは来ないということでもあるのだが……正直、目の前で変わったデザインの銃を髪に向け、髪をわしゃわしゃしているこの男が、魅来に襲い掛かってくるようにも思えなかった。


 というか、女の子であり、一応アイドル声優でもある魅来からすれば、バスタオル一枚の自分に対して、心底関心のなさそうなその態度も不満の一つであったりする。


 もちろん襲われたくなどないが。


「てゆーかあんた! さっき私の裸見たでしょ!?」

「だからなんだ?」


 右手の銃だかドライヤーだかを下ろし、髪の乾き具合を確かめるように左手を動かす少年。魅来の方など見向きもしていない。


 そんな少年の態度が、魅来の女としての、そしてアイドルとしてのプライドを刺激し、燃え上がる怒りに油を注ぐ。


「人の裸見といて、何よその態度は!?」

「……お前が何を騒いでるのかさっぱりわからん。だいたい、裸ならお前も俺のを見ただろう」


 魅来の脳裏に、先ほどの風呂場での光景が浮かんできた。


「う……あぅ……」


 一瞬で顔がゆで上がるほどに熱くなった魅来は、その熱を冷ますように首をブンブンと振る。


「さっきから何をやってる? 頭でも打ったか?」

「これが正常な反応よ!」


 おかしな人を見るような目で見つめられ、再び怒りで足を踏み鳴らす魅来。どんっ! という鈍い音と共に、近くの棚に飾っていた写真盾がコトンと倒れた。


「あ~、お取込み中失礼」

「何よ!」


 そんな二人のやり取りを、まるでテレビのバラエティー番組を見るような表情で眺めていた妖精の女の子が、口を挟んでくる。こんなお人形サイズの女の子と会話をすること自体も、明らかに異常なことなのだが、すでにそんな違和感は頭の奥に放り捨てられている。


「そんな格好で暴れるとさぁ……落ちちゃうよ? それ」


 魅来の胸元を指さすポニーテールの女の子。


 そしてその瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように、足元でパサリと何かが落ちる音がした。


 その音の正体と、妖精の指し示す先を確かめるように魅来が下を向く。


 そこには最近ちょっと大きくなった魅来の二つのお山が……


「……お前は見られたくないのか? それとも見られたいのか?」

「……い、い――」


 少年のやけに冷え切った声は、魅来の耳にほとんど届いていなかった。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 本日三度目の絶叫が、広さ十畳のリビングを悲しく揺らした。


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