22話 ~信頼~
(ホロッ!)
中央ステージで歌い続けていた魅来が、炎に包まれたホロの姿を見て、心の中で悲鳴を上げる。
今はMY HERO’S SOULの二番。一番と二番の間奏の間に、魅来はメインステージから中央ステージへと移動していた。曲の演出ということもあるのだが、それ以上にホロの戦う姿を近くで見守りたかったからだ。
だが、そんな魅来を嘲笑うように、敵の放った魔術の炎がホロとシスティナを飲み込んだ。
歌を中断せずにいられたのは、もちろんホロを信じているから。
そして自分の戦いは、ここで歌うことだとわかっているからだ。
だがそんな魅来の想いとは無関係に、事態は動く。
二人を飲み込んだ炎が消える。
その中に二人の姿はなかった。
遠くに見える魔術師の姿が視界の端に映った。その顔が狂喜に染まっているのが、遠くからでもよく分かる。魔術師の高笑いが聞こえてくるようだった
そして、魔術師の右手に炎が宿る。
魅来はグッと身を固くした。ちょうど二番のサビが終わったところなので、歌に影響はなかった。
だが、魔術師がその炎を観客に向けることはなかった。手の中で炎をかき消すと、邪悪な笑みを浮かべて、真っ直ぐに魅来へと飛んでくる。
おそらく、観客を相手にするより、先に魅来を確保するのを優先したのだろう。もしかしたら観客の目の前で、魅来を屈服させようとしているのかもしれない。
(逃げないと!)
魅来は魔術師に背を向けると、中央ステージとメインステージを繋ぐ橋を全力で走る。魅来を急かすように、流れるメロディーがラストに向かって加速する。
(まだ、ここで捕まるわけにはいかない!)
さっきまでの戦いとは打って変わって、ゆっくりとした速度で魅来に迫る魔術師。きっと魅来を追い詰めているこの瞬間を、魅来の反応を楽しんでいるのだろう。
だが、それでも、徐々に敵との距離は詰まっていく。
ゆっくり、ゆっくりと……
魅来の恐怖を煽るように。
そうして魅来がメインステージに辿り着いた魅来が、後ろを振り返る。
魔術師はもうすぐそこまで迫っていた。
(ああ……やっぱり……)
醜悪な笑みを浮かべた魔術師が、その手を魅来に向かって伸ばす。その邪悪な手は、あと少しで魅来を掴み、魅来の全てを奪い去るだろう。
(私はアニメやおとぎ話のヒロインやお姫様にはなれないんだな……)
魅来の胸に、そんな諦念が浮かぶ。
もうずっと前から分かっていたことだが、結局、自分にはそんな役回りは向いていないのだろう。
曲調が変わる。
ラストの大サビに向けて。
(だって……)
迫る敵を前に、最後まで戦い続けようと、魅来はマイクを握る手に力を込めた。
(ヒーローに守られてるだけのお姫様なんてまっぴらだから!)
魅来の歌声が響く。
それと同時に――
ステージの縁から上がった花火が、魅来に迫る魔術師の体を弾き飛ばした。
「自分を囮に使う、だと?」
ステージ裏、着替え用のスペースで、魅来の提案を聞いたホロが小さく眉をひそめた。
そんなホロの険しい表情を前に、魅来が大きく頷く。
「そうよ。いくらあんたでも、観客を守りながらあいつと戦うのは難しいでしょ? それにあいつは、戦いになれば間違いなく観客を狙ってくる。だから逆に、その隙を突かれて、あんたは一度負けたふりをするの。邪魔物のあんたがいなくなれば、きっとあいつは私の所へ来る。そこで曲の演出に使う花火であいつをふっ飛ばせば……」
「あいつに大きな隙を作ることができるというわけか……」
顎に手を当てて、思案顔を浮かべるホロ。
「だが、奴がお前の元へ向かわずに、観客に手を出したらどうする?」
「その時は作戦失敗。あんたの言う通り、曲を中断して、観客を避難させるわ」
「観客は演出だと思い込んでる。そんな奴らにどうやって自分の言うことを信じさせる?」
「そうなったら、私の魔眼の力を使えばいい。前のイベントの時みたいにみんなを暴走させて、私が会場の外に逃げれば、みんな私を追ってくるでしょ?」
忌み嫌っていた魔眼の力を使い、平然と自分を囮にする作戦を説明する魅来に、さすがのホロも驚きを露わにする。
「まぁもちろん、それまではあんたがファンのみんなを守ってね?」
驚くホロに、魅来は軽い調子で「あとついでに私の貞操も」と付け足した。
「お前、怖くないのか? そんな自分を危険に晒すようなマネをして……」
危険な作戦を、自ら躊躇いなく提案する魅来に、ホロが鋭く細めた漆黒の瞳を向ける。
「そりゃあやっぱ怖いわよ。上手くいく保証なんてないし、私が逃げ切れるかもわからない。でもね……」
そこで魅来は一度言葉を区切る。
そして、ホロの漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめて、自分の想いを告げた。
「私はあんたを信じてるから」
ホロの端整な顔が、これまでにないくらいの――それでも小さな変化でしかない――驚きに染まった。
そんなホロに、魅来は心からの笑みを向けながら、言葉を続ける。
「本当はね……もう来てくれないんじゃないかって思ってた。あんな風に酷いこと言った私のところになんか……それでももし……もしもう一度あんたに会えたら……その時は最後の一瞬まであんたを信じようって決めてた。だから、絶対に大丈夫」
迷いなく大丈夫と言い切る魅来を、大きく見開かれたホロの瞳が真っ直ぐに見つめていた。
わずかな沈黙が流れる。
だが、その沈黙は、ホロがぷいっと魅来に背を向けたことで終わりを迎えた。
「お前は本当に変わってる……」
「……まぁそうかもしれないけど、あんたに言われるとちょっと癪だわ」
嫌味を口にしながらも、魅来の顔には笑みが浮かんでいた。
肩の上のシスティナも、そんな二人を見て嬉しそうに羽を揺らしている。
「いいだろう。お前の作戦に乗ってやる」
魅来に背を向けたまま、ホロがそう言った。システィナも「ま、やるしかないか~」と、両腕を真上に上げて、体を伸ばしている。
「じゃあ、敵をこっちに向かわせるタイミングを合わせるために合図を決めましょう。花火のタイミングは、演出さんに伝えておくけど、できることならある程度ラスサビのタイミングに合わせたいし」
足早に出ていこうとするホロを呼び止めて、魅来が曲の振り付けを頭に浮かべる。二番の終わりから、ラスサビまでの間奏で合図に使えそうな振り付けを決めるためだ。
しかし、そんな魅来の思考を、ホロの言葉が遮った。
「問題ない。次の曲なら、おおよそのタイミングはわかる。それまで敵が観客を狙わないように、敵の攻撃を引き留めればいいんだろ?」
肩を竦めてそんなことを言うホロを、困惑した魅来が問い詰める。
「ちょ、ちょっと待って! 何であんた、私の曲知ってんの?」
ホロに『MY HERO’S SOUL』を聞かせたことはない。そもそも最近歌ったのも、今回のライブのリハーサルくらいのはずだが……
そんな魅来の戸惑いをよそに、ホロは実に淡々とした口調で魅来の問いに答える。
「リハーサル中に何度か聞いたからな」
素っ気なく言われたホロの言葉。
だが、リハーサルは昨日と一昨日だけ。
しかもリハーサルでは、魅来もスタッフも略称である『マヒソ』としか言ってない。
つまりホロはリハーサルの間、ずっと魅来を傍で見守っていたということになる。それこそ、曲順や曲のタイミングを覚えるくらい、真剣に。
魅来の胸に、ポッと火が灯るような温かさが生まれる。
わずかに感じていた作戦への恐怖や不安は、全て消え失せていた。
「ちなみに、ホロは『マヒソ』と『星メロ』って曲がお気に入り」
システィナが茶化すようにそう言って、ホロに「余計なことを言うな」と叱られた。
そんな二人の姿に、魅来は思わず吹き出してしまう。
きっと、これで大丈夫。
そんな想いを胸に、魅来はホロの背中を押した。
そして三人は向かう。
それぞれの戦いのステージへ――