21話 ~狂人~
シスの風の魔法を受けて宙へ舞い上がったホロは、加速していく前奏に乗るように、速度を上げて飛翔する。
戸惑いと憎悪の表情を浮かべる魔術師目掛けて、一直線に。
「私のヒーローだってさ。カッコ良い役回りじゃない?」
左肩に座ったシスが、からかうような笑みを向けてきた。
そんな相棒に、ホロは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「ずいぶんと扱いの悪いヒーローだ」
「まぁこの曲が終わるまでに敵を倒せなんて、確かに無茶なお願いだよね」
シスの言った通り、魅来の持ち出した作戦と言うのは、魔術師との戦いを全てライブの演出だと思わせるというもの。
そのためにホロは、この曲が終わるまでの五分十三秒の間に魔術師を倒さなくてはならない。
「それでも引き受けた以上は、何としてもやり遂げないとね」
気楽な口調でシスはそう言うが、当然ながらそんな簡単な戦いではない。
これまでホロは、フランベルと名乗る魔術師と何度も死闘を繰り広げてきた。実力では敵を上回るホロだが、炎の翼で自在に飛び回るフランベルに、あと一歩と言うところで逃げられてきた。しかもフランベルは、本当に追い詰められると無関係の人間を巻き込む形で魔術を行使するのだ。それを防いでいるうちに、姿を見失うというのがこれまでの戦いの結果だった。
だが――
「言われるまでもない。これだけの事態を引き起こしたんだ。何としてもこの場で奴を撃ち取る!」
前奏が終わる。
闘う者の魂を鼓舞するように、魅来の力強い歌声がホロを包み込む。
その声を合図にしたかのように、ホロが両手に握る銃を敵へと向けた。
右が黒と白、左が赤と黄の紋様が施されたマスケット銃。それぞれが四元論の中で、『地』と『水』、『風』と『火』の元素を操るマジックガンだ。
その引き金を引く。
連続した銃声が鳴り響いた。
ホロの魔力によって生成された水と風の魔弾。それらが三つずつ、空気を切り裂く音を立てて魔術師へと飛ぶ。
「っ! くそっ!」
高速で向かってくる魔弾を、魔術師が手に出現させた炎で薙ぎ払う。こぶし大の水の魔弾は、敵の炎をわずかにかき消して蒸発。風の魔弾も二発は防がれたが、一発は魔術師の体をわずかにかすり、炎の翼を貫いて消えた。
「おのれぇ! またしても私と歌姫との恋路を邪魔しおって!」
「何が恋路だ。お前が一方的に言っているだけだろうが」
翼を貫かれ、わずかにバランスを崩した魔術師だったが、すぐに翼を復元。体勢を立て直すと、ホロに向けて右手をかざす。
「貴様にはわかるまい! あの方が私に向ける甘美なる愛が!」
魔術師が吠える。
直後、敵の目の前で真っ赤な炎が爆ぜた。
直径一メートルほどの炎の球が、唸りを上げてホロへと迫る。
「ふん、あいつがお前に向けるのは、憎悪と恐怖だけだろうに……シス!」
「はいは~いっと」
ホロの呼びかけに答えて、シスが両手を掲げた。
曲はサビに向けて、一気にヒートアップしていく。
魔術師へと接近していたホロの体が、曲の盛り上がりに合わせたように速度を上げる。
迫るは特大の紅炎。
それが目の前で大きく膨らみ、ホロとシスティナの体を飲み込んだ。
曲はサビの直前。ちょうど魅来の歌声が止んだ瞬間だった。
近くのスタンド席で見ていた観客の何人かがハッと口を押える。ライブの演出だと思っているはずなのだが、あまりにリアルな迫力に思わず息を飲んだのだろう。
誰もがヒーローが丸焦げになった姿を想像する。
そんな中、再び紡がれる魅来の歌。
ヒロインの歌声に呼応したかのように、炎球がまるで花火のように弾けた。
中からは二丁のマスケット銃を構え、魔術師に狙いを定めるヒーローの姿が。
ホロの指が高速で引き金を引く。先ほど無数に降り注ぐ炎の雨の全てを撃ち抜いたのと同じく、凄まじい速度で両手の銃から魔弾が放たれた。
「ちぃっ!」
魔術師は、炎で受けることはしなかった。ホロを中心に円を描くように高速で飛び、魔弾を回避する。
だが、無駄のない動きで、速射を続けるホロに魔術師は徐々に追い詰められていく。
そして、ついにホロの魔弾が、魔術師の両翼を撃ち抜いた。
魔術師が揚力を失い、スタンド席の方へと落ちていく。本人にダメージはないので、完全に落下する前に翼を再生させるだろう。
「シス!」
「行っちゃえ~!」
ホロの体が再び高速で飛翔を始めた。翼の再形成を始める魔術師へと距離を詰める。
「私に、近づくな!」
怒声とともに魔術師が両手をがむしゃらに振るう。
するとその両手から迸る火炎が、まるで鞭のように伸びて、魔術師目掛けて飛ぶホロへと襲い掛かる。
網の目のように迫る炎の鞭。
それをシスが巧みな風の魔法で、ホロの体を最善のコースへと導く。
魅来の歌声が彩る空中で、ホロが華麗な舞踏を舞う。
身を屈め、魔弾で鞭を断ち切り、時には少しのダメージも覚悟のうえで、ホロとシスが突き進む。
そして敵との距離が残り一メートルまで縮んだところで、再び銃声が轟く。
今度は二発。
しかし魔弾が放たれることはなかった。
「なにっ!?」
魔術師の顔が驚愕に染まる。
ホロが握る両手のマスケット銃の銃口からは、長さ十五センチほどの水と風の刃が伸びていた。
「はぁっ!」
ホロが右手を横に振るう。
水の刃は、魔術師が持つ炎を道連れに蒸発した。
風の剣を下から大きく切り上げる。
体を右に逸らして攻撃をかわした魔術師だったが、完全に避けきることはできなかった。鋭い風の刃が魔術師の片腕を切り裂く。
片腕を切られてバランスを崩す魔術師。
ホロが再び水の刃を作り出した右手の銃で追い打ちをかける。
「邪魔を、するなぁ!」
だが、バランスを崩しながらも、魔術師は両手を交差させるように横に薙ぎ払う。腕から飛び散った鮮血が、炎に包まれ一瞬で蒸発した。
巨人の腕のような燃え盛る炎が、両側からホロに迫る。
「おっと」
シスが右手を指揮者のように振るった。
すると魔術師に向かって飛んでいたホロの体が止まり、ガクンと一メートルほど高度を下げた。
上半身を屈めたホロの頭の上を、炎の腕が轟と激しい音を立てて通り過ぎた。
そしてその隙をついて、ようやく完全に翼を再生させた魔術師が、ホロから距離を取っていた。切られた右手を押さえ、顔に苦々しい表情を浮かべて、こちらを睨んでいる。
「ふん、そういえば銃剣の発祥は、農民がマスケット銃の口にナイフを刺し込んだことでしたか! まさかそんな逸話まで術式の題材に取り入れてるとは思いませんでしたよ!」
翼を作り直した魔術師が、ホロよりもわずかに下を飛びながら、そんなことを口にした。
歌はすでに一番が終わっている。急かすような間奏が、向かい合う二人の魔術師の間を駆け抜ける。
その間奏の間に、魅来はメインステージから伸びた橋を駆け抜け、中央ステージを目指している。
一瞬だけ、ステージを駆ける魅来の焦りと不安を乗せた視線を感じた。
「悪いが、お前と術式について語っている時間はない! さっさとくたばれ!」
冷たくそう言い放つと、再びホロは銃を向ける。
だが……
「ふふ、まぁそう言わずに、少し私の話を聞いてくださいよ!」
妖しい笑みを浮かべながら、魔術師がゆっくりと高度を下げる。
ホロとスタンドの観客の間に自分の身を置くように……
「ふざけたマネを……」
ホロが小さく舌打ちをする。引き金に掛けた指から力を抜く。
魔術師が醜悪な笑みを濃くした。
奴は理解しているのだろう。
ホロが、流れ弾が観客に向かうのを気にして魔弾を撃てないことを。
「貴様はさっき、あの方が私に向ける愛を否定しましたね」
「当たり前だろう。お前のような狂人には理解できないだろうがな」
銃を向けながら、自身の浮かぶ高度や位置を調整するホロ。
だが、魔術師もそれを理解しているのか、絶対に観客が背後に来るように飛んでいた。
「あなたの方こそ理解できないのですね。あの方が私を求めているということを……あの方がくれた狂おしいほどの甘美な魔力が、その証」
「何?」
魔術師の発言に、ホロの顔にわずかな驚愕の色が浮かぶ。
「まさかお前……自ら魔眼の魔力を受け入れたのか?」
「当然でしょう! 私があの方の愛を拒むなどあり得ない!」
まるで演説でもするように両手を広げ、恍惚とした表情を浮かべる魔術師。
そんな狂的な姿に、ホロが珍しく露骨に嫌悪の感情を露わにする。すぐ左から、シスの
「うげ~」という声が聞こえた。
通常、魔力を操れる魔術師が魔眼の影響を受けることはまずあり得ない。魔眼の魔力が自分の体に浸透する前に、自分の魔力で抑え込み、体外に排出することができるからだ。
だが、目の前の魔術師は、自らの意思で魅来の魔力を受け入れたというのだ。自分が理性を失うことさえいとわずに……愛する者のためとはいえ、自ら堕ちていくことを選ぶなど、まさに狂気の沙汰としか言えないだろう。
「魔眼の魔力で自ら堕ちたか……本来であればお前のような男にこそ『狂人』という名は相応しいんだろうな」
後先考えずに、ここまでの暴挙に出たのも、魅了で理性のほとんどを失っていたが故なのだろう。元から狂っていたのは間違いないが。
「……この話、あいつには聞かせられないな」
ホロがため息交じりにそう呟いた。
魔眼の力を疎んでいる魅来のことだ。この事態が自分の魔眼のせいだと知ったら、ショックを受けることは間違いないだろう。
あのホロの口から魅来を気遣う言葉が出た。そんな事実に、隣で目をまん丸に見開いたシスがまじまじとホロの顔を見つめる。そしてすぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。
もっとも、ホロがそれに気づくことはなかったが。
「やはり、お前のような男にあいつは渡せないな。絶対にここで撃ち取る」
一瞬だけ肩の上のシスと目を合わせて、ホロが小さく頷く。
ホロの意図を正確に読み取ったシスが、魔力を高める。
少し長めの間奏も終わり、曲は二番へと差し掛かった。時間に余裕はない。
だが……
「ふふ……それはこちらのセリフです」
魔術師が両手に紅蓮の炎を生み出す。
「遠距離での戦闘が主体の貴様にとって、銃剣は奥の手だったのでしょう。それを披露してなお私を撃ち取れなかったのは、あなたにとって誤算だったはず」
魔術師の言に、ホロが片眉をピクリと持ち上げた。
「この高度では、魔弾はほとんど使えない。炎を操る私に魔弾なしに接近するのはまず不可能だ。そしてなにより……」
魔術師が邪悪な笑みを強め――
「観客を守りながら私を撃ち取るなど、絶対にできない!」
――両手の炎をアリーナ席に向けて振り下ろした。
「くっ!」
焦燥の声とともに、ホロが落下を開始する。シスの魔法を追い風に速度を上げ、落下中の火柱の下へ回り込む。
「はあぁっ!」
風と水の魔銃剣で、滝のように落ちる炎を斬り裂く。
縦横無尽に剣を振り、炎を四散させる。いつ終わるとも知れない火柱を、全身全霊を込めて振り払っていく。
だが、ようやく目の前の炎が弱まったところで、新たな脅威が息を切らしたホロの体へと迫る。
左右両側から、同時に!
「くそおおおおおお!」
ホロが回避を選択できない絶妙な角度で落ちてくる炎の球を、両手の剣でどうにか切り払う。
だが、いくらホロでも、片手だけでは迫る炎を完全に消し去ることはできない。
小さく散った炎の残骸が、ホロの両腕を焼いた。真っ黒なジャケットの袖に、いくつもの穴が開く。
「ぐぅっ!」
苦悶の声を上げながらも、ホロは懸命に両腕を振るった。
観客に火の粉さえも届かせないように。
そして、その炎を全て消し去った瞬間――
「これで終わりです」
いつの間にかホロの背後に回り込んでいた魔術師が、その両腕をホロに向けて突き出した。
直後、その両手から生み出された巨大な爆炎が、ホロの体を丸ごと飲み込んだ。
紅蓮の炎が一際大きな光を放つ。
衝撃に弾け飛ぶように、炎が魔術師の両手を離れた。
ゆっくりと放物線を描きながら落ちていく灼熱の炎。
まるで包みこんだホロの命を示すように、徐々に勢いを失い燃え尽きていく。
やがて炎が完全に焼失した。
わずかに燃え残った小さなカスが、ボロボロと崩れ落ちる。
そして消えた炎の中に、ホロとシスの姿はなかった……
「く、クヒヒ、クヒァヒャヒァヒャヒァヒャヒァヒャ!」
そんな光景を見ていた魔術師が、歓喜の笑い声をあげる。口の端を吊り上げ、目を狂気に染めるその表情は、術式の題材とは程遠い邪悪そのものだった。
いや、もしもいくつかの神話にある通り、悪魔が天使の堕ちた姿だとするならば、これほど相応しい姿はないのかもしれない。
「やった! やったぞ! これで邪魔物はいない! これであなたは私のものです!」
ホールの中央ステージで歌い続ける魅来を見つめて、魔術師が両手を広げる。
「さて、それではまずは邪魔な愚物共の掃除から始めましょうか……」
再び右手に紅蓮の炎を宿す魔術師。その手を振り下ろせば、アリーナはたちまち火の海に飲み込まれるだろう。
だが……
「……いや、もうこの者達にはどうすることもできません。ならば、この愚物共に思い知らせてやりましょうか。あなたが誰のもので、誰にこそ相応しいのかを……そして見せてやりましょう。あなたが私に誓いの口付けを捧げる様を!」
狂った笑みに歪む唇を、ナメクジのように不気味な舌で湿らせた。
そして、魅来の反応を楽しむように、ゆっくりと中央ステージへと向かって飛んでいく。
魅来は今も歌い続けている。
曲はちょうど二番のサビが終わったところだった。