20話 ~英雄~
「遅いわよ、魅来。もうVTRが終わるから、早く準備を――」
「まり恵さん、お願いがあるんです!」
ステージ裏に慌てて戻った魅来をたしなめるまり恵。
その言葉をさえぎって、魅来が大声を出した。
怪訝な表情を浮かべるまり恵が何かを言う前に、魅来はお願いの内容を伝える。
「この後のステージの内容を、全部変更させてください!」
「なっ、いきなり何を言い出すのあなたは! そんなことできるわけ――」
「お願いします! 無茶な事言ってるのはわかってます。でもどうしてもそうしないといけないんです! だから!」
突然の無茶な要求に戸惑うまり恵に、魅来が深く頭を下げて「お願いします!」と叫んだ。周りでその様子を見ていたスタッフにも動揺が広がる。
「理由は? あなたが突然そんなことを言いだすなんて、何かよっぽどの理由があるんでしょ?」
「……理由は言えません。だけどこのライブのために、集まってくれたファンのために、そうするしかないんです」
顔を上げて、まり恵の切れ長の目を真っ直ぐに見つめる。
対するまり恵も、魅来の真意を探るように魅来に鋭い視線を向けていた。
二人の視線がぶつかる。
ステージから聞こえる音以外の全ての音が止まる。
そんな緊迫した空気は、まり恵の小さなため息とともに消えてしまった。
「私からプロデューサーに話を通してみるわ。スタッフにもね」
観念したとでも言うように、まり恵が肩を竦めて魅来に背を向けた。
「まり恵さん!」
「あなたがこんなわがままを言うなんて、よっぽどの事情があるんでしょう。ずっと一生懸命頑張ってたあなたの、初めてのわがままなんだから、それくらい聞いてあげないとね」
まり恵は凛とした顔に優しい苦笑いを浮かべて、少し離れた場所にいたプロデューサーの元へと向かった。
その後ろ姿を見送る魅来の胸に、熱いものが込み上がってくる。
それから少しして、まり恵が戻ってきた。その理知的で整った顔に緊張した表情を浮かべ、足早にこちらに歩いてくる。
「まり恵さん……」
「あなたの意向はプロデューサーに伝えたわ。その返事だけど……」
不安を胸にまり恵の名を呼ぶ魅来。
そんな魅来に、切れ長の目をスッと細めたまり恵がきっぱりとした口調でプロデューサーの意思を口にする。
「責任は私が持つ。君の好きなようにやりなさい――だそうよ」
そんな言葉と共に、魅来の肩に細い手がそっと置かれた。
ハッと顔を上げると、優しく微笑むまり恵が大きく頷いた。
魅来が未だに事態を飲み込めないでいると、今度は周りにいたスタッフから次々と声が上がる。
「どの曲でも大丈夫です。魅来さんの好きに歌ってください」
「照明はこっちで何とかします」
「演出も魅来さんに全部合わせます」
戸惑う魅来がそんなスタッフ達に視線で問いかける。こんな自分の勝手な言い分を聞いてくれていいのか、と。
そんな魅来の視線を受けたスタッフ達は、問題ないと言うように魅来に向かって思い思いのアクションを取る。
「魅来さんのためなら、これくらいモーマンタイ!」
「あとはあたしらに全部任せてください」
「魅来さんは、皆に最高の歌を届けてください!」
温かい言葉と、頼もしい笑顔で、誰もが魅来の背中を押してくれる。
思わず零れ落ちそうな涙を、必死に堪えた。
今はまだ泣くわけにはいかない。
この想いに応えるためにも、魅来は戦う覚悟を決めたのだから。
各スタッフに、それぞれ詳細な指示と感謝を伝えて、魅来はステージへと向かう。
ステージの音楽は既に止んでいた。
照明も今は消えている。
客席では大切なファンのみんなが、魅来が戻ってくるのを待っているはずだ。
(行こう……大好きなみんなのために、最高の歌を届けに!)
もらった勇気を胸に――
今、アイドル声優音峰魅来がステージへ!
「私はずっとアイドルになることを夢見ていました」
メインステージの中央。
一万五千人のファンの声援に迎えられてステージに戻ってきた魅来が、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「きっかけは子どもの頃に見たアイドルアニメ」
照明の落ちた客席では、ファンの持つサイリウムやペンライトが星のような光を放っている。曲によって色を変えるそれらの光は、今は魅来のイメージカラーである水色が多い。
「キラキラの衣装を着て、眩しいスポットライトを浴びて、たくさんの人に囲まれて、素敵な歌を届けるアイドル。可愛いくて、カッコいいダンスに憧れて……楽しくなったり、時に切なくなったりする歌に心奪われて……いつか自分もそんなアイドルになりたい、ってずっと思っていました」
もうなってるよ~! という声が、客席のどこかから聞こえた。思わず吹き出してしまった魅来は、微笑みとともに「ありがとうございます」と伝えた。
「事務所に入ってからは歌やダンスのレッスンが続いて、色々と縁があって声優としての仕事もいただいて……なかなか売れなくて凹んだり、ずっとレッスンばかりで嫌になることもあったけど……それでも多くのファンやスタッフ、他にも色んな人達に支えられて、私はこうして今この場所に立っています。この最高のステージに」
そこで一度言葉を区切り、客席全体をゆっくりと見回す。
「これからもきっと楽しいことばかりじゃないと思います。色々と大変なこともあるかもしれない。それでも私はこの道を歩いていきたい。大好きな、本当に大好きなみんなと一緒に!」
会場全体から、一際大きな歓声が轟いた。
音の波が魅来の胸の奥を心地よく揺さぶる。
「私、音峰魅来はこれからもずっと、みんなの笑顔のために歌います! だからみんな! これからも私に付いてきてください!」
この巨大な会場が震えるほどの歓声が上がった。
様々な色の光が、魅来に想いを伝えるように左右に振られる。
よく見ると、会場にいる音響スタッフなんかも立ち上がり、手を振っているのが見えた。
思わず魅来の顔に笑みが零れる。
これは魅来のファンや、ライブのために尽力してくれるスタッフへの感謝を伝えるもの。
そして、宣戦布告である。
――私は絶対、あんたなんかのものにならない!
会場のどこかにいるであろう敵に向かって、自分の想いを、覚悟をぶつける。
そして、その瞬間、会場の上空に眩い光が出現した。
見上げると、そこにはあの魔術師の姿が。妖しく燃える炎の翼を背に、空中に浮かんでいる。その顔は憤怒に染まり、魅来を、そして会場を憎々し気に見下ろしていた。
突然現れた炎の悪魔――魔術の題材は天使だが――に会場からはどよめく声が聞こえる。圧倒的な存在感を放つその魔術師に、その場の誰もが目を奪われていた。
そんな敵の恐怖に飲み込まれないように、魅来は視線に力を込めて魔術師を睨みつける。
視線の先で、魔術師が右手を天井に向けて掲げた。それを合図に、アリーナの天井に奇怪な文様が浮かび上がる。黒ずんだ赤い光を放つ複雑な紋様だ。
会場を包むどよめきが大きくなった。
間違いない。あれが魔術師の言っていた魔術式だろう。その内容はわからないが、天井の中心から、そのほとんどを埋め尽くすように広がるその巨大な紋様を見れば、それがどれだけの規模の魔術なのかは魅来にも想像がついた。
会場の誰もが天井を見上げ、息を飲む中、魔術師は掲げていた右手を力強く握った。
巨大な紋様が、より強い光を放つ。
直後、光が爆発した。
まるで空に浮かぶ雲のような形をした炎が生まれ、アリーナの上空を覆いつくした。
その異様な光景に言葉を失う魅来。客席のどよめきもすっかり静まり返っていた。
だがそんな魅来達を断罪するように、非情な魔術師がその手を振り下ろす。
それはまさに炎の雨だった。
雲をちぎるように生まれた大小さまざまな灼熱の塊が、会場に向かって次々と降り注いだのだ。
神話の一ページを目の当たりにしているような、禍々しくもどこか幻想的な光景。見る者の心を、そして命を奪う死の雨。
圧倒的な敵の魔術を前に、魅来はただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。
そしてそんな無情な雨は、天を見上げたままの観客を焼き尽くすべく落下を続ける。
だが直後、炎の雲が覆うアリーナに、雷鳴のような銃声が鳴り響いた。
銃声はまるでドラムロールのように絶え間なく続く。そんな音に合わせて、降り注ぐ炎の雨粒が次々と弾け飛び、あるいは水を浴びたように消されていく。
そんな光景を見上げる魅来の視界を、高速で飛翔する何かが横切った。
それは魅来の後方。ステージ中央にそびえ立つお城から放たれた魔弾だ。炎の塊を吹き飛ばす風の魔弾に、火を消す水の魔弾。二丁のマジックガンから超高速で放たれた二種類の魔弾が、敵の放った炎の雨を全て撃ち抜いている。花と風の妖精も魔法で協力しているので、吹き散らされた雨粒の方が多いようだ。
もちろん客席からは何が起こったかわからないだろう。事情を知っている魅来だからこそ、どうにかそれを見つけることができたのだから。
一際大きな炎塊も、客席に届くことなく上空で弾け飛び、消えていく。最後に一瞬だけ輝いて燃え尽きる赤い光が、花火のようでとてもキレイだった。
そんな幻想的な光景を見つめる魅来の目から、不意に涙が零れた。
(本当に……守ってくれるんだね……)
心の中でそう呟いて、魅来は自分の胸にそっと手を当てて目を閉じた。今着ている真っ赤なドレス。その艶やかな布越しに、硬い水晶の感触が手に伝わる。
――俺がお前を守ろう。
そんな言葉をくれた人からもらった大切なもの。
その贈り物を胸に、魅来はゆっくりと目を開いて、敵の姿を見つめる。
その光景は魔術師にとっても信じられないものだったのだろう。男の醜悪な顔が驚愕に染まっている。
そして天井を覆っていた炎の雲が全て雨に変わり、全てが火花となって散ったのを最後に、鳴り響いていた銃声も止んだ。
観客もスタッフも、そして敵の魔術師すらも沈黙する中、魅来がマイクを手に再び語りだす。
「今、この会場には恐ろしい敵がいます」
――あんなに酷いことたくさん言ったのに、それでも助けに来てくれた。
「その敵は炎の魔術を使う邪悪な魔術師。今の炎の雨も、この会場を焼き尽くそうとした敵の魔術です」
――本当はアイドル辞めさせたいのに、それでも守るって言ってくれた。
「悔しいけど……私にはあいつをやっつける力も、みんなを守る力もありません」
――今だって、無茶な私のお願いを聞いて、必死で戦ってくれてる。
「それでも私は大好きなみんなを、そしてたくさんの人が支えてくれたこのライブを守りたい」
――本当にありがとう。
「そんな私の願いを聞いて、戦ってくれる人がいます。誰よりも優しく、そしてとても強い人です」
――このライブが終わったら……いっぱいごめんなさいと、それ以上のいっぱいのありがとうを伝えるから……
「だから、みんなも私と一緒に応援してください。一緒に祈ってください。大好きなみんなを、ライブを守って……私達を――」
――だから、お願い……このライブのために力を尽くしたみんなのために……このライブを楽しみにしてくれてたファンを守るために力を貸して……私を……私達を……
「私達を、助けて……私の、ヒーロー!」
照明が変わる。
白からオレンジへ。
音楽が鳴り響く。
血の沸き立つような激しいリズムと、壮大で勇敢なメロディーが。
曲名は『MY HERO’S SOUL』
そんな音楽と、魅来の助けを求める声に導かれて――
今、魅来のヒーローが戦場へと舞い踊る。