18話 ~献身~
システィナが去ると、大気が寒さを思い出したかのように冷気が戻ってきた。冷たいビル風が強く吹きつける。「寒っ……」と小さく呟いて、魅来は両腕をさすった。
寒さから逃れるように、魅来はフラフラと部屋に入る。室内は明りも暖房も付いていないが、それでもいくらか暖かい。
その時、魅来の足に何かが当たった。幸い、それは固くも重くもなかったので、ケガをすることも転ぶこともなかった。
「これって、ホロの……」
それは観葉植物の鉢に立てかけてあった、真っ黒のショルダーバッグだった。口が開いたままだったのだろう。足に当たった拍子に倒れ、中身が少し床に散らばってしまった。
その場に膝をつき、散らばった中身の一つを拾い上げる。
それは黒を基調にしたジャケットだった。ホロが今日着ていたものと全く同じ。畳みもせずに詰め込まれたのだろう。あちこちしわだらけになっている。
他のものも拾っていく。無地のTシャツが多い。どこかの店の量産品だろう。ズボンも上着も今までに見たホロの格好と全て同じ。全部真っ黒だ。
「ふふ、本当に同じ服ばっかり」
それがおかしくて、魅来の口から笑みがこぼれた。
外に出てしまったものだけでも、結構な枚数がある。まだ中にも残っていると考えると、かなりの数だ。魔術でバッグの中を広げているらしいが、いったい中にあとどれだけ同じ服が入っているのか。
「まぁさすがに人のバッグの中を勝手にあさるわけには――っ!」
そんなことを言いながら、散らばった衣服の最後の一枚を拾い上げ――そして、大きく息を飲んだ。
「な、何よ、これ?」
これまでに見たのと同じ無地のTシャツ。
その袖やわき腹に握りこぶし大の穴が開いていた。
穴の周囲は焼け焦げてボロボロだ。その穴以外にも、あちこちに小さな焦げ跡が残っている。それらは窓から差し込む淡い月明りの下でもわかった。
魅来は引きちぎるような勢いでバッグを掴むと、先ほど口にした人としてのモラルを放り捨て、バッグの中身をぶちまけた。
中から出てきたのは旅行用の小物や、魅来には何だかわからないもの――おそらく魔術に関するもの。
それらは無視して、出てきた衣服をしらみつぶしに調べていく。
一番ダメージが大きかったのは、ジャケットだった。一着は左側下半分が焼け落ちている。高熱で溶け落ちた合成繊維の感触がひどく気持ち悪い。
別の一着は右の袖が丸ごとなくなっている。溶けているのは腕の外側半分だけなので、邪魔になった袖を自分で引きちぎったのだろう。Tシャツの中にも一枚、袖が引きちぎられたものがあった。同じ日に着ていたのだろう。
Tシャツやズボンにも、焦げ跡や穴が開いたものがいくつかあった。全部合わせると十着以上はある。
「何でこんなに? だって、あの男が来たのはさっきで二回目……」
自分で口にしたその言葉に、魅来はどこか違和感を覚えた。
その原因を探るように、記憶を辿る。
――いつもいつも私の邪魔をしおって!
そんな言葉が脳裏によみがえる。
それはつい数時間前、魅来を助けに来たホロを前に敵が口にした言葉。
その記憶をきっかけに、断片的だった違和感の欠片が、パズルのように組み合わさっていく。
夜中に何度も部屋を抜け出していたホロ。
焼け焦げた大量の衣服。
ホロが使った後は、いつも最低温度まで下げられていたシャワー。
もしも魅来が知らないところで、ホロが何度も魔術師と闘っていたのだとしたら?
魔術師を撃退するたびに、その体に火傷を負っていたのだとしたら?
冷水を使っていたのは、その火傷を冷ますためだったとしたら?
――俺がお前を守ろう。
不意に脳裏に響いたホロの言葉が、魅来の胸を締め付けた。
「私……バカだ……」
零れた言葉と涙が、ボロボロになった衣服に落ちる。
どうして気付いてあげられなかったんだろう……
どうして信じることができなかったんだろう……
ずっと自分を守ってくれていた人を。
あんなひどい言葉をぶつけたあとでも、自分を案じて言葉をかけてくれた人を。
「ホロ……ホロ……」
答える者のいない呼び声が、月明かりが照らすリビングに虚しく響いた。
黒焦げになったジャケットを抱きしめる。
あふれ出した涙は、しばらく止まることはなかった。