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魔ガンのアイドル  作者: 雪雷音
17/25

16話 ~存在~

 その男の子との出会いは、その子がまだ三、四歳くらいの時だった。


 日本の北部にある大きな町。


 春の暖かな日差しが降り注ぐ公園。


 紫色の花を咲かせたライラックが咲き渡るその場所で、システィナが羽を休めていると、その上を大きな――人間にしてみれば小さな――影が覆ったのだ。


 最初は、その男の子には自分の姿が見えているのかと思った。何せその子は、純粋な輝きを放つ漆黒の瞳で、システィナのいる辺りをじぃっと見下ろしていたからだ。


 警戒と好奇の目で少年を見上げるシスティナ。


 突然始まったにらめっこは、相手の無邪気な声と共に終わりを迎えた。


 ――ママ! このおはな、なんてなまえなの!?


 男の子が後ろに立つ人物を見上げて、花の名前を問う。どうやらシスティナが寄り添っているこの花が、とても気に入ったらしい。


 ママと呼ばれた女性は、腰まで伸びた艶やかな黒髪が似合う、とてもキレイな人だった。長命な妖精には人間の年齢はわかりにくいが、おそらくまだ二十代後半くらいだろうか。


 女性は、はしゃぐ我が子に穏やかな笑みを向けて、「ライラックって名前のお花よ」と答えた。子どもへの愛情を感じるとても優しい声だった。


 そうして再びこちらを振り返った男の子は、鮮やかに咲く紫色の花に、太陽のような眩しい笑みを向けた。懸命に生きる花を摘み取るような、幼い子ども特有の残酷さもない。


 ただ、その命の美しさに心奪われた……そんな純粋で優しい笑顔だった。


 その笑顔があまりに眩しかったから……システィナはほんの少しの気まぐれを起こす。


 母親と手を繋いで帰るその男の子に付いていくことにしたのだ。


 別に人間が作ったおとぎ話のように、男の子に恋をしたとかそんなわけではない。


 花と風の妖精は基本的に自由だ。一応、仲間の棲む森はあるが、その仲間の多くが風の向くまま気の向くまま、フラフラとどこかへ行ったまま帰ってこない。外に天敵などもいない。寿命の概念が希薄になるほど長命な妖精にとって、一つ所に留まって過ごすにはその生はあまりに長すぎた。


 システィナにとってもその男の子に付いていくのは、人間が近場の温泉地に一泊二日の旅行に行く程度の感覚でしかなかった。


 それでもその男の子との日々は楽しかった。


 男の子は初めて会った時の印象通り、純粋で無邪気でとても優しい子だった。植物や動物が好きで、家でゲームをするより野山を駆け回る方が好き。友達も多く、いつもたくさんの笑顔に囲まれていた。


 システィナはそんな男の子に付いて一緒に飛び回るのが好きだった。


 男の子の家族も素敵な人達だったと思う。忙しいながらも子どもに惜しみない愛情を注ぐ優しい両親。ちょっと怒りっぽいが、面倒見のいい三つ年上の姉。妖精であるシスティナから見ても、理想的な家庭だった。


 そうして数年がたったある日のこと。


 男の子は小学生に上がったばかり。


 母親の声に起こされた男の子は、パジャマから普段着に着替えていた。


 部屋に並んだ子ども向け番組の人形の間に座って、その様子を眺めていたシスティナと男の子の視線がぶつかったのだ。


 気のせいかと思ったシスティナに、男の子が不思議そうな顔でこう言った。


 ――君は、だれ?


 最初は、それが自分に向けたものだとは思わなかった。


 いや、思えなかったと言うべきか。


 何せ、あまりに唐突で衝撃的な出来事だったのだから。男の子の誰何の声に、思わず部屋の中をきょろきょろと見回してしまったくらいだ。


 そんなシスティナに顔を目一杯近づけて、男の子はもう一度訪ねた。


 ――君はだれ?

 

 こうしてシスティナは、その男の子と二度目の、本当の出会いを果たす。

 

 最初は戸惑っていた二人だが、すぐに打ち解けることができた。元々、システィナは男の子のことが好きだったし、男の子の方も絵本やアニメの中から飛び出してきたかのような妖精をとても気に入ったからだ。


 それからの二人はたくさんの話をした。


 妖精の世界の話。遠い昔の話。旅先で出会った人の話。


 ほとんどシスティナが語り聞かせるような形だったが、男の子はとても楽しそうにシスティナの話を聞いていた。

 

 放課後や休みの日には、男の子の友達と一緒に公園を駆け回った。システィナの姿はその男の子にしか見えてなかったが、時折男の子がこっちを見て、とびきりの笑顔を見せてくれる。ただそれだけで、システィナの日常はこれまでよりもずっと輝いていた。


 だが、そんな幸せな日々は、始まりと同じく唐突に終わりを迎えた……


 あまりに短く、そしてあまりにあっさりと……


 そもそもの話、システィナはもっと男の子の動向に注意すべきだったのだ。


 魔眼についてある程度の知識はあった。魔眼の種類まではわからなかったが、システィナを認識できた時点で、彼が魔眼の所有者だということにも気が付いていた。


 だが、ずっと見守っていた大好きな男の子と言葉を交わせるようになったことが、そして心を通わせられたことが、システィナから魔眼の危険性に対する警戒心を奪った。多少の注意と警告はしていたものの、まだ幼い男の子に理解できるはずもない。システィナ本人も、当時は魔眼に対してあまり詳しくなかった。早すぎる魔眼の覚醒に対して、違和感を抱くことさえなかった。


 そしてその代償は、最悪の形で支払われる。


 その日は、不運にも小学校の運動会の日。


 全校生徒だけでなく、両親や友達の家族も全てが集まる場での出来事だった。


 徒競走でぶっちぎりの一位になり、男の子が会場の注目を浴びたその瞬間、魔眼が暴走。


 システィナを除くその場の全員から、彼に関わる全ての記憶が失われた。


 そこからが男の子にとって、もっとも辛い日々の始まり。


 突然、周囲の視線が変わった。


 称賛の視線から、奇異なものを見る視線へ。


 誰も知らない人間が、いつの間にか自分たちの輪の中に混じっている。周りにいた連中はさぞや不気味で仕方なかっただろう。


 そして異物は弾かれる。


 訳も分からずその場を追い出された男の子。まるで幽霊でも見るような視線に困惑し、怯えながらも、男の子は最愛の家族の元へ走る。助けを求めて。


 だが、そこで突き付けられた現実は、わずか六歳の男の子が直面するにはあまりに残酷なものだった。


 ――あなた、誰?


 何の悪意もない、ただ困惑した表情で、最愛の母は我が子に向かってそう言った。


 突然のいわれもない悪意に怯え、助けを求めた家族にまで見放され……もう男の子が不安と恐怖を堪えることは不可能だった。


 ――お母さん! お父さん! 僕だよ! ……だよ! 僕がわからないの!?


 必死に泣き喚き、縋り付き、ひたすらに両親を呼ぶ。


 何もかもを忘れた両親からすれば、その行為は、見知らぬ不気味な少年が奇行に走ったようにしか映らなかっただろう。


 観覧席で突然暴れ出した男の子は、駆け付けた教師達に取り押さえられた。連れて行かれる我が子を見る両親の目には、恐怖と蔑み、そしてわずかな哀れみの感情だけ。


 ただそれだけだった……

 

 職員室に連れて行かれた男の子に、教師は様々な質問をした。

 

 名前は? 住所は? ご両親は? 学年は? クラスは?


 質問をしたのは、男の子が慕っていた担任教師だった。


 男の子は全ての質問に正直に答えた。教師達が慌ただしく動いている中で、一人取り残される時間もあったので、そこでシスティナがようやく事情を説明した。虚ろな表情を浮かべる少年が、その話を理解できたとは思えなかったが。


 その後、生徒の名簿や入学手続きの書類などから、男の子の話が全て事実であることが判明。教師達はみんな首を捻ったが、証拠が残っている以上、それを基に動くしかない。


 担任の車で自宅へ連れて行かれる。


 当然、両親には拒絶された。


 ――そんな子知りません! 顔も見たことないです!

 

 その声に耐えられなくて、男の子は逃げ出した。


 宛などない。


 訳も分からない。


 それでもただ遠くへ。


 ただひたすらに走った。

 

 当然、まだ六歳の男の子がそんな遠くに行けるはずもなく、そして日本という国が、夜遅くにたった一人で町を歩く小学生を放っておくはずもない。すぐに警察に保護された。

 

 そしてあとは繰り返し。

 

 教師に聞かれたのと似たような質問をされ、両親の元へ連れて行かれ、そして拒絶される。両親の記憶がなくても、公的な記録は残っているのだ。警察も、役所の人間も、よくわからない児童福祉団体も、公的な記録を基に何度も両親の元を訪れ、両親を糾弾した。


 虐待、育児放棄、ネグレクト……

 

 そんな言葉が出るたびに、両親の男の子を見る目はどんどん冷たくなっていく。目に見えて憔悴し、人形のように何の感情も示さなくなっていく男の子に、システィナはただ寄り添うことしかできなかった。

 

 そのあと少しして、ようやく男の子の魔眼の噂を聞きつけた『サリエルの月』の魔術師がやってきたが、状況を変えることはできなかった。

 

 そんな家族の状況に、周囲の人間達はさらに追い打ちをかける。虐待反対を訴え、どちらかの隠し子だのというあらぬ噂が飛び交い、好奇と非難の視線が一家の心を引き裂いた。両親の間では喧嘩が絶えなくなり、姉は学校でいじめられるようになったという。両親の仕事にも影響が出たらしい。


 そうして、ついに母親が自殺未遂を起こしたとき、男の子は小さな親友に一つのお願いをする。


 ――ねぇ、シス……僕に魔眼の使い方を教えてよ。


 システィナは、その願いを叶えた。


 このままじゃ大切な親友が壊れてしまいそうだったから。

 

 仲間や知り合いの魔術師を訪ね、魔眼の知識をかき集め、それらを全て男の子に伝えた。『月』の魔術師にも協力してもらった


 そして半月後……


 凄まじい早さで魔眼の使い方をマスターした男の子は、計画を実行に移す。


 これまでの人生で関わったことのある全ての人から、男の子自身に関する全ての記憶を消して回ったのだ。


 それだけではない。家にあった男の子の存在を感じられる全ての物――そのほとんどが両親の手で処分されていた――を燃やした。友人の家を全て回り、写真なども処分。学校や病院などにも侵入。システィナの魔法で職員を脅し、記録と、もちろん職員の記憶も全て消した。


 そして、最後に役所で戸籍などの公的な記録を全て抹消した瞬間、その男の子が世界に存在した証の全てが失われた。


 ――ねぇ、シス……この世界の全員に忘れられて、名前も、生まれた証拠も生きていた証拠もなくなって……この世界に存在するはずのない僕は……


 そしてその日、虚ろで悲しげな笑みを最後に……






 ――僕は、誰なのかな?






 男の子が笑うことは、二度となかった。


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