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魔ガンのアイドル  作者: 雪雷音
16/25

15話 ~夜風~

 冷たい風が通り抜けた。


 とうに涙の乾いた頬からさらに熱を奪っていく。


 ベランダの手すりに上半身を預けた姿勢のまま魅来は風になびいた髪をかき上げて、大きなため息を吐いた。


 もうすぐ待望のアリーナライブだ。本来であれば、こんな風に体を冷やすのはマズい。


 それはわかっていたが、部屋の中に戻る気にはなれなかった。

 

 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。

 

 いつまでもあそこで蹲っているわけにもいかないと、魅来はホロの言った通りどうにか家に戻ってきた。体はこれまで感じたことがないくらい疲れていたが、眠る気にもなれず、こうして自宅のベランダで魅来は一人、春の夜風を浴びていた。


 突然知らされた数々の事実に苛まれていた心も、冷たい風にさらされて、ある程度落ち着きを取り戻している。


 もちろん、未だに処理しきれない様々な感情が胸の内で渦巻いているが、それらを認識し、向き合える程度には頭も冷えていた。


(私はアイドルを続けるべきじゃないのかもしれない……)


 もしあの魔術師の言う通り、今の自分の人気が人の心を捻じ曲げて作られたものだというのなら……やはり辞めるべきなのだろう。どんなに自分が続けたいと思っても、ファンの心を自分の勝手な都合で縛り付けるわけにはいかないのだから。たとえ魔眼の影響を受けたのが、ファンの中の一部だけだとしても。


 だけど、もし去り際にホロが言った話を信じるなら、魅来は夢を諦めなくてもいいかもしれない。


(ねぇどうして何も教えてくれなかったの? 私のことがどうでもいいなら、何で最後にあんなことを言ったの?)


 魅来はそっと目を閉じ、脳裏に浮かんだ少年の背中に、そう問いかける。


「ねぇ答えてよ、ホロ……」


 思わず零れ落ちた願い。


 答える者のいるはずのないその言葉に、すぐそばから返事が聞こえた。


「……ボクで良ければ、教えてあげようか?」


 そんな言葉とともに、不意に冷たい風が止んだ。


 魅来はハッと目を開いて、声の主を探す。


「システィナ……」

「こんなところにいたら風邪ひくよ?」


 そこにはこの一か月でずいぶん見慣れた妖精少女の姿が。いつもの少しお道化た口調、いたずらっぽい笑みだが、どちらにもわずかな悲し気な色が浮かんでいる。魅来から一メートルほど離れた空中、ちょうど魅来と視線を合わせるくらいの高さに浮かんでいた。


「それにあの魔術師だって戻ってくるかもしれないのに」

「……あんなやつが来たら、家の中に居たって変わらないでしょ」


 魅来の指摘に、システィナが「ま、それもそうか」と適当な調子で答えた。


「システィナの方こそパートナーを放って、こんなところにいていいの?」

「別にボクとあの子も常に一緒にいるわけじゃないよ」


 少し苦笑いを浮かべて、システィナがそう言った。


「ずっと思ってたけど、あんたらの関係って不思議よね。仕事上の相棒って感じでもないし、別に恋愛感情があるわけでもないみたいだし」

「まぁあの子が三歳くらいの時からずっと一緒だからね。親友ではあるけど、母親みたいな気持ちになる時もあるよ」


 子ども産んだことなんてないけど、とお道化た調子でそう付け加えた。


「だからね、そんな大事な親友であり、我が子同然のあの子に酷いことを言ったキミに、ちょっと文句を言ってやろうと思ったんだ」


 口調は穏やかだが、システィナの声には魅来が思わず息を飲むだけの迫力があった。


「あの子は、キミに何もしてないよ。誓ってもいい」

「……私だって、信じられるならそう信じたいわよ」


 込み上げてくる感情を堪えるようにうつむき、両の拳を握る。


 誰だって人を疑いたくなんてない。それが、決して短くない時間を共に過ごした相手なら尚更だ。


 そんな魅来を真っ直ぐに見つめて、システィナが口を開いた。


「確実な証拠を提示することはできないけどね、あの子がそんな子じゃないって言える根拠ならあるよ」


 システィナの言葉に、魅来はハッと顔を上げ、縋るような気持ちでその続きを待った。


「一つ目の根拠は、今キミがこうして仕事について悩みを抱えていることだ」


 システィナはその小さな人差し指をピッと立て、魔術の講義のときのような口調でそう告げた。そして、その言葉の意味を理解できずに首を傾げる魅来に、軽く肩を竦める。


「キミはそこまで頭が回らないみたいだけど……そもそもあの子が最初にキミにさせようとしたのは何だった?」

「何って…………あっ」


 システィナに促されるようにホロとの出会いを思い出した魅来が、小さく声を上げる。


 ――今すぐ仕事を辞めろ。


 何度も言われたそれが、ホロの最初の目的だった。ホロは魅来の、アイドル声優の仕事を辞めさせたがっていた。


 ホロが忘却の魔眼を使えるなら、その目的を達成するのは簡単だ。魅来がアイドルを目指すきっかけや、これまでの記憶を全て忘れさせてしまえばいいのだから。


 でも、ホロはそうしなかった。


 それはどうして?


「それはね、あの子が本当はとっても優しい子だからさ」


 魅来の疑問を察したシスティナが、どこか誇らしげな笑みを浮かべてそう言った。


「だから、たとえ自分の組織から問題視されても、たとえ自分が面倒なことに巻き込まれても、誰かの想いを踏みにじるようなマネは絶対にしない……いや、できないんだよ」


 まぁひねくれてるからわかりにくいとは思うけどね、とシスティナが小さく苦笑した。


 それは言えてる、と魅来も同意して、同じ笑みを浮かべた。


「そして根拠の二つ目。あの子がキミに卑猥なことをすることは絶対にない」

「……それは私に魅力がないってこと?」


 今までもホロからそう言われているが、やはり悔しいので思わず声が低くなってしまった。もちろん変なことをされたい、などとは絶対に思っていないが。


 そんな不快感を露わにする魅来に、システィナがいたずらっぽい笑みを浮かべながら「違う違う」と言って、手を顔の前で横に振る。


「キミがどうとかそういうことじゃなく、女の子に対してって話」

「……まさか同性に――」

「えいっ!」


 妙な想像をしかけた魅来の額に、システィナが何かを――おそらく風の塊――をぶつけた。デコピンされたような痛みに、魅来は両手で額を押さえる。


「変な事言わないの」


 母親が子どもをメッとたしなめるように、システィナがそう言った。


 じゃあどういうことなんだ、と非難交じりの視線で問いかける魅来。


「同性とか異性とかいう以前に、そもそもあの子が他人に興味を示すこと自体が少ないんだけどね。優れた魔術師とかなら話は別だけど……ただ、キミにはある程度関心があったんじゃないかな。そうじゃなきゃあのタイミングでエレスチャルを渡したり、誘われたからって一緒に遊んだりしないだろうし」


 そのシスティナの言葉に、ちょっと胸が熱くなる魅来だったが、すぐに気持ちを切り替えて「結局、ホロがそういうことをしない理由って?」と問いかけた。


 魅来の問いに、システィナは「う~ん」と顎に指を当てる。


「しないと言うより、出来ないっていう方が正しいかな。だってあの子には、そんな知識一つもないんだから」

「はぁ?」


 魅来の口から素っ頓狂な声が漏れた。


「いや、あいついくつよ? さすがにそんなことも知らないような年じゃないでしょ?」

「確か今年で十六かな」

「その年で、何も知らないってことはないでしょ?」


 そんな魅来の当然の疑問に、システィナは目を伏せた。「仕方ないよ。だって……」と悲し気な笑みを浮かべて、こう続けた。


「だって、あの子は六歳の頃からずっと、魔術と戦闘の訓練しかしてこなかったんだから……それもほとんど他人と関わることなく……」


 魅来は何をどう言えばいいかわからなかった。現在はちょっと人とは違う生活をしているが、それでも平和な日本の、一般的な家庭で生まれ育った魅来には、システィナが言ったような生活が、何一つ想像できなかった。


「だからあの子にキミをどうこうすることなんてできないよ。だって、やり方も知らないし、そんなことに興味を持つような知識も経験も何もないんだから。子どもは男女が結婚したら勝手にできるとでも思ってるかもしれない。あの子に訊いたことはないけどね」


 あっさりとそう口にするシスティナに、魅来は戸惑いながらも食い下がる。


「だって、あいつ、学校は? あいつ、確か日本人だって――」

「日本生まれではあるけどね。学校は入学してすぐに行けなくなった」

「何でそんなことに?」

「それはこれから話すもう一つの根拠とも関係があるんだ」


 再びシスティナが人差し指をピンと立てる。


「あの子の潔白を主張する最後の根拠はね、あの子が他の誰よりも魔眼を憎んでいるからだよ」


 どういうことかと問いかける魅来から、システィナはどこか遠くを見るように視線を逸らした。


 そして、何かに懺悔するような声で、システィナはこう言った。








 ――だって、あの子は魔眼のせいで、全てを失ったんだから……と。

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