12話 ~道化~
「魅来さーん、音量こんな感じで大丈夫っすか?」
「あ、すいません、もう少し音大きくしてください。それと、この曲のイントロの照明、赤にできないですか?」
ステージ上から魅来が各スタッフに指示を出す。了解を示す声と共に、照明が切り替わった。「こんな感じの色でいいですか~?」と男性スタッフが手を振ってきたので、「OKです! ありがとうございます!」と元気よく答えた。
明日は待ちに待ったアリーナライブ。約一万五千人が収容できるこのアリーナで、魅来はリハーサルをしている。
これまで魅来がライブをしてきた会場は、最大でも五千人弱。つまりその三倍近い人数が、魅来の歌を聞きに来てくれるかもしれない。そう考えるだけで、魅来は少しの不安と、心が震えるほどの喜びを胸に感じていた。
今、魅来が立っているのはアリーナの一角に設置されたメインステージ。横幅五十メートル近いステージの中央には、西洋風のお城の巨大オブジェがあり、そのお城を挟むように巨大なスクリーンが設置されていた。
アリーナの中央にもステージがあり、メインステージから幅三メートルの通路が伸びている。曲によっては中央ステージで歌ったり、メインステージで歌ったりと、この広いアリーナならではの演出を行うことになっていた。
「今みたいに、衣装替えのあと、『マヒソ』から新曲の『ラスソ』となります。マヒソの大サビではライブの演出がありますので、あんまりステージの縁に近づかないようにお願いします。で、MC挟んだあと『青空』『キミらい』『ハロハト』と三曲連続で歌って頂くことになります」
「了解です」
セットリストと実際の流れを再確認する。全部事前の打ち合わせ通りなので何も問題はない。
ちなみにスタッフが言っていたのは、ファンの間で使われている曲の略称だ。たとえば『青空』は『青空の向こうに』。『キミらい』は『wonder future ~キミとの未来』。『ハロハト』は『HELLO HEART!』などだ。マネージャーのまり恵と話す時は、絶対に略称は使わないので、ちょっと新鮮な感じがした。
「すいません、『ラスソ』からもう一回お願いできますか?」
「あ、はい、じゃあ曲流しまーす」
魅来の要望通り、すぐに『ラストソーサリー』のイントロが流れ出した。芸歴も浅く、若造でしかない魅来の言葉にも、スタッフはちゃんと答えてくれる。
メインステージから、魅来は広大なアリーナやステージを見渡した。
現在、アリーナ席では、数多くのスタッフが明日の本番に向けて、会場設営や機材の調整などを行ってくれている。バックダンサー達も魅来と一緒に踊ったり、声を掛け合って動きを確認したりしていた。その表情は笑顔だったり、真剣そうだったりと様々だが、みんな、このライブを成功させようと一生懸命頑張ってくれているのがわかった。
(絶対、最高のライブにしてみせる!)
そんなみんなの頑張りを無駄にしないためにも、魅来はライブの成功を改めて決意するのだった。
タクシーを降りた魅来は、疲労の溜まった体をほぐすように大きく伸びをした。
すでに夜は更けている。だが、まだ寝静まるような時間ではない。周囲のマンションから明かりが漏れているので、辺りは結構明るかった。
本当なら電車で帰ってくるつもりだったのだが、リハーサルが長引いてしまったため、まり恵の言い付けでタクシーを利用することになったのだ。未成年の魅来を心配してというのと、明後日のライブに疲れを残さないようにするためだろう。
夕飯は会場で食べたので、あとは帰って寝るだけだ。
(あ、そういえばあいつのご飯どうしよう……)
自分のマンションを見上げて、魅来はそんなことを考える。一応、外では常に魅来の近くにいるらしいが、時々あたりを見回しても姿を見たことはない。今もどこにいるかはわからなかった。
自分が夕飯の用意をすることに何の疑問も抱かないくらい、今の状態が当たり前になっている。魅来自身は意識していないし、指摘されれば烈火のごとく猛反発しそうだが、やはり今の生活を気に入っているようだ。外ではアイドルや声優として振る舞わなければならない分、あの居候達には素の自分をぶつけられるからかもしれない。
(まぁ明日もリハーサルで朝も早いし、今日はカップ麺で我慢してもらうか)
一瞬、コンビニに寄ろうかとも考えたが、結局やめた。以前、魔術師に襲われた時から、帰りにコンビニに寄るのは敬遠してしまっている。あの隣のマンションとの間の暗がりに、あの魔術師が潜んでいるような気がするからだ。滅多に食べないが、確か棚の奥に何個か買い置きしたのがあったはずなので、それを食べさせることにした。
そう決めて、魅来がマンションの入り口に向かって歩き出すのと、
「お迎えにあがりましたよ、我が歌姫」
そんな声が聞こえたのは、ほとんど同じタイミングだった。
「っ!? だ、誰!?」
小さく息を飲み、魅来は声の主を探す。
すると、マンションの前の歩道に植えられた樹の傍で、何か影のようなものが動いたのが見えた。その影はスルリと音もなく移動すると、樹の陰から街灯の明かりの下へとその姿を現す。
その男の姿はひどくみすぼらしいものだった。下の方がズタボロになった上着はコート……いや、ローブだろうか。正直、ボロボロすぎて布切れをまとっているようにしか見えない。その下にはよれよれのシャツと真っ黒なズボン。その格好だけを見れば浮浪者のようにも見える。
だが、その顔は世捨て人のように生気を失ったものではなかった。まるで最愛の恋人に向けるように細められた瞳。だがその奥には隠しきれない欲望が、水底に溜まった泥のように漂っているのがわかる。その歪んだ笑みには、おぞましいという感情しか浮かんでこなかった。
「こうして会うのは二度目ですが、私の名前をお伝えしたことはありませんでしたね」
全身の産毛が逆立つような気味の悪い声。薄気味の悪い甘さを乗せた口調。その全てが魅来の胸の奥をざわつかせる。
「私の名はフランベル。魔術師でありながら、あなたの魅力に囚われた、愛の奴隷。あなたと永遠を共にするもの。今宵はあなたをお迎えするべく、こうして馳せ参じた次第です」
ボロボロのローブをまるで騎士のマントのように広げ、恭しく頭を垂れる男。まるで何かのお芝居でも観させられているようだ。
しかし、男の声、獣欲にぎらつく眼。間違いない。前に自分を襲った魔術師だ。
だが、この男は一体何を言っているのだろうか。
永遠を共に?
迎えに来た?
自分に酔ったような口調で繰り出された言葉のほとんどが、魅来には理解不能だ。
だが、そんな困惑する魅来をよそに、フランベルと名乗った魔術師は顔を上げ、魅来に向かって薄気味悪い笑みを浮かべる。
「さぁ参りましょう、我が愛しの歌姫。あの薄汚い月の執行者の手の届かない場所で、私だけのために愛の歌を歌っておくれ」
「さ、さっきからあんた、何訳の分かんないこと言ってんのよ!? 魔術師だか愛の奴隷だか知らないけど、あんたなんかについていくわけないでしょ!?」
恐怖に震えながらも、どうにか自分を奮い立たせて、魅来が叫ぶ。いつでも逃げ出せるように身構えながらも、目だけは相手を威嚇するように睨みつける。
そんな、魅来からすれば当然の拒絶行動が、目の前の魔術師には理解できなかったようだ。不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げる。
「何故そのようにおかしなことを仰るのです? せっかく私があなたを助けて差し上げようとしているのに」
「何が助けるよ! 私は別に助けなんか求めちゃいないわよ!」
「いいえ、あなたは助けを求めている。私にはわかるのですよ。その美しい宝石のような瞳が、私に助けを、愛を求めていることが!」
両腕を翼のように広げ、狂的な声で叫ぶ魔術師。完全に自分に酔っている。
「その天使のような歌声を、女神のような美貌を、望まぬ場所で、卑しく下賎な者共に晒し続けなければならない! その苦悩から、私があなたを開放して差し上げましょう!」
自己陶酔しきった魔術師の様子に気圧されていた魅来だが、今の言葉だけは許すことはできなかった。自分の夢や、応援してくれるファンの人達を侮辱されて黙っていることなど、音峰魅来にできるはずがない。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、私は今の仕事が大好きなの。ファンのみんなの前で歌えるアイドルの仕事も、声優の仕事もね。だからあんたのやろうとしてることは解放でもなんでもない! 今すぐ私の前から消えて!」
胸に燃え上がる怒りをぶつけるように、魅来が声を張り上げる。
だが、そんな魅来の言葉を聞いた魔術師は、嘆かわしいとでも言うように肩を落とし、大げさに首を横に振った。
「どうやらあの愚物共のせいで正常な判断ができないようですね……」
「私のファンを悪く言うのは止めて!」
腕を薙ぎ払うように振るい、魅来が抗議の声を上げる。これ以上、自分を支えてくれるファンを貶す言葉など聞きたくなかった。
だが、そんな魅来を嘲笑うように、魔術師が肩を竦めて告げる。
「ファン? ただあなたの瞳に魅せられただけの連中が?」
魔術師の言葉に、魅来の心臓が焦燥を掻き立てるようにドクンッと不快な音を鳴らした。
まるで冷水をかけられたかのように、怒りに震えていた魅来の心から急激に熱が奪われていく。
足が震える。
手が震える。
考えたくないのに、嫌な考えが頭から離れない。
そんな思考を否定するために、魅来は張り付いたように動かない喉から、どうにか絞り出すように声を発する。
「あ、あんた、いったい何を……」
「おや、あの執行者の男から何も聞いていないのですか? あなたの瞳が秘める魔力のことを」
「……私が魅了の魔眼の所有者だってことは聞いてるわ……でも、私の魔眼が覚醒したのはつい最近だって――」
「確かに、あなたの魔眼が目覚めてから、そう時間は経っていないでしょう。覚醒前の魔眼は、普通の眼と見分けはつきません。ですが――」
心が全力で警鐘を鳴らしていた。
今すぐこの場から逃げろ!
この男の声の届かないところまで!
頭に浮かぶそんな警告とは裏腹に、足は震えてちっとも動いてはくれない。
耳を塞ぎたくても、手はまるで重りが絡みついたかのように持ち上げることはできない。
そして、そんな魅来の心を押し潰すように、魔術師が残酷な言葉を口にする。
「人の心さえも操るほど強力な魔力を秘めた魔眼が、たとえ覚醒前とはいえ人に何の影響も与えないとお思いですか?」
ガラガラと何かが崩れ落ちる音が聞こえた気がした。
それはきっと自分を支えていた大切な何かが壊れる音。
だから、支えを失った魅来はもう立っていることもできない。糸の切れた操り人形のように、がくりと力を失い、冷たいアスファルトに膝を着く。かろうじて手は突いたが、いっそこのまま倒れてしまった方が楽だったかもしれない。
これまでの日々が、走馬灯のように蘇ってくる。
――あなたの歌声、とても素敵ね。
夢の扉を開いてくれた言葉も……
――いつも魅来ちゃんから元気もらってます!
自分に元気と勇気をくれた声援も……
――私はマネージャーであると同時に、あなたのファンなんだから。
落ち込んでいた自分を立ち直らせてくれた言葉も、全てが遠く、まるで幻のように霞んでしまった。
「やっと気付いてくれたのですね。あなたを捕らえていた牢獄の存在に……」
そんな絶望に打ちひしがれる魅来の耳に、魔術師の嬉しそうな声が届く。まるで自分が救いを与えたかのように満足げだ。
「大丈夫……私の愛はあのような愚物達とは違います。これからは私のためだけに歌い、私のためだけに微笑んでいればいいのです」
男の声には、相変わらず嫌悪感しか浮かばない。ついていくなんて絶対に御免のはずだ。
なのに、体にはちっとも力が入らない。今すぐ逃げなきゃいけないのに……助けを求めて声を出さなきゃいけないのに……魅来の体は本当に人形にでもなってしまったかのように、ちっとも動こうとはしてくれなかった。
男が近づいてくる足音が聞こえる。きっともうすぐその手が魅来の体に触れ、どことも知らない場所へ連れ去ってしまうのだろう。
だが、そんな足音をかき消すように――
二発の銃声が夜の闇に響いた。