10話 ~雑談~
魅来の魔術講座が続いて、さらに半月。システィナのお陰で、ようやく魔眼の力をある程度コントロールできるようになってきた。
そして全然役に立たないダメ講師も、この一か月の間ずっと、魅来の家に泊まり続けている。
「あんたみたいな男のこと何て言うか知ってる? ヒモって言うのよ?」
朝食の席で、焼き立ての鮭の切り身を突きながら魅来が愚痴をこぼす。
ホロは静かにみそ汁――今日の具は豆腐とネギ――をすすっていた。魅来からの口撃にわずかに眉を顰めて、お椀を置く。
「ちゃんと対価は払ってるだろ?」
「その対価である魔術の授業も、最近はほとんどシスティナに頼りっぱなしのくせに」
ホロがぷいっと視線を逸らした。一応自覚はあるらしい。
「なら、食った飯代くらいは出そう」
「自分で部屋を借りるとかって気にはならないわけ?」
「お前の監視を続けるなら、この状況が一番都合がいい」
「世間体とか、私のイメージとか考えてないでしょ?」
「ちゃんと見つからないように配慮はしている」
「十階のマンションの窓から入ることのどこが配慮なのよ!? バレたらスキャンダルどころか、ただの犯罪よ! 泥棒よ!」
「そんなヘマはしない」
そう言って、ホロはほうれん草のお浸しを摘まんだ。
こんなやり取りを一か月も続けているわけだが、この男を相手にしてはのれんに腕押し。完全に魅来の独り相撲である。
なので、すでに半分諦めていた。一応、外ではほとんど別行動にしている。ホロが部屋を出入りするのは早朝か夜だけだし、部屋の場所も高層マンションの十階だ。窓のある側は道路からは見えないので、よほどのことがない限り、ホロの姿を見られることはないだろう。
渋面を作りながらも、魅来は食事を再開した。
「そういえばあんた、夜中にたまにいなくなるけど、どこに行ってんの?」
だが、すぐに別の話題を振る。魅来の家では、いつであろうと食事は団欒が基本だったので、ついつい色々と話を振ってしまうのだ。
「何だ、気づいてたのか?」
「まぁ寝室にいても物音とか聞こえるしね。で、そんな夜中にコソコソと部屋を抜け出して、何してんの?」
魅来の問いに、ホロは少し考える素振りを見せた。
「一応、俺も仕事でここへ来ているからな。組織への報告の義務がある」
「そういえば何かの組織に所属してるって言ってたわね。聞いていいのかわかんないけど、一応聞いとく。何て組織なの?」
「『サリエルの月』」
やけにあっさりと答えるホロに、魅来が訝しむような視線を向ける。
「そんなホイホイ答えていいの? 秘密の組織とかじゃないの?」
「別に。一般人には知られていないが、魔術師の間ではそれなりに有名だからな」
ホロが言うには、『サリエルの月』とは魔眼の所有者の保護や監視、魔眼に関する事件の解決や隠蔽を目的にした組織らしい。構成員は全て魔術師で、その中には魔眼の所有者もいる。ちなみに組織の名前である『サリエル』とは、魔眼の始祖とも呼ばれる天使で、月の支配者でもあるという。
「まぁ月の秘密を人間に教えて堕天使になった、っていう説もあるんだけどね」
システィナがチョコレートクッキーを頬張りながら、そんなことを付け加えた。ちなみに今の話が、魔眼を悪用する連中が『堕天』と呼ばれる理由らしい。
「何か、すっごい中二っぽい」
魅来の率直な感想に、ホロとシスティナが揃って「チュウニ?」と首を傾げた。博学なシスティナも、さすがに現代サブカルチャーの知識までは網羅していないようだ。
「あ、中二で思い出したけど……」
「だからチュウニって何だ?」
ホロの疑問をスルーして、魅来はホロを――その身に纏った黒一色の服を見つめる。
「あんたと会ってから、その服しか着てるの見たことないけど……まさかずっと同じ服着てるわけじゃないわよね?」
わずかに身を逸らして、魅来がホロから距離を取る。別に臭ったわけではないが、まぁ何となくだ。
魅来の態度に、ホロはキレイな形をした眉をわずかにピクつかせる。この一か月ずっと一緒にいるせいか、この無表情極まりない少年の感情の動きがわずかにだがわかるようになってきた……気がする。少なくとも、今は不愉快に感じているのは間違いない。
「ちゃんと着替えてる。ただ持ってる服のデザインが全て同じだけだ」
「何、あんた? そのダサい中二ファッションに変なこだわりでもあるの? あ、それともその服も魔術と何か関係あるとか?」
「別に。服を選ぶのが面倒なだけだ。黒なら汚れも目立たないしな」
「あ、そう……」
酷く現実的な理由だった。システィナのお陰で少し魔術の勉強が楽しくなってきた分、ちょっと期待して聞いたのだが……あんた、本当に魔術師か! とツッコミたい。
「で、その服はどこにあんのよ?」
ホロは無言でリビングの方を指差す。
確かにそこには見慣れぬバッグがあった。色はやっぱり黒。肩掛け紐が付いた割と小さめのやつだ。窓際に置かれた観葉植物とカーテンの陰にあったので、今まで気づかなかったらしい。
「あんなサイズで荷物入るの?」
「中は魔術で少し広くなってる」
「へぇ、便利ね。いつかそれも教えなさいよ」
いつかな……と小さく呟いて、ホロは白米を口に運んだ。
「でも、その服ちゃんと洗濯してるの? あんたが洗濯機使ってるの見たことないけど」
「手洗いだ。風呂場で」
「ああ、だから時々シャワーの温度が低温になってるのね。てゆうか、何でわざわざ手洗い? 今更洗濯機使うの遠慮するようなやつじゃないでしょ、あんた?」
「使い方がわからん」
「原始人かあんたは。今度教えてあげるから、そっちでしっかり洗いなさい」
食事を終えたホロが「わかった」とだけ言って、席を立つ。
「ちゃんとごちそうさまくらい言いなさい! あと自分の分の食器は流しに戻す!」
リビングに戻ろうとしていたホロは、渋々踵を返した。律儀に座りなおして「ごちそうさま」と呟き、素直に食器を片付ける。エレスチャルをくれたことといい、ご飯の恩はホロなりに感じているのだろう。こういう時は素直に従う。
「なんかさぁ……」
そんな二人の様子を見ていたシスティナが、ニヤニヤ顔で声をかけてくる。システィナの身長の三分の一近い大きさのチョコレートクッキーは、すでに跡形もなく消えていた。一体あの小さな体のどこにあれだけ量が入るのか……ある意味これが一番のファンタジーかもしれない。
「何? おかわりなら缶から勝手に取っていいわよ」
「あ、ホント? いただきます」
「本当にいただくのね……適当に言っただけなんだけど。てゆうか、そんなに食べたら太るわよ?」
「妖精はいくら食べても太らないんだなぁ。ただ魔力になるだけ」
「……初めてあんたを殴りたいと思ったわ」
缶から取り出したチョコチップクッキーを貪る妖精の姿――体が小さいからわかりにくいがスタイルは抜群――と発言は、日頃からスタイル維持に苦心している乙女の琴線に触れた。
「で、言いたいのはそういうことじゃなくてね」
「まだ何かあるの?」
おかわりは本題ではなかったらしい。再びいたずらっぽい笑みを浮かべるシスティナに、魅来が嫉妬と警戒の視線を向ける。
「なんかこうして見てるとさぁ……」
「ええ」
「二人って同棲したてのカップルみたいだよね」
「んなっ!」
予想外過ぎる発言に驚いて、魅来の声が裏返る。もう少しで、持っていたご飯茶碗を落としてしまうところだった。
「バ、バカ言ってんじゃないわよ、この食いしん坊妖精! あんた頭どうかしてるんじゃないの!?」
「え~、だって~、そもそもヒモって、そういう関係の男の人のことでしょ?」
「あ、あれは別にそういう意味で言った訳じゃなくて……」
「まぁ、ずっとああいう仕事ばっかりの生活で、いきなり年の近い男の子と一緒に暮らし始めたら、意識しちゃうのも仕方ないだろうけどね」
「だから違うって言ってんでしょ! だ、だいたい私はもっと優しくてしっかりした人が――」
「とか言っといて、結局ダメな男捕まえてきちゃうタイプだ」
「ち、ちが……」
違う、と力強く否定したかったが、残念ながら言葉が出てこなかった。
そもそもこれまでの人生、アイドルになることしか考えてこなかったので、親しい異性などほとんどいなかった。幼稚園や小学生の頃に、クラスの男子と少し話したくらい。中学生になってからは、すぐにレッスンと仕事で忙しくて、会う男性と言えば自分のファンか仕事関係の人ばかり。初恋相手は子どもの頃に見ていたヒーローアニメの主人公。自分の恋愛傾向など、説明できるはずもなかった。
というか、自分の相棒を『ダメな男』のカテゴリーに入れていいのだろうか……
「おい」
「きゃうっ!」
自分の恋愛遍歴に軽いショックを受けていると、リビングに行っていたはずのホロが戻ってきていた。魅来の傍に立ち、こちらをいつも通りの無感情な目で見下ろしている。いや、少し呆れているか?
「ちちちちがうのよ! 私は絶対にそんなつもりじゃ――」
「……何を言ってるのか知らんが、そんなのんびりしてていいのか?」
システィナとの会話を聞かれていたと思って、慌てて言い訳を捲し立てようとする魅来に、ホロが視線をダイニングの壁掛け時計に向ける。
家を出る予定の時間まであと十五分ほどしか残っていなかった。
「うわっ、ヤバッ!」
慌てて残りのご飯とおかずを口に放り込む。少々はしたないが、仕事に遅刻するわけにはいかない。荷物などは前日にまとめている。今日は打ち合わせだけなので、服もメイクも簡単に済ませてしまおう。
そんな風にドタバタと出かける準備を始めた魅来をよそに、ホロは「先に出てる」とだけ言って、システィナと一緒にさっさと部屋を出て行ってしまった。