9話 ~魔術~
あの事件から半月以上が経った。
幸いなことに事件以降、魔眼の暴走は一度も起こっていない。それは偶然なのかもしれないし、ホロがくれたネックレス――『天使のギフト』という名前らしい――のお陰なのかもしれない。未だに魔眼の制御どころか、魔力を知覚することさえできていない魅来には、詳しいことはわからなかった。
この半月、ホロは約束通り、魅来に魔眼や魔術について色々と教えてくれている。
魅来も仕事の合間や、家に帰ってからなど、可能な限り時間を割いて、その勉強や訓練を行っている……のだが……
「正直、私の覚えが悪いせいじゃないと思うのよね」
ダイニングテーブルに広げたノートに両手で頬杖を突きながら、魅来は向かいに座る臨時講師に反抗的な視線をぶつけた。
「いや、そりゃあね、私も自分が頭良いなんて思っちゃいないわよ? 学校の勉強は苦手だし、難しい本読んでると眠くなっちゃうし。歌とかダンスとかはすぐに覚えるけど、台本を覚えるのは苦手だし。でも、それと今回のことは別だと思うのよ」
「……つまりお前は何が言いたいんだ?」
身振り手振りを交えて、不機嫌そうに自論を語る魅来に、黒ずくめの魔術講師が無表情で肩を竦める。
その問いを待ってました! とばかりに魅来は勢いよく立ち上がると、澄ましたポーカーフェイスのど真ん中に指を突きつけてこう言った。
「あんた、説明、下手すぎ!」
この半月で溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、一言一言をはっきりと区切って叫ぶ魅来。教えてもらっている立場だとは理解しているが、もう限界だ。たとえ怜悧な視線で睨まれようとも、物申さずにはいられない。
「魔術式とか、題材とか、イメージの固定化とか強化とか、事象の具現化とか、いちいち専門用語が多すぎるのよ! しかも用語の細かい説明はすっ飛ばすし! おまけに魔力を知覚する方法は抽象的でわかりにくいし! こちとら魔術だとか魔力なんて何にもわからない素人だってぇの! ちゃんと、一から、わかるように、説明しなさいよ!」
テーブルをバンバンと叩いて、魅来が猛抗議をする。グルルルと犬のように唸るその姿は、魅来のファンが見たら卒倒しそうな光景だ。
「何度も説明しただろうが」
「じゃあ魔術式って何?」
「魔術のイメージを固定化するための術式で、イメージした事象を魔力によって瞬時に具現化するための――」
「だ・か・らぁ! その説明が意味不明だって言ってんのよぉ!」
こんな感じで、魅来は魔術についてほとんど理解が進まなかったのである。
「はぁ……しょうがない、ボクが少し手伝ってあげる」
そんな言い争いを傍観していたシスティナが、ホロの肩からふわりと舞い上がる。
「こういうのは口で言うだけじゃなく、実際に見せながら説明した方が良いんだよ。ホロ、指から火を出して」
システィナの端的な指示に、ホロは渋々と従った。
右手の人差し指をピンと伸ばす。顔から二十センチほど離れた所に伸びた指先をじっと見つめるホロ。そしておよそ二秒後、ホロの人差し指から小さく燃える、赤い炎が生じた。
「これが魔術。自分の魔力を使い、様々な現象を起こすことができる超常の力だよ」
その小さな火の玉を紹介するように手で指し示すシスティナ。
「基本的には体内の魔力を使って、自分のイメージした現象・事象を引き起こすことができる。今はこの子が、『指先から火が出る』というイメージで魔術を使ってるってわけ。あ、もういいよ」
システィナの合図から再び二秒後、ホロの指先に灯っていた炎はゆっくりと消えていった。ホロがふぅっと小さく息を吐く。
「何かずいぶんと集中してたわね。この程度の魔術、あんたならパパッとできるんじゃないの?」
「それがそうでもないんだなぁ」
魅来の疑問には、システィナが答えた。指揮者のように指を振って、少し得意げだ。
「魔術を使うイメージってのは、思ってるよりもずっと大変なんだ。何せ魔力のコントロールと、起こす現象のイメージを同時に行わないといけないからね」
「つまり二つのことを同時に考えないといけないと」
「そ~ゆ~こと。だから魔術なんてのは基本的に簡単な現象しか起こすことができない」
ちなみにそれらのイメージを実際の魔術として発動することを、『事象の具現化』と言うらしい。
「けど、そんなんじゃ魔術師なんて全然大したことできないじゃない」
「そう。そこで必要になってくるのが魔術式ってわけ。ホロ、マジックガンを出して」
ホロがホルスターから、あの古めかしいカラフルな銃を取り出す。もはやホロは完全にシスティナの助手と化していた。
「この銃に描かれているのが魔術式。昔の魔術師が残した魔術文字なんかを使って、魔術イメージの簡略化と固定化を実現するための紋様だよ。まぁ簡単に言うと、人間が使う機械のプログラムみたいなものかな。あれもよく分かんない難しい言葉を並べることで、機械に全く同じ動作を繰り返しやらせるでしょ? それと同じで、一度組み立てたイメージを式として残しておくことで、同じイメージを行うことを省略してるってことさ」
「魔力流してスイッチ入れればOKってこと?」
「そ~ゆ~こと。ただし、組み立てた魔術式を使えるのは、そのイメージを固定化させた本人だけだけどね」
他の人に作ってもらっても使えないらしい。近道はないということか。
「で、ちなみに魔術式を組み立てるには魔術文字の他にも色々あって、その代表的なものが『題材』なんだ」
そう言って、システィナはホロの持つ銃に描かれた魔術式の一部、握り手の部分に描かれた紋様を指でなぞる。
「この銃の題材の一つは『四元論』。世界が『地』『水』『火』『風』の四つの元素から成り立っているとする理論だね。それぞれの元素にはそれらを象徴する色や季節、トランプのマーク、精霊なんかがある。この二丁の銃の紋様が、それぞれ二色ずつの計四色で描かれているのはちゃんと意味があるんだよ」
言われてみると、それぞれの色でダイヤやハートのマークが描かれている。握り手の部分にはどう見ても文字には見えない絵柄が。おそらくあれが精霊を描いたものなのだろう。どうやらただの奇抜で珍妙なアンティークではなかったらしい。
「あと、この銃自体も魔術のイメージを強化するのに一役買ってるんだ。これらの魔術式を、このマスケット銃に描くことで、『それぞれの属性の魔弾を撃ち出す』という魔術のイメージを強化してるってわけ」
ちなみに、マスケット銃と言われる骨董品みたいな銃を使っている理由は、機械仕掛けの銃は魔術のイメージと相性が悪いからだそうだ。
「ちなみにちなみに、妖精が使う魔法は人間の魔術とは別物なんだ。ボクら花と風の妖精は、魔力自体が変質してるから、魔力を体の外で操れば勝手に風になる。植物に魔力をちょっと通せば、それだけでその成長を手助けしたり操ったりできるってわけ」
「なるほどねぇ……こっちの真っ黒クロ助の説明より、よっぽどわかりやすいわ」
「……誰が真っ黒クロ助だ」
システィナが「えっへん!」とその小さな胸を張り、ホロが魅来にジト目を向けた。
「だって、実際、この子の説明わかりやすいんだもん。あんたこんな小さな子に負けて悔しくないの?」
「……妖精の寿命は数百年以上だ。そんな見た目でも、俺達より遥かに年上だからな」
「え″!?」という、なんとも乙女らしからぬ声が出た。「年上なんだぞ。敬いたまえ」とでも言うように、魅来とホロの間の空中をフワフワと浮かんでふんぞり返っている見た目美少女な妖精を、魅来はマジマジと見つめる。
「あなた、何歳なの?」
「ん~、百を超えてからは数えてないなぁ~」
「おばあちゃんじゃない!」
驚きのあまり、魅来の口からそんな言葉が漏れた。
システィナの頬がピクピクと引きつる。
百歳を超えてるとは言え、妖精の寿命からするとシスティナもまだまだ乙女である。
そして、おばあちゃんと言われて平気な乙女はいない。
「食らえ、妖精のてっつ~い」
そんなファンシーな声と共に振り下ろされたシスティナの右腕。
と、同時に発生した風のハンマーによって、魅来はダイニングテーブルに顔を打ち付けることになった。