太陽神の神殿(2)
神殿へと続く洞窟はぼんやりとした薄明かりに包まれていた。
岩肌は滑らかでほのかに白い。それらの石が微光を放っているせいで、周囲は薄ら明るいのだろう。
ルーグは長靴の音を響かせながら、相変わらず落ち着いた足取りで洞窟を歩いた。それはさほど長い距離ではなく、洞窟は急に目の前が開けた所へと出た。
そこには巨大な地底湖が広がっていて、目のさめるような美しい青色の透き通った水で満たされている。地底湖は浅いのか、ルーグは白い法衣を纏ったアルディシスが対岸に向かって走って行くのを見た。
アルディシスは湖を渡り終え、その岩壁を削って作られた「神殿」の階段を駆け上がっていく。神殿は円柱の回廊がずらりと並んだ大きなものであり、それが天井近くまで何層にも渡って建てられていた。
その規模からして、おそらく「神の山」内部全体が、アルヴィーズの神殿となっているのだ。
ルーグも湖に向かって歩き出した。水はくるぶしまで届くかどうかというくらい非常に浅い。けれど水は恐ろしい程澄み渡り、疲れ切った心が癒されるような清浄な気に満ちている。
湖を渡り終えると、目の前には五十段ぐらいの幅の広い階段があった。これも岩壁を削って作られたものだろう。
「……」
ルーグは階段の上を見上げた。
アルディシスが階段の一番上の所に膝をついて座り込んでいる。
ルーグは黙ったまま階段を昇った。
その足音を聞き付けてアルディシスが俯いていた顔を上げる。
ルーグが階段を昇ってくるのを険しい表情で見つめ、彼女は大きく頭を振って溜息を漏らした。
「やはり駄目でした。可哀想に。無理矢理神殿に入らなければ、命まで失わずに済んだものを」
「……」
ルーグは視線を下に落とし、アルディシスが床に倒れているリセルの髪をそっと撫でるのを見た。
リセルは階段を昇りきり、神殿内部に入る入口の手前で倒れていた。
まるで救いの手を求めるように、右手を前方に伸ばしていた。けれどその顔に苦悶の表情はない。ただ眠っているだけのように見えるほどの穏やかさだ。
「そんなことはない。神々はまだ、この子を死なせることなどできはしない」
ルーグは膝をついてリセルの顔を覗き込んだ。
だが傍らに座っていたアルディシスは言葉静かに否定した。
「いいえ、もう死んでいます。この子の頬は彫像のように冷たくなっている。唇も真っ青」
ルーグは右手の手袋を外すため、指先の部分を口でくわえて手をひっぱった。
外した手袋を床に落とし、そっとリセルの細い首筋を探る。
アルディシスの言う通り、リセルの身体は氷のように冷えきっていた。
だがルーグは瞳を閉じ、指先に全神経を集中させた。
「……」
弱いながらも、ルーグの指先はリセルの命の鼓動を感じ取った。
それが途切れる事なく続くことを確認し、ルーグは思い出したかのように息を吐いた。
「大丈夫。彼女は生きている」
「えっ、それは、本当ですか!」
信じられないといった声色と表情でアルディシスがルーグを見つめる。
「ああ。とても弱いが脈はある。どこか、彼女を休ませる部屋はないか?」
ルーグはリセルの身体を抱き上げた。けれど意識のないその四肢はまるで人形のように強ばっている。
アルディシスは動転する気をなんとか抑えようと、深呼吸を繰り返した。
「神殿の中に……来客用の小部屋がありますが……その……どうして? どうしてルディオールの力に染まったこの子供を、アルヴィーズは生かしたのですか?」
ルーグはリセルを抱えたまま、鋭い青灰色の瞳を細めてつぶやいた。
「ルディオールはリセルの姿を歪め、神をも喚ぶ力を封じ込めたが、その魂まで闇に染める事ができなかった。そういうことだ」
「……」
「さて、巫女どの。部屋へ案内して頂けないだろうか。元々強行軍で来たので、彼女はとても疲れている」
アルディシスはいそいそと神殿の入口へと歩き出した。
「あ、はい。ではこちらへ……」
「すまない」
ルーグはアルディシスの先導でアルヴィーズの神殿内部へと入って行った。
◆◆◆
ある日、わたしは王都の大神殿にいる母に呼ばれた。
『あなたが私の後を継いで欲しいの』と。
この国には魔法を使える人間の数がとても減ってしまい、まして、神を喚び出す事ができる者となれば、それこそ殆ど皆無なのだそうだ。
わたしは一度だけアルヴィーズ神を喚び出したことがあるらしい。
とても幼かった頃で、わたし自身はどうやって神を喚び出したのか覚えていない。
けれど成長するにつれて、わたしの内に秘める力は大きくなった。
魔法使いであった母の血のせいなのかもしれない。
だからわたしは五才の頃、自分の力を制御することを学ぶため、母の師匠の庵へ修行に出された。
母の師匠でもあるエンジェステッド老の庵は、王都から離れた南の辺境の森にあり、わたしはそこで学びながら、魔法が見せてくれる非日常の世界、古代人の残した遺跡や言葉を探究する日々にすっかり魅了されていった。
けれどわたしの修行は、王都からの使者が来た時に終わりを告げた。
森の木々が赤や黄色と色付き始めた去年の秋のことだった。
王命だかなんだか知らないが、わたしを王都へ呼び寄せた母は、三十八才と言う年の割に随分と老け込んでしまっていた。
日の光を受けて輝いていた金の髪は光沢を失い、気品溢れる緑の瞳は眼力がなく、何よりも母は疲れ切っていた。
年に一度とはいえ、神を喚び出す行為は魔法使いの身体に大きな負担をかけてしまう。召喚の儀は、魔法使いの生命力と力を削る行為と言ってもいい。
母は十五年という長い間、大神官の役目として、この国――エルウエストディアスの守護神アルヴィーズを喚び出して安寧を願い続けてきた。
その結果、エルウエストディアスには豊穣と繁栄が約束されて、西の大陸の中で最大の国家となった。
『ごめんね、リセル。私の力は消えようとしている。この国の安寧を願うために、あなたが私の後を継いで欲しいの』
わたしは正直、自分の持つ大きな力を持て余していた。
エンジェステッド老の指導のお陰で、それを制御する術は身につけてはいたが、それを心置きなく使う事ができればどんなにいいかとも思っていた。
だからわたしは母に言われるまま、そして国王陛下自らの要請もあって、王都の神殿へ次期大神官候補としてやってきた。
けれど――大神殿の神官達は、さぞわたしのことを滑稽に思っただろう。
『神を喚び出す事ができる』
ただその目的のためだけに、大神官である母の次席の位――神官長に就いた子供のことを。