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邂逅の森  作者: 天竜風雅
本編
2/21

神殿騎士(2)

 少女は未だ闇の中にいた。

 闇の中で細い体を縮こまらせ、ぎゅっと目をつむっていた。

 先程から目が痛い。

 闇の中にいるはずなのに、まるで太陽を直視しているかのような強烈な灯を感じる。

 きっとそのせいだ。

 焼いた鉄を両目に当てられ眼球が溶けるような熱さと、針で突かれるようなきりきりとした痛みがするのは。

 少女は体を縮こませたまま叫んだ。いや、絶叫した。

「やめろ! もうやめて! わたしには明るすぎるんだ! その光は!」

 両手で目を塞ぎながら少女はひたすら叫んだ。

 足をばたつかせ、体全体で叫び続けた。

 すると、じゅっという音と共に、少女の目を苛んでいた強烈な灯が目前から消えた。


「……すまなかった。これでいいか?」

 少女は誰かが自分の額にかかった髪に触れるのを感じ、ゆっくりと目を開けた。

 そこには先程、霧の蛇を一刀の元に切り捨てた黒髪の騎士が座っていた。

 白い手袋をはめた右手には、コップらしきものが握られている。どうやらその中身をたき火にぶちまけて火を消したらしい。薪の他に何かを一緒に燃やしていたのか、香草のような、虫が嫌うようなつんとした香りが周囲に漂っている。

 青年は少女の側に腰を下ろしたまま、淡々とした口調で話しかけてきた。

「私も夜目はきくが、できたらもっと明るい所で君と話したい。魔物避けの香木は焚かないから、小さなたき火ならしてもいいかい?」

 少女はいつしか布団代わりにくるまれていた青年の黒いマントの裾を握りしめうなずいた。

 滑らかで気持ちいい手触り。そっと目元までマントを引き寄せる。

「火を焚いてみて。眩しかったらすぐに言うから」

「わかった」

 青年は一度火を焚いた所とは別の所に乾いた木片を重ね合わせ、懐から火打石を取り出した。

 旅慣れているのか、野営はよくするのか。

 瞬く間にそれは小さな赤い炎を上げるたき火となった。

 火をつけ終えた青年は、気遣うように少女の方へ振り返った。

「大丈夫かい?」

「……」

 少女は目元まで引き上げていた黒いマントからそっと顔を出した。

「うん……大丈夫」

「そうか。よかった」

 青年は目を細め少女に向かって笑ってみせたが、その顔はいくばくか青ざめていた。

「気付くべきだった。お嬢ちゃんの目が『紅い』ってこと」

「こらぁ~! だ……誰が、お嬢ちゃんだってぇ!」

 少女はがばとマントを跳ね上げて、その小さな体を起こしていた。

 猫のようにつり上がった紅い瞳をらんらんと光らせて、体中の毛を逆立てて青年を睨み付けている。

「えっ。あ、いや。君はどうみても十三才ぐらいの可愛いお嬢ちゃんじゃないか。男の子じゃないのはわかってる」

「……」

 少女はぐっと紅い唇を噛みしめたまま、青年の顔を睨み付けていた。

 確かに自分はそれぐらいの幼い少女の姿をしている。

 それは嫌というほど、そして未だに認識したくないほどよくわかっている。

 だが少女は別の事に気付いてみるみるその頬を赤くさせた。

 身に纏っていた紺色のマントや同じ色のチュニックが何時の間にか脱がされている。

 少女は白い袖無しの上着のみを纏った姿で立っていた。


「かっ……勝手に、ぬが……脱がしやがったな!」

 けれど青年は涼やかな目元を細め、申し訳なさそうに肩をすくめた。

「それも悪かった。だが、君があまりにも息苦しそうだったんでね。ただそれだけだ」

 青年は立ち上がると、少女の足元に落ちていた自分の黒いマントを拾い上げた。

 そっと少女の体をそれで包み込んでやる。

「座りなさい。今、温かいお茶を作るから」

「……」

 青年は湖水のような透き通った青灰色の瞳をしていた。それを覗き込んだせいなのか、少女は自分の中の熱い憤りが鎮まっていくのを感じた。

 一見飄々とした外見のくせに、何故か、その言葉には逆らえないものがある。

 少女は言われた通り、再び腰を下ろした。

 辺りは依然暗い夜の闇に覆われていて、どうやら森の中で野営しているらしい。

「あの」

「よし、できたぞ」

 必要最低限、少女から離れた所に作ったたき火で、青年は小さな鉄の鍋に水筒の水を入れて湯を湧かし、何やら淡い花の香りをたてる葉を砕いていた。

「アマランスの葉? ひょっとして」

 青年の黒いマントにくるまったまま、少女は青年から手渡された小さなカップを受け取った。

「ほう、良く知ってるね」

 青年は涼やかな目元を細め、感心したようにうなずいた。

 少女はそれにむっとしながら茶をすすった。

 お世辞にもおいしいとはいえない苦味が口一杯に広がる。

 けれど少女はそれが体を温めて、気力を回復させる薬効があるのを知っていた。

「当然。魔法に使う触媒の一つだもの」

「ほう。それは知らなかった」

「知らなかったって……アマランスは『神の山』にしか生えていない稀少植物だ。王都の薬問屋にだって滅多にその葉は入荷しないのに」

 少女の紅い瞳が青年の顔を抉るように見る。

「まあ……助けてもらった事には礼をいう。けれど、神殿騎士が、こんな辺鄙な森で何の用だ?」

 黒髪の青年は困ったように眉間を寄せた。


「君、黙っていればとても可愛い美少女なのに、その口の悪さはいかがなもんかな?」

「うわー! うわー! 『美少女』なんていうなー! 頼むから!」

 少女は白く輝く髪を振り乱して叫んだ。

 うっすらと目に涙まで浮かべて。

 青年はもっと困ったように唇を歪めた。

「わかったわかった。君は自分を『女の子』としてみたくないんだね?」

 少女は頭を抱えながら、激しくぶんぶんとうなずいた。

「そう! そうなんだ。だからわたしのことは『お嬢ちゃん』じゃなくて、名前で呼んでくれ。頼む。わたしの名はリセルだ」

 黒髪の青年は困惑したまま、けれど了解したかのように微笑んだ。

「わかった。リセル。これでいいか?」

「ああ、結構だ」

 少女――リセルはほっとしたかのように安堵の表情を浮かべ、ようやく落ち着いたかのように肩の力を抜いた。

 それを半ば残念そうに見つめながら、青年は口を開いた。


「じゃ、私も名乗っておこうか。私は神殿騎士のルヴォーグだ」

「る、るぼーぐ?」

 リセルは発音しにくそうに顔を歪めた。

 するとルヴォーグはやれやれと肩をすくめながらつぶやいた。

「そう、どうも王都の人間に、南部出身の私の名前は発音が難しいみたいなんだよな。ああ、無理にちゃんと言う必要はない。私の事は皆『ルーグ』と呼ぶから」

「あ、でも」

 リセルはルヴォーグの顔を見上げ首を振った。

「いや、そういうわけにはいかない。誰だって自分の名前を間違われたら、嫌な気持ちになる。第一失礼だ」

 ルヴォーグは一瞬戸惑ったように瞬きした。が、その顔には微笑が浮かんでいた。

「ありがとう。でも、私としては『ルーグ』と呼んでもらう方がいいんだ。君が魔法使いならわかるだろう? 真名は普段使わないほうがいいって事」

 リセルは意味ありげにルヴォーグの顔を見上げた。

「……そうだな。神殿騎士は神殿を守るために、時として邪悪なモノ達と戦うことがある。名前を支配されたら相手のなすがまま……だしな」

「そう」

 小さく同意したルヴォーグの黒衣の上で、彼の所属を表す銀の剣の首飾りが揺れた。

 たき火の光を受けてきらりと輝く。


「ルーグ。あんたは、王都にある『大神殿』直属の神殿騎士だろう?」

 リセルの視線が注がれている首飾りにルーグも視線を落とした。

「それが、何か?」

 小さな含みをもたせた声でルーグが答える。

 リセルはいつしか自分の体が震えている事に気付いた。

 それを抑えるために、お茶の入ったカップをぐっと強く握りしめた。

「……よく、無事だったな。とても、信じられないけど」

 ルーグは意味ありげに眉根を寄せ、じっと燃えるたき火の炎を見つめた。

「二日前に王都の『大神殿』で事件が起きたのは知っている。あの神殿が柱を残して天井も壁もすべて崩れ落ちたそうだな。けれど私はちょうど南部の神殿の方へ使いに出ていて、あの事件には巻き込まれなかった。ハイ・プリースト(神官長)=リセル」

 リセルは弾かれたように顔を上げ、激しく頭を振った。

「わたしを知っていたのか。でも、その呼称でわたしを呼ぶな。わたしは神官なんてなりたくないんだ。わたしはただのリセルだ!」

「……じゃ、何故君は王都を抜け出し、たった一人で『神の山』に向かっているんだ? ぶっそうな幽鬼どもに追われながら」

「そ、それは」

 ルーグが白い手袋をはめた右手を伸ばし、リセルの青白い頬にそっと触れた。

「何する。急に」

 ルーグは黙ったまま顔を近付け、ひたとリセルの顔を覗き込んだ。

 リセルの血のように紅い瞳は、一つの三つ編みにくくられた白銀の髪と同じ睫毛で縁取られ、まるで吸い込まれそうに妖しい光を放っている。

 魔性のものといっていいだろう。それは。


「何のつもりだ。人の顔をじろじろみて」

 リセルはルーグの手を振り払おうとしたが、その青灰色の瞳に見つめられているせいか、何故か身動きできない。

 ルーグはリセルの瞳を覗き込みながら、畏怖するかのように密やかに口を開いた。

「紅い瞳と白銀の髪をした『旧き神』を知っているか? 私は『彼奴』を知っている。その名を言うのは今はやめておこう。何故、太陽神アルヴィーズの命で封じられていた『彼奴』が現世に現れ、王都の『大神殿』を破壊したのかわからないが、君は彼奴に『呪い』を受けたんだろう? その身に宿る強大な力を封じ込めるために」

「ルーグ……あんたは、どうしてそれを……つっ!」

 リセルは今度こそルーグの手を振り払い、顔を覆った。

 ルーグの言葉のせいか、僅か二日前に起きたおぞましい出来事が脳裏に蘇ってきた。



 まるで悪夢でも見ているようだった。

 真っ白い大理石の神殿は一瞬で瓦礫の山と化し、その下敷きとなった数多くの神官達の血で地面は真っ赤に彩られた。

 勿論、神殿を警護していた『神殿騎士団』の団員達も巻き込まれ犠牲となった。

 リセルは天井が崩れ落ちた祭壇の前で呆然と立ち尽くしていた。

 無傷だったのは大神官アーチビショップを務める母リスティスが、自ら持つ力を行使して、祭壇近くにいた王やその側近、そして自分の跡継ぎであるリセルをかろうじて神殿の崩壊から守ったからである。

 けれど母の魔法の力はそれで大半が失われた。

 十五年の長きに渡って大神官を務めた母の力は枯渇しつつあった。

 よって彼女は優れた魔力を持つリセルを自分の後継者として指名し、リセルはその資質を証明するため、国王や他の高位神官たちの前で、実際にエルウエストディアス国の守護神・アルヴィーズを喚び出す『召喚の儀』を神殿で行っていたのだ。


 もっとも、リセルがリスティスの後継に選ばれたのは大きな理由がある。

 昔は信仰心のみでアルヴィーズ神を呼び出せる者が大神官アーチビッショップになったが、長きに渡って続いたその加護は国民の心を慢心へと変えてしまった。

 どの国からも侵攻されず、日照りの災害にも遭わず、安穏とした生活が当たり前となった昨今。

 それをアルヴィーズ神に感謝することを忘れた人々からは信仰心が少しずつ失われていった。

 よって、ついに年に一度、国の安寧を願う『降臨祭』の時、アルヴィーズ神は神官達の祈りでは召喚に応えなくなってしまったのだ。


 その年は十分な日照を作物が得る事ができず、飢饉が各地で発生した。

 翌年も長雨のせいで疫病が流行り同じことが続いた。

 それを憂いた国王は、神官たちの力だけでは不十分と思い、名のある魔法使いを片っ端から王都へ連れて来させた。

 そして魔法使いに太陽神を召喚させ、国王自らがこれまでの慢心を、感謝の心を忘れたことを懺悔した。

 アルヴィーズ神の立腹はそれで一時解けたが、けれどかの神を信仰のみで呼び出せるものは皆無となっていた。


 それからである。

 魔法使いが大神官に任命されるようになったのは。

 条件はただ一つ。

 その力でアルヴィーズ神を喚び出せる事。

 魔法使いの数は神官のそれよりもずっと少ない。

 まして『神』を呼び出せる実力を持つ魔法使いとなれば、さらにその数は限られてくる。

 リスティスの類い稀な魔法の才能を受け継ぎ、開花させたリセルが、彼女の後継者となるのは王命でもあった。



 ◆◆◆



「……わたしが、悪かったんだ」

 リセルは膝を抱えて肩を丸めた。

「わたしが、『あいつ』を喚んでしまったから」

「リセル」

 リセルは再び肩に置かれたルーグの手を振り払った。

 顔を上げたリセルの瞳には、一筋の涙が浮かんでいた。


「そう。わたしはアルヴィーズを喚べなかった。代わりに、遥か昔、アルヴィーズ自身が自分の中にある『悪』の心を嫌い、地中深く封じた『半神』を喚んでしまった。エルウエストディアスの民なら子供でも知っている、あの有名な神話に出てくる『半身』だ。神殿はわたしが召喚した『あいつ』のせいで崩れ落ちた。母さんも陛下もご無事かどうか全くわからない。母さんが残る力で、わたしだけを王都の外まで飛ばしてくれたから。だから、わたしは『あいつ』を再び封じ込めなくちゃならない。『あいつ』は自分と同じ呪われし姿を与えることで、神を喚ぶわたしの『力』を封じこめたけど、わたしはそれを解く方法を知っている」


 ルーグはリセルの隣に座したまま、幼い少女が体全体で自らの決意を叫ぶのを聞いていた。

「なるほど。『神の山』の神殿に赴き、太陽神アルヴィーズに、『彼奴』にかけられた呪いを解いてもらうんだな」

「ああ」

 リセルは迷いのない真直ぐな瞳でルーグを見据えながらうなずいた。

「じゃ、神官を守る『神殿騎士』として、私も僭越ながら同行させてもらおうかな」

「……へっ?」


 ルーグは涼やかな目元を細めながら、腰に帯びている銀の剣に手をかけた。

「君は大魔法使いなのかもしれないが、今はただの子供だよ。それに、『彼奴』の呪いのせいで、ほとんど魔法が使えないはずだ。どうやって『彼奴』の下僕たちを退ける?」

「いいよ。放っといて。あんたも旅の途中でしょ」

 リセルはルーグの黒いマントを頭から被った。

 髪を白銀に、瞳を紅に変えられて、本来の姿を歪められた自分は、普段の三割以下の力しか魔法が使えなくなってしまった。

 けれど全く使えないわけじゃない。

 体が小さいことを利用して、普段は何とか物陰に隠れて追跡を躱し、どうしても逃げ切れない時だけ魔法を使えばやっていける。実際そうして二日間やってきたのだ。

 太陽神アルヴィーズに地上で会える場所は、「神の御座」と呼ばれる山のふもとにある神殿だ。

 あと一日あればたどり着ける。


「リセル」

 ルーグが呼びかけてきたがリセルは無視した。

 うるさい。

 こっちは早く寝て体力を回復しなければならないんだ。

 なんせあんたみたいな大人の男じゃないから、とにかく体力がないんだ。


「……そうだな。しばらく寝た方がいいな。見張りは私がやるから安心してくれ」


 そうですか。

 それはとってもありがたい。

 リセルは両目をつぶった。このまま眠ろうとおもったが、彼のマントを被ったままリセルは小さくつぶやいた。


「ルーグ」

「何だい?」

「助けてくれて……ありがとう」

 ふっと神殿騎士は笑い声を漏らした。

「おやすみ」

「……」

 リセルは返事をしなかった。いやできなかった。

 忍び寄る睡魔にとうとう捕まって、夢をも見ない眠りに落ちてしまったから。


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