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邂逅の森  作者: 天竜風雅
本編
14/21

ルーグの告白

 リセルは抱えていた膝を伸ばし、両手を後ろについて空を仰いだ。

 そのまま目を閉じる。

「ルーグ、ありがとう。話を最後まで聴いてくれて。心の奥に燻っていたモノが少しだけ晴れて、穏やかな気持ちになれた気がする」

「リセル」

 リセルは目蓋を開き、隣に座るルーグに向かって微笑した。まるでこの聖なる森の木々のように、落ち着いた雰囲気を崩さないルーグはリセルの話を聴いてどう思っただろう。

「ルディオールをこの世界に喚び出したのはわたしだ。死ぬのが嫌でルディオールの甘言にのった。わたしを罵りたければ罵ってくれ」

 ルーグの顔が不意に強ばった。力強く伸びた眉の下で、青灰色の淡い光彩の瞳が急速に厳しい光を帯びていく。

 ルーグは手袋をはめた左手を不意に上げ、軽く拳を握るとそれをリセルの脳天に向かって振り下ろした。

 殴られる。

 リセルは思わず目を閉じた。

 だがいつまで待ってもルーグの拳はリセルの頭に落ちて来ない。

「馬鹿。お前を罵る者がいたら、私の拳はまっ先にそいつを殴り倒すだろう」

「ルーグ」

 リセルは目を開き顔を上げた。

 ルーグは先に立ち上がっていて、先程振り下ろそうとしていた左手をリセルに向かって伸ばしていた。

「いかなる理由があったとしても、お前は確かに禁忌を犯した。けれどそれは誰にも責める事などできない。死の恐怖に晒され平静を保てる人間などいないからだ。この私を含めてな。さあ立て、リセル」

「……」

 リセルは左手を伸ばして、差し出されたルーグの手を掴んだ。ルーグの指に力が籠るのが感じられ、それを頼りにリセルは立ち上がった。

 ルーグの厳しかった顔が再び元の飄々としたそれへと変わっていく。

「お前は自分が思っているよりずっと強い人間だよ。流石、エレディーンの血脈に連なる者だけあって」

 リセルは一瞬耳を疑った。

「ルーグ? 今、なんて」

 ルーグがおどけたように片眉を吊り上げた。

「えっ? 私は今何か変な事を言ったかい?」

「言った」

 リセルは確信を持ってルーグに詰め寄った。

「わたしは『神』を喚ぶ事ができる資質を持っている魔法使いだということはあんたに話したが、『エレディーン』の話はまだしていない」

 リセルは光の加減で淡い青にも深い青にも見える瞳を凄め、右手に小さな白銀の炎を灯らせた。

「ルーグ。あんた、何故その名を知っている? 今日こそあんたの素性を洗いざらい話してもらうぞ。あんた、ただの『神殿騎士』じゃない。連中は『神殿』を守るから『神殿騎士』と呼ばれているだけで、城を守る近衛騎士と同様、ロクに神々の系譜や神学の知識を持っていない。わたしでさえ知らなかったその旧き名を、どうしてあんたが知っている!」

「そ、そうなのか?」

 まだとぼけようとするルーグに、リセルは右手に灯らせた小さな白銀の火をその鼻先へ突き付けた。

「嘘は付かない方がいい。ルーグ。いや、ルヴォーグ神殿騎士」

 リセルに正確な発音で本名を呼ばれたルーグは、ぶるっと体を震わせた。

「ほう。私の名前をちゃんと言えるとはすごいじゃないか」

「呪文に比べればあんたの名前なんて一度聞けば何度でも言える。それよりも、この火はただの火じゃないんだ。裁定の神フォルスの『審判の灯火』だ。あんたが嘘を一つつく度にこれは大きくなって、最終的にはあんたの体を飲み込むまでの大きさになる」

「リセル。いい加減にしてくれ。私は本当に『ただの』神殿騎士だ」

 ぼっ。

 ルーグの鼻先に突き付けられた炎が揺らめき、それはリセルの手と同じ大きさにまで燃え上がった。

「ルーグ。わたしの話をきいてなかったのか? 嘘はついては駄目だと」

 ルーグは鼻先の炎を見据えながら、困ったように眉間を寄せた。炎の熱のせいか冷や汗か。ルーグの鼻の頭にじっとりと汗の粒が浮かんだ。

「わかった! 確かに公平ではないな。私もいい加減自分の事を話そうじゃないか。だから、その物騒な『審判の灯火』とやらは消してくれ」

 リセルは炎が再び揺らいで大きくならないか、その動向を注目した。

 しかし炎はリセルの掌の上でゆらゆらと静かに燃えているだけだった。

「わかった。今の言葉は嘘ではないらしい」

 リセルは炎をルーグの鼻先から遠ざけ、右手の親指と中指をこすりあわせてそれを消した。

 ルーグは安堵したかのように重苦しく息を吐いた。

「本当にお前の魔力の資質は、自分で誇っているだけあって凄まじいな。『審判の灯火』は神界にそびえるエイギス山脈の遥か奥の洞窟にあるという。その一部を雑作もなくここに持ってくるなんて」

「……ルーグ。あんた、それをどうして……」

 ルーグは左手を胸の前に持っていき、首から下げていた銀の剣を小さく象った首飾りを持ち上げた。

「王都の大神殿を守る『神殿騎士』だけが、何故これを持っているかその理由を知ってるか? ハイ・プリースト=リセル・ルースフィア・エレディーン」

 リセルは唇を震わせた。神官長の正式な呼称をつけて、かつリセルの名前を言ったのは、ルーグの本名を正確な発音で言ったことへのお返しだろうか。 

「本当は……あまりよく知らない。ただ、『大神殿』の神殿騎士たちが皆それをつけているのを見ていたから……」

 ルーグは首飾りから無造作に手を放した。

「まあ、手っ取り早い話が、私も神学の勉強をして、その全課程を修了したということだ。でも私は『神官』にはならず、彼等と神殿を守る『騎士』を選んだ。王都の『大神殿』に仕える『神殿騎士』は、神学の博士課程を修了した者だけがなることができ、かつ、中級神官と同じ位なので、この銀の首飾りをつけている。だから……」

 ルーグは不意に右手を――火傷を負って『さわやかな臭い』を放つ薬草を塗布された包帯を外し始めた。

「魔法を使うお前がいる手前、中々言い出せず困ったが、この先剣が使えないのも困るから……」

 リセルはあらわになったルーグの右手を見て驚いた。

 昨夜見た酷い火傷の痛々しい傷跡が、跡形もなく消えている。

 すっかり完治している。

「あまり深い傷は治せないが、これぐらいなら私程度の信仰心でも『癒しの祈り』で治す事ができる」

「ルーグ……」

 ルーグは申し訳なさそうに、リセルに向かって頭を垂れた。

「黙っていた事は謝る。ただ、お前を傷つけたくなかった」

 リセルはルーグの言葉に絶句していた。

 癒しの祈りを行使できるのに、ルーグはリセルのためにそれをわざと使わなかったのだ。

「……馬鹿だ。あんた、どうしようもないお人好しだ」

 リセルは急に目の奥に熱いものを感じて思わず顔を背けた。

 自分が大きな力を振り回して、それを得意げに披露して喜んでいるような、ちっぽけな子供であることを否応なく感じた。

 それに対してルーグはお人好しではなく、状況を冷静に見据え判断できる大人なのだ。

「リセル」

 リセルは手を上げて目に浮かんだ熱い雫を払い落とした。

 泣いていたことはきっとルーグにばれているだろうが、あからさまな泣き顔を彼に見られたくなかった。

 どこまで自分は子供なのだろう。

 でも、みられたくないのだから仕方ない。

 リセルは振り返って、わざとらしく両腕を組んだ。

「神官の資格を持っているのなら、神学に詳しいのは当然だ。でも、『エレディーン』の名は一体どこで? わたしは母や魔法の師から神々の系譜を一通り習ったが、そのような神の名は一度もきいたことがなかった。わたしがその名を知ったのは、『神の山』の神殿を訪れ、夢の中で会ったアルヴィーズが話してくれたからだ」

「彼のことは記録に残っている。エレディーンは神から人になった唯一の存在で、かつ、人間に魔法の言語を教えた者だった」

 ルーグはリセルに対抗するかのように、同じように腕を組んだ。

「『神の山』の神殿。あそこに一枚の壁画が残されている。お前が出立を急がなければ、それを見せてやるつもりだった」

「えっ」

「お前がただの魔法使いでないのはわかっていたからな。そしてその疑問は、ルディオールの呪いから解放されたお前の姿をみて確信へと変わった。その風貌が隣の柱に記されていたからな」

 ルーグは腕を組んだまま意味ありげにリセルを眺めた。

 リセルは嫌な汗が額に浮かぶのを感じた。ルーグが記録に書かれたエレディーンの風貌と自分を見比べているのが容易に想像できる。

 そしてリセルも明け方夢で見た、アルヴィーズの側にいた青年の姿を思い出していた。

「すまなかったな、ルーグ」

「どうした。急に」

 リセルは困ったように髪に手をやり、それをぐるぐる指先で弄んだ。

「いや。あんたはわたしに、わたしが何者であるか知る機会を与えてくれようとしたのに、わたしは聞く耳を持たなかった」

「……そうだな」

 溜息と共にルーグがつぶやいた。けれどその顔は笑っていた。

「まあ、焦る事はない。いつか、自分の目で壁画を見に行ったらどうだ。神殿を管理しているアルディシスなら場所を知っているだろうから、落ち着いたら案内してもらうといい」

 リセルは唐突にルーグとの距離を感じた。

 髪に絡めていた指を放し、ルーグを見上げた。

「見に行けると……思うか?」

「思うさ」

 ルーグは初めて森の中で出会った時のように、穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。

「ルディオールを封じ込める事ができたら――ルーグ、わたしは……」

 リセルは突如強く吹いた冷たい風に髪をあおられ、それを右手で押さえた。

 思わず息を詰める。

 気配を感じた。

 何者かが『聖なる森』の結界を力づくで破壊し、侵入しようとしている。

 丁度リセルが焼いてしまった、炭化した木々の向こう側から――。

 異変を察知したルーグが腰に帯びた銀の剣に手をかけた。


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