第3話:運命
ぺちぺちと頬を叩かれ、わたくしはまどろみから目覚めました。
あれからどれだけの時間が流れたのでしょう?
すでに夜は明けているようで、開け放たれたドアから日が差しこんでおりました。その眩しさに、思わず目を細めてしまいます。
「連れてくるのだ!」
一足先に車外へ出ていたローゼスが命じると、衛兵隊長はわたくしを抱きかかえて外へ出ます。
屈強な腕にお姫様抱っこされ、思わずときめいてしまいました。がっちりとしたアゴは無精髭に覆われ、目元には切り傷が。まさに歴戦の兵士です。
50近い歳の差はありそうですが、年齢なんて関係ありません。問題は、わたくしより強いかどうか。
ぜひともお手合わせを願いたいのですが、口を覆うツルが宣戦布告を許しません。
わたくしが正々堂々、尋常なる勝負を望んでいるとは知る由もなく、衛兵さんはローゼスのあとに続き、前へ前へと歩みます。
ここに来て、わたくしはようやくあたりを見まわしました。
とはいえ衛兵さんの身体に視界を遮られ、ほとんど見ることはできなかったのですが……ここが木々に覆われた山地ということはわかりました。
そして前方には断崖絶壁が。近くには先の見えないほど長い吊り橋が架かっていますが、そこへ至る前にローゼスが懐から木の枝を取り出しました。
「あとは私がやる」
ローゼスが杖を振ったかと思うと、わたくしの身体はふわりと宙に浮かびました。
まさかの逆さづりです。
スカートがめくれてしまわないよう内股になっている間に、わたくしの身体は足場のない場所へ追いやられてしまいました。
……ちょっと深すぎません?
眼下には、真っ暗闇が広がっていたのです。
生きては帰れないというからにはさぞかし深いのでしょう、と覚悟を決めてはいましたが、まさかこれほどまでとは思いもしませんでした。
底が見えないほどに深く、轟々と絶え間なく鳴り響く風の音はまさに竜の咆哮のよう。あるいは本当に竜が棲みついているのかもしれませんが……この深淵に投げ捨てられてしまえば、竜に殺される前に死んでしまうこと請け合いです。
ローゼス……用心深いにもほどがあるでしょう。
わたくしの身体はちょっとばかり頑丈にできていますが、さすがにこの高さから落ちて無事に済むとは思えません。
「恨むなら、貴様を生んだ母を恨むのだな」
お母様への恨みは欠片も抱いておりません。
そんな思いをこめた眼差しで見つめると、ローゼスは嫌みったらしい笑みを浮かべ、杖を一振り。
その瞬間に浮遊魔法の効果が切れ、わたくしは重力に従い真っ逆さまに落ちていきます。ローゼスの顔は、一瞬で見えなくなりました。
斜面を転がって無事生還、這い上がって婚活の旅へ出発ですわっ!
そんな未来を期待していたのですが、垂直に切り立った崖に斜面はありませんでした。
真っ逆さまに落ちていき、どんっ、と背中に凄まじい衝撃が走ります。勢い余ってワンバウンド、今度はうつ伏せに転がります。
「……」
一度死んだわたくしが言うのもなんですが、ひとって意外と死なないものですね。
まあ、谷底に落とされて死なない生物を人間と言っていいのかはわかりませんけれど。
さておき、わたくしが人間であれなんであれ、まずは生きていたことを祝福するとしましょうか。
晴れて自由の身になったわけですし、あとは結婚するだけですわ!
どうにかしてツタを引きちぎり、婚活の旅へ出発するとしましょうか!
わたくしは必死に気分を盛り上げます。
グルルルルルルル……!
理想的な結婚相手と幸せな家庭を築き、多くの子や孫に囲まれて静かに息を引き取る――そんなところまで妄想を繰り広げていたところ、地鳴りのようなうなり声がわたくしを現実世界へと連れ戻します。
続いて、ぼちゃぼちゃと粘りけのある液体がこれでもかと降ってきました。
首を起こして見上げると、そこには大きな大きなドラゴンが――
「……」
一難去ってまた一難。どうやら運命は、どうしてもわたくしを結婚から遠ざけたいようですわね。
しかしながら、この程度の困難で結婚を諦めるわたくしではありません。
運命が婚活の邪魔をするというのなら――そんな運命、粉々に打ち砕いてさしあげますわ!
次話は明日の昼頃投稿予定です。