二十三話
終戦後五〜六年経つと、日本国中の食生活が安定してきました。
そうなるとヤミ屋は駄目です。
儲からなくなりました。
悟はまた、行き詰まりました。
(今までのように儲かったら、雪子を高校へ出してやれるんだが、しかし、どんな事をしてでも、雪子を高校に出してやりたい)
悟にとって、それが生きがいでもあったのです。
(どのようにすれば高校へ行かせることが出来るか、仕事を変えよう。僕自身の将来のためにも、一生ヤミ屋で終わりたくない)
悟の頭の中は、火の車が回っているように、ガオーガオーと音を立てます。
悟は、焦り苦しみました。
雪子は、中学三年生です。
自分の事は自分で考えられる年頃になっていました。
「お兄ちゃん」
「うん、なんだ」
雪子の顔を見ると、真剣な顔をしています。
「真面目くさった顔をして何の用だ」
悟は、いたずらっぽい笑顔で言います。
「お兄ちゃんには、随分とお世話になったけど、雪子はねえ、看護婦さんになろうと思うの、運良くね、今年まで中卒で行ける看護学校があるの。来年からは、高看になって、高校を出ないといけないのよね。中卒で行けるその学校は、お給料をもらって勉強が出来るのよね。私が一年遅く産まれていたら、その恩典には、あずからなかったのよ。雪子、本当についてるわ。ねえ、お兄ちゃん、看護婦さんになってもいいでしょう」
「それはいいけど、高校を出てから看護婦さんになればいいよ」
「私が高校へ行くの、そんなに、お兄ちゃん無理しなくていいよ。『ヤミはもう駄目だって』坂口さん(ヤミ屋の仲間)が言ってらしたわ。これ以上、お兄ちゃんのスネかじっていたら、お兄ちゃん死んじゃうかもね。死にでもされたら、雪子一人で生きていけないわ。それより、国からお金もらって勉強が出来るのよ。こんないい話はないわ。それに、国が戦争をしたから、こんな時ぐらい、国を利用しなくちゃ、そうでしょう」
「変な理屈だな」
と、苦笑する悟です。
「変な理屈で思い出したのだけど、私のクラスの中に、お父さんが戦地で亡くなった人がいるけど、その人には、国からたくさんお金が来るんだって、同じ爆弾で死んでも、雪子のお父さんのように、兵隊さん出ないからお金がこないなんて不公平よね。雪子ね、なんだかおかしいと思うのよね、同じ爆弾でしょう」
「あっはっは、、、雪子、それは、そうだよね。確かに父さんは、爆弾で死んだけど、兵隊さんではないからね。雪子の気持ち良くわかるよ」
「わかっていないわ」
「どうして」
「私ね、お兄ちゃんが一生懸命働いている姿を見ると、そのクラスの女の子のように、父さんが戦地で亡くなっていれば、お金が入るでしょう。お兄ちゃんに苦労かけずに済むのに、といつも思うの。お兄ちゃんは、雪子を育てるために苦労しているから」
「お兄ちゃんは、働くのが生きがいだから、いいじゃないか。僕から雪子を引き抜けば、何がある、何もないよ、空っぽだよ」
悟は、このような話をする雪子が、とっても、可愛くてたまりませんでした。
悟は
(何とかして高看にやりたい)
強くそう思いました。
しかし、今の財布の中では、どうやりくりしても、高看はもとより高校すら無理だったのです。
(高看に行きなさい)
と、今は言うことができない自分に、腹が立ちました。
悟はヤミ市から帰ってくる途中、警察予備隊(今の自衛隊)の募集を知りました。
ヤミを始める時にピリピリときたように、今度も閃きました。
(これだ、警察予備隊員になろう)
これからは、サラリーマンの時代がやってくるような、気がしてくる悟でした。
(僕は酒もタバコもやらないから、小遣銭を少し取って、雪子に送れば、十分過ぎるほど高校には行ける。そうだ、これに決めよう)
雪子を高校にやれる、そう思うと嬉しくって胸が弾みます。
鼻歌を歌いながら、我が家へと急ぎました。
家に着くなり
「雪子、お前は高校に行け、何も言わずに高校へ行け」
「お兄ちゃん、雪子は看護婦さんになりたいのよ」
「高校を出てから、高看に行けばいいじゃないか」
「高看は准看と違って国費じゃないのよ、私費なのよ」
「高看だって、お兄ちゃんが出してやる、お兄ちゃんに任せとけ」
悟は、胸を張って、自分の胸をドンと叩きました。
「お兄ちゃん夢みたいなこと言わないで、ヤミは行き詰まりだって言っていたじゃないの」
「それがね、雪子、お兄ちゃんはサラリーマンになろう、と思っているんだ」
「サラリーマン?」
「うん、警察予備隊員になろうと思っているんだ」
「警察予備隊員?それなあに?」
「日本の国は戦争に負けた、敗戦国にしては、アメリカさんが良い人たちだったんで、奴隷にならなくても済んだ、お陰で日本は立ち直っている。しかし、日本が独立国として立って行くには、必ず防衛が必要なのだ、どこの国が侵略を狙っているかわからないから、今からは、今までと違って、戦争をしない為の軍備が必要なのだ、僕は、その中の一員になりたい。日本の平和を守る一員になりたい」
雪子は、わかるようなわからないような、ぼんやりとした頭の中にいました。
「国に防衛力が無いということは、家庭に親がなく子供だけ、と同じ事なんだよ。親がいないという事は、嫌というほど、惨めな思いをして、身にしみているだろう。それと同じように、国に防衛力が無いと、他の国から付け込まれたり、いじめられたりする。そのような事は、どんな事があっても、防がなければならない。僕は雪子の親になり、国の親とまではいかないけど、その一員になりたい。それに、雪子を高校にも、高看にもやれる。こんな良い話は無い。お兄ちゃんも頑張るから、雪子も頑張って、立派な看護婦さんになりなさい」
雪子は、兄の愛の強さに感謝すると共に、自分だけそんなに幸せになっても良いのだろうか、とも思いました。
そして、兄の愛に報いる為にも、一生懸命で勉強し立派な看護婦になろうと決心を新たにしました。




