二話
雪子と悟は何も知らずに爆弾の下でぐっすりと眠っていました。
雪子は素敵な夢を見ていました。
美しい花咲く丘を飛び跳ね、戦争のない平和な生活をしている夢でした。
その時けたたましいサイレンの音、悲鳴、物が焼けているきな臭い匂いで、眠りから現実の世界に引き戻された雪子は、目が覚めてみると、自分の家が燃えているのです。
(私の家は燃えている、それも、ものすごい勢いで、私は燃えている火の真ん中にいる、あっ、熱い、苦しい、私はこのまま焼死するのだろうか、どうしたらたすかるのだろう、それとも夢かしら、夢であってほしい)
その時、雪子の母、春枝が悲鳴と共に飛び込んできました。
「早く逃げなさい、雪子、早く逃げるのよ」
春枝は狂ったように叫びました。
叫び声と同時に畳をはぐり、床板をもぎ取り、その床下に雪子を押し入れました。
悟がその場へ駆けつけ
「母さん、早く」
悟は母を床下に押し入れました。
そして、悟自身も床下にもぐり込みました。
三人共に床下を腹ばいになっ、庭に向かいました。
蜘蛛の巣だらけの床下でしたけど、そのようなことに気づくはずもなく、必死で庭に向かいました。
燃えた床板が落ちてきたりしましたが、無事に三人共庭を出ることができました。
「さあ、川づたいに、山の方に逃げましょう」
春枝は、二人の子供の手を、両手にしっかり握りしめて、川づたいに山へと向かいました。
ヒューン、バアバアバアーン、ドカン、と凄まじい音がします。
焼夷弾、機銃掃射の不気味なその音は、鼓膜を破るほどです。
川は浅瀬もありますが、深いところもあります
深いところは、雪子は泳げませんので、悟が雪子を抱いて泳ぎます。
春枝は、水泳が上手でしたので、悟の手は必要としませんでした。
洋服はずぶ濡れです。
しかし、濡れている洋服が気持ち悪い、などと感じる余裕などありません。
誰もが川づたいに山に向かって、必死になって逃げています。
巾二メートルほどの狭い川は、押せや押せやの人間の山です。
敵機は低空飛行で、その狭い川の中まで、機銃掃射してきました。
その弾に当たって、悲鳴をあげながら、倒れて死んでいく人もいました。
親を失って泣き叫ぶ子供の声、親が子供を探し求めて泣き叫ぶ声、狭い川の中は、地獄絵そのものとなりました。
悟と雪子は、母の手のぬくもりで私の母は元気だと喜びました。
人の不幸を悲しんだりする余裕はありません。
それほど爆弾の下は、冷酷で大変なものでした。
春枝は春枝で、子供の手をぎゅうっと握りしめ、子供達が、元気かどうかを確かめました。
子供達は、元気だよ、と握りしめて返しました。
私達には、あの人達のように死に別れるような、むごい運命はやってこない、と人の事として、遠くに感じていました。
しかし、魔の爪は、悟と雪子の上にも、容赦なくやって来ました。
何処から飛んできたのか、小さな弾が、母の心臓をうちぬきました。
悟と雪子は、倒れる母を手で支えました。
母の体の重みが、ずしっとのしかかってきました。
二人は、母を川の浅瀬のところに運び寄せました
母の胸から、噴水のように血が吹き出てきました。
悟と雪子は
「お母さん、お母さん、しっかりして、死んだりしないで」
と泣き叫びながら吹き出る血を、必死になって手で押さえました。
悟と雪子の必死の願いもむなしく、母は息絶えてしまいました。
春枝は、病院に運ばれることもなく、畳の上でもなく、板の上でもなく、泥水の中で死にました。
自分たちには、このようなむごい不幸は、やってこない、人にはきても、自分たちにはこない。と心の底から信じていたのに、不幸は一瞬にして押し寄せてきました。
子供にとって、母とは、かけがえのない、この世で一番大切な者なのです。
悟と雪子の頭の中は、炎と氷がでんぐり返っているような、ショックでした。
「お母さん、お母さん」
胸が張り裂けるような、声で叫んでも、何度ゆすっても、母は冷たくなっていくばかりです。
!!このようなことになろうとは!!
二人にとっては、あまりにも突然すぎる、突然の出来事でした。
このような残酷な運命が、このような幼い子供の身の上にふりかかるのも、戦争のためです。
戦争とは、愛する者をなまさきにさき、幸せを奪い、地獄の底へたたき落とす、むごすぎるような現実なのです。
弾は人を何人殺そうと思っているのか、雨のように降ってきます。
母が亡くなった今、二人は命が欲しいとは思いませんでした。
弾が自分の体を打ち抜いてもかまわない。
弾への恐怖心は全くありません。
母が生きている時、あれほど強いと思った弾なのに、不思議なくらいに恐怖心は去っていました。
逃げようとも、木の陰に隠れようとも、思いません。
二人は、雨に打たれたたずむように、弾の降り注ぐ中に、立ちすくんでいました。




