バイオリアの街角から
マーリン大爆走
マーリンは焦っていた。
「ここの角を曲がれば、迷子のバジリスク亭が見えたはず・・・」
そう思って角を曲がると、出店で賑わう商店街に出た。
「おや、マーリン先生。今日はどうしたの?」
いつも野菜を届けてくれる行商の女将さんが声をかけてくる。
「あ、ちょっとした用事で、久しぶりに街に出てみたの。腰の調子はどう?」
「先生の薬のおかげで、随分調子良いよ。ありがとね。そうだ、人参持ってくかい?」
そう言って、薬のお礼だから代金は要らないと言って、一人ではとても持ちきれないような人参の入った木箱を3つ、奥から出してくる。
「あら、ありがとう。いつもスミマセンね」
そう言いながら、マーリンはおもむろに、アイテム袋に収納する。とても持ちきれないような量の人参が、箱のみ残して全て収まった。
「いつもながら、その袋は便利そうね」
感心したように女将さんが言ってくるが。
「ありがとう。差し上げたいのだけれど・・・」
「わかってるよ、MPが必要なんだろ」
そうなのだ。この袋は、持ち主の保有MPに応じて、収納量が増減するのだ。
そのため、普通のMPの持ち主では、見た目の大きさより少し多めに物が入る程度の袋にしかならず、重量軽減もMP依存のため、大きめの袋を用意してしまうと、持ち運びも困難に成ってしまう。
この場合、便利そうに見えるのは、マーリンのMPが異常に高いせいである。
200年前には当たり前に市場で売っていた商品なのだが、そういった理由で、人々や冒険者の平均レベルが下がってきた100年ほど前から、有用性が疑問視され、今では骨董品市で売られていることがあるくらいの代物に成ってしまった。
「先生が使ってると便利そうに見えるんでね。私が使っても、ほとんど入らないわね」
そう言って、恰幅の良いお腹を付き出して、笑った。
「引き止めちまって悪かったね。そういえば、随分急いでいたみたいだけど、何処に行くんだい?」
「え・・・」
実は、この問い掛けを先程から数人の・・・10人には届かないくらいの人から受けている。
「じ、実は、ちょっと知り合いを訪ねて、迷子のバジリスク亭に行くところなのよ」
「ああ、忙しい先生のことだから、ついでに、いろいろ用事を済ませて回ってるんだね」
「そ、そうなのよ。いろいろお世話になっているところにね」
「それでわざわざ、バジリスク亭の正反対の方向なのに、家にまで顔を出してくれたんだね。いつも、ありがとうね」
女将さんにそう言われる。
マーリンは、ほとんどの買い物は、街の商店や露天の皆さんが、私塾まで直接持ってきてくれる。欲しいものが有れば、出入りの商人たちが持ってきてくれる。
決して金持ちではないが、マーリン自体が光の勇者の一人なので、街の人々からは多大な人気と信頼が有り、この街におよそ180年ほど私塾を開いているので、街のほとんどの住民は、マーリンを生きる伝説として敬愛している。
そして、たまに街に出てくるマーリンを、住民たちは敬意を払う意味で、先生と呼んでいるが、たまにしか外出しないマーリン先生は、一度外出すると、見回りをしているがごとく、街中を見て回っている・・・と住人達は思っていた。
彼女は、極度の方向音痴である。
数多のダンジョンを単独で討伐し尽くしているため、それを知っているのはハンス達パーティメンバーと、他、数人に絞られるが、単独で討伐していたのは、なんとなく魔物の多い方に進んでいって、魔法を撃ち続けていると、そのうち行き止まりになり、戻るのも面倒なときは、壁に向かって魔法を連発し、無理やりボス級の魔物の部屋に押し入るという、生き埋めにならなかったのが不思議なほど乱暴な探索の結果であった。
「そうね。いつもお世話になっている女将さんの顔を見ておかないとね」
マーリンは内心、冷や汗をかきながら、それを全く感じさせない微笑みを女将さんに向ける。
「嫌ですよ、先生はこの街の守り神何ですから、お世話してもらっているのは、私達なんですよ」
女将さんはそう言いながら、マーリンの冷や汗に全く気づく気配もない。
「ところで、女将さん。久しぶりに来たので、少し迷ってしまったのだけれど、ここの道は少し変わったかしら?」
マーリンはすっとぼけて、軽く、しかし本人に取っては、超重要なことを聞いた。
「ああ、少し店の中身が変わってるから、久しぶりだと分かりにくいかも知れないねぇ」
女将さんは、そういえば・・・という風に、
「前は、あの角の店はなかったし、3軒となりの店は、先月バイエルンが本社のお店の支店らしいよ。あんまり、零細な商店をいじめないように、先生からも釘刺しておくれよ」
と、愚痴混じりに言う。
「そうだね。先生のお目当てのバジリスク亭なら、この先2つ向こうの大通りの角を右に曲がれば、まっすぐ行った左側だよ」
そう、教えてくれた。
「あ、そうだったわね。本当に、街は生き物ね、たまには外歩きしないと、すぐ道に迷ってしまうわ」
マーリンは、そう言って微笑むと、女将に別れを告げ
「2つ向こうを右、2つ向こうを右・・・・」
とぶつぶつ言いながら、明らかに狭い路地に突入していった。
幸いにも、女将さんの視界からは既に曲がるマーリンは見えていなかったため、マーリンの方向音痴はこの時も暴露されなかったが、本人に取ってよかったのかどうか・・・
そして、細い路地に入って、真っ直ぐなはずがいくつも分岐が有ったりして、おかしいのかも・・・とマーリンが思い始めた頃、路地の前の方から、か細い悲鳴が聞こえてきた。
「・・・・・・・・!!!!!!」
まだ、先の方なのか、よく聞き取れないが、争うような声が聞こえてくる。
「騙した・・!!」
「!!・・・馬鹿なんだ・・・!!」
切れ切れに聞こえてくる方向に、急ぎ足で向かい、ようやく現場に到着した。
「おやめなさい!!」
そう言って路地に飛び出すと、そこには身なりの良い服を着た、長身の男が、3人組のガラの悪い男たちに絡まれていた。
「街の中で、何をしているのですか!あなた達は何者ですか?」
マーリンが誰何する。
「何だ、テメエ・・・は!!!!」
突然、3人組の一人がはっ!!としたように、仲間達を見る。
それを見た、ガラの悪い男たちの2人が改めてマーリンを見やって、同じように、固まった。
「なんです?」
マーリンが訝しげに首をかしげるが、男たちの顔がみるみる赤く染まっていく。
「あ、お、・・・わ、ワタクシタチは、この、この商人さんから、商品を見せていただこうかと思って、声をかけたのですが、チンピラに見せるものは無いと言われて、少し、ほんのすこしだけ気が立ってしまったので・・・」
と、シドロモドロで説明を始める。
他の二人も、明らかに動揺を隠せず、同じくもじもじしながらあたふたし始める。
とりあえず緊急事態は脱したようだと理解したマーリンは、商人の方に目を向けると。
「マーベリック!!」
と声を上げた。そこに居たのは、先程ルキノから保護対象として名前を聞いていたマーベリックだった。
「あなた、こんなところで何してるの?」
「これはこれはマーリン様。ご機嫌麗しゅう」
こんな時なのに、マーベリックは、地面に座り込んだまま、優雅に挨拶を返してくる。
「私は、この方々に商品を見せるように言われたのですが、あいにくご予算に見合うものを持っておりませんでしたので、後日お見せしたいとお伝えしたところ、このようなことに成ってしまったのです」
マーベリックは、全く怯んだ様子も見せず。営業スマイルを浮かべたまま、そう言った。
「それは違うだろ!お前は俺たちには商品は売れないとか何とか抜かしたぞ!!」
男たちが、それを聞いて反論する。
「そのようなことを私はお客様には言いません。ただ、商人として、悪用を前提とした商品の供給はできかねると申し上げたのです」
そう言うと、優雅に立ち上がり、両手を腹の前で組むと、男たちに対して深々と頭を下げる。
「ただし、お客様ではなく、ただの物乞い及び強盗の類だとしたら・・・」
その瞬間、周囲の温度が急激に下がった気がして、マーリンは思わず両腕を抱え込んだ。
「私は商人であることを誇りとしています。それと同じくらいお客様を大切に思っています。お小遣いを貯めて、飴玉を買っていただけるお子様も、金貨の袋を積み上げて武器を大量購入してくださる王国軍も、同じお客様です。ですが・・・それを不当な方法や目的で手に入れようなどという物乞い風情には、死んでもらいますよ」
そう言って、さらに周りの温度を低下させる。
「あ、お、俺たちは・・・」
3人のチンピラたちは、マーリンを見て赤くなった顔を、今度は青白く変えながら、慌てた様子で
「た、ただ、硬い柵を削ることができるような、ヤスリや刃物は無いかって聞いただけだろ」
「何処の柵を切るんですか?」
「そ、それは・・・う、家の柵だよ、何だか、錆びて固くなっちまって、解体したいんだ」
男たちはそういった。
「なるほど、失礼いたしました。私の勘違いだったようですね。それでしたら、これなどいかがですか?」
そう言って、一本のヤスリをどこからとも無く取り出した。
「こちらは、東の領地、ジャポニカ特産の鋼を使った一級品でございます。魔鋼のような特殊な鋼は難しいですが、一般的な柵に使われているような粗鉄ならば、3往復で切断されるという代物です。なんでも、王都の地下牢を脱獄する際に、大怪盗ルピンが使用したのも、このジャポニカのヤスリだったということです」
マーベリックは、まるで魔法のごとく商品の説明を歌うように行う。
「一流職人たちも垂涎の的のこのヤスリ、通常価格、金貨2枚のところ・・・」
マーリンも思わずゴクリとつばを飲み込む。
「本日この場限り、特別価格、銀貨3枚でお譲りいたします!!」
「買った!!」
思わず声が出たマーリン。
「いやいや、こちらは、マーリン様ではなく、そちらのお客様たちに権利がございます」
そう言って、営業スマイル全開で3悪人に向き直る。
「如何ですか?」
男たちは、我に返ったように、慌てて各々の懐から財布を取り出すと、全財産を数え始め。
「す、すまねえ、商人さん。今俺達の全財産が銅貨27枚しか無え、少しまけてもらえないか?」
そう言ってきた。マーリンからしたら、元々金貨2枚の商品が銀貨3枚なんて、すぐにでも飛びつくものなのだが、まだ、値引き交渉をするとは・・・ある意味凄いと感じてしまう。
「そう言われましても、お客様に失礼を働いてしまったのをお詫びしたく、原価を大幅に割っての商品でございましたので・・・」
と、マーベリックが思案顔になると。
「わ、分かった。銅貨27枚と、この短剣を引き取ってくれ」
と、男が懐から使い古された短剣を取り出した。
「な、なら俺のも、おい、お前も出せよ」
「お、おう、俺のも頼む」
3人が三様で、懐から短剣を取り出すと、マーベリックに渡してくる。
「なるほど、でしたら、この懐剣はなかなかの業物とお見受けしました。でしたら、この短剣3本と銅貨20枚で結構ですよ」
そう言うと、銅貨7枚を返し、優雅な手つきでヤスリを手渡した。
「注意事項としましては、決して他人の家の柵には使わないこと。非常に丈夫ですが、錆びたりすると性能は著しく低下しますので、必ず油を引くこと。以上をお守りいただければ、柵の解体は捗ると思いますよ」
営業スマイルを崩さす、にこやかに男たちに告げると、男たちは笑顔で、良い買い物をしたと口々に言いながら、路地を後にしていった。
気になるのは、立ち去るときに、チラチラとマーリンのローブの胸元に視線を飛ばして来たことだが、まあ、男どもはいつもその辺りを見つめてくるので、気にもしなかった。
「マーリン様。このようなところでお会いできるとは、本日はどうされましたか」
お客様をひとしきり見送った後で、マーベリックがそう聞いてきた。
「いや、近道をしようと路地裏を歩いておったら、出くわしただけじゃ」
マーリンが苦しい言い訳をすると。
「なるほど。そういうことでしたら、マーリン様に助けていただいたお礼をしたいのですが、よろしければどちらに行かれる途中だったのか、教えていただけませんか?」
とマーベリックが聞いてくる。
「いえ、おかしな意味ではございません。もし、お邪魔でなければ、行き先が分かれば、その近くのスイーツ店などで、塾の皆様のお口汚しなど、ごちそうさせていただければと」
そう言いながら優雅に一礼する。
「そういうことならば、私が今向かって居るのは、迷子のバジリスク亭だが、お前の声を聞いて駆けつけたせいで、少々遠回りに成ったようだな」
と、マーリンは少々焦りながら言う。
「おお、では、バジリスク亭のアップルパイに致しましょう。あそこのパイは全てオススメですが、私はとりわけアップルパイが絶品だと思っておりますので、ぜひごちそうさせてください」
とう言うと、先に立って歩き始めた。
「こちらへどうぞ」
「うむ」
マーリンは、ホッとした様子をひた隠しにマーベリックの後について歩き始める。
その路地が、マーリンが先程飛び込んで来た路地だということと、マーベリックが、彼女の方向音痴を知る数少ない人物の一人だということに、気が付かないまま、無事、迷子のバジリスク亭にたどり着いたのである。
マーベリックがおもったよりかっこいい気がしてきました




