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短編

You are mistaken!

作者: 霧島躑躅

「ずっと好きでした! 私とつきあって貰えませんか!?」

一世一代の告白。清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で、那波楓子は二年近く片思いし続けている松下悠翔を空き教室に呼び出したのだった。

緊張に顔を真っ赤にし、すでに涙目の楓子。悠翔は楓子の告白に目を見張って――呼び出された時点で告白の可能性は考えていたのだが、実際にされるとやはり驚きはあるのだ――、少しばかり考え、

「ありがとう。でも――ごめん」

と、申し訳なさそうに、困ったように答えた。

ごめんという三文字を聞いた瞬間、楓子はいたたまれなくなった。

(分かっては、いたんだけど……)

楓子はこれ以上悠翔と向き合っていられなくなり、早口で、

「ご、ごめんなさい、聞いてくれてありがとうございましたッ!」

と告げ、泣きそうな顔を伏せたくて、深々と頭を下げた。

そのまま、悠翔の反応を待たずに身を翻し、走って教室から逃げ出してしまう。

「あ! ちょっと待っ……」

呼び止める声は聞こえない振りをして。



***



「ぶーこみたいなブスに惚れる男なんてそうそういるわけないだろ」


幼なじみの那波楓子が男に告白して振られて落ち込んでると知り、元気づけようと内村幸也は楓子の部屋を訪ねた。

勝手知ったる幼なじみの家。

ほぼ顔パスで楓子の母に中に通され、迷わずに楓子の部屋にたどり着く。

ドアの前で小さく毒づき、そういえば、楓子の部屋に来るのは中学生以来だな、なんて考えながらなおざりにノックをし、返事も待たずにドアを開ける。

中学生になった頃から、照れているのか何なのか、楓子は幸也が自室に来るのを嫌がるようになった。元々、幼なじみとはいえ異性である幸也の家に恥ずかしがり屋の楓子が訪ねてくることなど少なく、幸也が来てやらなければ接点は学校だけになってしまう。なのに、色気づいたのか何なのか、幸也が那波家を訪ねてもリビングで対応されてしまう。

幸也は、まあ、こいつも一応女だしな、と寛容な気持ちで楓子の反抗を許した。

幸也が楓子にとって特別・・な存在なのは、わかりきったことだった。

幸也にとっても楓子は自分の物という認識だった。だから、勝手に部屋に入ることへの躊躇なんて微塵もなかった。

ベッドの上には、掛け布団を被って丸まっている楓子の姿。――実際には姿は見えないが、長い黒髪が僅かに隙間からこぼれている。

幸也はずかずかと部屋に入り込み、幸也に気づきもせずベッドにうつ伏せて声を殺して泣いている楓子に手を伸ばす。

ばすっ、と鈍い音が、掛け布団越しに楓子の頭に響いた。掛け布団を挟んでいるにしても、かなりの衝撃音だったが幸也からすればかなり手加減していた。

「痛ッ」

反射的に身を起こした楓子の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。顔も耳っ真っ赤。

大袈裟だな、と呆れながらも、幸也は楓子のそんな姿もかわいいと思った。痘痕も靨だ。

「ブッサイクな顔だな! 元が悪いんだからせめてちゃんとしてろよ」

幸也は励ましてるつもりだった、が。

「何であんたにそんなこと言われなきゃなんないのよ!? そもそも部屋に入っていいなんて言ってない! 出てってよ!」

枕を力一杯ぶんなげる楓子。

幸也は楓子が元気になったと、安心した。

幸也は部屋から出ていかず、軽く受け止めた枕を楓子に投げ返す。その枕は狙い定めた通り、楓子の頭にぶつかり落ちる。

だが楓子は枕など気にとめず、幸也を部屋から追い出そうとする。

「出てけって言ってんでしょ!」

珍しく幸也に対して声を荒げる、楓子の照れ隠し――だと幸也は思っている――の言葉を無視して、部屋を見回して目に付いた机の上に飾ってある写真立てを手に取った。

楓子は目に見えて動揺し、奪い返そうとベッドから降り立った。

「触んないでよ! 返して!」

幸也はそれを無視して隠し撮りだろう、視線が合わない写真の主を見て嘲る。

「お前が好きだったのって松下だったわけ? ぶはっ! 有り得ねえ!」

松下悠翔。剣道部に所属してる、運動神経のいい奴。顔はまあまあだし、定期試験ではいつもトップグループにいる。性格は温厚――というより、八方美人だと幸也は見ている。女子からはかなりモテているし、律儀で面倒見がいい性格から男子にも好まれているようだ。

そいつに楓子が惚れた? ――有り得ない。だって楓子は幸也のことが好きなのだから。小さい頃から、ずっと。

今は意地を張って認めないように振る舞っているが、幸也には分かっていた。

楓子は幸也に彼女が出来たと思いこんで自棄になったに違いない。高校に入ってから、深いつきあいをするようになった女子が何人かいた。

きっと楓子はそいつらに嫉妬したのだ。

だから、適当な男に対してアイドルに騒ぐ気分で悠翔に告白して玉砕した。あるいは幸也への当てつけかもしれない。

(馬鹿な奴だなあ、そこもかわいいんだけど)

「返してったら!」

一生懸命背伸びして手を伸ばしてくる楓子の手から逃すように、幸也もまっすぐ頭上に手を伸ばし、届かなくする。

幸也は楓子がようやくベッドから降りてきたことに安堵した。

ぴょんぴょん跳ねる楓子を微笑ましくからかいながら、幸也はやっぱり自分にしか楓子を元気にすることはできないんだ、と悦に入る。

一時の気の迷いで顔だけ男の松下なんかに惚れていたようだが、楓子の一番近くにいるのは昔から幸也だったのだ。楓子のむき出しの感情を向けられる家族以外で唯一の異性。

幸也こそが特別だった。

幼稚園、小中高と同じ学校に進み、殆ど同じクラスになった。ずっと一緒だった。

高校も、幸也ならもっと高いレベルの学校にも進めたが、幸也の隣に並ぶ自信がないのか幸也に黙って近隣の公立高校に勝手に決めてしまった楓子に合わせてやった。

驚かそうと黙っていたが、楓子に先んじて推薦で入学が決まっていた。入学式で幸也を見た楓子は驚きに固まって間抜け面をさらしていた。

高校でこそ一度も同じクラスになれていないが、最後の三年生こそ同じクラスになれると信じている。何せ腐れ縁だ。いや、運命の相手だ。きっと同じクラスになる。卒業を一緒に祝えれば、それで許してやる。

クラスが離れてる間も、恥ずかしがって寄ってこれない楓子のためにわざわざ幸也が自ら楓子の教室を訪ねてやったりもした。人前だからだろう、あまり幸也と話さず頷くばかりの楓子に苛立ちもしたが、周りの男どもに楓子は俺の物だとアピールは出来たはず。

今日だって、たまには楓子と帰ってやるかと放課後の教室を覗いた。すると、悠翔に振られたとだけ言って早々に帰宅してしまった楓子を心配して、輪になって話していた楓子の友人がいた。話題の主が教室に不在の楓子であることに気づき、無理矢理聞き出して、那波家まで訪ねてきたのだ。

(楓子はいつだって、俺が軽くからかってやれば、すぐに元気になる)

「ぶーこが恋とか百年早いんだよ」

小さい頃のあだ名を口にし、楓子は更に興奮して幸也につかみかかる。

(泣きやんだみたいだし、今日はこのくらいにしておくか)

幸也はそう考え、写真立てを投げるようにゴミ箱に放る。

あッ、と声を上げて楓子がそちらに駆け寄る。

「そんな奴のことは忘れろよ。お前には……もっと、お前のことを理解してる奴がすぐ近くにいるだろ!」

最後は恥ずかしくなって、幸也は言い捨てて部屋を飛び出す。

「じゃあな! また来てやるよッ」

ドアをバンッと乱暴に閉め、階下の楓子の母に会釈して那波家を出る。

冷たい風が火照る頬に心地よい。

これで自分の気持ちは楓子に伝わった。

満足感を覚えながら、幸也は自宅へ踊るような足取りで帰宅する。

明日の楓子の反応が楽しみだった。

実は両思いだったと知った楓子は、幸也を見て照れるだろうか、恥ずかしがるだろうか。

楓子も、本当の自分の気持ちに早く気づけばいいのだ。いや、これで気づくに違いない。

楓子は昔から、大きくなったら幸也の嫁になるんだとよく言っていた。

幸也だって楓子以外の女なんて視界にも入らない。まあ、少しばかり遊んだことは事実だったが、それは楓子がまだガキっぽさが抜けなくて手を出せなかったから。

だからって当てつけのように他の男にふらっと行くとは思ってなかった。青天の霹靂とはこういうことを言うのか。

でもこれで大丈夫。

楓子は本当は幸也のことが好きなんだし、幸也も楓子にはっきりと気持ちを伝えた。

一仕事終えた気分で幸也は気分良く伸びをした。



***



松下悠翔は悩んでいた。

今日告白してくれた那波楓子のことで。

「ありがとう、でも、ごめん」

そう答えた時点で謝りながら走り去ってしまった楓子。

本当は悠翔は、

「ありがとう、でも、ごめん。今は選抜大会が近いから集中したいんだ。真面目に考えたいから時間をくれないか?」

と。こう答えるつもりだった。

楓子は小柄で平凡な――いや、普通にかわいいという意味で――容姿、平均的な学力と突出する所はなかったが、朗らかで優しく、周囲への気遣いが出来る女子として好感を持っていた。

だから、三月末の選抜大会に集中したい、彼女をつくる余裕がないとすぐに断るのではなく、きちんと考えて答えを出したかった。

なのに――。

(泣かせてしまった)

楓子が頭を下げたときに床に落ちた水滴を思い出し、後悔ばかり繰り返している。

急いで追いかければ、捕まえられたかもしれない。けれど悠翔は楓子の涙に動揺して固まってしまった。すぐに我に返り、楓子の後を追おうとしたが、どこに行ったのか見当もつかない。とりあえず教室に向かうと、まだ残っていた女子数名に睨まれた。きっと泣き顔のままの楓子を見て、悠翔が原因だと悟られてしまったのだろう。

女子の横の繋がりは、情報という形で現れる。

おそらく、楓子が悠翔に告白したことを、クラスの女子の大半が知っているのだろう。

その眼光に恐れおののき、悠翔は楓子の行き先を問えず、とぼとぼと部活に顔を出した。それでも集中出来ず、何度もあの涙を思い出してはぼんやりとしてしまう。

お陰で、今日は剣道部の活動中何度も顧問や主将たちに叱られてしまった。

こんなことでは選抜大会どころではない。

悠翔はスマホを取り出し、緊急連絡網用にクラス全員に知らされている女子のクラス委員長――進藤真由美に電話をかけた。

『――はい』

幸い、すぐに通話が繋がる。

「あの、いきなり夜にごめん。同じクラスの松下だけど、那波さんと急いで連絡を取りたくて……電話番号を教えて貰えないかな、と」

個人情報を他人から聞き出すのは抵抗があったが、明日まで悩み続けるのも楓子を悲しませたままなのも、もう限界だった。

『……松下って、今日ふーこを振ったんでしょ? 今更何の用?』

真由美の冷たい声が悠翔の耳に響く。

「ち、違うよ! 振ってない!」

慌てて否定する。

何でもう知ってるんだ!? 女子の情報網ってどうなってるんだろう、と焦りながら、真由美が楓子の親しい友人の一人だったと思い至る。もしかしたら楓子から直接聞いたのかもしれない。

「……選抜大会が近いから、そっちに集中したい、真剣に考えるから時間が欲しいって」

『言ったの?』

「言う前に逃げられた……」

話していて悲しくなる。

いや、言葉の順番を間違えた自分が悪いんだろうけど。

『あの馬鹿。早とちりしてたか……!』

苦虫を噛み潰したような声の後、真由美が楓子の電話番号を教えてくれた。

「ありがとう!」

『あの子、当たって砕けるとか言ってたから松下とつき合えるとは思ってなかったんでしょうね。でもふーこと向き合うって決めたなら、もう泣かさないでよ』

その言葉を最後に真由美側から通話が切られた。

楓子が女子から好かれる理由は、悠翔が好感を持ったのと同じ理由だろう。

よし、と気合いを入れて、教えて貰ったばかりの番号に電話を掛ける。



***



ゴミ箱から写真立てを救出した楓子は、その場に座り込んだままえぐえぐと泣きながら悠翔の写真を見つめていた。

その楓子の意識に、幸也の捨てぜりふも幸也自身の存在も欠片も残ってはいない。

あるのはただ、悠翔のことのみ。

――ずっと好きだった。

入学して、同じクラスになって、名前の順で席に座らされた。その左隣になったのが松下悠翔だった。

当時の楓子はあまり男子が得意ではなかった。原因はわかってる。幼なじみの幸也を初めとする男子たちだ。いつも酷い言葉で楓子を罵倒して来る幸也に倣い、他の男子たちも楓子を罵る日常。

そのくせ、「どうせお前には恋人なんて出来ないし、仕方ないから大きくなったら俺が結婚してやるよ」とか、偉そうに言ってきた。酷いときは「俺と結婚するよな!? するって言わないと打つぞ!」なんて小声で脅されたりもした。その結果、人前で「こうくんと結婚する」と言う羽目になったのも、一度や二度では済まない。自分はモテるアピールでもしたかったのだろう。

楓子としては幸也だけは絶対に嫌だとずっと思っていたが、如何せん幼なじみで家が近い上、いちいち罵倒して暴力を振るってくる相手に逆らう程強くも愚かでもないから何でもはいはいと頷いておいた。

出来るだけ距離を置いていたのに、何の嫌がらせか知らないが家や教室に押し掛けてきては訳の分からない暴言や暴力を楓子に与えて満足そうに帰って行く。あれは絶対ストレス発散だ。サンドバッグ扱いだ。

中学校時代に幸也が有名私立高校に進学すると聞いた時は、やっと離れられると快哉を叫んだ。なのに、高校に入学してみれば同じ学校の男子用制服に身を包んだ奴がいた。

そして、幼稚園に始まり小、中、と続いてきた付きまといがまた始まった。いつだって、男子は幸也に合わせてはやし立てるか見て見ぬ振りをするばかり。

女子は仲のいい友人は庇ってくれたし、事情を知ったクラスメイトが匿ってくれたりもした。

幸也は顔と頭がそこそこよかった。運動神経もそこそこよかった。そのせいで嫉妬した女子に絡まれたり、散々だった。

そんな経緯もあり、楓子は周囲を気にするようになった。どんな小さな切っ掛けで、誰に嫌われるか、虐められるかわからなかったから。

楓子は自分を八方美人だと思っている。小心者の、臆病者。周りに嫌われたくなくて媚びを売る卑怯者。

けれど、悠翔は。

楓子が男子との会話に緊張してガチガチになって話すのを、急かさず相槌を打ちながらうん、うん、そうだね、と聞いてくれた。

男子への苦手意識が薄くなったのは、悠翔が楓子とのたどたどしい会話につきあってくれたお陰だった。中学校から一緒の進藤真由美も、少しずつ男子と話せるようになった楓子を褒め、一緒に喜んでくれた。

こんなに優しい男子もいるんだ、と思うと温かい気持ちになった。

それからは気がつくと悠翔を目で追い、いつの間にか好きになっていた。席替えで席が離れてしまった日には本気で落ち込んだし、二年生になってまた同じクラスになれた時には掲示板の前ではしゃいでよろけて壁にぶつかった。しかもその姿を悠翔にも見られた。同様に二年連続で同じクラスになれた真由美は、呆れて笑っていた。

もちろん悠翔は優しく朗らかな性格に加え、強豪剣道部の期待株、しかもイケメンときて、かなりの女子から秋波を送られている。だから、当たって砕ける気持ちで告白して――砕け散った。

三年生でも同じクラスになれる保証はなかったし、クラスが分かれてしまえばそこで途切れてしまう程度の関わりしかないと自覚していた。

告白を決意した二年生の夏休みから三学期半ばまで、何度も躊躇い、ようやく今日勇気を出して告白し、玉砕。

それでも。

「まだ好きなんだもん……」

呟きに重なるように、スマホが色気のない着信音を奏でた。

誰だろう。

画面を見るが、知らない番号。

出ようか迷ったが、鳴り止む気配がない。

楓子は意を決して出てみる。

「もしもし……?」

『あっ、あの、俺、松下だけど』

「まちゅしたくんっ!?」

噛んだ。

一瞬で羞恥に真っ赤になる。

「ご、ごめ……松下君、どうして」

『放課後のこ、告白の件で、続きを聞いて欲しくて。クラス委員長に那波さんの電話番号を教えて貰ったんだ』

勝手にごめん。そう謝る声に「ううん、気にしてないよ」と返しながら、楓子はどきどきと鼓動を速める心臓の辺りを服の上から強く掴む。

(何だろう。何を話すの? 松下君って律儀な人だし、もう一度振られ直すのかな。……そうだったら立ち直れないよ)

不安は増すばかり。

『今度は最後まで聞いてくれる?』

「は……はい」

我ながら力ない返事、と思いながら、楓子はスマホを握る手が汗ばむのを感じていた。

『あのね――――』



***



翌朝。

幸也はそわそわと楓子の家の前まで来ていた。

楓子のいつもの通学時間は知っている。

それより十五分ほど早い時間から、那波家の前で楓子を待つ。だが、普段の通学時間が過ぎても楓子は現れない。

「遅い。寝坊でもしてんのか?」

起こしに行ってやるか。

久しぶりに寝顔なんて見れるかも。

いや、つきあい始めたらいつでも見れるか。今日から彼氏彼女になるのだ。記念すべき今朝は目覚めのキスくらいで勘弁してやろう。

そうにやけながら、玄関チャイムを鳴らす。

そしてインターホンから聞こえてきた楓子の母親の言葉に、幸也は唖然とした。

「もう行った……?」

『ええ、一時間も前に。凄く嬉しそうにはしゃいで』

幸也はわかりました、とだけ答えて学校へ走る。

嬉しそうにはしゃいで?

幸也に早く会いたくて、だろうか。

いや、ならば直接自宅を訪ねればいい。――ああ、楓子は照れ屋だし真面目だから、しばらく訪ねてこなかった幸也の家を早朝から訪ねるのは遠慮したのだろう。

そう、自分を納得させながらも、幸也の心臓は走っているためばかりでなく嫌な感じにばくばくとうるさい。

(……今の時期、確か剣道部が毎日早朝から朝練をしていたはず。まだ諦めてないのか、あの馬鹿は。松下なんかとぶーこがつき合えるはずがないだろうに。早く現実を見ろよ!)

幸也や楓子の家から高校まで、徒歩で三十分ほどの近場。走ればもっと早く着く。

なのに、幸也は高校が酷く遠く感じられた。

そして。

学校に到着し、息を切らして楓子の教室を覗く。

――いない。

楓子の座席に鞄はある。だが、本人の姿はない。では、まさか本当に部室棟に?

入り口の柱にもたれてうなだれていると、背後から声を掛けられた。

「ちょっと、邪魔なんだけど」

不愉快そうな声に、苛立ちながら振り返ると、そこには楓子の友人のクラス委員長の姿。昨日幸也が楓子の様子を教えて貰ったのとは別のグループの女子。

中学校時代から楓子と一緒にいた進藤真由美は、そいつらより余程楓子とは仲がよかった筈。

「お前っ、楓子の友達だよな? あいつ今どこにいる?」

「ああ、ふーこなら……」



***



「お、お疲れさまでした……!」

楓子は真っ赤になって、悠翔に声を掛けた。

「あ、ありがとう……」

悠翔もまた、はにかみながらも真っ赤な顔を隠せていない。今まで部活の朝練をしていたからという訳ではないことは、髪の毛から滴る水滴が一度クールダウンしたことを示している。

「臭くない?」

剣道の防具の臭いは独特で、洗えない分臭いは増すばかり。

シャワーはしっかり浴びてきたけど、女子は臭いに敏感だろうと気にしてしまったのだが。

「うっ、ううううん!! ……緊張しすぎて気にならなかった」

勢いよく首を横に振って、楓子は悠翔に笑いかける。

――端から見ると、初々しいバカップル。

実際、横を通り過ぎる剣道部の部員たちは生ぬるい眼差しでふたりを見ていく。

そのことにいち早く気づいた悠翔が、慌てすぎたのか思わず楓子の手を掴んで歩き出す。

楓子はさらに真っ赤になったが、その手を振りほどくことなど有り得ず、むしろ自らも悠翔の手を握り返した。その時ようやく楓子の手を掴んでいることに気づいて放そうとしたが、楓子の方が放さず、悠翔も改めて握り返す。

悠翔と楓子は歩きながら顔を見合わせて、幸せそうに微笑んだ。



***



その光景を、幸也は校舎と部室棟を繋ぐ渡り廊下で立ち尽くして見ていた。

(何なんだ、あれは)

あんな楓子、見たことがない。

昨夜楓子が見せた同じ真っ赤な顔でも、全く違う。

呆然と、部室棟から渡り廊下の方へ向かってくるのを見ていた幸也は、慌てて死角になる茂みに隠れる。

(何で隠れてるんだ?)

あのふたりのところに乗り込んで、俺の楓子を取り返せばいいじゃないか。

そう考える自分がいる一方、何か大きな間違いをしでかした気持ちにもなる。

幸也は混乱していた。

楓子が悠翔に惚れたと思いこんだのは、幸也に彼女みたいな存在ができたから、当てつけのためにイケメンにキャーキャー言っていただけだと思っていた。

だが。

遠目にも楓子は幸せそうに微笑み、悠翔としっかり手を繋ぎ合っている。

幸也の目の前を、幸也の存在に気づきもせずに通り過ぎるふたりを見送って、のろのろと茂みから立ち上がる。

ふたりの背中が遠くなり、幸也は置き去りのまま立ち尽くしていた。

「ざまあ、って感じね」

どれほど時間が経ったのか。唐突に、いつの間にか少し離れた目の前に立っていた真由美に声を掛けられた。

「何がだよ……!」

煮えたぎる怒りが、吹きこぼれそうだった。

そうか。

こいつが。

こいつが、楓子を唆したのか。

思わずつかみかかりそうになるのを、理性を総動員して止める。

「あんた、ほんとに解ってないの?」

馬鹿にするような口調に、とうとう幸也は怒鳴ろうと口を開いた。

「あんたずっとふーこに嫌われてたのに」

「…………は?」

何言ってんだコイツ。

幸也は怒りが萎んで立ち消え、代わりに呆れがこみ上げる。

――楓子が俺を嫌うはずがないだろうに。あいつはずっと俺のことが好きなんだから。普段の態度からわかるだろ?

そんな心の声が聞こえたように、真由美は嘲笑してみせた。

「よく考えてみなさいよ。口を開けば自分を侮辱するばかりで思いこみが激しく、暴力的で、高校にも、クラスが分かれてもしつこく付きまとってくるストーカー紛いの幼なじみ、なんて、誰が好きになるの?」

ぽかん、と口を開けて、幸也は彼女の言葉を考える。

何? 誰の話だ?

(――俺のこと、なのか?)

ストーカー?

(侮辱って……あいつをからかっただけじゃんか。気安い仲なら当然の軽口だろ? それにからかうと楓子は元気になるんだ。暴力なんて振るってない。あれは俺たちのコミュニケーションで加減もしてた。高校だって、あいつがレベルの高い俺に自信喪失して黙って公立を選んだから、わざわざ俺が合わせてやったんだ。教室にだって、楓子が遠慮して俺の所に来れないから、俺が行ってやっただけだろ? 感謝されこそ、ストーカーなんて言われる筋合いはない!)

それらの言葉は先ほど見た楓子と悠翔の姿が脳裏にちらつく度に声にならず、口をぱくぱくとさせるだけの幸也を見限り、真由美はふん、と鼻を鳴らして身を翻す。

HRのチャイムが鳴っても、幸也はその場に立ち尽くしたまま動けなかった。



***



進藤真由美は、言いたいことの十分の一も言い切れないまま、HRが始まりそうだったため諦めて教室に戻った。

教室は大騒ぎだった。

何せ、校内で三指に入る文武両道のイケメンと、陰で男子に人気がある普通にかわいい女子が手を繋いで教室に入ってきたのだから。

真由美はふふ、と笑いをこぼし、渦中のふたりに歩み寄る。

「結局、つきあい始めたわけね」

昨夜、悠翔からの電話を切った少し後、楓子が興奮して真由美に電話を掛けてきたのだ。

曰く、まだ恋ではないけれど好意がある。それでもよければ、つき合って欲しいと悠翔に電話で申し込まれたそうだ。

ただ、剣道を疎かにしたくないから、選抜大会が終わるまではデートとかは出来ない、と申し訳なさそうに付け足されて。

楓子はもちろん、それは当然だと受け入れた。楓子が好きになった悠翔は、部活に真面目に取り組む所も含まれていたから。

デートは楽しみにとっておく、応援してる。朝練が終わる頃に部室棟に顔を出してもいいだろうか、と、そう申し出た楓子。

放課後は夜遅くまで部活動するため、一緒に帰れない。待たせるのも気が散ってしまう。だからその代わりに、というわけだ。

「うん。今朝改めて直接話して、お、おつきあいすることになりました! いろいろありがとう、まゆちゃん」

幸せオーラを隠しもせずに、楓子はにこにこしている。次いで男子に囲まれていた悠翔も真由美に気づいて、囲いをくぐり抜けて寄ってきた。

「委員長、ありがとう。委員長のお陰で誤解が解けたよ」

ぐしゃぐしゃになった髪もそのままに、律儀に頭を下げる悠翔。

真由美は苦笑して、首を振る。

「私は何もしてないでしょ。電話番号は教えたけど、勇気を出して告白したのも、誤解を解こうと動いたのも、あんたたちふたり自身。これからもすれ違いはあるでしょうけど、ふたりでちゃんと話し合って何とかしなさいな」

わあ私説教臭いな! と思いながらも、真剣に頷く二人の姿に、真由美はうまくまとまってよかったと安堵する。

悠翔はまだ恋ではないと楓子に言ったそうだが、視線を合わせては幸せそうに、嬉しそうに互いを見合う二人はどう見ても相思相愛だ。悠翔は自分の感情に疎いのか、初恋もまだで恋情を理解していないのか――。

顔よし頭よし運動神経よし性格よしでも、苦手分野はあるのね、なんて微笑ましく思う。

問題はあの勘違い男だが――。

あそこまで言っても理解しないなら、クラスの女子連でタコ殴りね。

真由美は休み時間毎に現れては、女子の集いにずかずかと踏み込み、楓子に暴言を吐いて時に暴力を振るっては去っていく幸也を毛嫌いしていた。

他の女子もそうだ。

そこそこ見た目がよく、そこそこ頭も良かったから、楓子に対する横暴さを知らない女子にはモテていた。だけど、楓子と親しい女子からは下種扱い。やめろと言っても聞く耳を持たない。

楓子を所有物扱いし、楓子が幸也を心底毛嫌いして、また暴力に怯えて萎縮していることにも気づかない。

その萎縮を、幸也への好意故に従順なのだと思いこんでいる。たまに我慢の限界に達した楓子がキレて言い返すと、何故か嬉しそうにニヤニヤ笑う姿が大変気持ち悪かった。

だから、楓子が幸也との対話を諦めて放置している姿に苛立ちを感じていた。もっとはっきり叩きのめしてしまえばいいのに、と。

けどそのためには、楓子自身が幸也が楓子を好きなのだということを知る必要があった。醜い好意をすっぱり断ち切る為に。

それは受け入れがたかった。あの馬鹿の気持ちになんて、楓子が気づく必要はない。気づいてしまえば優しい楓子のことだ。幸也への情が生まれるかもしれない、と思った。好意を向けてくる相手を切り捨てられない弱さと強さ。楓子の長所でもあり短所でもあった。

楓子が悠翔に告白すると決めたとき、真由美は一も二もなく賛成した。

悠翔も楓子を想っているように見えていたから。

告白を実行すると楓子が決意した日、真由美は用事があって早々に学校から帰る必要があった。だから結果は電話なり翌日の学校なりで聞こうと思っていた。

女子の誰かが、楓子が振られて落ち込んでいることを幸也に無理矢理聞き出されてしまったと知った時は動揺した。

普段、楓子に暴力を振るう姿を見ていたから、話さないと殴られるかも、と恐怖に負けてしまったらしい。そのことについて、彼女らを責める気は全くない。むしろ、真由美がその立場でも同じようにしてしまうかもしれない。――その後で、自分の安全を確保した上での報復方法は考えるが。

楓子が幸也に優しい言葉でもかけられてコロッといってしまったらどうしようと、友人のこととはいえ自分には直接関係ない他人事であるのに、真由美は珍しく本気で悩んだ。

友人経由でその知らせを受けたとき、自宅にいた真由美がこれからどうしようか思案に悩んでいる中に、悠翔からの電話。

そして――。

クラス内にも悠翔に恋している女子は何人もいたが、本気だからこそ悠翔が誰を見ているか気づいてしまったようだった。知らぬは本人ばかりなり。この本人は、楓子でもあるし、悠翔自身でもある。

彼女たちも悠翔の気持ちを察知した当初こそ楓子にきつく当たっていたが、楓子と関わり合うようになって渋々かさっぱりとかはわからないが、悠翔を諦め、楓子を応援するようになった。

あるいは直接告白して断られた子もいるのかもしれないし、内心では楓子を妬んで恨んでいるのかもしれない。

どうであれ、今、教室内はお祭り騒ぎだった。あとは当事者同士の話。

真由美は幸也の不幸を望みはしても、徹頭徹尾手も口も出してはいない。楓子に望まれて助言したことと、悠翔に楓子の電話番号を教えた程度だ。

……最後に、勘違い男に現実を突きつけはしたけれど。

それでも楓子と悠翔の今は、本人たちが考えて出した結論に他ならない。

幸也の結末も、相手の感情を置き去りにして自分こそが正義とばかりに突き進んだ結果。自業自得、因果応報だ。

HRのチャイムが鳴る。

自分の席に向かう途中、ちらりと目をやると窓際から渡り廊下が見えた。

顔まではわからないが、ぽつんとひとり突っ立っている男子生徒の姿がある。

真由美は小さく鼻を鳴らした。

――ざまあないわね。


お読みくださり、ありがとうございました。


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[良い点] 良い…
[良い点] 例え「知らずにたまたま」だったとしても、 ヒロインとDVスt、いえ幼馴染を別クラスにし続けた高校教員は良い仕事をした。 [気になる点] 幼馴染()を娘の部屋に通してしまったヒロイン母のその…
2022/11/23 15:09 退会済み
管理
[良い点] 弱って幼馴染にコロッといかなくて良かったです。 ヒロインが許してしまう話が多い中でこの結末はホッと しました。 まぁ、暴力振るわれていたら怖いよね〜。 [一言] できれば後日談が読みたいで…
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