第九章『離隔、それは星々の如く⑤』
これまでのヴァルハラの王~ケルベロスコール~:ハープから人間になることを持ちかけられたケルベロス半信半疑な彼だが、状況が状況なだけにそれを了承し魔導は成功をするのだった!
張り付いた魔導陣が弾けると、辺りには煙、魔導陣がはじけた時に発生した物だ。ゆっくりと目を開ける。視界が定まらない。
目をこする。瞼には肌の感触。普段は体毛が当たるのだが、それがなかった。何度か瞬きをし、手を見るとやはり毛はなかった。
そこには、色白の五本の指があった。意識的にグーパーと、動かすことができる。まさしくそれは、ケルベロス自身の手だった。そして、彼は二足で立っていることに今更気づく。不思議な感覚だった。
膝裏に毛の感触。覗いてみると、毛束がぶら下がっていた。それは腰から生えている。それは、彼がケルベロスだったことを表していた。しっぽは、そのまま残っているのだった。
「ッ!」
左右を見ると首は一つだけになっていた。そして、耳は頭の上。
冥界の入口にいる本体の状況が解らない。普段なら、感覚を共用しているのでわかるのだが、全く解らなくなっていた。小さくガッツポーズを取る。
微妙にケルベロスであった時の面影が残るものの、転人魔導は成功と言えた。
「おい、ハープ! 喜べ、人化は成功だぞ」
全裸のまま声をかけるが、答えは返ってこない。自分の声がいつもより幼く聞こえた。実際「自分が人間の年齢で言えばいくつなのか?」など、考えてもみなかった。
「おい、ハープどこだ?」
名前呼ぶと、風が吹き煙を散らしていく。完全に煙が晴れると、ハープが膝をついて立っているのが見えた。
「そこにいたのか」
安堵すると、ハープは力なく倒れてしまった。なんの抵抗もなく、後ろへ倒れこむ。
慌ててハープの許へ向かおうとするのだが、二足歩行がままならないず、盛大にずっこけてしまう。
めげずに這いずりながらハープへたどり着く。
「ハープどうした?」
彼女は目を瞑ったまま、起きる気配がない。
「寝てるなよ。成功したんだぞ」
何度も体を揺すったり、頬を叩くが返事はない。
脈はなく、息もしていなかった。
一瞬でケルベロスには、これがどうゆう状態か理解できた。しかし、それを否定しする。そんなことがあってはならない。何より原因が解らなかった。「今に起きる」そう信じて名前を呼び続けた。
だが、再び鼓動を刻み、息を吹き返す様子はなかった。
それでも、目を覚ます事を信じるのには根拠があった。
召喚の契約が破棄されていない。ハープの首筋に見える、ケルベロスのタトゥーや、他のタトゥーは体に刻まれたままだった。
もし、彼女が死んでいるなら契約は破棄され、ケルベロスや他の契約のタトゥーは消える筈、だが、消えてはいなかった。と、言うことは”死んでいない”ことになる。
けれど、目は覚まさないのだった。
もう、永久に彼女の作るお菓子を、声を、笑顔を見れないと思うだけで、胸が張り裂けそうになった。
その時、ケルベロスは気づくのだった。自分のハープへの素直な気持ちを……
「……畜生、俺はっ! ……馬鹿野郎だ」
感情が昂ぶり、涙が溢れる。
「こんな事にならないと、分からないなんて!」
溢れた涙は毛のない肌を滑っていく。
「俺はハープの事が……」
思いの丈を、一滴残らず絞り出す。眠るハープに、届くように……
「好きだったんだ」
名も知らぬ他人の為に、自分を犠牲にすることを躊躇せず、どんな人間であっても多大な愛を注ぐ。その意志の強さ、その高尚さを持ったハープが、好きだった。
止めどなく流れる涙は、ハープの頬に一粒、また一粒と落ちる。
「愛する者の涙によって目を覚ます」と、言うのが物語の世界ではままある事だが、実際にそんな奇跡は起こるわけもなく、夜の帳が下りていくだけだった。
これでもか! と、言う程泣いた。否、現在進行形で泣いている。「体の水分を出し尽くそうとしているのではないか?」と、思える程。
すると、近くの藪から人の気配がした。もはや、冥界の番犬とは程遠い存在のケルベロスが、涙でグチャグチャのまま視線をやると、そこにはティタが立っていた。
彼は二人を見ても、これといって表情を変えることなく、近づいてきた。そして、ケルベロスがしたようにハープに声をかける。
もちろん、彼女が答えを返すはずがない。
ティタは、溜息を付きながら立ち上がると、一緒にケルベロスの腕を掴み、持ち上げた。
「イタッ! お前、何を?」
「まさかとは思うが、お前さん、ケルベロスか?」
「そ、そうだ。俺は、ケルベロスだ」
数瞬の間があり、ケルベロスは突き放された。
未だ全裸のケルベロスは、生身で腰を打ち付けた。
半目でティタを見ると、笑っていた。ケルベロスが、無事だった事への安堵の笑顔ではなく、顔を抑え、肩を上下させながら、愉悦に浸るかの如く。
その笑い方は、見知ったティタの笑い声ではないように思えた。酷く醜く感じた。
ひとしきり笑い終えると、真顔でケルベロスに視線を向ける。そして、ハープを一瞥すると、彼女に唾を吐きかけた。
「オイッ! 貴様! ハープに何をしてっ!」
「ケッ、失敗しやがって、このグズ!」
そう言うと、ゴミでも避けるようにハープを足で小突く。
「転人魔導は失敗かぁ……ったく、この数年がパーだぜ。まぁた”頭がお花畑”を、探さねぇとなぁ」
ケルベロスの事など気にする様子もなく、ティタは立ち去ろうとしていた。
とっさに、ティタの足を掴むことができた。
「貴様、何をさっきから言っているんだ?」
やはり、ゴミを見るような瞳をケルベロスに向ける。
「なんだよ? オレは忙しいんだ」
「なんで、お前がハープを蹴飛ばしたり、仲間だろ。それに、転人魔導が失敗しただと!? なんで、貴様がそれを!」
「質問多っ! 面倒臭いなぁ。答えなきゃダメか? 一個にしてくんね?」
一つになった首を縦に振る。
大きく肩を落とすティタ。
「ハァ……まず、オレはハープの放浪旅団じゃない。だから、蹴飛ばした」
「……?」
ぶっきらぼうに言う。
「オレは天導会、天導開発部の主任だ」
彼の襟には八芒星が輝いていた。
天導会とは魔導に代わる”天導”と、言う術を広める為に組織された団体。ティタは、そこの天道を開発する部署の主任を務めていた。
天導とは、ざっくり言うと魔導と同義語だ。
彼らは自ら使う魔導を特別に”天導”と、呼称している。
八芒星とは天導会のシンボル。
「オレが、今開発しているのは、人ならざる者を人にする天導だ。その実験を、この女にさせてみたんだが、どうやら失敗したらしい。まぁ、人化はできているから、ある意味では成功と言えるのだが。術者がこんなことになったら意味はない」
普段のティタがどんな顔をしてどんなしゃべり方だったか、わからなくなってきた。
今、目の前にいるのは、本当に見知った男なのか、頭の中をその疑問が回った。
「何を言ってるんだ、お前は? ……お前、ティタなのか?」
「わっかんない奴だな。オレはハープを使って、天導の開発をしてたの! でも、失敗しちまったって事」
足を振りぬきハープを蹴り飛ばす。
「ったく、やっぱり召喚師ってクソだね? もっと、効率のいい方法探そ。ハープ使っての成果はそんなとこだな?」
ティタは二人のもとを去っていく。
「キィサマァァァァァァァッ!」
ケルベロスはティタに飛びかかった。怒りが彼を支配していた。
しかし、片手で止められてしまった。
「お、マジか。お前、力なくなってんな?」
一番驚いたのはケルベロス本人だった。今までだったら、この程度の人間は、刹那で殺せたのだが、それができなかった。見た目同様、力も無くなっていた。
「お前さん、何万年も生きてるもんだから、結構歳のいった感じかと思ったら、毛も生えていねぇガキかよ。こりゃ失敗? 元の力のまま人の姿にならなきゃ意味ないっての」
そう言われ、ケルベロスは投げ飛ばされた。
「冥界の番犬も、地に落ちたもんだな。その女とよろしくやってろって……ま、そんな状況じゃ、どうにもならんがな。……地獄のモノが地に落ちるとは、これ如何に」
ニヤリと笑い、ブツブツと独り言を吐きながら消えていった。彼はもう、二人の事などどうでもいいのだ。
その後ろ姿を、ケルベロスは見つめることしかできなかった。飛びかかろうにも力の差を見せつけられ「今の自分では敵わない」その思いがティタへの強襲を止めさせていた。
ふと、ハープの姿が目に入る。
「今……俺のやるべきことは……」
ティタへの殺意を抑え、ハープを安全な所へ運ばなければと頭を切り替える。なんとか彼女の体をおぶり、この場所を離れる。
この湖にはハープに連れて来られたので、帰路が解らなかった。とにかく、ティタの向かった方へ歩を進める。
ハープくらい背負うのはわけ無いと、思っていたが、人の姿になった今ではそうはいかないようだ。
すぐに息が上がった。立っているのがやっとだ。しばらくすると、ケルベロスは崩れ落ちた。
精神的、肉体的に追い込まれた彼は、とうとう気を失ってしまった。
重なるように地に伏す二人。触れ合う距離の二人なのだが、遠く離れているようだった。
まるで、惑星と衛星のように。
これにて『ヴァルハラの王~ケルベロスコール~』はエンドロールになります。
本当はこの先もあるのですがどぉぉも気が乗らなくて一旦ここで打ち切りました。
チョット自分には男女の色恋は難しいようです。機会があればケルベロスとハープの二人がどうなったのか書きたいとは思います。