第六章『離隔、それは星々の如く②』
これまでのヴァルハラの王~ケルベロスコール~:最悪の現場に遭遇したケルベロス、怒りをどこにぶつけていいかわからなくなり、彼はハープのもとを飛び出していった!
ケルベロスは、日が落ちるまで近隣の森の中を駆け回っていた。
何故ハープは、自分の命を削ってまであんな畜生を助けたのか、分からなかった。
そして、何より「冥界の番犬も丸くなったもんだ」と、自嘲する。
ひとしきり走り終えて町へ帰ってくると、街灯が町をほんのり照らしていた。
人々は家々で団欒をして過ごしている様だ。
宿泊先へ帰る為、トボトボと歩いていると。ケルベロスを呼ぶ声が聞こえてきた。それは、ハープの声であった。
そこまで大きな声ではなかったが、静かな町中では目立って聞こえた。
「おい、ハープ。俺はここだ」
彼女は、突然名前を呼ばれ、体をビクッとさせる。が、振り向いた表情は冷静そのものだった。
「……ケルベロス」
「よう……少し、聞きたい事があるんだ」
「はい?」
夜の町を二人は歩いていく。着いた先は町を見下ろす事の出来る公園。
「で、聞きたいことって何ですか?」
「昼間の事だ。お前は、あれでよかったのか? 解呪した人間があんなヤ……」
ケルベロスが話し終える前に、ハープが切り出す。
「あなたに、私の幼い頃の話したことありましたっけ?」
三つの首を横に振る。
「では、少し聞いてください。幼い頃、住んでいた村は謎の伝染病により壊滅寸前でした。一人、また一人と命を落とし、家族も、友人も、全て失いました……悲しかったなぁ。いっそ、私も死のうと思っていました。まぁ、どちらにしろ私も、伝染病に罹っていたので、先は短かったと思いますが……勿論それは、伝染病ではなくて呪いなんですが」
ハハッと、軽く笑う。ケルベロスの方を向くことなく、町を見下ろしながら話していた。それを黙って聞く。
「そんな時、一人の召喚師が訪れました。その人に私は呪いを解いてもらい、生きながらえたのです。体から呪いは消えたのですが、新たに”悲しみ”と言う、呪いに罹ってしまいました。死んで家族に会いたかった……私は『なんで生かしたのか』その人に尋ねたんです」
『何でわたしを生かしたの? もう、誰もいないのに……死んでしまった方が楽よ!』
『「死にたい」なんて、言っちゃあ駄目だよ。君が死ぬ事で、悲しむ人がいるんだから』
『いないよ! もう……皆、死んじゃった!』
『います。それは、私です』
「初めて会った、見ず知らずの私が死ぬのが悲しいと、言ったのです。ホント笑っちゃいますよね」
ハープと始めて会った時、昼間の畜生共を殺そうとした時の事を思い出す。彼女も同じ事を言っていた。
「それから行く宛てのなかった私は、その人の手伝いを始めました。魔導師としての素質を持っていたのですが、あえて召喚師の道を進み、今に至っています。あの人は生前、言っていました。『この世界は呪いに侵されている。それを解きたい』と」
「生前? そいつは、死んだのか?」
「……はい。皮肉な事に、呪いに罹ってね。二度も呪いのおかげで大切な人を失ったのです。だから、私は人々を悲しませる呪いが憎い。それを、世界から消し去りたい。それが、私の夢なんです」
「あんな、汚らわしい事をする連中ですら助けるのか……」
「……はい」
「自分の命を削ってまで!」
「あの人達にも、帰るべき場所があって、大切な人がいるのです」
「あんな奴ら、生きてる価値なんてない!」
「価値は、あなたが決めるのではありません」
「……お前は辛くないのかよ」
「私の辛さなんて、呪われている人々に比べれば、大したことありませんよ」
三つ首が歯を食いしばる。
「クソがっ! 俺の心配も知らないで」
ハープはその発言に驚き、ケルベロスの方を向く。その六つの目には、涙が溜まっていた。
目が合うと、ケルベロスはそっぽを向いてしまう。
衝動的に言ってしまった。それは、本心。
ハープ以上に、口にした本人が一番驚いていた。何故、涙ぐんでいるのかも分からなかった。
「なんだよ。これ……」
何万年もの間、孤独だった。多くの人間を殺そうが、涙なんて流した事がなかった。なのに、たった一人の少女の為に涙を流している。
「お、お前の事が、心配なんじゃない。……絶対だ。お前がいなくなると、菓子が食えなくなるからな! うん」
自分に言い聞かせていると、後ろからハープに抱きしめられる。
「! オイッ」
「ケルベロス、あなたは優しいのですね……私は、あなたと契約できて、本当に良かった。嬉しいです」
「……」
さらに歯を食いしばり、涙を止めようとするが、逆効果だったようだ。
「私は、あなたが大好きですよ」
何も言い返さなかった。ただ、抱きしめられ続ける事しか出来なかった。
こんな姿を、リャナンシーにでも見られたらと思うと、ゾッとした。
冥界の王にも今の自分をせられない、解雇ものだろう。
無理やり引き剥がす事はせず、彼女の体温を背中で感じていた。
「本当に、お前はおかしな人間だよ」
「あなただって、おかしな魔獣です」
「ハンッ......」
それからしばらくハープ達はこの町を拠点に活動を続けていた。そんなある日……
「すまない、一旦俺を送還してくれないか?」
突然の申し出だった。絶対に還りたがらないケルベロスが、自ら還りたいと言ってきたのだ。
「本当はまだいたいが、冥界の王に謁見しなければならなくなってな。意識が向こうに残っているとは言え、中途半端の状態で会うことは出来ん」
「そうですか……分かりました」
詠唱を始める。ケルベロスの魔導陣が展開され、飲み込まれていく。
それを、ハープとティタは見守っていた。
「また戻ったら、たらふく食わせるんだぞ」
「分かっています」
ケルベロスは冥界へと帰っていった。
「さてと、オレも行くかな?」
「ティタはどこへ?」
「ちょっと、野暮用だ」
鞄を背負い準備を始めるティタ。
「最近、忙しそうですね。どうしたのですか?」
「……そうだハープさん、ちょっと話しを聞いてくれませんか?」
「はい? 何ですか?」
地表からは炎が吹き上げ、世界を赤く照らしている。そこにいる人々は、一糸纏わぬ姿で活動していた。
皆、一様に痩せこけ、虚ろ目は今にも零れ落ちそうだった。そんな彼らは亡者。
そう、ここは冥界。
ケルベロスが門を守り、冥界の王が統べる世界。
人々は、地獄とも呼ぶ地であった。地の底でありながら真っ赤な空が広がっている。
そこの中心、紅蓮の天に向かいそびえる宮殿があった。
それは現在進行形で建築が進んでいる。ここは冥界の王の居城。
作業しているのはもちろん亡者達。今ここに、ケルベロスが招かれていた。
玉座に体育座りしているのは、短髪の男。
黒が基調の服飾で、身を包んでいた。唯一露出した頭には、仰々しい角を生やしていて、外で労働させられている亡者達よりも、白い肌をしていた。まるで、顔だけがそこに浮かんでいるかのよう。
「おぉ、ケルベロス氏ぃ......会いたかったぞ!」
「お久しぶりです。冥界の王」
少年的な顔立ちの、この男が冥界の王。見た目から実年齢は分からない、ケルベロスとは二万年以上連れ添った仲だ。
「堅苦しいわ。私様と、ケルベロス氏の仲じゃない」
「いえいえ。で、話とは何でしょうか?」
悲しそうな表情をしたり、にこやかになったり、見た目と合わさって、余計に少年のように見える。
「まぁいい。話ってのは”ペルたそ”の事なんだよ」
「……また、その話ですか」
ケルベロスはやれやれと、言った表情。
「全然、振り向いてくれないんだよぉ。私様が、こんなにも好意を寄せているのに。いっこうに話しかけてこないんだ」
「王から話しかけたのですか?」
あからさまに慌てる、冥界の王。目も泳いでいる。
「な、ちょっ……バッカ! おま! 状況から考えて、そんなことできるわけないだろ!」
いつもこうなのだ。
冥界に、ペルセポネと呼ばれる絶世の美女がいた。
冥界の王は彼女の事を愛している。王の力を行使すれば、結婚でも何でもする事が出来るのだが、彼にそんな度胸も勇気もないのだ。
「はぁ、全く……そんな事で、俺を呼んだんですか? あんまりそのことで、力になれないですよ? てか、帰ります」
「そんな事とか言うな。マジレス頼む」
数千年ぶりに顔を合わせたと思ったら、実にくだらない事だった。折角、お菓子断ちをしてまで来た甲斐がない! と、言うものだ。
ケルベロスは、謁見の間を出ようとした時、冥界の王から、今までのくだらない事で喚いていた男とは思えない雰囲気が漂ってきた。それは、殺気に似たもの。
毛が逆立つ、一瞬で反転し玉座を見る。
「ハンッ、そんな話はどうでも良いのだ。本題は別、お前の事だよ」
声がしたのは足元、玉座に彼の姿はなく眼下に立っていた。
ハープより小柄な男。人間なら一吹きで殺す事が出来るのだが、それは絶対に出来ない。
若気の至りで歯向かった事があったが、一分もしないうちに殺されかけた。その時の事を思い出す。
生涯で一度だけ感じた、死の感覚。それを、思い出していた。
「最近、職務が疎かになっていないか? 生者が来る事がないからと、手を抜いているんじゃあないだろうな?」
召喚されている時は、肉体と意識は門の前に残っている。なので、仕事に支障はない。
「何を言っているんですか? そんな、事はありません」
「ついこの前、一万六千年ぶりに人間がお前の元を訪れたんだろ? その日を境に変わった気がするぞ……」
「そうですか? 俺は、貴方と始めて会った時から、何も変わりません」
「……ふむ、お前がそう言うのなら良いだろう」
冥界の王が手を掲げる。すると、ケルベロスは頭を垂れ、伏せの様な状態になっていた。
「私の目を見ろ」
冥界の王には逆らえない。やましい事はないのだが嫌な汗をかく。
「……職務怠慢は、最も許しがたい事だぞ。期待しているからな」
そっと、ケルベロスの鼻に触れる。悪寒に襲われる、足元からジワジワと這ってくる感覚で、徐々に恐怖が心を支配していく。
「は、はい……」
冥界の王は踵を返し、鼻歌交じりでスキップをしながら、玉座に戻っていった。
ケルベロスは、冥界の王を視界から外さないように後退し、謁見の間を出て行く。
おどおどと出て行くケルベロスを、冷たい目で見届けドッカと、着席する。
「クククッ……ケルベロスゥ、お前も変わったな。フフ、ハハハハハハッ」
謁見の間には、冥界の王の笑い声が響く。暗闇を穿ったかのように真っ白い顔は宙に浮いているようだった。