第五章『離隔、それは星々の如く①』
これまでのヴァルハラの王~ケルベロスコール~:無事にハープと契約を結び召喚できるようになったケルベロス!
「ありがとうございます。召喚師様! あとこれ」
少年は何かを手渡し、去っていく。少年が見えなくなるまで手を振っている少女は、青色のセミロングで、前髪は邪魔な為カチューシャをつけている。瞳の色は金色。首筋に、ケルベロスのタトゥーを持つ召喚師、ハープだ。
この一年間、髪を切る暇も無く、世界を奔走していた。
少年から渡されたのはカラフルな石。先日、少年の妹を呪いから解放してあげた。
お金などは貰っていない。これは慈善事業、ハープの全人類への奉仕。しかし、少年はどうしても礼をしたかったようで、彼の宝物であるこの石を、手渡したのだった。
「おい、ハープ。いいのか? 礼なんぞ貰っちまって」
傍らで、いたずらっぽく笑うのは、冥界の番犬、ケルベロスだ。
彼には特に変化は見当たらない。
「いいのです。この石は、彼にとってお金よりも大事な……大事な、宝物。それを頂いたのです。悪いわけなんてありません」
「はいはい、そうですか。そんなことより、早く菓子をくれ!」
ケルベロスの、そっけない返答に溜め息を付きながら、お菓子を差し出す。
待ってましたと、言わんばかりに飛びつく。毎回こうなのだ。もう何度もケルベロスを召喚しているが、飽きることなく喜んで食してくれた。
それが、ハープにとっては嬉しかった。ティタ達も、勿論美味しいと、言ってくれるのだが、ケルベロスのように毎回百%の喜びを表現してくれる者はいない。
なので、ハープも毎回腕によりをかけてお菓子を作る。
一度だけ気分転換に、お菓子と一緒にハンバーグを出した事があったが、一口も食べてはくれなかった。流石にこの時は、ショックだった。
ケルベロスは、食べる手がピタリと止まる。
「貴様……手を抜いたな?」
「えっ?」
「今回のマフィンとシフォンケーキだが前と味を変えたな? イヤ、落としたと言うべきか」
見抜かれてしまったようだ、しかし、手は抜いていない。
ハープは、お菓子を作る際、その土地毎の特産品や、名産品を取り入れて作るのを心がけている。
今回の町は魚介が特産だった。どれもこれもお菓子には合わないものだったが、ハープはやってのけた。
試食してみたところ、まずまずの出来だった。あまり”お菓子”と、言う感じではなかったが、それを差し出してしまった。
舌の肥えたケルベロスには、合わなかったようだ。
「今までのクオリティはどうした? お前の腕はこんなものではないはずだろ?」
「そうですね。ただ、ここは魚介が有名だから、それを取り入れたかったのです」
「その心意気は良いが、これではお前の良さが完全になくなっているぞ。まぁ、美味い事は美味いのだが。今回はこれでいいが、次はちゃんとやれよ」
「分かっています。……ケルベロスは優しいんですね」
「ハンッ! 知らんわ」
通常だとここで送還するのが流れなのだが、ケルベロスは還らなかった。「ハープのお菓子が食べられるから」と言う、理由もあるのだが、洞窟での生活が長いケルベロスにとって地上で触れるもの全てが新鮮で、たまらなかった。なのでハープは、強制送還もせず彼を地上に残している。押し問答の末、彼女が折れたのだ。
「おぉい、ハープさん」
ハープの許にティタがやってきた。
「ティタ、久しぶりですね。どこへ行っていたんですか?」
「少し野暮用でな。そんなことより、まだ向こうに患者がいるらしい」
「本当ですか? ケルベロス、行きますよ」
「はいよ」
ティタの知らせでやってきたのは、町のはずれ。そこには呪いに罹り、苦しんでいる男性が三人。体中に斑点ができ、助けを求めている。
「この呪いは……リャナンシーで、解く事が出来ますね」
大きくため息をついた後、ハープは息を吸い召喚が始まる。
”月帝の巫女”
”純白なる羽衣”
”夢幻の未来”
”我は無能なる魔導師”
”汝、愚者の精霊”
”汝、生命に魅入られし恋人”
足元には魔導陣が展開される。形状は四角、怪しく黒い輝きを放っていた。
光が弾けると、ブロンズヘアの女性が立っていた。目を瞑ったまま、怪しい笑みを浮かべている。ゆっくりと瞼が上がると、緋色の目をしていた。
その瞳からはこの世のモノではない、何かを感じる。
「おはよう、ハープ」
身長は、ハープより少し小さいのだが、声の調子は、大人の女性のような妖艶さを含んでいる。
彼女が、リャナンシーだ。
「おはよう」とは言わず、手を上げて返すと、リャナンシーはハープの顎に手を当て、問いかける。
「この子達、呪われてるわね。お仕事かしら?」
背丈と不釣合いの巨乳が、ハープに押し当たる。
「そうです。この呪いは、あなたにしか解けません」
苦しむ男達を一瞥するリャナンシー。
ハープは彼女に目で合図をすると、男達にキスをして回らせる。
「ン、ふぁ……よくってよ」
”脚を天に掌を地に”
”瓦解する理”
”修繕する夢”
”上から下へ、誕生から終焉へ”
これにて解呪の儀式は終了だ。
「お疲れ様です。リャナンシー」
「ホント、素っ気ないわねぇ。久しぶりに召喚んでくれたのに、もっとおしゃべりしましょうよぉ」
「もう、あなたの仕事は終わりました。ありがとうございます」
「全く釣れないわねぇ……では、頂いていくわ」
リャナンシーは大きく息を吸うと、ハープの口から白いもやのようなものが出てくる。
それはリャナンシーの口に到達し全て吸い込んでしまった。
ハープは膝を突き、肩で息をしていた。発汗も異常だ。
リャナンシーとの契約の対価は『生命』。召喚ぶ度に、ハープは寿命を縮めている。
リャナンシーからは、桃色の吐息が漏れる。
「あッ……ふはぁぁ、あなたの生気はホントに美味しいわぁ、穢れのない処女の味……もう病み付きよ」
「ハンッ! そんなもんより、このマフィンのが万倍美味いわ」
「あらぁ、ケルちゃんいたのぉ? あなたもハープの生気を食べれると分かるわよ。この生娘の素晴らしさが……」
ハープにキスを迫るリャナンシーだが、かわされてしまう。
「このサルオンナが! ハープの真髄は、その料理スキルだ! それと、ケルちゃんとか呼ぶな」
「何ぃ? ハープの肩持つのねぇケルちゃん……最近、召喚しっぱなしだと思ったら、二人とも仲良しさんになったのぉ」
ニタニタと、笑いながら二人を交互に見つめる。
「もしかして、貴方達できちゃってるぅ?」
「何の話だか? なんか言ったれ、ハープ!」
俯いたハープはブツブツと、呪文を唱えていた。
リャナンシーの足元に魔導陣が展開される。送還の呪文だった。
「あらぁ、残念ね。もっと、おしゃべりしたかったのにぃ」
魔導陣に飲み込まれていくリャナンシー。
残念と、言っているがその表情からは落胆は見られなかった。
「駄目よ、ハープ。あなたは召喚師なんだから、処女は守りなさいよ。また、召喚んでね♪ その時は、もっとおしゃべりしましょ☆」
魔導陣が消え、リャナンシーは送還された。彼女が去った部屋の中には微妙な空気が流れていた。
「何の話だ? ショジョ? 訳分からん。ハープはなんか知ってるのか?」
振り向くと、そこには部屋に入ってくる看護婦の姿しかなかった。ハープは何処かに行ってしまったようだ。
「ん? まぁ、良いか。呪いは解けてるから、ちゃんと看病してやれよ」
「は! ひゃい」
看護婦達にとって、三つ首のしゃべる犬は不気味なのだが、激励されることでさらに不気味さが増したのだった。
お菓子が食べたかったのでハープを探したが、町の中には姿が見えなかった。木陰で涼んでいるとそこにティタが現れた。
「お前、ハープを見なかったか?」
「ハープさんなら寝てるよ。疲れたんだろう」
「何だよ。菓子が食べたっかたのに……おう、そうだ。リャナンシーが言ってた事の意味が分かるか?」
ティタは、ケルベロスの隣に腰掛ける。
「お前さんは、召喚師になれる条件を知っているか?」
「知らん。興味もない」
「言うと思ったよ。召喚師ってのは、女性の魔導師しかなる事が出来ないのさ。そして、処女である事が条件になる」
「なんなんだ、それは?」
「……お前さんに、異性っているのか?」
「ずっと、一人だったから分からん。いるかもしれないし、いないかもしれない」
自分から聞き出しておきながら、ケルベロスは寝る体制で、目を瞑りながらティタと話していた。
「そうか、ようは……そう、だな……えっと……」
「なんだ? 煮えきらんな。はっきり言えよ」
「……あぁ、もう! お前、オスなんだろうな!?」
「ハアッ? なんだ、貴様!?」
意を決したティタはそこから、ケルベロスに対して、処女のレクチャーが始まったのだった。
「――と、言う意味だ」
「……あのサルオンナめ。もしあの時”きす”と、言うのをしていたら、大変な事になっていたじゃないか! 今度、召喚されたら食い殺したる」
ティタの気恥ずかしさなど露知らず、怒りをあらわにする。
立ち上がったケルベロスは、夜空に向かい、この世の何処かにいるリャナンシーに吠えた。
その怒りに満ちた咆哮は、きっと彼女に届いた事だろう。
「魔獣のお前さんでも、人間の為に怒るんだな。意外だよ」
「ハンッ。あんな小娘、菓子を作る為の者としか見てないわ」
「その割には、マジじゃないか?」
「俺が召喚できなくなるってことは、菓子が食えなくなるってことだからな、そんな事許しちゃおけないだけだ」
「ホントかよ」
そんな話をしていると、町外れから女性の叫び声が聞こえてきた。二人は顔を見合わせるが、心当たりはなかった。
とりあえず、声がした方に向かうことになり、町内を進むと、途中でハープを見つけ合流した。
声がするのは、呪いに罹っていた男達が収容されている家だった。入ろうとするが、鍵がかかっていて開かない。
「どけっ、俺が開ける!」
ケルベロスが体当たりをして、ぶち破る。
部屋の中には嫌な臭いで充満していた。三つの鼻で、吐き気を催す臭いを嗅いでしまったケルベロスは、眩暈がした。何とか気を持ち直し、部屋を見渡す。
そこには下半身を露出した男性達と、全裸の女性達がいた。女性の中には、殴られたような痕がある者もいる。
男性は、呪いに罹っていた三人、女性の方は看護婦であった。
男性達と、怪我を負っていない女性は、ケルベロスの異形を見ると、顔面蒼白。男性のソレは一瞬にして萎びていた。
ケルベロスに続いて、ティタが入ってくる。
「無茶するなよ……!」
ティタはすぐに踵を返し、ハープを抱きしめて部屋の光景を見せないようにする。それを見て悟ったケルベロスは、三つの口を少し開ける。
そこから炎が漏れ出した。それは、地獄の炎。
一歩、一歩、近づいていく。
「ヒッ! 止めてくれ! 何もしていない!!」
話は聞かない。誰一人逃がす気はなかった。頭蓋を砕き、腸ハラワタをぶちまける。冥界の入り口で生者達に繰り返してきた事を実行する。
生の人間を切り裂き、食い破るのは久しぶりだ。心が躍る! それを日常的にやっていた日々が、遠い昔のように感じられた。
「お、お願いだ。おれは悪くねぇ! こいつがヤッちまおうって」
隣にいた下半身だけ裸の男を指す。
「オイ、ふざけんな! 勝手なこと言うなよ。あの女が誘ってきたからだろ!」
全裸でベッドに転がった女を指差す。
「ハァっ? 何よ、こいつ!?」
ケルベロスを目の前に、口論を始める裸の男女。本当に下衆だと思った。こんなくだらない畜生の為に、ハープは命を削ってまでと思うと、胸が軋んだ。
その身と、汚れた魂すらも焼き尽くそうと口を大きく開ける。すると、誰かに尻尾を掴まれる。
「もう、止めて下さい」
その声はハープのものだった。悲しげな表情でケルベロスを見つめていた。
「……何でだ?」
振り向かず問う。
「悲しむ人がいます」
「こんな下衆共? いるわけがないし、知らん」
「います。私です」
「んなっ」
振り向き、ハープの顔を見ると涙を流していた。
「許してあげて下さい。お願いです……」
男女を殺してしまいたい衝動を、無理矢理押さえ込み、死なない程度の一撃を加え、男女を気絶させた。
「……ハンッ」
ハープとティタを押しのけ、部屋を出て行く。
「待って下さい。ケルベロス」