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第三章『会遇、それは終焉への船出③』

これまでのヴァルハラの王~ケルベロスコール~:ケルベロスは契約に応じてくれない起死回生で彼にお菓子を振る舞うことになった!

 ケルベロスの鼻を、マドレーヌの甘い香りが突く。

「なんだ、それは?」

「これはマドレーヌです」

 貝殻の様な形をした焼き菓子。ケルベロスにとっては、初めての香りだった。

「食べたいです?」

「誰が! 人間の食い物など!」

 ケルベロスには、空腹と言う概念が無い。生まれてこの方、そう言った事を感じた時は無かった。

「とっっっても、おいしいです…………」

「ハンッ!」

 ハープは、ティタからリュックの中のお菓子を預かり、トレーに並べてケルベロスに掲げる。

「なら、ケルベロス。私の作ったこのお菓子を食べて『おいしい』と、思ったら私と契約をして下さい。逆に『不味い』と、思ったら、煮るなり焼くなり好きにして下さい」

 無抵抗だったハープからの突然の挑戦状だった。これで納得するなら、それで良い。なにより、ケルベロスにはこの勝負、負ける要素は無かった。食べた瞬間に『不味い』と、言えば終了なのだ。

 あまり深く考えず、了承する。

 お菓子ではないのだが、いつだか好奇心から人間を口にした事があったが、とてもじゃあないが、食べれたものではなかった。硬く鉄臭い肉だった。圧倒的に不味かった。それ以来、彼は何も口にはしていない。

 ケルベロスの足元にトレーを置く。

「どうぞ、お口汚しを……」


 甘い香りが鼻腔を突き抜ける。その衝撃たるや数々の人間の攻撃全てを凌駕していた。

六つの瞳をぱちくりさせ、どんな味がするのかと想像を巡らせる。

 甘い物など、食べたことのないケルベロスにとっては、少々難解だったようだ。だが、不思議と口内に唾液が溢れてくる。

 顔を近づけると、香りが一層鼻をくすぐり、グウと、腹が鳴った。それが、自分から発せられているとは露知らず。

 トレーに乗せられているものは、バニラ味、ココア味のマドレーヌ、ベリー味のクッキー、ビスケット、チョコチップ入りのマフィン。

 うまく舌を使い、掬い上げる。その瞬間、舌に走る甘味の衝撃。今、舌の上にある菓子が「美味い」と言う事が、噛まずに分かる。一層唾液が溢れた。左右の口からは涎がドバドバと、垂れている。

 口の中にそれらを出迎え、頬張った。

 三度目の衝撃。甘味の優しい攻撃が、口の中で繰り広げられる。噛む度にその攻撃は威力を増して行く。マドレーヌ、マフィンのしっとりとした舌触り、クッキー、ビスケットの香ばしさとそれらを砕く快感! 全てが愉快だった。「ずっと噛んでいたい!」そう思える程。

 しかし、舌がそれらを食道へ押し流す。噛む事で熟成された香りが、内から外へ流れていく。息を吸う度、その香りを堪能する事が出来た。息をするのがこんなに楽しい事だとは思ってもみなかった。


「まだここに、ゼリーがありますよ」

 新たなトレーの上にはグレープ味のゼリーが乗せられていた。

 ケルベロスの元に持って行こうと足を踏み出すと、小川を飛び越え向こうからやってきた。

 ちゅるんと、ゼリーを食す。ゼリーに歯がかかった瞬間に、ゼリーが弾ける。

 噛む度にゼリーが弾け、グレープの酸味が口内に広がる。

 それが食道を通る際、味は一種類だったにも関わらず、その香りは数十種類。鼻腔を駆け巡る。ケルベロスの目の前には実際に見たことは無い、ベリー畑が広がっていた。

 実を一つ取ろうとすると、その畑は霧散したのだった。


「完食しましたね? さ、感想を聞かせて下さい……」

「…………ま……い」

 男達に緊張が走る。

「美味い……!」

 「不味い」と、言う事は簡単だった。頭では「そう言わないと」と、考えていたが、実際に出た言葉は反対の言葉だった。

 体がこれを「不味い」と、言う事を拒んだ。

 その証拠に、六つの目から涙を流していた。

「美味しかったと、言うことですね?」

「……そうだ」

 前言を撤回し、暴れる事も出来た。しかし、それはしない。そんな愚かな事をしてしまうと、忌み嫌う人間と同じになってしまう。

魔族としてのプライドが踏み止ませた。何より自分は裏切れない!

「と、言う事は……私と……契約を……」

「結ぼう……」

 男達はガッツポーズを取る。

「俺は今より、お前と契約を結ぼう」

 完敗だった。ここまで見事に負けたのは、冥界の王に歯向かった時以来、二度目だ。

 それが、まさか、こんな形で人間にやられようとは……思ってもみなかった。


   ×   ×   ×


 これから契約を交わす儀式が始まる。

 仲間の男達はこの場から姿を消していた。ケルベロスの前には、一糸纏わぬハープが立っていた。

 洞窟の暗がりに真っ白の肢体が浮かび上がっている、それは夜空に浮かぶ月の様。しかし、全身が真っ白と言うわけではなかった。

 背中の中央部、左肩から背中にかけて、右腕、右脚の内もも、に幾何学模様のタトゥーが刻まれていた。

 それこそ、月のクレーターのようだったり、彫刻に施された精細な細工のようでもあった。

 これらは彼女が召喚師たる証。

「いいですか? さっき私が言った通りにすればオッケーです」

「分かった。その前に、もう一度契約内容を確認させてくれ」

「いいですよ。まず、あなたを召喚するのは『呪いに病む人々を救う為』それと『私に危険が及んだ時』そして、対価は……本当にこれでいいのでしょうか?」

「あぁ、構わん。それだけの価値がある!」

「はぁ、あなたが構わないと、言うなら良いのですが……代価は『私の作ったお菓子を与える事』あまり、格好が付かないですよ」

 ケルベロスは、すっかりハープの作るお菓子の虜になっていた。準備中も、リュックの中に隠してあったお菓子を見つけ出し、食い尽くした。

「契約失効は『私の死』『私利私欲の為にケルベロスを召喚した場合』で、いいですね」

「そうだ」

「では、これから儀式を始めます」

 ハープはケルベロスに跪き、地面にチョークで円を描く。


 ケルベロスは跪いたハープの頭に前足を置いた。

「始めます……」

 ハープは大きく息を吸い込む。


 ”月帝の巫女”

 ”純白なる羽衣”

 ”夢幻の未来”


 ”我は無能なる魔導師”


 ”汝、過去、現在、未来の護手”

 ”汝、保存、再生、霊化の権化”


 ”繋がる、交わる、契って結ぶ”


 ”言霊により、その御魂みたまをこの身に刻む”


 ”刻は河、星は獣”


 ”繋がる、交わる、契って結ぶ”


 円の内側に図形を描き足し魔導陣を築いていく。

 次の一文はケルベロスの詠唱だ。


 ”この世の(きわ)にて君を待ち、最果ての地へ出掛けよう”


 ハープの額には薄っすら汗が滲んでいた。


 ”我が魂が噛み砕かれし時、定めの鎖は解かれよう”


 ”我が言霊が打ち砕かれ――――――


 そこから、一時間ほど契約の儀式は続いた。

 ただの円だった魔導陣も、今や幾何学模様が張り巡らされた。世界にたった一つのハープと、ケルベロスを繋ぐ架け橋になっていた。

 ハープが契約の儀式、結びの詠唱をする。


 ”三界を統べる我らが王よ。加護を、祈りを、祝福を”

 ”永遠に続く繁栄を”


 突如、魔導陣は浮かび上がりハープを包み込む。召喚契約の儀式はこれからが本番だ。

 ハープの身体に電撃が走る。直後、冷水に浸かったような悪寒。また直後、その身を炎に焼き尽くされたような感覚。

 立ってはいられない。全裸のままのた打ち回る。その姿はまるで、直射日光を浴びたミミズのよう。

 洞窟内は石だらけで、そのしなやかな肢体に傷をつけるのも、気にしていられないほどの状態。

 絶叫を上げる、それは断末魔の如く。ドーム内に響き渡る少女の叫び声。この世に恨みを持ったまま殺されていくかのような感じだ。

 ケルベロスは、このような人間の姿を見るのは初めてではなかった。挑んできた人間をいたぶると、こんな感じになった。

 声を聞きつけたのか、ティタ達が毛布を持って現れる。この状況を恫喝されるのかと思ったのだが、眉ひとつ動かさない。

 のた打ち回るハープを包みこみ、帰っていった。

「オイ、そいつは大丈夫なのか?」

「契約はここからが大事な時だ。おれ達は地上に戻る。契約成功できたらまた会おう」

 そう告げると、足早にこの世の際から去っていった。

 取り残されてしまったケルベロスだが、特別寂しいとも思わなかった。

 心残りといえば『ハープの菓子が食べられない』ただ、一点だった。


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