第二章『会遇、それは終焉への船出②』
これまでのヴァルハラの王~ケルベロスコール~:ハープは冥界の番犬、ケルベルスに会う為仲間とともに地の底を進むのであった!
狭かった道が一気に開け、ドーム状の空間に出る。真ん中を小さい川が横断していた。橋などは架かっていない。ここが文献に書いてある目的の場所、冥界と現世を繋ぐ場所だ。
洞窟の最深部だと言うのに、松明がなくても辺りを見渡すことができる。
ドームの奥にはドでかい扉がそびえていた。この場にいる全員が縦に並んでも、余裕で通る事が出来る扉だ。
「み、水だ!」
駆け出したのは、先ほどのゲッソリ顔の男。途中、石に足を引っ掛けながら小川に走っていく。勢いよく体ごと小川に入って水を全身で吸収していく。文字通り、浴びるように堪能していると。
ハープ達は、驚いた顔で彼の方を見ていた。決して、その水浴びが珍しかったからではない。全員、水浸しの体を見てはいなかった。目線は彼の背後。
ゲッソリ顔だった男は振り向こうと首を動かそうとした時、背後にあった岩が動くのを感じた。続いて首筋に、熱風がかけられる。背中がローブごと焼けたと思った。さっきまでびしょ濡れだった体は、すっかり乾いていた。しかし、顔と下半身だけは未だに濡れていた。
彼は「ごめんなさい」と、何度も何度もつぶやいた。まるで祝詞のように……
ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて振り返る。
六つの目が彼を見つめていた。全身の毛が逆立ち。毛穴と言う毛穴から汗が吹き出す。折角乾いたローブが、ずぶ濡れだ。
腰に携えた剣を抜く為、動作を始める。彼も新入りとは言え、ハープを守る為に選ばれし一人なのだ。彼女に危険が及ぶ前に戦わなくてはならない。しかし、 彼の口は「ごめんなさい」と、つぶやき続けていた。
「ごめっ! ――――」
害虫を踏み殺すが如く男は死んだ。
小川に無断で入った事へ怒りや、悲壮感、遺憾の念などは、その六つの目から微塵も感じられなかった。
一撃だった。
ただ、そこに生きた人間がいたから殺した。
生者を通してはいけないと言う、仕事だから殺した。
超巨大な扉が少し開き、すぐに閉じるのだった。
あくびをするそれは、身の丈二メートルほどの四足。ドラゴンの尾を持っていて、あらゆる蛇の姿をした髭を蓄えていた。一つの体から、顔が三つ生えていた。その、恐怖を具現化した姿は、まさしく魔獣のそれであった。
岩だと思っていた物は、”ケルベロス”。
誰一人、声は上げない。誰かがこうなる事は覚悟の上だ。次の瞬間には、自分が同じような事になっていても、おかしくないのだ。
ハープを守るように陣を組む男達。剣や槍を構える。
「……お前達は何をしにここへ来た。ここは、生者が足を踏み入れて良い場所ではないぞ」
地鳴りのような声がドーム内に響く。
「お前と契約する為だ」
ティタが答える。剣を持つ手に力が入る。
「俺と契約……?」
「そうだ。お前を屈服させて契約を結びに来た」
ゆっくりと、ケルベロスは立ち上がる。高みよりハープ達を見下ろす。いよいよ、ケルベロスとの戦闘が始まるのかと、一層力が入る。
「数多の生者がここを訪れた。冥界に行きたい者、俺を殺し名声を手にしたいという者。だが、お前達のような生者は初めてだ。何の為に俺と”契約”とやらを、結びたいのだ?」
前者は己が使命の為。後者は人間の愚かさに苛立ち、全員を殺した。今回のように契約と、言うものをしたいと、言ってきた者は初めてだった。
一万六千年ぶりの来客。招かれざる客なのだが、一瞬で殺してしまうと、また何万年も退屈を味わう羽目になる......一興だ。付き合ってみる事にした。ただ、力試しやその類だった場合は殺そうと考えていた。「我ながら児戯的だな」と、心の中で笑う。
「それはっ!」
ティタが答えようとすると、ハープが男達の前に出る。
「私が答えます。皆さんは武器を下ろしてください」
「しかし!」
フードを脱ぎ、男達に視線を送る。その瞳は、黄金コガネ色。満月の如き妖艶な輝きを放っていた。綺麗な青い髪は、ショートカットに切り揃えられている。
洞窟内の謎の明かりを受け、キラキラと輝いて見える。肌は淡雪のように真っ白で、今にも儚く消えてしまいそうに思える。目鼻立ちは、まだあどけなさが残る、年の頃は十六と言った感じだろう。
十六歳と言う少女のわがままではなく、彼女の金眼からは一召喚師としての、確固たる意思を感じられた。
これ以上止めたところで、ハープが聞くはずが無かった。一同は武器を納め、彼女を見守る事にした。
未だに、げっそり顔の男”だった”物が浮かぶ小川に躊躇無く入っていき、ケルベロスの足元で跪く。
「突然の訪問と、仲間の無礼、お許しください。そして、質問には私が答えさせて頂きます」
六つの目がハープを見据える。
「私達は世界を旅し、呪いに苦しむ人々を癒して回る放浪旅団です」
世界には未知の病が存在する。体が石になっていくもの、理性を無くし人を襲うようになるもの、症状は様々だ。その病の事を”呪い”と、呼んだ。
医療魔導では、解くことの出来ない厄介なものなのだが、唯一解呪出来る方法がある。
「この度は、あなたの力が無いと、解呪することの出来ない呪いに出くわしましたのです。なので、あなたの力をお借りしたく、訪問させていただきました。どうか、非力な私達の為に、その偉大なる力をお貸し下さいませ……」
解呪の唯一の方法とは、神族・魔族などの超越した力を借りることだ。それらと契約を交わし、使役する事の出来る一部の特殊な魔導師の事を、召喚師と呼んだ。超々常の力を使役する為、極限られた”女性”しか就く事の出来ない、希少な存在である。
「その呪いと言うのに罹ったのは、貴様の家族なのか?」
「いいえ……」
ハープは首を横に振った。
生者は自分の身よりも他人、特に血の繋がった”家族”と、呼ばれる者の為に自らの命までも危険に晒す、謎の生き物だと理解していたが、目の前にいる少女はその家族の為ではないと言った。
「その方達は、たまたま寄った村の住人です。私とは何の縁も、所縁も無い方です」
「分からんな。何故、そんな自分と関係の無い者の為に、俺の元に来ると言う、無謀な事をしている?」
淡々とハープは答える。
「助ける義務は当然ありません。名も知らぬ人ですから……けれど、それが助けなくていい理由にはなりません。その方が亡くなることで、悲しむ大勢がいるのです。私は、苦しんでいる方そして、周りの方の悲しむ顔は見たくないのです。その為にはケルベロス、あなたの力が必要なのです」
こんな人間は見た事が無かった。殆どの人間が自分の為にここを訪れていた。
死者に会いたいと言う自己満足の為。
財宝を手にし、富を得る為。
己らの力を証明する為。
冥界を手中に収め、世界を掌握する為。
彼らは自分の欲を満たす為に訪れていた。その姿には吐き気を催す。しかし、目の前にいる少女は、そのどれとも違った。
他人の幸福の為にここを訪れているのだ。究極的には「他人を助けたい」と言う、自己満足ではあるのだが、聞いていて不思議と、不快さは無かった。
「綺麗ごとを言うな!」
ケルベロスが吠える。ドームが揺れ天井から石が小川に降り注ぐ。男達の何人かは、泡を吹いて倒れてしまった。
「そんな事を言って貴様は、自己満足の為、富の為、支配の為に俺の力を使うのだろう!」
これは脅しだ。ハープの発言が欺く為のものである事を確認する為、欺こうとしている事が分かった瞬間に殺すと、決めていた。冥界の番犬たるケルベロスを欺こうとしたのだ、死して当然である。
その怒声の直撃を受けたにも関わらず、ハープは一直線にケルベロスを見つめていた。
「そんな事に使う気はありません。全ては世の為、人の為……これが、あなたの言う自己満足に当たると言うのなら、殺してもらっても構いません」
その目からは、ケルベロスを欺こうとする意思は感じられなかった。こんな人間は、見たことがなかった。
「皆、そう言うのだ。世の為、人の為と! だが、時が経つにつれ忘れていくのだろう?」
「……そうかもしれません」
言った通りだった。三つの口がニタリと笑う。
「けど、そうじゃないかもしれません。そこは、あなたに見定めてもらいたい。もしも、私が今の宣言を忘れて、私利私欲の為にあなたを使ったのなら……その時、殺して下さい」
川底に膝をつき、頭を下げる。水面が顔に着くギリギリまで。自分を殺してくれと、言う懇願にも見えた。
その姿に異質なものを感じ取る。
「だから、それまでは、どうか……どうか、お力をお貸し下さい」
殺していいと、言ってくる者は初めてだった。大体の人間が命乞いをしたが、この体験は初めてだった。
「くだらんな!」
本域で吼える。大体の人間は一吼えで殺すことができた。そして、自らの内に湧いた、表現しようのない感情を振り払おうとする。
しかし、そこにはケルベロスを見つめる、二つの金色があった。
六つの瞳を持つ魔獣は、その確固たる意志を秘めた瞳に畏怖した。
人間に畏怖する事も、初めての経験だった。
「お前は、何なんだ?」
ハープは頭を上げ、答える。
「私はハープ。世界の呪いを解く為、旅をブフッ!」
話の途中だったが、熱風をハープへ吹きかけた。その余りの暴風に、ハープは宙を舞い地面に叩きつけられた。餓鬼の畜生など、この程度で瞬殺だ!
「じ、自己紹介の途中です。何をするんですか?」
しかし、ハープは生きていた。腕を押さえながら立ち上がる。
「な! 何故、死んでないんだ……お前は、一体?」
「あなたが、力をセーブしたからではないのですか? 今の一撃に、私を”殺す”と言う、意思は感じられませんでした」
力のセーブなど、していなかった。無意識下で、彼に迷いが生じていたのか......ハープに対して感じる不気味な感情が、増していく。
「感じられたのは、確かな愛! あなたの中には、確実に愛が溢れていた。私は、それのおかげでこうして生きているのです」
ハープと話しているとどうにかなりそうだった。愛だの、なんだのと、意味のわからない言葉だらけだった。
「もう良い。お前達は、見逃してやる。ここから出て行け!」
一万六千年振りの来客に、心を躍らせたが、こんな事になるとは思わなかった。今更ながら後悔していた。
「あなたが、契約に応じてくれると言うのなら、帰ります」
「なんで、俺が見ず知らずの畜生の為に、力を貸さねばならんのだ?」
「それは言ったでしょう? 困っている人達がいるからよ!」
「だから! ……」
それから水掛け論が続き、遂にイライラしたケルベロスはハープを殺してしまった。
前足で一撫で。胴と脚は、真っ二つにした。人間なんてこの程度で充分だった。
以前、堅牢な甲冑を身に纏った騎士団を叩き潰したことがある。その時も、今のように一撫でだった。
「痛いです。何をするんですか?」
甲冑を叩き潰した攻撃でも五体満足で、生きていた。「確実に仕留めた!」と思ったのだが、思い過ごしだったようだ。
「大丈夫ですか?」
ティタが慌てて手を差し出し抱き上げる。
「はい、大丈夫です」
「ここは、一旦引いた方が……」
「まだです。まだ、オッケーを貰っていません」
ハープがケルベロスに近ずく、攻撃されるの、繰り返しだった。
どんな攻撃を受けても彼女は手を上げなかった。声も荒げなかった。ジッと、ケルベロスを見つめるだけ。
しかし、ティタ達が剣を取ると、それには声を荒げた。
「やめなさい!」
「これ以上は体が持ちませんよ!」
全身ボロボロになりながらも、ケルベロスに迫っていく。
自分以上の化け物はいないと、自負していた。ドラゴンの尾、蛇の髭、三つ首、冥界の王にも認められる魔獣の王も、目の前にいる武器も殺気も持たぬ少女の姿に、怯え始めていた。六つの目は少し潤んでいる。
「ま、全く強情な奴だ」
ケルベロスは息一つ切らしていない。一方、ハープは息も絶え絶えだった。ローブは所々切り裂かれ、その雪のような肌を晒している。
その肌には、タトゥーが刻まれていた。
「もう、諦めろ……」
答えは返ってこない。諦めていないのか金色の瞳を向けてくるのみ。
ここでハープが、ティタに向かい手を差し出す。「合点」と、言うと共に、カバンからお菓子を取り出す。
マドレーヌだ。バニラ味とココア味、二種類を手渡す。小さく礼を言い、頬張る。ダメージが回復するなどの作用はないが、気持ち的に立て直せる。ハープの勝利の方程式なのだ。糖分で脳を活性化し、起死回生の案が出てくる……事がある。




