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妖精の湖  作者: 葵生りん
4章
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白紙に描く未来4



「……で。話を戻すが、帰らないんだな?」

「はい?」


 物思いに耽っていたら、なにかちょっと怖い空気で念を押され、首を傾げた。


「帰らないのなら、少し遅れたがこれをあなたに贈る」


 唐突にずいっと手の中に箱を押し込まれた。レースやラベンダーの押し花で化粧のされた白くて薄い木箱だ。


「………………?」


 いったいなんなのかと思っていると、開けてみろと促された。

 ほんのりとラベンダーの香りが広がるその箱の中身は、化粧箱と揃いの押し花のついた繊細な便箋と、封筒、それからとても綺麗な深いアメジスト色に金箔の装飾されたガラスペンと、インク、蜜蝋などなど………。


「紙婚の祝いに」

「かみこんの、いわい……?」


 ぽかんとしていると、彼は言い訳する子供みたいにむくれた。


「帰らないなら、公爵に手紙を書くのに要るだろう?」

「紙婚………って、1年目の結婚記念日の紙婚ですか……?」

「正確には10日ほど過ぎているが、覚えてないのか?」

「え、と……覚えては、いますけど……」


 その日付は覚えていても祝う日だという認識が全くなかったのだ。

 結婚記念日を祝うことなどないと思っていたし、グラに帰っているだろうと思っていたし。それにこのところは今日が何月何日と考える余裕すらなかった……と、言い訳がいくつも浮かんだが、それを口にするより前にアレス様は少し遠くを見つめた。


「1年前……健やかなる時も病める時も、喜びも悲しみも分かち合い助け合い、死が二人を分かつまで永遠に愛し合うことを誓うと、神に宣誓したが」


 そこまで言うと、ふっと申し訳なさそうに眉を下げた。


「……正直に言うと、挙式の時は形式的に返事をしただけだった」

「そうでしょうね。初対面だと思っていたくらいですから」


 ふふっとこみ上げてきた笑いを押し殺そうとして、はたと気づいた。


 あぁ、私もだ。

 死ぬまでこの人のそばにいたいとは思っても、老いるまで一緒にいるという覚悟なんかしていなかった。姿形が変わるまで一緒に居続けるとは、思って、いなかった。

 辛いことは全部一人で背負い、迷惑をかけないようにしなければとそれだけを考えていた。苦労を一緒に背負うなんて、そんなことは考えていなくて、宣誓した。

 同じだった。

 形式的に、儀礼的に、はいと答えただけだった。


「だから、改めて――」


 改めて誓いを立ててくれるのかしらと続きを期待して胸が高鳴ったが、アレス様はそこで口を閉ざして、ふたりの間にいるアベルを撫でた。

 口元がなにか言いたげに動くのだけれど声にはならず、なにも言わないままアベルをわしゃわしゃと乱暴に撫で回した。


(もしかしてまだ呪いが解けてなくてうまくしゃべれないとか?)


 と、そんなことが心配になってきた頃、とても迷惑そうな顔をしたアベルが面倒臭そうにアレス様の手を鼻先で突っついて押しやり、私の持っている木箱の蓋を示した。

 なにかと思ってひっくり返した蓋の裏に、文字が書かれていた。


《 白紙の状態から将来の夢を願う紙婚式にあたり、

  これからディーネとふたりで築く幸福な未来を願い

  誓いを新たに これを贈る 》


 じっくりと3回ほど読み直してからアレス様を見ると、困った顔のままで笑った。


「……正直、結婚式からやりなおしたいくらいの1年だった」


 再び口籠もりかけた彼は、私をぎゅうっと抱きしめる。


「けれどこれからは神に宣誓したとおり、ディーネと苦楽をともにして終生を終えたい」


 腕の中にいると、その言葉と一緒にドキドキしている心音も聞こえてきて、頬が緩む。


「――……はい」


 まったく不器用に、遠回りにしか伝えられない人だけど。

 子供みたいだったり自分勝手だったりもするけれど。


 それでも、この人が好きだと心の底から溢れるように思った。

 ずっとこうして寄り添っていたいと思いながら、贈られたレターセットとそこに刻まれた言葉を抱きしめる。


(これからずっとこうして寄り添って生きてもいい……)


 そう思うと、包み込まれるような安心感に満たされて、ほろほろと涙が溢れた。

 アベルが心配そうに見上げてくるから、首下をもふもふと撫でる。


「もちろん、アベルもずっと一緒にね」


 誇らしげに目を細めたアベルごと、なぜか苦笑いのアレス様に抱きしめられる。


「……………?」


 意味がわからずに首を傾げてしまうと、笑顔の中の苦さが増した。


「……なんでもない」


 子供にするみたいによしよしと頭を撫でられ、さらに首を傾げた。


「ところで、ディーネ」


 首を傾げている私に構わず、アレス様は唐突に話を変えた。



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