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妖精の湖  作者: 葵生りん
4章
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白紙に描く未来2



 ふーっと頭上から失笑と長々とした溜息が降ってきた。


「前々から思っているんだが、あなたは下手なくせによく嘘をつく」


 嘘ではないのに、咄嗟に言葉が出なかった。


「……う、嘘じゃ……ないです……」


 俯いたままなんとか答えたものの、狼狽えてしまった。


「どうせ迷惑だからとかなんとか思ってるんだろう? 他人がどう思うかとかじゃなく、ディーネがどうしたいのか言ってみろ」


 的確な指摘に詰まりそうになる喉を懸命に叱咤する。


「憐憫や罪悪感でおっしゃっているなら結構です。呪いをかけられていた時に比べたら、これくらい本当に平気です――」

「……憐憫?」


 彼は一瞬沈黙し、再び呆れ果てたと言いたげな深い溜息をついた。

 溜息がぐさりと胸に刺さった次の瞬間、ぐいと力強く顎を掴まれ顔を突き合わせられる。彼は不機嫌そうに眉を寄せていて、どうしていいのか戸惑ってしまう。


「ディーネ、これまであまり信頼される言動でなかったのは自覚してるが、いくらなんでもそこまで見損なってくれるなよ。私はこの顔だけ(・・)が好きだったわけではないんだよ」

「……――は、ぃ?」


 心臓も頭もぼふんと音を立てて爆発してしまった。

 煙を上げていそうな頭がまともに回転しなくて、口はぱくぱくと動いても言葉が出てこない。

 アレス様は手を離し、ぷいと不機嫌なままの顔を反らした。


「あの妖精もそうだが、視野が狭い。容姿なんて歳を取れば皺を刻んだりして変わって当然のものだ。それだけで心が離れるようでは世の中の夫婦が全部冷え切ってしまう道理になると思わないのか?」


 至極当然のことのように言われ、目を塞いでいた包帯を外した時のように唐突に視界が開けたようだった。

 驚愕とまばゆさにぽかんとして、ただ彼の横顔を眺め続けた。


「では逆に聞こうか。私が怪我や病気をしたとして、あなたはそれが原因で私を嫌いになるのか?」

「なっ、なりませんっ!!」


 思わず飛び出した答えに彼が満足そうににやりと口角をあげ、今のは帰りたくないと断言してしまったのと同義であったことに気づく。


「もう一度、聞こうか。私に嫌気がさしてグラに帰りたいのか?」

「……………いいえ」


 強い目でまっすぐに見つめられて嘘をつく余地など与えられず、誘導されるままに答えてしまった。


「で……でも………ですね……」

「これはあなたが戦い、自由を勝ち取った証――誇るべき勲章だろう?」

「でも、これを勲章なんて言えるのは、その事情を知っているのは、アレス様だけですよ?」


 傷跡を撫でられ、つい視線を泳がせて言葉を濁してしまう。

 彼はそれでよくても、初対面でいきなり気味の悪さを抱かせるこの顔は社交的に大きな問題だ。お茶会や社交会や舞踏会などに参加できないし、参加しなければ角が立つこともある。今までまともに友好関係を広げようとしなかったことにも大きな問題があるけれども。


「少なくとも、私は揃いの勲章をもらえてよかったと思っている」

「……お揃いの、勲章……?」


 ざわりとした寒気がし、吸い寄せられるようにまだ白い手袋をしたままの彼の手を見た。

 なぜ、あれを外さないのだろう。

 まさか………。


「アレス様……怪我を、したんですか?」


 自分のことに精一杯で、今まで全然気づかなかった。気づかなかったけれど、よく見れば右手の動きが、少しぎこちない。


「うん? ディーネの傷に比べたら、取るに足りないが」


 苦笑いで手袋を外してくれたその右手は、私の顔と同じ酷い火傷があった。


「…………っ」


 涙が喉に詰まって、声が出なかった。


「ごめんなさい……私の、せいで……こんな……っ」


 その手を両手で包み込んで胸に抱きしめる。


 あの時の激痛は、思い出すだけでも身震いが出そうになる。

 私は悲鳴を上げるしかできなかったあの痛みを押して私を気遣い、湖に飛び込もうと暴れる私を引き留めたのだろうか。

 そう思うと堪えきれずに涙が溢れた。


「もらえてよかったと言っただろう。動かないわけではないし、男の手の甲に傷があろうとなかろうと、障りない。手袋一つで隠すのも簡単だしな」


 アレス様はそっと左手で顔の傷に触れた。


「どうせなら、この傷まで私が独り占めしたほうがよかったんだが」

「……だめです……そんなの、絶対だめです……」

「相手が本当に信頼できる人間なら傷なんか大した問題にはならない。見た目やら噂やらに左右されるような浅い親交関係など、こっちからごめんこうむる」


 正論ではあるのだが、元々が人付き合いをバッサリ切り捨ててきている人なだけに、その発言には思わず苦笑いがこぼれた。


「アレス様、子供じゃないんですから嫌いな人とは付き合わないというわけにいきません。仕事上は表面だけの付き合いでも重要ですよ?」

「知るか」


 涙を拭きながら指摘すると、ぷいっと不機嫌そうに背中を向けられてしまった。

 強情というのか自分勝手というのか、これではまるっきり子供の言いぐさで、もうどんな理屈を並べたところで説得できる気がしなくなってきた。


「……ディーネを手放すくらいなら仕事なんか家ごと捨てる」


 けれど、拗ねた子供みたいに小さな声で言い訳じみたことを呟くものだから、もうその背中がかわいくて堪えきれずにぷっと吹き出してしまった。


「アレス様が家を捨てたら野垂れ死にしてしまいそうなので、うまく受け流したり人付き合いを覚えるべきだと思いますよ?」


 くすくすと笑ってしまうとアレス様は失笑と驚きと落胆を混ぜた複雑な表情をかみ殺した。


「………一応、努力する」


 苦笑いでそう言ってから、とすんと私の肩に寄りかかる。


「努力するから、帰るな」

「……はい」


 ぽつんと寂しげに呟くからかわいくて笑いを噛み殺して返事をしたら、不機嫌そうに「笑うな」と小さな声で叱られた。はいと返事をしたものの、笑ってはいけないと思うえば思うほど、堪えきれなくなっていった。

 笑っていると傷跡にぴきっと小さな痛みが走って、妖精のことが冷たい風のように胸の中を通り過ぎていった。



 高祖父がアレス様のような人だったら、あんな悲しいことにはならなかったかもしれないのに、と思わずにはいられなかった。



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