残夢
既に日は落ち、空はオレンジから群青色に染まっていこうとしていた。
七色の湖面も、湖を囲む森も、空を映して夕焼け色から闇色に沈んでいく。
レテ湖畔の別荘の一室で、ディーネはベッドで半身を起こしてぼんやりと窓に切り取られたその風景を眺めていた。
妖精が消えて気を失った後のことは聞き及んだだけなのだけれども、血相を変えたアレス様が私をここに運び込んで医者を呼んだのだそうだ。
私はそのまま3日間昏睡状態で、その後も時々目を覚ますが意識は朦朧として意志疎通もできない状態が10日ほど続いたらしい。
その頃の記憶はほとんどない。
ただ、ずっと長い夢の中をさまよっていたような気がする。
ずっと仄暗い湖の底にひとりぼっちの、とても淋しい夢だった。
魚や水鳥達は慰めてくれた。
けれど、昔のように声が聞こえるわけではない。
もう、妖精ではないから。
彼女はひとりぼっちだった。
もう妖精でもなければ人でもない。
世界中にひとりぼっちの異質な存在。
魔法も、使えない。
昔馴染みの湖水は意志を汲んでくれるし、わずかなまじないをいくつか使えるけれど、昔に比べたら不便なことばかり。
けれども、それでもよかった。
あの人は、約束してくれた。
必ず会いにくるから待っていてと。
だから待っているのだ。
……彼が目を覚まして、もう一度昔のように笑いかけてくれる日を。
冷たい水底で蝋人形のようになっているギルベインがいつ目を開けても美しい姿を見せられるように用意をしながら、妖精はその日あったことを語りかけている――。
そんな悲しい夢から、徐々に意識が醒めてきて、最初に医者と会話が成り立ったのは運び込まれてから実に3週間経っていたらしい。
おかげでその日から一週間が経って体調はほとんど回復しているというのに、いまだに安静を言い渡されている。
ぼんやり黄昏を見つめているとふいに夢の寂寥に襲われ、無性にアベルのぬくもりが恋しくなる。
「……アベル……」
アベルは私がここに運び込まれた時、アレス様より先に駆け込んで大事を知らせたほどいつもどおりに元気だと聞いたけれど、まだ会わせてはもらえなくて思い出すのは最後に見たぐったりと横たわる姿だ。
あの夢から目覚めるたびに、アベルに会いたいと思った。
あのあたたかいクリーム色の毛皮に顔を埋めて泣きたかった。
あのつぶらな金茶の目で、絶対的な信頼と思慕を伝えてほしかった。
アレス様のことも脳裏を過ぎらないわけではなかったけれども、彼の姿が浮かんだ途端に妖精の最後の言葉にかき消される。
――覚悟しておきなさい。今はまだ、私の魔法の残滓でそんな顔でも愛してるなんて錯覚してるだけなんだから。
外が暗くなり、窓ガラスに自分の姿が映っていた。
顔の左半分を包帯で覆い隠す姿はミイラのようだった。しかも、この包帯をとってしまえば、灼け爛れた皮膚がまるで半分壊死した死体のような醜悪な顔をしているのを既に知っている。
医者ですらその顔の状態の酷さにはびくびくし、看護をしてくれたメイド達は哀れんで涙を落とした。
そして医者は怯えながらとても言いにくそうにふたつのことを告げた。
ひとつは灼け爛れた火傷の痕は多少薄くはなるが一生治らない見込みであること。
そしてもうひとつが、子供が流れてしまった、ということだ。
どちらも言われる前から覚悟していたし、自ら妖精を焚きつけた結果だが、それでも改めて言われると暗澹とした気分になった。
今はもう虚無感しかはいっていないお腹をそっと押さえる。
何度も死んだ方がいいと思うほど苦しみ続けたこの呪いを子供に伝え続けるより、魔女に抵抗して一緒に命絶えるならそれでもいいかもしれないと思った。
なのに、子供を犠牲にして私だけが生き延びてしまうなんて思わなかった。
(……これから、どうしたらいいのかしら……)
そう思うと、途方に暮れてしまう。
魔女の器になる以外の将来を、二十歳を超えて生きる将来を、想像したこともなかった。
――彼が夢から覚めてあなたが絶望するのを、楽しみにしていてあげる。
呪詛のような妖精の言葉がよみがえる。
呪いが解けて夢から覚めた彼は、どんな顔をして私を見るのだろう。
落胆か、嫌悪か――そう考えるだけで、いっそのこともう死んでしまいたいほど絶望的な気分になった。




