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妖精の湖  作者: 葵生りん
3章
36/63

虚ろな器4



「………………はい?」


 やや間があって、ディーネは問いの意味をはかりかねるようにくるりと目を丸めた。


「だから、あなたは帰りたいのかここにいたいのかどっちなんだ?」


 もどかしく問い直したが、ディーネはきょとんと迷子の子犬のような顔をしただけだった。


「私はディーネが怒って当然のことをしたし、顔も見たくないと思われても仕方ないと思っている。ディーネが帰りたいというなら――」


 帰ってもいいと口に出すのは憚られて、そのまま口を閉ざしてしまった。幾度か葛藤を繰り返し醜いエゴに唇を噛むと、ディーネはくすりと笑った。


「私は“器”なので、お気遣いは無用ですよ」

「器?」


 意味が分からず、ザワザワと嫌な感じが体中を這い回るような感覚に耐えながら問い返すと、ディーネは空虚な笑みを深めた。


「はい。私は魔女の魂を入れる器であり、次の器をつくるための道具です」

「魔女の……器……?」


 何度繰り返してみても、淡々とした説明の意味は頭の中を素通りしてしまって全く入ってこない。


「ええ、20歳までという期限がある理由はそこにあります。魔女はこの呪いで命を落としたグラ家の娘の体を乗り換えながら永遠の命と若さを維持しているのです」


 薄笑みを浮かべて淡々と語るディーネの頬に、一筋だけ涙が伝った。

 本人はそれに気づいていないようで、だからこそよけいに人形が泣いているように見えて、胸が軋んだ。


「ただの道具には意思も心も必要ありません」


 もはや痛みが鈍く感じるほど麻痺している胸に、その言葉が深く刺さる。


 メイドや執事達にもすべて敬語を遣い、その理由をみんな尊い人間だからと言ったのは、自分は人でなく道具だからと、そういう意味なのか。


 人形のようと感じたのはこのせいだったのだ。

 ディーネはなにもかも投げ出して、諦めて、あえて抜け殻になろうとしているのだ。


「………………っ」


 キリキリと万力で締め上げられるような痛みに、思わず呻いた。


 泣いていたのに。

 抜け殻になろうとしてなりきれず、泣いていたのに――。


「……ディーネ……」


 泣いてほしくない。

 笑っていてほしい。

 でも――


「ただの道具は、泣かない」


 胸の痛みをこらえて手を伸ばす。

 頬に伝う涙に触れると、ディーネははじめて自分が泣いていることに気づいてくしゃりと歪めた顔を逸らした。


「道具はこんなふうに泣いたり怒ったり、苦しんだりしない」


――でも、人形みたいな作り笑いよりは、泣いてくれたほうがいい。


 もうこれ以上、気づかないフリはすまい。

 苦しくても痛くても、ちゃんと向き合ってそれを分かちあえるなら、ディーネをひとりぼっちで泣かせているより、ずっとマシだ。


「ディーネは器なんかじゃない。道具なんかじゃない」

「………………っ」


 息を呑んで見開かれた瞳が、再び激しく揺れ動いた。


 ディーネの揺れ動いている暗い瞳に涙が溢れて、光が射したように思えた。


「辛いのも苦しいのも、それは生きた人間だからだ」


 その光に縋るように畳みかけるが、ディーネはきつく目を閉じ、表情がくしゃりと歪んだ。ふるふると力無く首を振り、涙がこぼれ落ちていく。それを我慢しようとして、細い肩が揺れる。


「我慢しないで泣いてもいい」


 ディーネの頭を抱え込んで強く訴えたが、ディーネは抵抗するように激しく首を振り、必死に嗚咽を堪えようとした。


「ディーネ」


 震える細い肩を無理矢理に抱きしめる腕に力を込めると、ぴくりと肩が揺れた。


「あなたの尊厳を踏みにじった私のことも、道具のように扱う魔女のことも、怒っても詰っても殴っても構わない。あなたが帰りたいと望むなら、受け入れる努力をするから――ちゃんと、どうしたいのか言ってくれ」


 唇を噛み、眉を寄せたディーネが顔を上げて、目が合った。


「苦しくても辛くても、ちゃんと人間として生きろ」


 瞳はみるみる涙で溢れ、唇が戦慄いた。

 ディーネはそれを堪えようとして俯き、両手で口元を覆う。肩が、全身が、震えていた。


「――――ふ、ぇっ、」


 涙を止めようとして一緒に心臓まで止めてしまいかねないかと心配になるほど、必死に堪えていた。


「ディーネ、あなたがそうやってすべてを諦め、投げだし、魔女の魂を入れる器として虚ろな人生をまっとうしようとする姿を見ていたくない。だから我慢せずに、ちゃんと泣いてくれ」

「う、ぁ………」


 少し強めに、背中を叩く。


「あ、あああぁぁ……っ! うぁあああんっ……!!」


 その拍子に喉に詰まっていたなにかがぽろりとはずれたかのように、ディーネは大声を上げて泣きはじめた。


 顔をくしゃくしゃに歪め、慣れない様子でなんとか呼吸をしながらあげるその泣き声は――まるで、産声のように聞こえた。


 私は、その産声のような泣き声を上げているディーネを抱きしめて、ゆっくりと背中をさする。てのひらから伝わる体温が、ディーネは人形ではないのだと当然のことを証明していて、ようやく人心地がついたようなわずかな安堵に包まれた。





「……………い……です……っ」

「うん?」


 自分の涙に溺れるんじゃないかというほど苦しそうにしながら、ディーネは絶え絶えに呻いた。


「……ごめん…な……さい……ごめんなさい……っ」


 聞き取れなかっただけなのに聞き返されたことを否定的に捉えたのか、ディーネは何度も謝る。


「ディーネ、聞き取れなかった。もう一度言ってくれ」


 背中をさするが、よけいに慟哭が深くなって、どうしたらいいのかわからない。


「………いいんです……?」


 しゃくりあげながら自分で涙を拭ったディーネは疑うような眼差しで見上げてきた。


「ここ、に…………あなたの、そばに……いままでのようにいても、いいんですか………?」


 泣き濡れて掠れたかぼそい声。

 不安そうな眼差し。


 それをみた瞬間に、ふっと口元が緩む。


「……………あぁ」


 頭を抱え込むように抱きしめ、銀色の髪を手で梳く。


 愛おしいと、思った。

 心から。


 欠点ばかりの私でもそばにいたいと思ってくれるのかと思うとくすぐられているようで、愛おしさのあまりその銀色の髪に頬を寄せた。

 水仙の香りが鼻腔をくすぐった時――ふ、と心の隅の方から忍び寄ってきている真っ白な霧に気づいた。


「…………ずっといればいい」


 言いながら――胸の痛みを必死に押し殺し、その霧を払おうと腕の中で泣いてるディーネに意識を向ける。



 愛おしい。

 こんなにも、愛しいのに。


 今、この腕の中にいるのが妖精であるかのような錯覚がした。


 じわりじわりと染み入るように白い霧が胸の中を満たしてなにも見えなくなっていくような気がして、縋るようにここに留まることを選んでくれたディーネを強く抱きしめた。






 銀色の髪が揺れ、細くて白い肩を滑り落ちていった。


 柔らかな花の香りが鼻腔をくすぐる。


 不思議そうに小首を傾げて見上げてくる アメジストの、瞳。

 ……猫のように 切れ長  の    。


 細い三日月のような 薄い、唇が  妖艶な笑 みを形 作る――……







 ぐらりと意識が揺らいで、はっとした。

 いまだに腕の中には、細い肩と銀色の髪を揺らして泣き続ける少女がいる。



 ――目眩?

 夢?


 どれが?



「………………ディー…ネ……?」


 おそるおそる、名前を呼ぶ。


「………はい」


 ディーネは涙を拭いて顔を上げ、はにかんだ。

 子犬のようなつぶらな瞳をくるりとさせて見つめられ、じわりと滲みるように安堵が胸を満たす。


「…………いや、なんでもない」


 首を傾げたディーネを、もう一度抱き寄せる。

 ディーネはしばらく不思議そうにしていたけれど、やがて目を閉じて口元を綻ばせ、心まで預けるように寄り添った。




 安堵が、罪悪感に変わっていく。


 私は、こんなふうに抱き寄せる資格なんかないと思いながら、慰めるためと自分に言い訳をして、抱きしめ続けた。




 ……最低の男だ。

 この期に及んで妖精を思い浮かべるなんて。







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