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妖精の湖  作者: 葵生りん
2章
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黄昏1



 窓から差し込む光がうっすらとベッドをオレンジ色に染めていくのを、何をするわけでもなく考えるわけでもなく、しばしぼんやりと見つめた。


 見慣れない部屋の見慣れないベッドで横になっている。


 ここはどこだったかしらとうっすら疑問が浮かんで、それからようやく白く濃い霧が立ちこめていた意識が少しずつはっきりしてくる。


 お茶会の席で過呼吸を起こして、この部屋に運び込まれたのだった。

 意識が完全に途切れたわけではなかったから医者や付き添いを丁重に辞退して、寝かされたベッドでアベルの代わりに枕を抱きしめ横になっていたはずだ。

 嫌な妄想や吐き気と格闘するのに疲れ果てていつの間にか少し眠ってしまったのだろう。


(……そういえば、会議が終わる頃かしら……?)


 いまだ不明瞭な意識でそこまで思慮が及ぶと、頭の中にかかっていた霧が急速に晴れると同時に胸の中に暗雲が広がっていき、ぎゅうっと枕を抱きしめる。


(どんな顔であの人に会えばいいの……?) 


 ただ体調が悪くて倒れただけだと言い訳して何もなかったように振る舞える自信は全くない。

 そう考えるうちにも、もはや何度目かわからない妄想と吐き気の襲来を強く目を瞑ってやり過ごそうとした時だった。


 こんこん、と、遠慮がちな叩扉の音がした。


 びくりと身が竦み喉が詰まって、返事ができなかった。

 呼吸も声も正常にできるようになっていたはずなのに、心臓はバクバクと暴れ、手が小刻みに震え始め、再び目眩がしはじめる。


「私だ、入るぞ」


 耳慣れた声に息をのむ。

 返事をしなかったから寝ていると思われたのかもしれない。あるいはこの部屋は元々今夜彼とふたりで泊まる予定で用意されていたので当然のことかもしれないのだが。どちらにしろ、アレス様は返事を待たずに躊躇無く扉を開けてしまった。

 咄嗟に、まっすぐに近づいてくる足音から逃げるように頭まで掛布を引き上げた。


「……ディーネ、大丈夫か?」


 アレス様はベッドに腰掛けて、掛布ごしにそっと頭を撫でた。

 とても優しい声だったからよけいに涙が溢れてきそうで、枕にぎゅっと顔を押しつけた。


「倒れたと聞いて、心配した」


 掛布越しに頭を撫でられる手のひらの感触が、ひびの入ったガラスに触れるように優しかった。

 泣きついてしまいたいという衝動を、脳裏に蘇るリズベット様の言葉が遮った。


「……返事くらい、したらどうなんだ?」


 溜息混じりの呆れ声が、ぐさりと胸に刺さった。


「倒れたなんて大袈裟です。少したちくらみがして、横になっていただけです」


 頭まで掛布を被ったまま、くぐもった返事をするのが、精一杯だった。

 わずかに沈黙が流れて、彼は深々と溜息をつく。


「顔を見せられない理由でもあるのか?」

「……………いいえ」


 泣いていたあとがあるからとは言えず、顔を出すこともできずに再び沈黙が降りた。


(どうしよう……)


 どうにもできないと思いながらもまごついていると、急激に視界が明るくなった。

 気がついた時にはもう追い縋る余裕もなく掛布を引き剥がされ、無言で掛布をはぎ取っていったアレス様の姿が見えた。

 隠すものも無く、顔を見ることもできず、咄嗟に顔を逸らそうとした。けれども、顎を掴まれ強制的に顔を突き合わせられる。


 穴が開くのではないかと思うほど強い目でじっと見つめられて狼狽してしまう。

 だが結局、彼はなにも言わずに、厳しかった目元をわずかに緩ませた。


「………隠そうとするから、怪我でもしたのかと思ったが大丈夫だな」

「……っ」


 優しい言葉に、優しい表情に、胸が震えた。


 会いたくないと思った。思っていた。

 けれど、顔を合わせただけで、狂ったように暴れて心を蝕んでいく凶暴な妄想がどこかに鳴りをひそめて、愛しさだけが次々に溢れてくるのは、なぜだろう。


 本当は会いたくて会いたくて仕方なかったのだと、思い知った。

 どんな顔をしたらいいのかなんて、どうでもいい些細なことだった。


 真相を知るのが怖くて逃げていただけ。

 だけど、ひとりで不安にしている時間はもっとずっと怖くて、辛くて。嫌なことばかりが浮かんで、悪いようにしか考えられなくなって。

 まとわりついてくる黒い感情に絡め取られてどんどん動けなくなっていった。


 それが、この人の顔を見ただけで、そんなものは全部溶けて消えてなくなって、ほうっと心が凪いだ。 


「……アレス様……」


 とすんと彼の胸の中に寄り添うと、背中に大きなてのひらが乗せられて、じんわりとあたたかくなっていく。


 ずっとそばにいたい、と思った。

 彼がそばにいてくれたら、それだけでもう、怖いものなんか全部なくなっていくから。



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