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妖精の湖  作者: 葵生りん
2章
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birthday3



 ぎゅうっと香水瓶を胸に抱いていると、ほのかに立ち上るその香りに優しく包まれて、いつまでもこうしていたいほど幸せだった。


「……ディーネ、寝ようか」


 アレス様がついっと私の髪に指を滑らせた。


「あ、私は嬉しくてすっかり目が冴えてしまいましたので、父に近況のご報告とお礼の(ふみ)を書きます。アレス様は先に休んでいてくださいね」


 少し緊張気味の声音に違和感を覚えたけれど、便箋にこの香りを少し移してお父様にも送ってあげようかしらとか浮かれ気分であれこれ考えながら返事をしたら、彼はなぜだか苦笑いで肩を落としてから手を離した。


「…………そうか。体に障らない程度にしておけよ」

「はい」


 その微妙な反応に少し首を傾げたが彼はなんでもないと首を振った。いそいそと額縁だけを箱にしまって手紙と香水瓶を抱きしめてベッドを降りたところで、不意に声をかけられた。


「…………なぁ、ディーネ」


 再び手を掴まれてその場に留められ、首を傾げる。


「はい?」


 留められたけれど、彼は言葉選びに迷っているかのようにしばらく言葉を継がなかった。


「あ、ごめんなさい。アレス様にお礼を言うのが先ですよね。ありがとうございました」


 彼が言い淀む理由を探し、そういえばまだお礼を言っていなかったと慌てて深く頭を下げたが、彼はさらに失笑した。


「いや、大したものじゃないから礼はいらないんだが……」


 あぁ、迂闊だった。

 ついでっぽく聞こえてしまったのかもしれない。

 こんなに溢れるほどの喜びをくれたのはアレス様なのに。

 どうしたらこの気持ちを伝えられるだろうかとぐるぐると思案していると、握った手に力が入って空気がぴりりと張りつめた。


「……答えたくないなら別にかまわないんだが、ひとつ尋ねてもいいか?」


 なんだか嫌な予感がしてすぐには返事ができず、そっと何度か深呼吸をしてばくばくしている心臓を宥めすかす。


「はい、なんでしょうか?」


 答えたくないなら答えなくてもいいという前置きを反芻し、ゆっくりと息を整えて返事を絞り出す。

 緊張が伝わってしまったのか、彼は迷うように手を離して目をそらした。


「私もあまり人のことは言えないが……友人はいないのか? 誕生日もだが、結婚式の祝いも公爵からだけだっただろう。日頃から親交のある相手もいない様子だし」


 下手な答えができない質問だった。

 なんと答えればいいのか困ってしまい押し黙ると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。


「嫌なことに触れたならすまない。何も言わなくてもいい。ただ、私と違って愛想も人当たりもいいのに不思議だと思ったんだ」


 腫れ物にさわるようないたわりの言葉が、胸に刺さった。でも、これなら言い訳は用意してある。


「療養で国内をあちこちしていましたので、なかなか友人と呼べる関係を築く時間がなかったんです」


 用意してあったのにドキドキしてしまってぎこちない言い訳をすると、彼は小さく「そうか」とだけ呟いた。

 納得ではなくただの相づちみたいな返事だったし、口に出すべきか迷うような空気がしたので、いったい何を迷っているのだろうかと彼の顔色を伺う。


「…………アレス様?」


 目が合うと彼は苦笑いを浮かべたが、うやむやに笑ってごまかそうとしているように見えた。歯切れの悪いアレス様というのは珍しい。


 そして数秒の沈黙の後、彼はいかにも億劫そうに溜息をついた。


「……来週、この周辺の領主が集まって会議が開かれるんだが、父の代理で私が出席することになっている」

「ええ、その話なら聞いております。3日ほど不在になさるのでしょう?」


 一人で寝るのが寂しいからアベルを寝室に入れてもいいだろうかと許可を願ったらものすごく渋い顔をして許可してくれたのだから、彼も一度話をしたのは覚えているはずだけれど。

 突然の話の展開に先が見えなくて、ただ首を傾げる。


「そう。それでその会議の間、夫人達がお茶会を開くんだそうだ。あなたもここでの暮らしにも慣れた頃だし、私と一緒に行って、彼女らと顔見知りになっておいてもいいんじゃないかと父が言ってきているんだが」


 気遣わしげな視線がちらりと投げかけられ、合点がいった。

 そう、この人が歯切れ悪い時というのは、気を遣ってくれている時だ。


 相変わらずの不器用な優しさに、思わず頬が緩む。


「でしたらご一緒させていただきます」

「……無理をすることはない。嫌なら体調が悪いとか理由をつけて断ってもかまわない」

「いいえ、行きます」


 念を押されたが実際には断るわけにいかないだろう。

 本来領主家族の妻ならば、一族の存続を守る他に色々な舞踏会やお茶会に出て、夫の仕事がしやすいような円滑な人間関係を構築してサポートするのが当たり前で、夫人達の付き合いが家名に障ることだってあるのだ。

 けれども私はこの半年もの間、そのどちらも全くしていない。

 そもそも彼もそういったところに顔を出そうとしないのをいいことに、体調を理由にそれとなく断り続けてきていた。


「私はアレス様の妻ですから」


 口に出すと気恥ずかしくて身を捩りたくなるのだけれど、今はせめてそのくらいの務めは果たさなければと決意を胸に秘めて押しとどめる。


「……妻か」


 彼も面映ゆそうにはにかみ、私の頭を抱え込むようにして抱きしめた。


「リベーテ子爵家アレスの妻、ディーネ?」


 そっと囁くように呼ばれ、結局恥ずかしくて顔をあげることができなくなってしまった。彼はなんだか少し意地の悪い笑みでそれを笑っていた。



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