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妖精の湖  作者: 葵生りん
2章
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懊悩2

(……愛し合いたいなんて、あの場を切り抜けるための言い訳だったらどうしよう……)


 そう思うと胃がしくしくと痛んで手を添える。

 彼は自分の心に背いて一度は義務を果たそうとしてくれた。なのに私が嫌だなんて言ってその気を削いでしまったのだ。

 もしそうだったら、と考えると胃の痛みに加えてお腹も痛くなってくる。

 もしその場凌ぎの言い訳だったとしたら、それに舞い上がって本当に愛されたいと願ってしまった愚かしさに罪の意識はさらに深く胸を抉る。


 お父様は、好きな男に嫁ぎなさいと言ってくれた。

 苦笑いの冗談混じりに、アベルでもいいとまで。

 だから私が彼に嫁ぐことを願い、お父様は多少の無理を押してこの縁談をまとめてくれた。


 なのに、いざとなったら怖くて、竦んでしまったのだ。


 ……怖かった。

 覚悟していたはずなのに、なにもかも擲って逃げ出したいほどの恐怖だった。

 生まれる前から定められた運命から――出産に際して命を落とすという魔女の呪いから――逃げ出したかった。

 逃げれば死ぬより辛い災いを呼ぶのだと強く自分に言い聞かせたが、それでもその本能的な恐怖を押さえ込むことができなかった。


 その結果が、この現状――。


 ぐるぐると思考が渦を巻いて結局同じ場所に戻ってくる。

 もやもやした気持ちのせいなのか、なんだか肌寒いような気がしてきて、掛布を肩の上まで引き上げた。


「……ん、ディーネ……」


 仰向けだった彼が寝返りを打ち、右腕も私の背中に回された。

 起こしてしまったかとどきりとしたけれど、健やかな寝息がしてほっと胸をなで下ろした。


 最近では“姫”なんて呼ぶのは冗談めいたことを言うときだけで、寝言でも名前を呼んでくれる。こんなふうに優しく名前を呼びかけてくれるだけで胸の中がくすぐられたような気分がする。

 昔、子犬だったアベルに向けたような笑顔を、最近時々私にも向けてくれる。くすぐったそうに、ふんわりと抱き寄せて。

 それは、愛していると言ってくれているようにも思えた。

 言葉にしてくれたことは一度もないけれど、多分錯覚ではないと思う。

 だけどそれは、私がアベルに向けるような、あるいは兄が妹に向けるような種類の愛情なのかもしれないと思う。

 毎晩こんなに寄り添って眠るのに、夫婦の契りを求められないというのがなによりその証明ではないのだろうか。


 でも、この腕枕でまどろむ時間があまりにも満ち足りていて、これに甘えてしまう自分もいる。

 どんな形であれこんなふうに彼を独占し、愛されていると思うことができる。

 この夢のように幸せな日々を、いつ手放さなければならないのかと考えると、泣きたくなる。



 薄ら寒くて、つい、彼の腕の中にぴたりとくっついてみる。

 けれど、どれだけ彼のぬくもりに寄り添っても薄ら寒さは消えるどころか、ますますひどくなった。

 寒いのは気温のせいではなくて恐怖のせいだと否応なしに思い知らされる。



 ……私が呪われていると、知ってもらわなければならない。

 それで嫌われようと、そばにいられなくなろうとも、これ以上、この呪いに巻き込まないためには――。


 ふいに、笑っていてもいつも苦しそうなお父様の姿が、忌々しそうに私を見るお爺様の姿が、脳裏に浮かんだ。


 あの時――頷くべきではなかったのだ。

 お父様やお爺様と同じように彼を苦しめないためには、一瞬でも愛されたいなんて願ってはいけなかった。

 子供を作るのが責務だからと、嫌々でも、淡々とでも、あの時に添い遂げ、真実を知られないようにしなければならなかったのに。




 後ろめたさがちくちくと心を苛んで、ぎゅっと彼の胸の中で縮こまる。息を詰めて、泣くのを堪える。


「ディーネ……」


 するとアレス様が寝言で優しく名前を呼んだ。


「………っ、………アレス様………」


 堪えきれずに、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「…………ご……めん……なさい……、ごめんなさい…………大好きです…………」


 必死に声を殺したが、すすり泣きにするのが精一杯だった。

 誰にも愛されてはいけないのだから、最初から彼の元ではなくもっと軽薄な人にでも嫁げばよかったのに。

 一方的に思いを寄せたまま、ほんの数ヶ月彼の傍にいられるだけでいい。それなら彼を巻き込まずに済むだろうって、そう思って嫁いだくせに。


――愛し合って、今夜の続きを。


 思い出すたびに心がビリビリと震えるあの言葉に、何も知らないからそんなことを言えるのだと心の中で囁く声に耳を塞ぎ、卑怯にも頷いた。


「………大好きです………」


 この時間が幸せすぎて、どんどん離れられなくなっていく。

 愛されたいと、叶ってはならない願いがどんどん強くなっていく。

 伝えなくてはという理性を、押し流そうとする。


「ごめんなさい……ごめんなさい………ごめんなさい…………」


 彼を傷つけると知っていて巻き込んでいる浅ましさが憎かった。

 憎いと思いながら、結局いつもこうして彼の胸の中に寄り添って、優しさに甘えてしまう弱さも醜さもまた憎くてたまらなくて――いつまでたっても、涙が、止まらなかった。



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