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月雲 2010年 7月号 納涼特集(笑)

夏の始まり、春の訪れ

作者: かるぴす



 それは梅雨の蒸し暑いある夜のことだった。

 僕の部屋に冷房なんて高価なものはない。全開にした二つの窓から入ってくる生暖かい風が、僕の身体を舐めるように吹き抜けていく。風は緩急をつけるように吹き、風が吹いている時はいいのだが、風が止むとまるでサウナにでもいるかのようにじっとりと肌が汗ばんでくる。僕は寝間着代わりの薄いTシャツが肌に張り付く感覚に耐え切れず、ベッドから降りると新しいTシャツに着替えて、冷凍庫からアイスノン(一般的に熱取り枕と呼ばれるもの)を取り出した。それをタオルで包むと枕の上に置いて再び横になる。さすが我が家で一番の保冷剤、使用前とは比較にならないくらい快適だ。一つ寝床に手を加えることでこんなにも違うものなんだなぁと少し関心した。僕の意識は次第に闇の中へと落ちていった。



「……か、起きんかこら、起きろ優介!」

「ん~……」

 頭の上から起床を促す声がする。老人のような少ししわがれた声だ。薄目を開けると誰かが僕の顔を覗き込んでいるのが分かった。目を擦りながら身体を起こし、声がした方に向くと、七十歳前後の老爺が立っていた。

「やっと起きたか」

 老爺はフンっと鼻を鳴らしながら言った。

 寝起きの思考回路でもパッといくつか突っ込みたいことが浮かんでくる。とりあえず一番聞いておきたいことを聞いておこう。

「えーっと、どちら様でしょうか?」

「わしのことが分からんのか! これだから最近の若造は困る」

 老爺は僕の質問に呆れてため息をついた。

(あれ? 僕かなり普通な質問をしたはずなんだけど。誰だか分からないから名前を聞いて、それでどうして呆れられなきゃいけないんだ?)

 僕の祖父は小さい頃に亡くなってしまったが、遺影があるので顔は分かる。目の前の老爺は遺影と異なる顔をしており、なおかつ僕の記憶に存在しなかった。 

 僕が唸っていると老爺が話し始めた。

「本当に分からんようじゃな。わしはお前の五代前のご先祖様じゃぞ? 名を春之助と言う」

「五代前って簡単に計算しても江戸時代じゃないですか。祖父なら知ってますけど、そんな昔の人知ってるはずないじゃないです」

「お前は家計図を見たことがないのか! ご先祖様を敬う心が日本の良さじゃろうが! 十代前のご先祖様ぐらい言えないと恥じゃぞ」

「そんなもんなんですか。そもそもこの家の中で家計図なんて見たことないですよ。仮にあったとしても、興味がないので見ないでしょうけど」

 どーでもよさそうに話していると、ブチンっと何かが切れる音がした。春之助から何やら怪しげなというかヤバそうなオーラが漂ってきているのが分かった。

「優介、わしはな、一七年間お前の背後霊をしてきた。何度も祟ってやろうと思ったが、その度に思い留まった。だが今回ばかりは我慢の限界じゃ!」

「は、春之助おじいさま? 少し落ち着きませんか?」

「落ち着いていられるか! お前からはご先祖様を敬う心が一つも感じられん。これはもう祟るしかあるまい!」

 そう言うと、春之助は両手を広げ、掌から怪しげな紫と緑が混ざったような色の光線を優介に浴びせた。

「うわっ、なんだこれ! おいじいさん! この光は何なんだ」

光線を浴びた優介の体はどんどん小さくなり、小学生と変わらないぐらいになった。

「しばらくその姿で反省してるんじゃな」

「ちょ、なんだこれ。何しやがったじじぃ! 冗談は程々にしろよ」

「だから言ったじゃろ、しばらく反省しろと。お前さんがその姿で苦労しながら過ごすのを見るのが楽しみじゃな」

 春之助はカッカッカと勝ち誇ったように笑った。

「そういえばお前さん、がーるふれんどとかいうのまだおらんじゃろ。そのがーるふれんどとやらを作って尚且つ接吻でもしたら元の姿に戻してやらんこともないぞ。まぁせいぜい頑張るんじゃな」

と言い残すと、春之助は優介からどんどん遠ざかって行き見えなくなった。

「じじい! 待てよ! 待てって言ってんだろうがー!」

 僕は叫びながら勢いよく布団から起き上がっていた。

「何だ夢かよ……」

(なんかいつもより声高くないか? アイスノンで冷やしすぎたかな)

 自分の声に違和感を感じつつ夢オチだったと安心して立ち上がると、部屋のあらゆる物が大きくなっていた。



 結論を言うと、僕の体は子供の大きさになっていた。まさかあの夢の所為だとは思わないがそれ以外に何も思い当たらない。どう説明しようにも春之助さんの夢が関連しているのだろう。何はともあれこんな姿になっても学校には行かなければならない。さっさと支度を済ませて行くとしよう。こんな僕を見て、クラスメイトたちはなんて言うだろうか……


「ねぇぼく、ここは小学校じゃなくて高校だよ? 道が分からないなら連れてってあげようか?」

「キャーなにこのコかわいいー! キミどこのコ? どうしてここにいるの?」

「なんで小学生がここにいるんだ?」

 僕は正門から少し入ったところにできた人だかりの中心にいた。こうなることはある程度予想していたが、見世物になっている気がしてあまりいい気分ではない。そりゃだぼだぼのカッターシャツと学生ズボンを着て、パンパンに膨らんだカバンに振り回されながらふらふらと校内を歩いている小学生がいたら目立つのは当然だろう。しかし、この学校の生徒の反応は予想以上のものだった。

(僕だって好きでこんな姿になったわけじゃないのに……)

 人垣を掻き分けながら進み、なんとか教室に着くと、倒れこむように机に突っ伏した。教室や廊下からの視線が痛いが、それを気にしてる余裕がなくなるほど疲れてしまった。

(なんで学校に来るだけでこんなにも疲れなきゃいけないんだ……)

「もしかして君、赤木君?」

 不意に頭上から問いかけられ、体勢はそのままで頭だけを向けると、そこには黒沢さんが立っていた。

「やっぱり赤木君だー」

 黒沢さんは驚いたように言ったが、驚いたのは僕のほうだ。こんな姿なのになぜ僕が赤木だと分かるのだろうか。

「どうして僕が赤木ってわかったの?」

「え、えーっと、なんでだろうね」

 黒沢さんは何故か焦ったようにきょろきょろと忙しく視線を動かしている。

「あれだよ、えっと、顔と雰囲気が赤木君だったから分かったんだよ。あとは乙女の直感だね」

 何か無理やり答えを考えて言っているように聞こえたが、なんとなく納得のいく答えだったので何も突っ込まないことにした。

「あ、そういえば私数学の課題しなきゃいけないんだった。疲れてるのにごめんね」

 そう言うと急ぎ足で去って行った。

 黒沢さんとの話が終わり、再び机に突っ伏そうとした時、教室のドアが勢いよく開いた。

「うぃーっす。なんで今日はこの教室を覗いてるやつが多いんだ? 優介ー何か知ってる……か?」

 能天気な挨拶と共に現れたのは僕の悪友の翔太だ。翔太は僕の姿を見ると口を開けたまま固まってしまった。

「あぁ知ってるよ。何故かは分からないけど、みんな僕のことを物珍しそうな目をして見てくるんだ。翔太なんとかしてくれない?」

 翔太は驚きのあまり言葉を失っていたが、僕の頭のてっぺんからつま先まで見た後深呼吸をして言った。

「えっと、お前、優介? なんで小学生になってるんだ?」

「いや、僕も好きでこんな姿になったわけじゃなくて、変な夢見て起きたらこの姿だった」

「……うん。いまいちというか全く状況が理解できん。詳しく説明してくれないか?」

「僕にも理解しがたいことだからうまく説明できないと思うけど頑張ってみるよ」

 僕は昨夜見た夢の話から今朝の騒ぎまでを簡単に話した。翔太は時々突っ込みを入れながらも真面目な顔で話を聞いていた。

 話が終わると翔太は何か思いついたように軽く机を叩いて言った。

「簡単な話じゃん。優介が彼女作って接吻、つまりキスしたらその誰だっけ? 春之助だっけその幽霊さん」

「春之助であってるけど正確には背後霊ね。幽霊って言っても大差ないけど。あとあんまり滅茶苦茶言ってると翔太も祟られるかもよ?」

「どっちでもいいだろ。んでその春之助さんが女の子とキスしたら元に戻してくれるって言ったんだろ? ならその通りにやればいいじゃん」

 無茶なことを言うなとも思ったが、今は翔太の言うように、春之助さんが言い残した言葉どおりに動くしか有力な案がない。しかし重大な問題がいくつかある。

「僕好きな子いないんだけど。あと仮にだけど僕のこと好きって女の子がいたとして、こんな姿の僕でも好きって言ってくれる物好きはいないと思うんだ」

 僕は両手を広げて翔太に言った。

「ま、まぁなんとかなるだろ。心配しなくても今の優介でも大丈夫って言ってくれる子もいるさきっと」

 翔太はバンバンっと僕の肩を励ますように叩いた。

「それに優介のこと本当に好きならどんな優介だって受け入れてくれるさ」

 いつもなら変な方向に話が逸れるのだが、今日ばかりは翔太に相談してよかったと思う。



 僕の噂はあっと言う間に広まってしばらく見世物状態だったが、一週間も経つとみんなの熱も収まり普段と変わらない日常に戻っていた。

 相変わらず僕に彼女なんてできず、椅子に座っても足が床に届かないという悲しい体のままだ。あの事件以来背後霊こと春之助さんは一度も夢に現れていない。

「優介ー、お前まだ彼女できてないのかー? もう一週間だぞー」

 翔太は机から体を起こすと僕の頬をいじり始めた。

「そんなに早く彼女ができてれば苦労しないよ。それにもし彼女ができたとしてもそんな簡単にキスしていいものじゃないでしょ。そりゃ僕だって早く元の体に戻りたいけど、相手の意思を無視してまで戻りたいとは思わないよ」

「それもそうだけどさ、そんなこと言ってたらいつまで経ってもその体のままだぜ?」

 翔太の言うとおりだ。一週間経っても何の変化もなく、正直なところ焦っていた。このまま何も行動を起こさないとずっとこの姿のままということもありえるだろう。

(とりあえず卒業までには元に戻りたいな……)

 チャイムが授業開始を告げる。僕たちはいそいそと着席し、机から教科書を引っ張り出した。


 下駄箱にラブレターが入っているというのは、ありきたりだけどすごく良い文化だと思う。辺りを気にしながら、密かに想いを寄せている人の下駄箱にそっとラブレターを入れて立ち去る。王道にして完璧なフラグの立て方だ。だが実際に自分の下駄箱にラブレターが入っていたらどうするだろう。喜びのあまり踊りだしてしまうのだろうか。はたまた、サッと隠して日と目に付かない場所で読むのだろうか。

「うそ……」

 僕の場合は両者どちらでもなかった。まさか自分がラブレターをもらうなんて思っておらず、今回のような「これぞ青春!」といったイベントは初めてだったのでパニックに陥ってしまった。

(どど、どうしよう……。とりあえずトイレに駆け込む? それとも屋上? やっぱり家の方がいいかな……)

 今の僕を他人が見ればきっと挙動不審に見えるだろう。下駄箱の前で頭を抱えてぶつぶつと何か言っているのだから挙動不審というより不審者の方が近い気がする。

「……トイレだ!」

僕はラブレターを手に取るとトイレに駆け込んだ。



『 赤木優介様

  突然の手紙ですみません。

  どうしてもお話ししたいことがあります。

  今日の放課後、屋上で待っています。

  2‐3 黒沢栞 』


 丸っこい女の子の字で簡潔に書かれた文章、そしてそこから予想される展開。これをラブレターと呼ばずになんと呼ぶ。人生初のラブレターに少々興奮してしまったが、冷静になってもう一度読み返してみると大変なことに気がついた。

「今日の放課後って今じゃないか!」

 僕はトイレを飛び出すと屋上へと続く階段を駆け上がった。屋上の扉を開け放つと、差出人の黒沢さんがいた。

「赤木君……」

「手紙読んだよ。それで話って何?」

 平静を装って言ったが、実際は心臓が弾け飛びそうなぐらいドキドキしていた。

「だいたい赤木君が予想してるのと同じ内容だと思うよ」

 黒沢さんはそこで一回区切ると、深呼吸をして本題を切り出した。

「私赤木君のことが好き。元の姿の赤木君はもちろん、今の赤木君も好きだよ? 一週間前、突然小学生の姿になっててすごくびっくりしたけど、どんな姿になっても赤木君は赤木君だからさ。好きって気持ちは変わらなかった。だからもし赤木君が迷惑じゃないなら付き合ってください!」

「僕は迷惑とかそんなのは全然ないよ。むしろすごくうれしいぐらいだし。こんな僕でよければ喜んで付き合うよ」

 僕の返答を聞くと、黒沢さんは本当にうれしそうに笑った。

「ありがとう」

 その笑顔は夕日に染まっているようで、まるで頬を赤らめているように見えた。

 僕らは屋上のベンチに座ってしばらく夕暮れ空を眺めていた。

「あのさ、一ついいかな? 赤木君ってさ、どうしてその姿になっちゃったの?」

 不意に黒沢さんが尋ねてきた。そして僕はその質問の内容に苦笑してしまった。

「ごもっともな質問だね。そういえば翔太以外に話してなかったよ。ちょっと長くなるけどいい?」

「全然構わないよ」

「何から話さなきゃいけないかな……」

 僕は翔太に説明したときと同じように黒沢さんに説明した。

 夢のこと、春之助さんのこと、そして朝になったらこの姿になっていたこと。黒沢さんは信じられないというような顔をして聞いていた。そして話が終わると黒沢さんは勢いよく立ち上がった。

「それじゃあ私が赤木君とその……キスをすれば、赤木君は元の姿に戻れるってこと?」

「春之助さんの行ってたとおりならそうだね」

「ん~、赤木君となら、私……キスしてもいいよ?」

 黒沢さんは顔を真っ赤にして言った。

「へ ? いやでもそんな……ねぇ。別に無理しなくても大丈夫なんだよ?」

「でもやっぱり赤木君は元の体の方がいいでしょ?」

「そりゃ戻れるなら元の体のほうがいいけど、黒沢さんに無理強いしてまで戻ろうとは思わないよ」

 黒沢さんは少し怒ったような顔をした。

「なら私が赤木君とキスしたいからするの!」

 言い終わると同時に僕の口が熱いもので塞がれた。目の前に黒沢さんの顔があって火を吹きそうなくらい真っ赤になっていた。顔が離れると黒沢さんは背を向けた。

「もうちょっと女の子の気持ちを察してよ……」

 小さく呟いた彼女の言葉はしっかりと僕の耳に届いた。

 黒沢さんに近づこうとしたそのとき、突然目の前が真っ暗になり春之助さんが現れた。

「優介、おぬし案外やり手じゃのぅ感心したわい。その行動力に免じて今回は元の姿に戻してやろうかの。ただし先ほどおぬしと接吻したおなごを幸せにするのじゃぞ? もし泣かせでもしたらそのときはミジンコにしてやるからの」

 春之助さんは両手を広げ、僕を小さくしたときと同じ光線を僕に浴びせた。眩しくて反射的に目を閉じてしまった。次に目を開けたときには春之助さんの姿はなく、代わりに目の前に黒沢さんがいた。

「あれ? うそ、赤木君いつの間に大きくなったの?」

「さっき春之助さんが出てきて元に戻してくれたんだ」

「へぇそうだったんだ。おじいさん何か言ってた?」

「黒沢さんのこと泣かしたらミジンコにしてやるって」

「あははっ、私泣いたら大変なことになるね」

「あのさ、キスしてくれてありがとう。僕さ、さっきのが初めてだったんだ。でもね黒沢さんから好きって気持ちがすごく伝わってきて……なんて言うかな、すごくうれしかったんだ。こんなにも僕のことを想ってくれる人がいるんだなぁって。だからその気持ちに応えたいと思う。黒沢さんを幸せにしてあげたいと思う」

 言ったあとに気づいたが、僕はとてつもなく気恥ずかしいことを言ってしまったようだ。

 黒沢さんは泣きそうになりながら、だけどしっかりと笑って言った。

「私も初めてだったよ。こんなこと赤木君にしかしないんだから。責任とってよ?」

「もちろんそのつもりだよ。あ、そうだ。これから栞って呼んでもいい?」

「いいよ。じゃあ私も優介って呼ぶね」

 僕らは互いに手を取ると肩を寄せた。

 彼女の、栞の手は暖かくて柔らかかった。


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