祈るように手紙を書く
ハルから、返事がこなくなった。
最初の一週は、さほど気にも留めなかった。
異国の地で暮らす身だ、何か立て込むようなことがあっても不思議ではない。
二週目も、まだ大丈夫だと思えた。
しかし、わずかな不安が込み上げる。
返事を書く余裕がないだけだろう。そう、自らに言い聞かせながらもこの手はその身を案じるような言葉を綴っていた。
せめて無事であるようにと、祈りながら。
だが、三週目に差しかかった頃。
それでも私は、一方的に手紙を書くことをやめはしなかった。
返事がなくとも書いていた。
あたかも、次の週には必ず返ってくると信じるかのように。
『元気にしていますか』
当たり障りのない言葉を、何度も何度も。
流石に、何かがおかしい。
そう思い、私は預かり所に不備がないかを調べさせていた。
その結果は、無情なものでもあった。
ハルからの手紙が預けられた形跡はなく、記録にも引き出しにも、何ひとつとしてその変化はないという。
ハルは、手紙を書いてはいなかった。
その事実を突きつけられ、私は言葉を失っていた。
自由に街を出歩き、気の向くまま人を探すことさえもできないこの身が、ひどく疎ましくあるようにも思えていた。
もし、私が庶民であれば。
このような時、迷うことなく街へ出てハルの姿を探したことであろう。
茶色の封筒を思い浮かべ、あの控えめで誠実な青年のことを。
しかし、屋敷を離れるには理由が要る。どこへ移動をするにも、上からの許可が必要であったのだ。
それらを整えるだけで、何日も何週もの時を要してしまう。
時間だけが、無為に過ぎていく。
私は使用人に命じ、毎日預かり所へと足を運ばせていた。
手紙は届いていないか、何か変わったことはないのかと。
しかし返ってくるのは、いつも同じ答えであった。
「何もございませんでした」
私はただ、祈るしかなかった。
どうかハルが、無事であることを。
夜ごと、三通目に書いた手紙の内容を思い返す。
『もう私と、言葉を交わす気はないのでしょうか』
焦りと不安に任せて、あまりにも強い言葉を書いてしまった。
それだけが悔やまれてならない。
もし本当に、本当にそうであるのだとしたら。
これほど悲しいことはないだろう。
私の何かが、至らなかったのであろうか。
言葉が堅すぎたのか、親切心のつもりで行った過度な添削が、知らずのうちにその心を傷つけてしまっていたのであろうか。
それともハルの心情に、何か決定的な変化があったのだろうか。
嫌な予感ばかりが、胸をよぎる。
***
ある夜。
眠れずに天井を見つめながら、私はひとつの想像を膨らませていた。
もしや、結婚でもしたのではないのかと。
この国では、男が妻を迎えれば、他の誰とも文通を交わすことなど許されはしなかった。
それが暗黙の了解であり礼儀でもあり、当然のことでもあったのだから。
ハルほどの青年であれば、想われるような相手がいてもおかしくはない。
だがその想像は、この胸を鋭く刺していく。
私は、素直に祝福することなどできずにいた。
むしろハルの妻となったのはどこの誰であるのかと、無意識のうちに調べ尽くそうともしていたのだ。
その瞬間。
夜も更け屋敷は静まり返っているというのに、扉の外から使用人の声がした。
「……手紙が、届いております」
心臓が、大きく跳ねた。
「今、なんと……」
扉を開けるよりも先に、そう問いかけていた。
使用人の手には、一通の封筒があった。
見覚えのある、粗末な茶色の。
「……ハルからか」
「はい。間違いございません」
すぐさまそれを受け取り、扉を強く閉めていた。
手が、かすかに震えた。
深く、息を整える。
そしてゆっくりと、封を切る。
中に並ぶ文字は、殴り書いたかのようにひどく荒れていた。
線は揺れその形は崩れ、これまで目にしてきたハルの文字とは、まるで違う。
「ハル……」
だがそれは、彼の心そのものを映しているかのようでもあったのだ。
祖父が亡くなったこと。返事が遅れたことへの、丁寧な謝罪。
そこには貯金が底を尽き仕事もなく、食べるものにも困っているという、余裕のない日々が切に書き連ねられていた。
もはやそれは、単なる近況報告などではなかった。
まるでハルの心の叫びが、そのまま紙に叩きつけられているようでもあったのだ。
私はただ、この拳を強く握ることしかできずにいた。
知らなかった。
いや、気づくことすらできないでいた。
明らかになった事実を前に、しばらく私は何も言えずにいた。
ひどく、胸が痛む。
ハルを取り巻く境遇を、どうにかしてやりたい。
その気持ちは確かにあった。だが、どうすればいい。
金を送るか、この身分を明かすか。それとも、私自らが出向いてその身を迎えに行くか。
しかしどれも、容易なことではなかった。
何をすれば、ハルの幸せになるのか。
一体何をすれば、ハルの心は再び平穏を取り戻すのか。
答えは、すぐには出なかった。
だが考え続けた末、私は一つの決断に辿り着いていた。
便箋を取り、この屋敷の場所をはっきりと記していたのだ。
『困った時は、どうかここを訪ねてほしい』
『セラスティンという名を頼るといい』
それだけを書いた。
余計な説明はしなかった。身分についても、何も書かなかった。
だが今は、それでいい。
急ぎ使用人に手紙を託し、私は椅子に深く腰を下ろして目を閉じた。
どうかハルが、この手紙を受け取ってくれるようにと。
そして、もう一人ではないのだと、気づいてくれますようにと。
文通という距離の向こうで、確かにハルの身を想う者がいるのだと。
私は静かに、その時を待っていた。




